中日ドラゴンズは、平井正史を戦力外とした。イチローの記憶とともにある投手だ。感慨深いものがある。

宇和島東高校出身。つまり岩村明憲の先輩だ。春夏甲子園に出場し、オリックスにドラフト1位で入団。
1年目から1軍で投げたが、2年目には27セーブを挙げ、クローザーとして活躍した。とにかく球に勢いがあって、キレも良かった。この投手がマウンドへ上がると大きな拍手が沸いたものだ。
イチローが打って、平井が抑える。フレッシュな顔ぶれで勝つオリックスは、非常に魅力的だった。
しかし96年にはすでに右ひじを痛めて戦線離脱。以後は時折速い球を投げることはあったが、成績は下落。
2003年には山崎武司との交換で中日へ、先発投手として12勝を挙げたのちは、地味ではあるが中継ぎ投手として投げてきた。
中日というチームは、絶対的なクローザーである岩瀬仁紀につなぐために、中継ぎ投手の頭数を必要とするチームだ。落合監督は、この手の投手起用が得意だったと思うが、平井はよく期待に応えて頑張ってきたと思う。
本人は現役続行を願っているそうだ。一時的にスポットライトが当たった選手がしぶとく生き残る、というのもドラマだと思う。
何とか活路を見出してほしい。
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コメント
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同じ年代で、中・高を愛媛県で過ごしたこともあって、高校時代から注目をしておりました。
ドラゴンズにやってきたのは当時の山田監督の個人的な縁だと思いますが、あまり期待がされていなかった中で、よく頑張ったと思います。一時期不調になりながらも、2010年などはよく盛り返しましたし、あれだけの怪我から復帰して意外に長持ちした印象です。
首脳陣も何とかいいところで投げさせたいと思い、リードしている場面で出したりしたのですが、そのリードを消してしまい、新人投手の初勝利も流れてしまうなど、イメージのよくない登板が戦力外に拍車をかけたのかもしれません。今、平井のポジションは若い武藤という投手が務めており、首脳陣としても長い目で見れば、こちらを育てていきたいと思うのは自然でしょう。
なんだかんだいても実働19年働いたので、もう十分だと思いますが。
2年目で潰れてしまったような形ですが、95年は本当に投げるのが楽しくてしようがないという感じでした。だからこそここまで続いたのでしょう。お疲れ様でした。
赤堀の指定席だったファイアマン賞を奪い取ったのも95年でした。赤堀の故障が無くてもこの年は平井だったでしょうね。安田火災が手を引いたファイアマン賞も今はなくなりました。
確か、岩村明憲の兄で元バファローズの岩村敬士とともに甲子園出てたはずです。
入団した1993年ドラフトは逆指名元年、ホークス熱望ながら高校生ゆえ希望が叶わず、仰木オリックスに逡巡の末入団したのはよく記憶してます。
1995年の大活躍、そしてその後の低迷と対照的な言われ方をしますが、低迷は怪我だけでなく、相手に研究されてしまったのと、山田久志投手コーチがオリックスを去ってしまったのもあると思います。
「生涯ドラゴンズ」のつもりでいた山崎武司が、中日時代の山田監督と衝突して交換トレードに出された裏では、入れ替わりに入団し27歳にして山田監督の指導の下でセットアッパーとして復活したのは、野球ファンとして嬉しかったです。
山崎武司の復帰とすれ違うように戦力外、生え抜き優先のチームカラー転換の犠牲にもなった気がするので、ぜひどこかのチームでセットアッパーとして最後の活躍を見せて欲しい。
好投を続けていたのに、1年間を通じて敗戦処理または大差のついたゲームでしか登板できませんでした(延長戦を除く)。でも、好投していたこと自体は評価されて年俸はアップ。
私の知る限り、好投しているのに敗戦処理から抜け出せない、という投手が初めてなら、敗戦処理なのに年俸アップも初めてでした(「1年間敗戦処理で1軍」というのはバレンタイン時代のロッテでありました)。
もっとも、それだけ2010年のドラゴンズ投手陣の層が厚かったというのもあります(例えば、今年後半武藤が担っている役割は、当時清水が果たしていました)。
2008年以降、勝ちパターンで投げることが極端に減っていましたし、もう限界でしょうね。
環境を変えることで、長期に渡って活躍できるということを示せたことは他の選手の希望になったことでしょう。
中日移籍後の初試合(巨人との開幕3連戦だったと思います)では、手術後の大きな傷跡を見せながらも強打者相手に快刀乱麻が印象的でした。それまでの単なるアンチ巨人からにわか中日ファンになるきっかけになりました。
この際、私の気のせいかもしれませんが、打者を打ち取った後に「ニヤリ」としたシーンがあり(そう見えました)、当時の長髪の風貌と相まって、あんだけ苦労してもまだ牙は丸くなっていない強烈な個性に痺れました。実際その後カムバック賞を受賞しましたが、苦労が報われて本当に嬉しかったです。
平井選手を取り上げて頂いてありがとうございました、
まだまだ現役で頑張って欲しいです。恩師の山田監督がオリックスの新監督になるという話も出ていますから、古巣に戻るのもよいのでは。