日曜日においしいお酒をご一緒させていただいた、のぶ。さんが、メールで教えてくださったのだが、巨人の3選手がタイトルを獲得するについて、ある「美談」が出来上がっているという。
「作為」の話は一通り終わったつもりでいたが、私はうーんと唸らざるを得なかった。
10/15の「徳光和夫の週刊ジャイアンツ」で原辰徳監督が、徳光和夫氏に長野、坂本、阿部のタイトル争いについて激白したというのだ。
(1)長野、坂本の話
長野、坂本の最多安打争いでは、最終戦で長野に坂本の安打数が並んだ次点で、原監督は長野にこう話しかけたという。
【原】「勇人が3本打ったと。君と並んだ。君の中で、この打席を打つかい?」と。
「今まで頑張って144ゲームやってきてるわけだから、この1打席に関しては選択肢を与える」ということを言いましたら、(長野は)「私は引っ込みます」と。
【原】それで彼(長野)、本当に長野と勇人で同じ本数、173本で一緒にタイトルをとり、表彰式に出るんだと、心の底から思っていたらしいんですね。
そこで原監督は長野に代打石井を送った。
【原】長い人生、野球人生の中でね、そんなに僕はキャリアがないけれどもしかし、あの光景、風景というものは今まで見たことが無いと。もう、素晴らしい光景だったと思う、と。
長野はこの試合2打席立っているが、追いつこうとしている坂本のために安打は打てない、しかしチームには貢献すべきだということで、必死に四球を狙っていたという。
【原】そうしましたら、「全力で戦おうと思った。全力でフォアボールを取ろうと思った」と。
(2)阿部の話
【原】もう一つね。慎之助が最後出なかったじゃないですか。まぁ、(試合前の段階で慎之助は)捕手最高打率ですね。
(※1991年:ヤクルト古田の打率は.3396。一方前日までの結果で、阿部の打率は.3404でした。)
【徳さん】(あのヤクルト)古田を越えるという打率ですね。
【原】1のゼロ(=1打席ノーヒット)。1打席立たせることによって、その打率が消えてしまうんです。
【原】「ジャイアンツの歴史、慎之助の歴史、記憶、全てにおいて崩すようなことはしたくない。」と(慎之助に伝えたんです)。「ありがとうございます。そうさせて頂きます。」と(慎之助が答えたんです)。
聞き手である徳光和夫氏は、涙を流さんばかりに感動していた。
(この情報は、「スコアブックから巨人の試合結果を考える」さんのブログから引用させていただいた。
詳細はhttp://www.plus-blog.sportsnavi.com/giants_love_2012/article/225
を見ていただきたい。ただし、この方に対して議論を吹っ掛けたり、中傷するようなことのなきよう。一ブロガーであるこの方に私は異議申し立てをする気はない。)
プロ野球では、シーズン終盤に「タイトル獲得に関する裁量権」が、選手の手に転がり込むことがままある。
これは野球というスポーツの「欠陥」だと思う。
NPB、MLBを問わず、「裁量権」を手にした選手の多くは、「リスクを冒して数字を伸ばす」ことを選択せず、試合を休んだ。これは「悪習」ではあるが、野球界では容認されてきた。
(1)のケースはこの「裁量権」を利用してチームメイトにタイトルを「お裾分け」したものだ。レアなケースだが、坂本が最終戦で奮闘したことによりこうした事態が生じた。
(2)のケースは、タイトルではないが「歴史的記録」に対して「裁量権」を行使したものだ。
要するに「公正」であるべき野球記録を、原監督と3人の選手が「私」したというだけのことだ。徳光氏は何に感激したのだろうか。
私が原辰徳という人物に、微妙な違和感を常に抱いてしまう理由が、少しわかったような気もする。この人は野球界全体ではなく「自分の身内」のために頑張っている人なのだろう。


日米問わず、こうした事例はいくらでもある。問題があると一部の人が言っても、既成事実は覆らない。前例は山積みになっていく。そういう因習が存在するのは事実だ。
しかしながら、それを「美談」として祭り上げたのには、考え込まざるを得なかった。
徳光和夫氏と言えば長嶋茂雄に心酔して立教に入り、以後ずっと最良の巨人ファンとして生きてこられた方だ。つまり、それは、最良のプロ野球ファンだったはずだが、その徳光氏が、この「悪習」をもろ手を上げて賛美するとは思わなかった。
私はこの話は、巨人や巨人ファンの体質がどうのという問題ではないと思う。
「フェア」であること、「無私」であることが前提であるはずのスポーツマンが、公私混同をして栄誉を「私」したこと、常に全力プレーを期待するファンを裏切ったことに対し、メディアが健全な批評精神を失ったということだと思う。
そして、安っぽい「感動物語」が、マスコミを通じて流布される中で、世間にはこのストーリーも「感動」なのだと思い込む人が増えたのだと思う。
スポーツをめぐる「ドラマ」は人知の及ぶものではない。作ってはいけないし、演じてはいけない。ひたすらプレーする結果として「ドラマ」は出来上がるのだと思う。
最後に「記録」をめぐる本物の「感動物語」を一つ、wikipediaから引用しておく。
有名なテッド・ウィリアムスのエピソードだ。


1941年には打率4割の期待がかかり、シーズン最終日にフィラデルフィア・アスレチックスとのダブルヘッダーを残して打率.3995。打率は毛を四捨五入して厘の値までとなり、この時点でも記録上は打率4割となるため、周囲からは欠場を勧められた。しかしウィリアムズはダブルヘッダーに出場。(中略)2試合で8打数6安打を記録し、打率4割を6厘上回った。(中略)試合に出場した理由として、四捨五入で4割となるため実際は4割ではなかったと言われるのが嫌だったと言っている。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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(1)長野、坂本の話
長野、坂本の最多安打争いでは、最終戦で長野に坂本の安打数が並んだ次点で、原監督は長野にこう話しかけたという。
【原】「勇人が3本打ったと。君と並んだ。君の中で、この打席を打つかい?」と。
「今まで頑張って144ゲームやってきてるわけだから、この1打席に関しては選択肢を与える」ということを言いましたら、(長野は)「私は引っ込みます」と。
【原】それで彼(長野)、本当に長野と勇人で同じ本数、173本で一緒にタイトルをとり、表彰式に出るんだと、心の底から思っていたらしいんですね。
そこで原監督は長野に代打石井を送った。
【原】長い人生、野球人生の中でね、そんなに僕はキャリアがないけれどもしかし、あの光景、風景というものは今まで見たことが無いと。もう、素晴らしい光景だったと思う、と。
長野はこの試合2打席立っているが、追いつこうとしている坂本のために安打は打てない、しかしチームには貢献すべきだということで、必死に四球を狙っていたという。
【原】そうしましたら、「全力で戦おうと思った。全力でフォアボールを取ろうと思った」と。
(2)阿部の話
【原】もう一つね。慎之助が最後出なかったじゃないですか。まぁ、(試合前の段階で慎之助は)捕手最高打率ですね。
(※1991年:ヤクルト古田の打率は.3396。一方前日までの結果で、阿部の打率は.3404でした。)
【徳さん】(あのヤクルト)古田を越えるという打率ですね。
【原】1のゼロ(=1打席ノーヒット)。1打席立たせることによって、その打率が消えてしまうんです。
【原】「ジャイアンツの歴史、慎之助の歴史、記憶、全てにおいて崩すようなことはしたくない。」と(慎之助に伝えたんです)。「ありがとうございます。そうさせて頂きます。」と(慎之助が答えたんです)。
聞き手である徳光和夫氏は、涙を流さんばかりに感動していた。
(この情報は、「スコアブックから巨人の試合結果を考える」さんのブログから引用させていただいた。
詳細はhttp://www.plus-blog.sportsnavi.com/giants_love_2012/article/225
を見ていただきたい。ただし、この方に対して議論を吹っ掛けたり、中傷するようなことのなきよう。一ブロガーであるこの方に私は異議申し立てをする気はない。)
プロ野球では、シーズン終盤に「タイトル獲得に関する裁量権」が、選手の手に転がり込むことがままある。
これは野球というスポーツの「欠陥」だと思う。
NPB、MLBを問わず、「裁量権」を手にした選手の多くは、「リスクを冒して数字を伸ばす」ことを選択せず、試合を休んだ。これは「悪習」ではあるが、野球界では容認されてきた。
(1)のケースはこの「裁量権」を利用してチームメイトにタイトルを「お裾分け」したものだ。レアなケースだが、坂本が最終戦で奮闘したことによりこうした事態が生じた。
(2)のケースは、タイトルではないが「歴史的記録」に対して「裁量権」を行使したものだ。
要するに「公正」であるべき野球記録を、原監督と3人の選手が「私」したというだけのことだ。徳光氏は何に感激したのだろうか。
私が原辰徳という人物に、微妙な違和感を常に抱いてしまう理由が、少しわかったような気もする。この人は野球界全体ではなく「自分の身内」のために頑張っている人なのだろう。
日米問わず、こうした事例はいくらでもある。問題があると一部の人が言っても、既成事実は覆らない。前例は山積みになっていく。そういう因習が存在するのは事実だ。
しかしながら、それを「美談」として祭り上げたのには、考え込まざるを得なかった。
徳光和夫氏と言えば長嶋茂雄に心酔して立教に入り、以後ずっと最良の巨人ファンとして生きてこられた方だ。つまり、それは、最良のプロ野球ファンだったはずだが、その徳光氏が、この「悪習」をもろ手を上げて賛美するとは思わなかった。
私はこの話は、巨人や巨人ファンの体質がどうのという問題ではないと思う。
「フェア」であること、「無私」であることが前提であるはずのスポーツマンが、公私混同をして栄誉を「私」したこと、常に全力プレーを期待するファンを裏切ったことに対し、メディアが健全な批評精神を失ったということだと思う。
そして、安っぽい「感動物語」が、マスコミを通じて流布される中で、世間にはこのストーリーも「感動」なのだと思い込む人が増えたのだと思う。
スポーツをめぐる「ドラマ」は人知の及ぶものではない。作ってはいけないし、演じてはいけない。ひたすらプレーする結果として「ドラマ」は出来上がるのだと思う。
最後に「記録」をめぐる本物の「感動物語」を一つ、wikipediaから引用しておく。
有名なテッド・ウィリアムスのエピソードだ。
1941年には打率4割の期待がかかり、シーズン最終日にフィラデルフィア・アスレチックスとのダブルヘッダーを残して打率.3995。打率は毛を四捨五入して厘の値までとなり、この時点でも記録上は打率4割となるため、周囲からは欠場を勧められた。しかしウィリアムズはダブルヘッダーに出場。(中略)2試合で8打数6安打を記録し、打率4割を6厘上回った。(中略)試合に出場した理由として、四捨五入で4割となるため実際は4割ではなかったと言われるのが嫌だったと言っている。
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コメント
コメント一覧
タイガースの選手がもしWBC日本代表でご一緒に試合させていただけるならタイトル、ひいてはタイガースそのものに優勝も分けていただけませんでしょうかw
全ての言動に全く共感できないという凄い内容の番組になってますな。
ここまでくると、逆にちょっと観てみたい(笑)
まあ24時間テレビを始めとした様々なお涙頂戴ドキュメントで
毎回感動の涙を流せる徳光さんなら、そりゃあ諸手を上げて賛美するでしょう。
しかも今回は彼が愛してやまないジャイアンツ選手同士での「譲り合い」の話ですから。
しかし、各パラグラフがいちいち異次元の会話と反応ですね。
番組と出演者の性格上、多少盛ったエピソードになっているのかもしれませんが
本当にこの通りチームの前で、長野が美談を披露してその横で監督が満足そうに頷いている…
などという光景があったとすると、まともに競争したい派の選手は「もう帰りたいなー」と思ってたんじゃないですかね。
それはそれで、チームワークの危機という気がしますが。
ここまで書いてそういえば、『ONE OUTS』で似たようなテーマを扱ってたなと思い出しました。
あのマンガはあのマンガでご都合主義なところも多いですが
今読んで、どんな感想を持つか巨人の(監督ではなく)選手に聞いてみたいですね。
美談と思えたらそれでよし。
美談と思いたくなければ、それもよし。
こうでなければならない、というのは少し窮屈な考え方かな。
原辰徳が身内のためだけに、というなら、自分のために野球しろという落合博満は、金の亡者となってしまいそう。
意見の多様性は理解しましょう!
>最良の巨人ファンとして生きてこられた方だ。つまり、それは、最良のプロ野球ファンだったはずだが、その徳光氏が、この「悪習」をもろ手を上げて賛美するとは思わなかった。
過去の言動から考えるに、この方はプロ野球ファンであることよりも、読売ファンであることを優先されてきた方です。
20年以上も前のことを今さらいうのもなんですが、「広島の選手が乗った飛行機が落ちるかもしれない」という発言が、それを象徴していると思います。
おそらく、読売のやることは、この方にとっては思考停止で全てを是とするのでしょう。
>メディアが健全な批評精神を失った
問題は、ここに尽きるのではないですか?
ここのコメント欄でもそうでしたが、読売の選手のやったことに対しては、えらく寛大です。過去に他球団の選手が似たようなことをやっていれば、おそらくもっと批判があったでしょう。
全く賛同できない。ひとぞれぞれ、という話と、かくあるべし、という話は同等ではないと思います。
長野、坂本の件で少し気になったこと。「選択権を与える」という発言。黙って打席に送り出せば、長野の意思に任せたということでしょうけど。「どうする?」と聞かれれば、長野は、原監督の気持ちや自分と坂本、巨人というチームのことが頭をよぎるでしょう。それって、選択自由ってことにはならないんじゃないかなあ。
うちの家族なんかはこの話を聞いて原監督や坂本長野に好感を抱いていたようです。
母はジャニーズが実況するから野球をみると言うくらいのライトで
弟は野球部に所属しているのですがその為に坂本長野の気持ちがよくわかるらしく
「実際野球やってみればこの気持ちが良くわかるよ」と言っておりました。
私は野球未経験ですが家族と概ね同意見です。
管理人さんは私の意見こそが正しい、これで感動するのはマスコミの洗脳に毒された人間だ、などと思しき発言をされてますけども
結局のところ感動する人間はそういった「気遣い」やら「自己献身」に感動するのではないですかね?
ついでに言わせてもらうとファンが常にフェアプレーを期待しているというのも、管理人さんがマスコミに思わされているだけかもしれませんよ?
ラフプレーで贔屓球団が優勝を掴み取るのと、フェアプレーで贔屓球団が優勝を逃すのと
果たしてファンはどちらをのぞむでしょうかね?
イチャモンにしかみえないのなら、不幸なことだと思います。好感度は、別に正義ではないと思います。
暗黙の了解や黙認ならいざ知らず、
これを「美談」としてテレビでやってしまう神経を疑いますね。
数十年来のG党ですが、
日テレや読売にはいつも肩身の狭い思いをさせられます。
それを離れた展望台から見てる人が野次っているという感じ。
前々から貴方に聞きたいと思っていたことがありました。
貴方の尊敬する宇佐美氏が01年、カープの菊地原投手が稲尾投手の最多登板記録に並ばんとした際に
「稲尾の80試合と菊地原の80試合では中身が違う、菊地原は稲尾に並ぶべきではない」
と当時の山本監督に手紙を出し、菊地原に記録を作らせないように求めた
まさに作為を要求した事についてどう思ったかなんですけど
宇佐美氏は84年の元阪神福間投手へも同じ手紙を出しております。
むずかしいところですね。
ただ、宇佐美氏がもう少し生きておられて、野球界の趨勢への認識を改められればこんな手紙は出さなかったと思います。お弟子さんの蛭間さんなどは少しお考えが違うと思います。
宇佐美さんの信奉者ではありますが、昔の記録を尊重するあまり、現代の記録に異議申し立てをすることについては、無条件にOKとは言えないと思います。
そういう意味で、過渡期ではありますね。
私個人の考えでは、宇佐美さんのこの行為はNOです。
それなら長野が打席に立ち、凡打するか、坂本を抜くかしてからでも十分だと思うんです。そこにチャレンジしてくれなかったことが残念なんですよね。
(この記事のコメントも又、賞賛ばかりで薄ら寒くなる)
長野に代打。
消化試合の中で記録をオモチャにしただけでしょ。
ただ単にタイトルが欲しいからやったのなら、そう言えばいいのに、「時を止めた」だの大層な台詞を持ち出すから胡散臭くて堪らない。
これと同じ事が最終戦までもつれ込んだ「10.8」で行えますかね?
ちなみに現在も『捕手』最高打率は古田敦也です。
彼は「捕手・一塁」併用出場などしていません。
阿部のものはあくまで参考記録です。
(そこまで記録に拘るなら、一塁出場時の安打を除外するのは当然の事です)
NPBも正式な記録として認定しないようにお願いしますね。
だからって「徳光和夫の週刊ジャイアンツ」のお話は、美談とも思いませんし、感動もしないですけどね。
仮定の話は何ともいえません。ただこのエピソードが美談として残っていることに注目したいと思います。
こちらのブログのコメント欄を拝見させていただいて、様々な議論の中で相対主義的な意見をよく目にしますが、「かくあるべし」と「人それぞれ」が同等ではないという管理人さんのスタンス、私も同じ思いです。
表現するのが難しいのですが、相対主義は、他者への無関心に行き着くような、そんな感じがします。
とくに、「プロ野球」という限定されたテーマでの議論ですからね。
「プロ野球」そのものがもつ意味、与えられている意味付けがどうあるべきか、これは議論していかないと。と思います。
「要するに「公正」であるべき野球記録」
という点にそもそも賛同してない人が多いのを理解するべき。
野球記録が公正です!
で?だから?公正だったら何が嬉しいんですか?
それが分からない。
スポーツはルールと記録で運営されます。ファンがそれをどう思おうと勝手ですが、競技者、運営者がそれをないがしろにしては成り立ちません。
いくら「記録なんてどうでもいいじゃん」という人が多くても、関係ないでしょう。
「かくあるべし」という姿がひとそれぞれ違うのは当然だと思いますが。
世の中には絶対的な正義があるということですか?
立場が違えば正義は異なる、
べき論だって立場が違えば変わって当然です
今、成り立っているのに、
成り立たないといっても説得力が全くないです。
鹿の糞みたいにぱらぱら言うんじゃなくて、まとめていただけないですか。
いくら「ファンなんてどうでもいいじゃん」という人がここに多くても、関係ないでしょう。
プロスポーツは興行収益で成り立っていますが、その前提には「スポーツが本物である」ことが前提になります。記録に対する作為はそういう社会的信用を揺るがしかねません。許容範囲かどうかの解釈こそあれ、その前提は残ります。
また、この作為を支持する人がいる反面、それはダメだという人もいるでしょう。
そういう問題の線引きは「公正さ」でしかないと思うのですが。
意見の多様性を認めるならば、このブログでの意見も認めるべきであり、l記事に出たからといって第三者は「そういう考え方もある」と素通りすべきである。
いちいちいちゃもんを付けてくる時点で彼らは「意見の多様性を認めていない」ということになることに気づいていないことが失笑ものである。
さて、私も意見の多様性は認めないし、自分の考えだけで意見を書かせていただく。
原辰徳は第二次監督時代から全く好きにはなれなくなった。
このエントリーにあるように「彼が身内のために」だけ動いているというのはもうあからさま。これがどこでそうなったのか?.....
やっぱり第一次監督時代の最後かな。「読売社内の人事異動」とやらがあってから、彼は野球界の人間ではなく、読売の傀儡になったのだろうなと感じざるを得ない。
落合が金の亡者?
いや、私には原辰徳の方がよほど金の亡者に映ってならない。
甥っ子の菅野問題もそう。
彼らは自分の身内のためにしか何かしようとはしない。
だからNPBの発展を阻害しているとしか、周囲には見えないのが、おそらく読売の中、もしくはジャイアンツファンには見えていないのだと思う。
だ・か・ら、読売は大っ嫌いだ!
プロ野球は興行であるから作為的なことはなんでもやっていい....とかなるとさ、
それこそ元巨人軍投手だったジャイアント馬場のプロレスの世界になっちゃうよね。極端な話。
ジャイアント馬場の全日本プロレスを中継したのも読売。
要するに、プロレスにおける「全日本」か「新日本」か?みたいな感じですかね。
いや、新日本もあれだから、プロレスか?格闘技か?みたいなものか...
プロレスの世界で作為的にチャンピオンが作られても...応援するのてのはマニアなファンだけなんですよね。
で、格闘技の世界はそれはそれでコアなファンしか集まらないけど。
私はプロ野球の世界が全日本プロレス化していくのはやだな。
ざっとこんなかんじかな?
一方的にそういう人は、器の小さい人と思われる。
成り立たせるために必要な記録とそうでない記録はあります。
例えば草野球であれば、個人成績を記録しなくともスポーツは成り立ちます。
つまり、ここでその作為を肯定している人は、まさにその
「許容範囲である」という解釈をしているわけですよね。
公正さが線引きだとおっしゃられていますが、
スポーツを成立させるための記録であり、それの許容範囲なのですから、「スポーツが成立するかどうか」が線引きであるはずですよ。
そしてその「スポーツが成立」しているかどうかが曖昧で、「俺にとってのプロ野球が成立している」かどうかと解釈されてしまうので、
そこに価値観の相違、意見の相違があるのだと思います。
価値観の相違というよりも、どこを見ているかでしょう。許容範囲を認めるのは好き好きですが、それを公にするのは、厚顔あるいは無知だと思います。
こういう議論で「器」とか「人間」とか言う人は、議論の本質よりも、自己愛の方を向いていると思う。意外なことに若い人、優秀な人に多いように思うけど。
しかし容認派の方について一点疑問に思うのは「彼らがタイトルを分け合わず精一杯最後までプレーした結果に対しても感動はできるのでは?」という点です。
多分、「なんで分け合わなかったの!?」とは怒らないですよね?
だったら、より多くの人が満足できる「最後まで勝負する」方が興行面からも正解なのでは、と思うのですが、いかがでしょうか?
まるで自分達はプロ野球の発展の事を考えてるかのごとくの発言を繰り返す
既に目的と手段が逆転して巨人を叩く事が目的と化している癖に
これだからアンチ巨人という人種は御し難いのですよねぇ
まあ巨人ファンも御し難いという面では似たようなもんですけど、正義ヅラしている分私はアンチの方が嫌いですね、
身内の事しか考えられないから嫌いって…
落合博満なんか最も身内の事を考えていた男だったでしょうによ
WBCに選手の供出を拒否したのだって選手のコンディションを優先した結果ですよ
選手会がFAを導入しようとした際にも落合は選手会を脱会しながら真っ先にFAを行使した
原を叩くのに落合を持ち出すなど滑稽としか言いようがない、
そもそも落合は選手のタイトル獲得に最も熱心な男ではないですか
当然、プロ野球の発展の事を考えているのです。気持ち悪がらせてすいません、
「あいつもやってる」「こいつもやってる」というのは、ある種の方が良く言われることですが、問題の核心から関心をそらせていると思います。
落合がやってる事だってもろ手を上げて賛成なんてしませんよ。ただ、この話とは次元が違います。
原が監督として好き勝手やった、その結果長野が空気を読み坂本が期待に応えたので見事に?内輪で完結したってのが現実だと思います。
プロ野球全体の問題というよりは、第2次原巨人の負の側面の一つとしてとらえられるべきではないでしょうかね。
こうした「美談」をすぐ伝えてしまうことだと思います。
何年かたって、「実はね……」と言えばいいのに。
そうすれば「本当の美談」になったかもしれないのに。
こういうことを簡単にあからさまにしてしまうことを
はしたない
という気持ちがメディアになくなってしまったのかなあ。
ちなみに
こういう記録作為は残念ながら仕方がないことだと思います。
野球記録フリークとすれば、そういうのを念頭に置いて、
記録を読むでしょうから、あまり問題ない気もしますが……
感情は分かりますが、
許容範囲は誰もがもっているものであって、
例えば記録が公正であるために「選手の私的な発言、やりとりも全て記録し、一切の不正なきようすべき」などとは考えませんよね。
つまりそれは許容しているわけですよ。
そしてそれ(許容)を公にしたら厚顔で無知でしょうか?
無論これは極端な話ですが、許容を公にすると厚顔か?とは言えませんよね。
しょせんは、許容範囲の狭い人には許容範囲の広い人は厚顔で無知に見えるし、
逆からは堅苦しい器の小さい人だなと見える、
それだけの感情論にしか見えませんし、議論の本質でもないでしょう
管理人さんは首尾一貫なされてますから、そういう考えもあるのだと納得してます。
世の中には批判の為には主義主張を簡単に曲げる人種と言うのが多く、アンチという人種はそういう連中の集まりだから嫌いなんです。
手段としての批判なら、何の問題もないんですけどね…
そういう意味では少し紛らわしかったと反省する次第で
ファンと運営者、競技者は同列ではないですよ。あなたがどう思われるかは勝手ですが、officialは別に存在します。そこが揺らぐことを危惧しているのです。
巨人ファン(すべてとは言いません)が気持ち良いことが第一の専門番組。
そんな番組で展開されたことにいちいちケチつける必要もないんじゃないでしょうか。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」って感じに見えるだけです。
タイトルや記録の件、そして好き嫌いの話はここではもう議論は不毛だと思うのでしませんが。
>タイトルや記録の件、そして好き嫌いの話
長野坂本らのタイトルや記録、原や巨人の好き嫌いのことです。
でも、公共の電波ですよ。
そうですが、地上派でもなくスポーツ全般を扱う番組でもありません。
それに、この番組を他球団のファンやアンチの人が見ているとも思えないんですが。
見てるんですかねぇ、巨人を叩くためのネタ探しで。
今やマスメディアをも取り入れて球団戦略を組み立てる時代です。
地域密着と言われる球団は地方テレビ局で御用番組流しまくってますよ、
大前提として、これは「美談」では無いと思いますよ。
野球ファンにとっては、「醜聞」と言ってもよい出来事。
おそらくGファンにとってのみの「美談」なのでは?
今後この出来事が世間一般に「美談」として昇華する事は無いと思います。
>>こういう記録作為は残念ながら仕方がないことだと思います。
もちろんそうなんですが、問題は当事者が、堂々と、
「タイトルを分け与えた」
「分け合う為に退いた」
と言えるメンタル・環境にNPBが染まりつつあるのが残念無念なのです。
これが、選手・球団対しての思いやりや愛ですか。
(ある意味すごいけど、うらやましくない。)
私のようなライトな虎党にとってタイガースはいわばゴン太な我が子です。
決して、付き合い始めて間もない恋人だったりしません。
監督だろが左のエースだろうが、猫可愛がりなどするつもりないので
のどを掘って、きっぱり「作為はオモロない」と言い放ちます。
今回の作為を容認していらっしゃる方々のほうが思いやりも愛もないように映ります。
ましてや野球そのものに対する思いやりや愛なんかはそっちのけでしょう。
さっそく記事にして下さって恐れ入ります。
私自身は巨人ファンですが(それ以上に野球ファンで記録マニアな
つもりです)、本件とても違和感を感じました。
前回のタイトル争いのブログの皆さんのコメントを見た際にも思いましたが、やはり野球というのは個人記録よりチームの勝利のために
全力を尽くすべきと考えます。ただ、その試合だけの勝敗でなく、
中長期的観点、あるいは先にそなえる短期決戦等を見据えて、
疲れのあるベテランを休ませ若手をチャレンジ起用するのはアリと
考えます。
個人的には阿部を出さないのはアリだと思います(もちろん積極的に容認はしませんが)。ただ、まがりなりにも監督が、読売御用電波で
あっても何であっても「捕手最高打率の為に休ませた」と認めては
いけないと思います。
しかし、長野がヒットを打ってはいけない気持ちで打席に入り、
四球のみを狙っていたというのはあってはならないことと考えます。
(広義の「敗退行為」とも言えると思います)
だったら試合に出るべきではなかった。全試合出場だけしたかった
なら、守備だけやれば良かっただろうと思います。
あの展開で坂本が三安打したのは賞賛に値すると思いますが、
ふたりともに代打を出して同数でタイトル分け合うことはやはり
おかしいし、それを美談としてメディアで語り、選手全員にMTGで
伝えるというのは完全に間違っているとしか思えません。
大体原監督も徳光氏も、これがジャイアンツ愛だと思って自画自賛
して涙流してるとのことですが、西村投手の立場はどう考えてるのか
ほんとに疑問です。
彼はこの試合もしセーブをあげていれば、その時点でバーネット岩瀬
と並び、33セーブとなり、結果その日の夜ヤクルトは敗戦したため、
セーブ王のタイトルが取れたはずです。
もちろん、阿部を先発させていても、長野坂本に代打を送らなくても、
8回裏の時点で勝ち越して9回セーブ機会に西村をマウンドに送る
ことは出来なかったかもしれません(あるいはこの前日前々日の
ようにDeNAに圧勝し過ぎてセーブがつかなかったかもしれません)。
しかし、セーブが絶望となった9回同点で登板したとき、それ以上に、
それを後日全員練習時「美談」として語られたときの西村の気持ち
を考えると、心底残念な気持ちになりました。
例え順位に影響のない試合であっても、有料の観客が入っている
公式戦では最低限の節度が求められると思います。また、それでも
確信犯的にやるのなら、せめて胸のうちにしまってメディアに美談と
して晒してはならないと思います。
私のコメント・見解に対してももちろん異論反論は多々あろうかと
存じます。そういうのを、お互いを尊重しつつ語り合うのも野球と
いう競技の醍醐味と実感しました。
重ねて、広尾さん、shokuyakuさん、(あとここでのHNがわからないお
若い方)、是非また「野球の記録で話したい」(呑みたい?)ですね!!
先週タイミング合わなかったほかの方々とも是非いつの日か。
彼は「捕手・一塁」併用出場などしていません。
阿部のものはあくまで参考記録です。
(そこまで記録に拘るなら、一塁出場時の安打を除外するのは当然の事です)
NPBも正式な記録として認定しないようにお願いしますね。
この意見はありえないでしょう。
阿部は捕手としてのスタメン(456打席) だけで規定打席(446打席)に到達し.343もうっているのにどうしてこんな理論が出てくるのでしょうかね…。
(だいたい古田もヤクルトが落合を6打席連続四球した上で打率を抜かれ、その後1打席ヒットを打って試合から退いて首位打者採ったようなやつなのに)
タイトル争いにまつわる「作為」はいけないといいつつ、嫌いな球団が捕手としての成績だけで超えているのに「NPBも正式な記録として認定しないようにお願いしますね。」
などというアホがいるのに記録なんか何の意味があるのか。
記録なんてこういうお方にとっては自分の贔屓球団の選手が取ったら持ち上げて、嫌いだったらいちゃもんつける為だけのものなんでしょうね。
2009年に森バッテリーコーチは「(タイトルを)獲れるチャンスはそうない。何とか(2人とも)獲らせたいとか勝ちがつく展開になるなら当然そこで投げさせる
落合は2011年に
(吉見の中継ぎ起用はタイトルを取らせるため?)取らせるっていうか、取れるチャンスがあるんだから。そうはね、取れるチャンスは無いんだから。そういう展開になってくれたから。元々、今日は吉見が先発だったから不思議ではない。そこをきっちり抑えてくれたわけだし
と言っているし、タイトル争いにまつわる作為はして当然であり、それが選手の為だと12球団全てで思っているんでしょう。
考え方によってはどこもやっているなら逆に公正とも言えるだろう。
そして全試合出てここでいう作為なしで採った選手はもっと素晴らしい選手として美談にすれば良いでしょう。
西村の件は知りませんでした。
もう笑い話ですよね。
原監督にとっては、単純に「坂本・長野」の方が優先順位が高かっただけの話。
坂本・長野を介してジャイアンツ愛を説きながら、西村のセーブタイトルは歯牙にもかけない無神経さが同居する人間性。
こういう「アンポンタン」な性格が垣間見えるから、彼にはいつまで経っても「名将」の風格が出てこない原因かも。
口が軽すぎる。
全然違いますよそれw
(一塁出場時の好調ぶりに認識を誤った次第です)
詳細に検証せずに書き込んだ私の様な阿呆が居るからと言って、
「記録には何の意味も無い」
という事にはならないでしょう。
テレビ神奈川の放送についてDeNA以外のファンから難癖つけられたらたまりませんもの。
しかし「最多安打」なんてそんなにこだわるタイトルなんですかね?
一般的に認識されてるとは思えないのですけど。
三冠の1つでもありませんし。
>50.KA様
健太朗の件は致し方ない事ですし、軽視していたという事は断じてないでしょう。
現に川口コーチは狙わせる旨を公言してましたし。
9/27(木)vs広島で1-0の9回に登板しながら彼自身が打たれて敗戦投手。
酷なようですがこの試合を抑えていれば、結果的に岩瀬・バーネットと同時受賞だった訳です。
10/5(金),10/6(土)は幸か不幸か8-1,6-0の大勝。
いくら何でも3点差に収める為に得点を控えたりワザと失点する訳にもいきませんし、
“山口よりは少ない”だけで今季69試合登板だった彼に
セーブ記録の為だけに3イニング投げさせる訳にはいかないでしょう。
それこそ144試合やってきた中での積み重ね。今回は縁が無かったと思うしかありません。
そこはやはりイチローの存在が大きいでしょうね。
94年からタイトルになり、MLB移籍後は彼の安打数を重視する姿勢と
マスメディアの取り上げ方の増加で、扱いは更に高まっているように感じます。
タイトル獲得如何で年俸も違ってくるでしょうし。
ただ、一般的な認知度は今もって低いでしょうね。盗塁王よりも低いと思います。
職場で「今の首位打者って誰だっけ?」と聞かれることはあっても
新記録でもかかっていない限り「最多安打って誰だっけ?」と聞かれることは、まずありませんから。
セーブ記録の為だけに3イニング投げさせる訳にはいかないでしょう。
タイトル獲得の為に登板するかどうかという、その判断をする際に「時を止めて選手に確認する」のが原監督じゃないんでしょうか?
それがこの「美談」の肝だと思うのですが…。
(西村が拒否したなら、さもありなん)
坂本・長野には手厚い起用法を巡らせて、西村には
「残念、機会が無かったね」
じゃあまりにもねぇ。
チーム内でも他チーム選手も、みたところ誰も傷ついていない、ましてや声高に不満を述べたり、国際スポーツ仲裁裁判所に提訴、なんて話になっていないから、これ以上の話は憶測にしかなりませんね。
最多安打はイチロー、最多奪三振は野茂英雄の影響で格が上がりましたね。
そう考えると、この二人の偉大さが解ります。
そうですね、アンチ巨人って、結局はどうでも良くない、という人達だと、私も思います。
それを言っちゃうとイチローの立場が・・・・・・。
最早このブログ見るような方は出塁率重視なのかな。
たぶん読売はイチローに乗っかってるのかと。
だって御用番組ですよ?そもそもそのファン以外の為に作られていないし、まさかアンチがみるなどと想定される訳がない
それを批判の為にみるなんて悲しいなと思う次第です。
コレにケチをつける人々は一度北海道や福岡にいってみると良い
地域密着のなんたるかがマスメディア戦略の結果だとようわかりますよ
ご意見どうもです。
イチローの美談は、1994年消化試合を休めばバースのシーズン
最高打率記録を更新出来たのに、一本でも多くの安打を打ちたい
ということで出場を続け、結果バースの記録を下回ってしまったが
(当時張本のパリーグ最高は更新)、作為的記録作りがむしろ
普通となっていた時代に「プロとはかくあるべし」という姿勢
を見せてくれたことだと思います。
>giabbits8さん
西村の件、コメントありがとうございました。
確かに彼が与えられたチャンスを生かせなかったのは事実ですね。
長野・坂本ともにすばらしい選手ですが、間違いなく美談ではありませんね。
タイトルは全力でプレーした結果、選手に与えられる栄誉であり、一緒に取れればなんてものではないはずです。
そもそも、私には長野がわざと凡退してたように見えたんですがねw
どんな番組でもファン以外の人は見ないというわけでじゃないし、非常識なことが行われていれば問題視すべきでしょう。巨人ファン(一部の方でしょうが)には、最初から正邪是非の話を回避し「わしらのことなんだから、ほっといてくれ」という方がおられますね。
傷ついているのはNPB全体ですよ。そしてファンも。
所謂「ゆとり」が多いんじゃないでしょうか?
徒競走でお手手つないでゴールして育ってきたような人が。
最多安打もそうまでして取るべきタイトルではないでしょう。
イチローほど突出していれば別ですが。
記録云々については、散々されてますし真新しいものもありませんのでここでは述べません。
まぁ、美談がどうとかは国語の問題レベルかなというような感じですね。あくまでこの話題では、ですが。
その違和感の正体が何かというと「突然」なんです。
なぜ広尾さんは突然記録のあり方にここまで厳正さを求めているのだろう?と。シーズン終了間際の最終成績に関する「作為」なんてのはNPBの歴史そのものだろうし今更そこまで言うことかという思いなんです。
何故そう思うかというと、揚げ足取りというつもりでもないのですが去年はこのような作為の問題に対して全くと言っていいほど言及していないんです。
澤村の200イニング達成のための調整登板
そこから内海に最多勝につながる勝ちを付けるための中継ぎ登板
ダルビッシュの最終戦回避
ぱっと思いつくだけでこのような作為(特にダルビッシュの最終戦は西武、オリックスのCS進出に大きな影響を与えた)があったわけですが特に触れてはいないですし、むしろ澤村の200イニング・ダルの最終登板回避はむしろ好意的に書かれてるように思えます。
私は広尾さんのブログを楽しみに読ませていただいてまだ2,3年ほどの短い読者で、広尾さんの多くを知ってるわけではありませんが、私のような読者からすると今回の「作為」に関する一連の記事、発言は正しい云々ではなく「あれっ?いつもとちょっと雰囲気が違うな。なんか変だな。」と感じてしまうわけであります。
さらっと過去ログは見直したつもりですが、この記事で書いてるよというのがありましたら御容赦ください。
容認派からしても「作為なんざ無い方がいい」という姿勢に違いはありません。
ただしファンの多くは球団のファンであり、選手単独のファンではありません。
ですから、チーム順位に関係の無い状況で発生する記録の作為については、そこまで目くじらを立てないというだけです。
チーム順位が決定した瞬間(CSが無い頃ならば優勝チームが決定した瞬間)で、残りのペナントレースは消化試合、プレーオフもしくは来シーズンに向けた調整の場でありそこで「最後まで勝負」と言われても熱くはなれませんし、もっと言えばそこで真剣勝負を繰り広げようと大した興味はありません。その年のチーム成績(順位)には一切関係ないんですもの。
それならば真剣勝負はせずに下位チームは若手のテストなど来季の準備に、上位チームはポストシーズンの準備にしてもらった方が良いです。
シーズン後もチームはポストシーズン、来季と続いていくんですから。近鉄の最終年は最後まで真剣にとも思いましたが。
また、タイトルを取得しているか否かは年俸や引退後に関係することがありますから仕方ないと諦めている部分もあります。
応援チームの選手は引退後も健やかに過ごして欲しいですから。
もしも、チームの順位が決まっていない(日本シリーズ進出の可能性がある)にも関わらず、個人記録の作為が行われたならば批判しますが、そんなこといつぞやのクロマティを見ればわかる通り、例え規定四割打者が誕生してもありえないと、理解できるかと思います。
とはいえ、今回の件は美談だとは思いません。いつぞやの津田投手のプレイヤー殿堂入りと同じで、これを美談とするのは「ズレている」と感じるだけです。
巨人ファンにのみ向けた番組にファン以外がとやかく言うのもナンセンスかとは思いますが。
あと、テッド・ウィリアムスの話が未だに美談として残っている件は、MLBに於いても基本的には消化試合での作為があるんだろうなぁ、と思いました。
何を美談とするかに関しては正しい価値観にあると感じる一方で。
ついでに私の実体験から。大学3年の昭和53年東京六大学準硬式野球秋季リーグ戦でのこと、最終戦のR大戦まで28打数8安打で2割8分6厘でした。第一打席で中前打を打って3割に乗せ、第二打席で凡退して30打数9安打で3割ちょうどとなりました。勝てばAクラス、負ければBクラスという試合でしたが、私は折角3割に乗せたのだから下げてもらおうとキャプテンに申し出ようと思いました。ところが言い出せずに第三打席で凡退、第四打席では中前打を打って結局32打数10安打でベストナインを獲れたというオチがついています。
恥ずかしながら「下げてもらおう」と思ったのは事実です。矢張り最後までベストを尽くすべきでしょう。
全く同感です。私もこのサイトのファンですが、この議論だけは、、です。
徳光お得意の美談仕立てなど馬鹿丸出しだと思います。ただ、プレーオフを見据えた欠場も記録のための欠場も本質は同じなのに、このサイトだけでなく世間一般にも前者の方が許容されやすいようです。批判するのであれば両者を、と考えるのですが少数派なのかも知れません。
>のぶさん
長野は四球狙いだったのですか!
懸念していた通りです。これは完全にアウトですね。
24時間テレビも感動の押し売り。長野と坂本の件も押し売り。
野球の神様が怒るようなことをしてるから、クライマックスは中日に敗退するな。
根は一緒でしょう。最高のプレーを放棄したのですから。
「あと一本打っていれば…。」
この件は、個々人の美学や常識論、スポーツマンシップ・フェアプレーの度合で異なるから、折り合いをつけるのは難しいのかな。
そういえば2年前、甲子園球場での阪神-巨人戦で、巨人の脇谷がショートバウンドで捕球したときにアウトになった誤審に関して、「テレビの映りが悪かったんじゃないですか。」という脇谷のコメントが騒動になり、脇谷のツイッターが炎上したことありました。
その時、あのダルビッシュ有のツイッターにも、その是非が質問されていて、「ダルさん、あの発言はスポーツマンシップに反しますよね?」という問いかけに、「そこでスポーツマンシップを出されるのはちょっと・・・」と答えずらそうにしたのを思い出しました。
だから、誰が正しくて誰が間違いという問題ではないように感じます。
考えないといけないのは、
①個人タイトル獲得が、個人の年俸査定に加算されるシステム。
②個人タイトル獲得したら、引退後もそれで解説等のオファーが来やすくなる日本野球の文化。
③個人タイトルの獲得と、その獲得人数が、同時にチームの名誉として捉えられるNPBの文化。
だと思います。
そういった、根っこの部分にある問題を考えずして、当事者とチームを批判するだけだと、堂々巡りにしかならない気がする。
わざわざ御用番組見てケチをつけるアンチの~云々。
謹んでその文言、あなたにそっくり申し上げる。
個人のブログをわざわざ覗いて、ブログ主の意見にケチをつけている貴方がそれを言うのは逆に笑えますよ。
見なきゃいいじゃん。公共の放送ですらないですよ。
で、アンチは哀れ、ですか。なんかこんなブログのコメント欄とかで一方的に人を見下したコメントして優越感に浸るとか。
ホント御愁傷様ですね。
それは、私のブログを書き始めた頃と認識が変わってきたからです。
最初のうちは「記録」を肴に酒でも楽しむようなブログとして始めたわけです。
「作為」の話についても言い古された話ですし、いまさら野暮という気持ちもありました。ダルの時は残念に思いましたから、少し書いていますが、いずれにせよ、読者の方も、世間も忌々しい思いをしながら容認しているのだろうと思いました。
しかしながら、昨年後半から「清武の乱」などが起こり、それを取り上げる中で「特定の球団が有利に働くような施策」を容認したり、「長いものには巻かれろ」的な考えをしたり顔で口にされる方がたくさんいることに気づき、「私の常識」が必ずしも世間とは合致していないと気が付いたのです。
つまり、その頃から私は、自分のブログの目的を少し変更したのだと思います。
ただしブログというメディアは日々情報発信していくうちに、発火性の高い内容になりがちです。私のブログにもそうした面が濃くなってきたことは感じています。自重すべきだと思います。
今回の一件の核心は、「作為」ではありません。「作為」を「美談」に仕立て上げた鈍感さ、あるいは厚顔さにあります。こうした行為は、一部の方の支持を得るかもしれませんが、多くのファンを失望させ、離れさせるだろうと思います。
野球は個々の球団とそのファンから成り立っていますが、それはバラバラに存在しているのではなく、共存共栄しています。一緒に繁栄する以外に道はありません。あのニューヨーク・ヤンキースでさえも「戦力均衡」には理解を示しているのに、NPBにはいまだに「自分たちさえよければよい」という球団が幅を利かせています。そこに対して、蟷螂の斧ながら、異議申し立てをしたいとの意識が高まってきたのです。失望や幻滅を与えたとすれば、申し訳なく思いますが、私はもうしばらくこういうことを書き続けると思います。
このテーマで議論していたはずでしたが、またいつものパターンの巨人叩きですか・・・。
自分も読売は嫌いですけど、この展開はうんざりです。
1位で並ぶという作為はあったにせよ170以上の安打を記録したという作為ではない事実があります。
統一球で170安打もできる日本人の若いバッターが3人(大島も含)も育っているんです。プロ野球ファンとしてまず喜び、称えたいことではないでしょうか。
今さら「最多安打」のタイトルに価値がないとか意味がないとかって話になるのが哀しいです。
巨人叩きだと思われるのは残念ですが、病巣がそこにあるのも間違いないところです。避けては通れません。
なんて風潮になるのを危惧しています。
・タイトルのために、相手を妨害する行為(HR王争いの故意敬遠等)は気分が悪いのでNG。
・打率王争いなどで故意にゲームを休むのは、賛成ではないが特に気にもならない。
(そこまで積み重ねたものがあるからこそであり、別に誰の邪魔をしているわけではないので)
・今回の坂本と長野の件も、打率の件と同様に気にならない。美談とは思わないが。
まあ私は、贔屓のチームが勝って、その上で良いプレーが見えたら満足という野球ファンなので、このブログの客層からすれば異質だと思います。
ちなみに記録に係る愚行で、最も酷いと思っているのは、ローズ、カブレラが55号HRを狙っていた時に故意四球で記録を妨害したことです。
あれは、やっちゃいかんだろ。
そんなに、日本人以外であの記録を超えられたくなかったのか、と今でも怒りが湧いてきます。
言い分が気に入らないからと、誰かにそんな返しをする人間も、御愁傷様、だと思う。
これはないと思いますが。。
多くのファンは美談とは思わなくとも、失望はしないと思います。
角中と中島の件でこれを言うなら、まだ分かりますが。
多くのファンは、タイトル争いに関して他チームの選手を「妨害する」
ことには敏感だと思いますが、誰も妨害していない状況で、そこまで
「記録の厳密性」にはこだわらないと思いますし、むしろ美談だと
感じる人も多いのでは。
このケースで「多くのファンの思い」を主張の拠り所にして美談批判を
するのは難しいと思います。
今すぐ人に話したくて仕方がなかった、って事ですよね。
「作為」については、これまでのプロ野球でも
何かしらの形で既に存在してきた物ではあり
現実には「許容悪」になっている事は事実だと思いますが、
今回は本人が言っちゃった事が問題かな、と思っています。
この話は10年後くらいにあの時の巨人を振り返る際などに
岡崎さんか橋上さん辺りから発信する事で
軽い美談として受け流せるレベルには昇華出来る物だと思います。
この「意図的な作為」の介在を認める発言がメディアに流れる事自体
「最初はぶつかって後は流れで」メールくらいの
やっちゃいけない話だと思うんですけどね。
チームの勝利と言う目的以外の自己都合で
勝敗をコントロールしようと思えば出来るんだと言う事を
自分で言っちゃってるんですよね。
野球賭博関連企業と仲良しで
1億ほど個人献金をした原さん自身が「自発的な作為」を語る、って
拡大解釈だとは思いますが、
何気に霧が真っ黒になってもおかしくない話にもつながる話かな、と
自分は去年まで関西に住んでいましたが、阪神が勝つことは素晴らしいことで、阪神の選手が活躍することは絶対という前提のローカル番組が数多く見受けられました。
恐らくは北海道や福岡などのローカル番組もここまでではないにしろかなり偏向された報道なのではないでしょうか
また、怪我でまともに守れない金本選手の連続試合出場も全て美談として扱われてきました。これは明らかな「感動の押し売り」でしょう
そうした中で、記録のための途中交代や欠場を批判するならともかく、報道の仕方を批判するのは大変違和感を感じました。
確かに、いいひとなのも程々に、と言いたいです。
ただ、身内のためだけにというのは合っていないと思う。
それこそ、中島裕之や中田翔にタダでアドバイスしたり、ベイスターズのルーキー高城俊人にまでアドバイスして、本人が大変感謝してました。
もっとも、中畑清は、前もってことわり入れてなかったとお怒りでしたけれど。
・一連の流れをとてもいい話としてチーム全員の前で披露させようとしたこと
のぶ。さんが挙げられていた西村をはじめ、選手にはそれぞれの事情や考えがあるはず。
この辺りが原監督は、どうも鈍感というか一面的な考えだなと思うのです。
あとは御用番組で監督が自らと選手の決断をどれだけ美化しようと
熱烈巨人ファンの涙もろいアナウンサーがそれにいくら感動しようと
呆れはしますが、通常営業お好きにどうぞという感じですね。
全国ネットの特定の球団に限らない野球番組で美談として取り上げたらまた別ですが。
例えばサンデージャポンとかだと、どう扱ってたんですかね。スルーしたのかな。
太古の昔から野球選手のステータスを上げるため、
変に美談だの凄いだのTV視聴者に植え付けるためのもの!
それが許されたのはインターネットが普及する前まで。
TVが先頭だった時代が懐かしぃ(ホノボノ)
今時、徳さんみたいな人に騙される、
40代以上の野球しか趣味のない悲しいオヤジ、オバサンだけです(´Д`)
まさか40歳以下で徳さんに洗脳されてる人はいませんよね?
記者から嫌われまくった頑固者の天才打者が行った「珍事」ぐらいの認識だったのだろう。
本人も決して高尚な精神の元に決断したのでは無く、
「4割ぐらい又出来るだろ」
程度の感覚だったのでは。
しかし時を経て、「4割」が夢の数字となり、記録に関する価値観が変わっていった事で、彼の「逸話」は『美談』となった。
だが作られた「逸話」が『美談』になる事は決して無いと思う。
その「逸話」には長い年月に耐えうる説得力が伴わないから。
だって
>「勇人が3本打ったと。君と並んだ。君の中で、この打席を打つかい?」
これって明らかに「もう打席に立つな、並んだままで終われ」と言ってるのに等しいですもん。
監督にこんなこと言われたら
「いえ、最後まで打席に立ちます」
とはとても言えないですよね。
長野の方から監督に「もう打席に立ちません」と申し出るならまだ救いがあったのですがね。
最近は読売新聞も報知新聞も巨人の扱いはこんな演出だらけです。
「絆」「友情」「犠牲」「屈辱」・・・・こんな言葉が紙面を飛び交いお涙頂戴の巨人内部のストーリーで「原巨人」を盛り上げようとしています。
僕から見れば三流芝居にしか見えませんが・・・
過去を見ても選手の記録のために画策してきた監督は星の数ほどいますし、原氏の行動が特別酷いとは感じません。
シーズン記録ともなれば年間を戦ってきた選手への報酬にもなりえますし、労われる部下としては「嬉しくないといったら嘘」ではないでしょうか。
とはいえ、私も管理人さんが言うように、こういった『楽屋落ち』を魅せられるのは気分がいいものではないです。
いくら予定調和といえど表にしてはいけない部分は存在しますし、そういうところに神経が行かない人間は興行に関わる者としては失格でしょうね。
それに美談は他人が話すから美談であり、本人が言うのは自慢ですね。
素晴らしいHNですね。
横からなんでしょうか?言い分が気に入らない、ですか。まったくピントのズレた解釈で、恐れ入りますが話になりません。
マメにコメントされておられるのはご苦労様ですが、論理的なご意見はあまり得意でないようで、どのコメントもまったく刺さりません。
どうぞ野球をエンジョイなさって下さい。
この件については、マスコミの姿勢に違和感を覚えます。
「勇人が3本打ったと。君と並んだ。君の中で、この打席を打つかい?」
こんなパワハラまがいの発言、行為をこんなタイミングであっさり公にし賞賛するマスコミの神経がわからない。そこ拾っても何も旨み無いのにとつくづく思います。
2009年のWBC優勝の記者会見での話で、この人何を言いたいのかさっぱりわからなかったですね。
「CS前の全員ミーティングでの話」
原:お前ら禊って知ってるか。
全員:シーン
原:今年、私は過去の1億円不祥事が発覚した。世間ではこういうことが起きた場合、何かの禊を行わなければならない。ところが、今年禊をすることを忘れていた。いいか、明日からのCSは私の禊の場とする。だから、勝たなくていい。
今年のCSの流れが読めました。
お気持ちは解りますが、皮肉からは前向きな物は何も生産出来ないから。。
エンジョイベースボールは、慶応野球部のモットー。知らなかったかな。
巨人ファンも苦手だし、アンチ巨人も苦手だけれど、今回はアンチ巨人が、よりヒステリックで見苦しい。
私もGファンを名乗っているとおり、かつては熱狂的に応援していました。でも今は少し冷めた目で距離を置きながら巨人の試合を見ています。
私が熱狂していたころは、江川と西本という投手がいました。
彼らのライバル意識は凄まじく、相手より一つでも多く勝とうという意識、さらにそれを越えて一方が当番する試合では「打たれろ、負けろ」と念じていたらしいです。
江川、西本と長野、坂本では世代も違いますし、価値観も違うことは承知しています。でも見ていてあーぁとなってしまう。
ん、オジサンの昔話をして耳障りだったかな?
こういう事をメディアにぺラッと喋ってしまう脇の甘さが先の女性問題にもつながってるんでしょうね。
でも巨人を強くしようという情熱は多分球界OBを見回しても原さん以上の人は居ないかもしれませんね。まあその情熱が空回りする事もしばしばですがw。
「昔は良かった。今は~」という話は、どんな話であっても、大抵聞く方は鬱陶しくなるものです。
それはお若いからでしょう。我々はそんなことばっかり言ってます(笑い)。
ご丁寧なコメントをありがとうございます。
私とも同年代のように感じまして(所帯持たれているか、過去に訳ありの独身かの違いだけ(笑))、江川と西本の話も、リアルタイムで実感している話。
長野と坂本の件は、第三者として見て好き嫌い分かれるなと思いながらも、これが現代のチームメイトの人間関係と思わなければいけないのかな、と感じています。
敵チームの選手を敬遠するのは許せないけれど、チームメイトが両雄並び立つのは、時代の流れとして受け入れてあげるのも、大人の役割と思った次第です。
まあ、「作為」無いのに越したことはないですけれど。
別に由来は尋ねていなかったんですが。
それで、前のHNから今のに換えられたのも、聞いてもいないのに由来まで説明されておられるのも、あれですか、ご自身が慶應出身だというのがこれを見てる人にわかってほしくてですか?うわー。
立派な大学をご卒業されて自慢ですか、それは何よりですね。クソみたいな感性だと思いますが。
どうぞ今後も浅薄な優越感をエンジョイなさって下さい。
私は、慶応野球部員でもなければ、慶応OBでもない。
東京六大学野球の慶応ファンというだけ。
皮肉に対して真面目に答えて損した。。。
失礼しました。
・公共の番組で美談として徳光さんが語ったこと。・・・・・日テレジータスのジャイアンツファンだけのための番組「徳光和夫の週間ジャイアンツ」内でのこと。
以上別にいいんじゃないでしょうか。 チェックはしていませんが週間トラトラタイガースでも同じようなことが語られていた場面があるかもしれませんよ。ドラゴンズの番組やカープの番組でも想像はできます。
誰でもやっているからOK、ファンと身内しか見ていないからOK、というのは裏返せば、まともならOKじゃないということですね。
選手が家族や仲間のことを大事にするのは当然だと思いますが、あかの他人のファンがそこまで心配し、理解する必要があるのでしょうか。楽屋内のことまで知る必要はないと思います。八百長だってたぶん、自分の収入=ひいては家族、仲間や知人のためを思ってすることでしょうし。
私はグランドの中のこと以外知ったことではないと思う立場です。
それから、「野球愛」より大きい「ジャイアンツ愛」ってなんなのでしょう。盲目というのはバカの同義語ではないと思いますが。
知ったことじゃないはずのグランド外の情実が、グランド内に影響していることを問題視しています。またそれがえせ美談として流布していることも。恥ずかしいこととして、隠すのならまだしも。
意見が違って、相容れないことがお分かりいただければそれでよいわけで。どうぞこれからも心温まる人情物語をお楽しみいただければと思います。
私はグランドで行われていることと、その記録だけを楽しみます。
別に勝ち負けじゃないですよ。よく読んでいただければわかります。
tootomさんの優勢~
勝ち負けじゃないけどやはり議論の判定を読者はしてます。
こういうやりとりが面白くてここへ来てますので。
バカを認めたら、それが
非常識な美談であることも。
宗教集団ならそう言うてぇな。
tootomさんとは話しがしたいけど、あなたとは?ですね。人の尻馬のってるし。
蓮の台さん
あなたが思ってるよりこのブログは公開性高いですよ
ライブドアブログの宿命とも言えますね
私もあなたと話したいとは思っていません。
書いてるでしょ。
議論の判定を読者はしてます。
こういうやりとりが面白くてここへ来てますのでって。
大きなお世話です。どうぞ勝手にやってください。ただし結果は予想されますので、教えていただかなくとも結構です。
長野選手に対して、原監督はそんな声をかけていたのですか。あの場面、すぐに長野選手が下がり、何て言われたのかなと気になってました。解説者が「いけませんね、だったら坂本も次の打席は代えないと」と言ってました。また、どの安打だったか、坂本が出塁したとき「ああ坂本が涙を拭ってますね」とも言って実際映ってました。
確か、坂本選手は試合後のインタビューでも「打ったとき、ベンチを見たら長野さんがこぶしを上げてやったなと祝福してくれていた、嬉しかった」などと話していたそうですね。坂本選手は、「長野さんに試合前一緒にタイトルとろうなと真顔で言われた」とも話していたとか。
私は長野選手のファンなので、仲良く手をつないでゴールインじゃなくて、最後まで全力でプレーしてほしいと思ってました。なので、最後の打席も見たかった。『野球は作ったり演じたりしてドラマになるんじゃなく、全力でプレーした結果ドラマになる』といっていたブログ主さんの考えがすごく心に染みました。
ようこそいらっしゃいました。私は、ごくまともなことを書いたつもりでいたのですが、ここまで議論が乱立してしまいました。難しいものです。
日本シリーズ制覇で、MVPに輝いた内海投手が、「自分の賞は野手の皆さんのおかげ。感謝でいっぱいです」とインタビューに答えていましたよね。内海投手は非常に安定していたし、2勝上げるなんて誰でもできるわけではない素晴らしい選手だけど、右中間やフェンスギリギリなど数ある危ない打球を、長野選手や松本選手、村田選手など優秀な野手の好守備で助けられた場面が多々ありました。そうやって、おごり高ぶらず、自分の名誉は周囲のおかげと言える選手は、やっぱりMVPだと思いました。
かつて、内海投手は巨人に入団した当時、選手に派閥がありショックだったと語っていたという記事を読んだことがあります。仲の良さを感じるチームプレーや胴上げを見ても、実際は一般の会社や企業にあるのと同じような問題もあるのですよね。勝負の世界、業績・成績の良し悪し、派閥、劣等感。でもそれを皆経験し乗り越えて優勝したとファンとしては喜びたい。要は、私は人間味のある野球が観たいです。
原監督は、そんな選手一人ひとりを誰より認め労いの気持ちを忘れない素晴らしい監督だと思います。今年はこういう結果であっても、長野選手や坂本選手をまだまだ育て甲斐ある、伸びる力が秀でる選手たちと期待をかけて見ていると思います。これは持論ですが、強い選手をフルに活用し勝利の軸にしてきた長嶋野球とまた違って、若く無名の選手でもあらゆるチャンスを与えて自信と才能を喚起、発掘する原野球。身内野球と言われるかもしれません、美の本質に反してるかもしれません。ただ選手をきちんと誉め叱り感謝できる人間味がこの人にはあるはずだと、日本一に輝いたときの監督のインタビューで確信しました。
何を美しいというのか、徳光さんは何に触れて涙したのかわかりませんし、テレビやインタビューでの声からは選手や監督の思いをすべて知ることは難しいのだと思いますが、ただ勝敗のつくスポーツではなくて、人間味のある、人間くさい野球を観られたらいいなと、これからも思います。
すみません、お名前がわからずブログ主さんと書いてしまいました。野球は熱くなれてやっぱりやめられませんね~。ここまで読んでいただけてたら嬉しいです。
「ブラジルでは貧しくて、ブラジル人なのに一生スタジアムに来れない人が沢山いるんだ。ブラジル人にとっては悲劇だよ」
「智星わかるかい?ブラジルで俺は試合前に必ずスタジアム全体を見る、この中でいったい何人の人達が一生に一回だけの試合を見にきたんだろうと思うんだ」
俺は少年野球のコーチやってたけど、子供に教えるならこっちだな。
コメント欄見ててちょっと頭にきた内容あったので、個人攻撃失礼致します。
くりすます さん
>加藤選手に執拗なまでにブーイングして、その声ならず様子までもテレビに映っていたファイターズファンを観たとき、こういう人間性をもったファンのいるチームには勝ってほしくないと心から思いました。実際、ファンの格というか質が、この日の日ハム選手のプレーに少なからず芳しくない影響を与えていたとも思えました。
札幌ドームの当日の試合、抗議に出てきた栗山監督に対し、強烈な帰れコールをしてきた讀売ファンに、ファンの格とか質とか、恥ずかしくて自分から言えるセリフじゃないですよね。
ご自分で
>野球は熱くなれてやっぱりやめられませんね~
って書いてらっしゃるんだったら、あの場を目撃して熱くなってカトケンにブーイングしたハムファンの気持ちは理解できますよね??
もちろんカトケンは勝つための努力をした、それに騙されて(原監督の抗議もあって)判定を簡単にファール→死球ならびに危険球退場に訂正した柳田球審が最悪だったというのは理解していますが。
値段に見合った勝負をそもそもする気がないじゃんか