村田修一が、巨人の勝利に貢献していないのなら、そして他の選手を起用する方が良いと判断するなら、指揮官は何の躊躇もなく替えればよいのである。そのことを私は事上げているわけではない。
問題は、その替え方だと言っているのだ。ことさら試合途中に家に帰らせる必要がどこにあるのか。懲罰人事とは、そのことを言っている。10年選手であり、タイトルホルダーである村田修一に、なぜそういう仕打ちをするのか。

試合途中で交代させられたら、村田はその時点で「なぜ自分はそうなったか」を十分に理解できるはずだ。それがプロと言うものだ。そこに追い打ちをかける必要はないと言っているのだ。

村田は昨日、インタビューに答えて「気にしていない。やる気になっている」と答えた。これは当然のことだ。彼にもプライドがある。「いやな気分だ」とは絶対に言わない。しかし、だからといって彼がうきうき楽しい気分でいるはずもないことは、大人なら誰にだってわかるはずだ。

村田修一は、これまで立派な成績を残してきた。だからこそ巨人は彼を獲得したのである。残念ながら成績不振に陥っているが、彼のキャリアを考えれば、首脳陣は村田を信じる以外の方法論はないのだ。わざわざ信頼感を損ねるようなことを指導者がする必要はどこにもない。

残念ながら、日本の社会はこういうやり方でやってきた。成績が悪いもの、調子が悪いものをことさら屈辱的な目にあわせて、それを「愛の鞭」だと言ってきた。社会のあらゆる面で、こうした陰湿な懲罰が行われてきた。「根性」とはそういう逆境から這い上がることだと思ってきた。今もそれが当然だと思っている人は多い。

近年、こういうやり方が、成績を向上させるうえで、ほとんどの場合、逆効果であり、良いやり方ではないことが、明らかになってきた。20年ほど前、オリンピックで日本人選手がなぜ、金メダルを獲得できないか、大舞台でなぜ弱いかが研究される中で、スポーツにおけるメンタル面の指導の重要性が見直されてきたのだ。



成績が悪い選手、伸び悩んでいる選手に必要なことは、何をおいてもその選手を信頼してやることだ。不安を取り除き、萎縮した気持ちを解きほぐしてやることで、選手は本来の力を発揮できるのだ。

そういう観点から、新しい指導法(コーチング)が開発されている。アメリカのプロスポーツの多くで導入されているし、日本でもJリーグやパリーグの球団で導入が進んでいる。そういうチームでは、選手を頭ごなしに怒鳴ったりはしない。悩みがあれば、選手とともに原因を見つけて解決する。

それは、成績が上がらない選手を甘やかすこととは全く違う。逆にドラスティックな選手起用をするためにも、レギュラーを外される選手のフォロー、モチベーション維持が必要なのだ。

MLBでいうと、タンパベイ・レイズ=TBのマツドン監督などは明らかにその考え方で指導をしている。
マツドンは松井秀喜を34試合起用したが、不振の時も声高にけなすことはなかった。慎重に言葉を選んでいた。先発を外すときも、マツドンは松井を呼んできちんと説明をしていた。
それは松井が実績十分な選手であり、彼を活かすためには信頼するしかなかったからだ。松井はその期待に応えられなかったが、最後までマツドンは松井に敬意を表していた。また松井も解雇されてもチームやマツドンを恨むことはなかった。
戦力が乏しい中で、TBが優勝戦線に常に残っているのは、マツドンが選手を完全に掌握しているからだ。信頼関係を築いているからだ。

反対にボストン・レッドソックス=BOSのボビー・バレンタインは、選手との間に軋轢を起し、選手から反発を喰らってチーム崩壊を招いた。MLBでもコーチングを理解していない指導者はいるにはいるのだ。

セリーグには、こうした新しい指導法を学ぶ機運はないようだ。阪神では、マット・マートンと首脳陣が軋轢を生み、DeNAでは中村紀洋が懲罰的に2軍に落ち、巨人では村田修一が恥をかかされた。中日でも監督が選手を人のいる場所で叱責している。
一方的に指導者が悪いわけではなく、選手にも原因はある。しかし、指導者と選手の信頼感を醸成するところからチーム作りをするという観点から考えれば、こうした球団のやり方は正しいとは言えないと思う。軍隊以来の厳罰主義、上下関係による強制的な指導が、今も続いていると思う。

今の選手は、昔の兵隊のように絶対服従を受け入れない。また、そういう指導者の言いなりになるだけの選手では、勝てなくなっている。

なかなかご理解いただけないとは思うが、私はこうした観点から、ずっと意見を述べてきた。NPBの野球はもっと変わっていかないとダメだと思っている。
選手の力を伸ばすには、新しい指導法が必要なのだ。昔のやり方がこれからも通用するわけではないのだ。

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