広島の内野手、一軍野手コーチ、石井琢朗が本日、引退を表明する。平成元年のプロ入り、24年の現役生活だった。


左腕投手としてドラフト外で昭和63年に横浜大洋に入団。昭和時代入団の現役選手は山本昌、山崎武司、谷繁元信と石井の4人。
当初は投手だったが、コントロールに難があり、球速も伸びなかった。
92年に内野手に転向。強肩を活かし三塁手、遊撃手として活躍した。
打者としては、ファウルを打つ技術に長けており、投手に球数を投げさせることが出来た。選球眼も良く、全盛期には4割近い出塁率を誇った。
また、ミートが巧みでライナー性の打球を打つ中距離打者だった。
足も速かったが当初は盗塁の成功率が低かった。次第に技術を磨いて盗塁王を4度獲得。
石井の最大の長所は、走者との交錯が多い内野手でありながら、ほとんど故障知らずだったことだ。
93年から15年連続で100試合以上出場。球団にとってはこれほど信頼できる選手はいない。98年の優勝時は、自身の成績もピークだった。
広島に移籍後は、代打でも好成績を上げた。しかし今季はコーチ兼任となり、出場機会が減っていた。
あと70本で2500本安打だが、これは望むべくもない。もう十分に活躍したという感がある。遊撃手として1765試合出場は史上最多。
球史に残る名選手だったことは間違いない。
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コメント
コメント一覧
高卒1年目で勝利投手になっていますが、1軍で勝ち星を挙げた投手で2000安打したのは川上哲治さん以来だということで話題になりましたね。
全盛期はNPBでも屈指のリードオフだったことがスタッツからもうかがえますね。マシンガン打線を文字通り牽引したと言っていいでしょう。
ところで、内野手として活躍したからには、左腕投手ではなく右腕投手だったものと思いますが……
修正しました。RHPです。
私が調べた限りだと、NPB史上、37歳シーズン以上で遊撃で100試合以上出場したことがあるのは、石井琢朗と宮本慎也の2人だけ。それも両人とも37歳シーズンのその年だけなのです。
MLBではHonus Wagner、Barry Larkin、Derek Jeter、Omar Vizquel、Ozzie Smithらそれなりの例があるようなのですが、NPBだとこの2例だけです。
(昔のことに自信が持てないので、広尾さん他、どなたかまだあるよ!と気がついた方はフォローお願いします)
今季、楽天の松井稼頭央選手が37歳シーズンでの遊撃100試合以上出場を目指していますが、現在、66試合に止まり、残り36試合。厳しいかな?という状況です。
彼も微妙な試合数ですかね?
井端って、もうそんな歳になるんですねえ。調べてみたら、遊撃で112試合、既に達成していますね。
あと、日本ハムの金子誠も今季が37歳シーズン。現在、遊撃で78試合出場。順調にいけば達成見込みとなっていました。
武司もあと180本となると、2000本安打まで5年かかりそうな感じですし。
ところで、打率順位が欠落しているようですが。
晩年、広島カープに移籍しましたが、試合前の守備練習でも
ボールを捕球してから反動もつけずにノーステップでの送球
を見るのが大好きでした。
反動をつけずに送球できるのが本当の強肩だと思いますが
外野手でいえば、内野手のような投げ方が出来る
かつての蓑田、全盛期の高橋由伸、現在は長野などが
挙げられますでしょうか。
遊撃手として1765試合出場は史上最多というのも凄いですね。
この表をつくるためには、あっちこっちの資料をひっくり返す必要がありまして、順位まで手が回らなかったわけです。追々くっつけます。
優勝も一度だけだったしAクラスも3回かな?
そういった意味ではチームに恵まれてなかったのが残念。
突出した成績でもないのに、レギュラーが固定されていて、控えは少なからず不満を持っていたと思われます。
横浜の解雇のタイミングは悪くはなかったと思いますが、ドラゴンズに移籍した佐伯といい、うまく説得できなかったのが残念ですね。
そういえば一時期、石井の次の横浜の遊撃手は内川だと思っていました。