評価が難しい選手だと思う。とにかく短い全盛期には素晴らしい選手だったのは間違いない。

PL学園から東洋大学を経て逆指名ドラフト1位で阪神に。エリートである。大学時代は遊撃手だったが、プロでは二塁(553試合)、三塁(439試合)、遊撃(265試合)、一塁(6試合)。内野手ということになろう。
当初は、長打は少なく、シュアなアベレージヒッターだった。しかし、成績の浮き沈みが大きかったが、2003年に.340で首位打者を獲得。
このころから、チャンスに非常に強い打者というイメージを帯びてきた。以後中軸打者に定着したが、2005年には試合数を上回る147打点を記録。これは1999年の横浜ロバート・ローズの153打点とともに、近年では突出した記録だ。満塁本塁打4本というすごい記録とともに、強く印象に残っている。
しかし、この年を最後に打棒は全くふるわなくなり、2009年には阪神を戦力外となる。ロッテに移籍したものの成績は振るわず、今季はコーチ兼任となるが、一軍出場がないまま引退となった。この間、二軍では2010年.282、0本塁打11打点、2011年.232、1本塁打3打点。今期はファームでも出場がなかった。
今岡の宿痾は「ばね指」とよばれるものだった。腱鞘炎が悪化したものだが、バットをしっかり握ることができなかったようだ。
野村克也は今も、口を開くと今岡を「言うことを聞かなかった奴」とののしっているが、扱いにくい選手だったようだ。
STATSを見ると、毎年違う選手のようだ。足が遅い、あるいは盗塁に興味がなかったこと、そして早打ちだったことは見て取れる。
ポテンシャルは高かったと思うが、その資質を十分に生かすことなく引退したという印象だ。
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コメント
コメント一覧
全盛期の理論不要、感性全開といった打撃が大好きでした。
あと定着した打順は5番でっせ。
(確か落合解説者をうならせた)
この年のチャンスにしか打たないイメージが強くて2003年の鈍足一番打者の首位打者で優勝に貢献、は最早記憶の彼方ですw
しかしこの表見てものむさんは今岡を干してないと思うのですが、なんであんな報道になったんでしょうか・・・
RC27の数値も、プロ入り後5年間はいずれもリーグ平均以下と攻撃力はさほど期待できない平凡なもので、野村監督との確執などむしろゴシップ面で賑わせていましたけど、野村監督が退任したとたんに一気に飛躍。偶然かどうかは分かりませんが、監督が交代したのを契機にそれまでくすぶっていた選手が活躍するというのは、よく見かけます。
キャリアの中で全盛期の数字が大幅に突出したものになっているのは、00年代前半はリーグ全体のボールの反発力が相当な勢いで上昇していって、打撃戦や乱打戦が極端に多かったという背景もありそうです。
結果的に38歳まで現役を続けたのだから長命選手に入りますが、赤星みたいに早期引退に追い込まれる例もあるし、野球選手にとってケガほど厄介なものはないですね。
自分はホークスファンですので全盛期よりも、'10のCSで(確か)杉内からの先制2ベースを打つなどして勢いに乗られた悔しい思いをしたのが印象に残っています。
その年の成績から見ても完全に終わった選手だと思っていたので。
ヤンキースでソリアーノが一番なのと並んで驚きました。
一番 今岡
二番 赤星
三番 金本
四番 浜中
全員、引退・・・・・・。
見渡せば花も紅葉もなかにけりって感じです。
また、こんなエキサイティングな阪神がみたいです。
2000年には完全に干したんですが、2001年は使わざるを得なくなったんですよ。
>すなめりさん
星野仙一さんが「すさまじい鈍足だけど一番で使った」と述懐しておられます。
赤星が送れば、一死二塁、失敗して走者入れ替わっても赤星が走ってやっぱり一死二塁、そして金本で返す野球でした。
金本~赤星ってのは一番と四番が直結したような打線でした。
ところで、新庄とは違った意味での天才、マリーンズでのコーチはうまく行かなかったのか、嫁さんのいる関西に戻りたかったのかわかりませんが、指導者には不向きでしょうね。
しかし17盗塁は少なすぎます.野村監督ですら,現役時代117盗塁をマークしているのですから.
1996年のドラフトは,アトランタオリンピック出場組がいたこともあり大豊作でした.野手だけでも前出の井口の他,松中や小笠原,谷,和田,小坂,柴原,磯部,岩村,森野ら.
2005年までの成績は,彼らの中でもトップクラスのものです.
阪神の同期には関本と濱中がいます.三人とも一時は主力を務めるも怪我に泣いたり伸び悩んでいる点が共通していますね.
打者では今岡誠
投手では伊藤智仁
もちろん良い印象ではないです。
「もっと上手く、こうしていれば…。」
ともかくお疲れ様でした。