「行って参ります!」白髪の杉浦監督がこう言って、選手が帽子を脱いで大阪球場のグランドを一周した時、ルーキー大道はあの選手たちの中にいたのだろうか?私の席のすぐ前で観戦していた2軍落ちのドカベン事香川伸行は、試合終了とともにグランドへ降りていったから、当時2軍の大道もその緑のユニフォームの一員だったのだろう。


22年の歳月が経ったのだ。1988年南海ホークス最後の日を知る選手が、まだユニフォームを着ていたことが、かえって不思議に思える。杉浦忠は2001年に物故している。
滝鼻オーナーの温情でもう一年現役を永らえた大道だが、今季は1軍での出場はわずか5試合5打席、結果を残せなかった。ファームでも27打数の5安打だったが、打点は4。最後まで勝負強さは残っていた。
大きな体だったが、胸のすくような打撃を見せてくれたわけではない。窮屈そうに体を折り曲げ、短く持ったバットを素早く振って単打を狙っていた。「大したことないな」と投手は思ったかもしれない。しかし、大道はその小心な構えから、しばしば痛打を放ってきたのだ。監督も大きな期待はしないものの、何となく外せないという存在だった。
期待されていなくとも、期待に応えてきたからこその22年である。見事な名人芸だったと思う。指導者として下積みの選手を引き上げてほしい。
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22年の歳月が経ったのだ。1988年南海ホークス最後の日を知る選手が、まだユニフォームを着ていたことが、かえって不思議に思える。杉浦忠は2001年に物故している。
滝鼻オーナーの温情でもう一年現役を永らえた大道だが、今季は1軍での出場はわずか5試合5打席、結果を残せなかった。ファームでも27打数の5安打だったが、打点は4。最後まで勝負強さは残っていた。
大きな体だったが、胸のすくような打撃を見せてくれたわけではない。窮屈そうに体を折り曲げ、短く持ったバットを素早く振って単打を狙っていた。「大したことないな」と投手は思ったかもしれない。しかし、大道はその小心な構えから、しばしば痛打を放ってきたのだ。監督も大きな期待はしないものの、何となく外せないという存在だった。
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