年末のBSの日本人MLBプレイヤーのレビューで、イチローが不思議なことを言っていた。
「王貞治が756号を打った時に、(ウェーティングサークルにいた)張本さんが、すごいジャンプしているんですよ。張本さん、あのとき(その時のイチローと同じ)37歳ですよ。すごいですよね」
「王貞治が756号を打った時に、(ウェーティングサークルにいた)張本さんが、すごいジャンプしているんですよ。張本さん、あのとき(その時のイチローと同じ)37歳ですよ。すごいですよね」
1977年9月3日、この時点で打率.320、39本塁打の王貞治は、ヤクルトの鈴木康二朗の2-3(今なら3-2)から投じられたスリークオーターの速球を右翼席に運んだ。いつもは派手なポーズをしない王貞治だが、バットを手から離すと大きく両手を上げてゆっくりと走り出した。その後ろで張本が右にやや傾きながら、1メートルくらいも飛び上がっていたのだ(ご覧になりたければ、「王貞治756号」とGoogleればすぐに出てきます)。
イチローは、このジャンプ力にまず驚いたのだろう。張本は幼少時のやけどの後遺症で利き腕の右手先が不自由になったために、左手で投げざるを得なくなり、守備は非常にまずかった。だから、なんとなく鈍重な印象があるのだが、実は俊敏な選手だった。
盗塁王はとったことはないが、319もの盗塁をしている。さらに三塁打も72本。打席での球の見極めは凄まじかった。静止した状態からほとんどバックスイングなしに振りぬくその打撃は、誰にも似ていなかった。また彼は守備妨害での出塁を「狙ってとる」ことができた。身体能力、反射神経はすごかったのだろうと思う。
同時に、イチローは「他人の業績に対して、これほど素直に喜びを表すことのできる張本勲」に驚いたのではなかっただろうか。その番組のインタビューでも語っていたが「すりよらない」性格のイチローは、誰も味方につけず、誰の味方もせずに野球を極めてきたように思う。同い年、同期のライバルの偉業を、手放しに喜ぶことが出来る張本勲のハートに驚きを感じたのだろう(イチローでいえばアルバート・プホルズの偉業を喜ぶようなものだ)。
38歳、若返りが進むチームで最年長となり、不振を抱え込んで呻吟するイチローの孤影が浮かび上がってくる。


しかし、張本勲はただの「いい人」ではなかった。756号の興奮がひとしきりおさまって打席に入った張本は、気落ちした鈴木康二朗の速球を右翼席に運んでいるのだ。そしてこれが彼の1500打点目だった。偉業達成の電光掲示板を背景に、張本は悠々とダイアモンドを回った。まさに黒光りするような存在感だった。
引退してから「喝」を連発する張本勲さんには興味がないが、現役時代の張本勲は、目が離せない選手だった。関西では嫌われていたが、罵声を背中に受けて悠々とバッターボックスに歩む姿は、悪役の魅力があふれていた。清原和博のように、球場外でドスをきかせるのではなく、彼はナイターの照明のなかで、ファンや選手ににらみを利かせていたのだ。
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イチローは、このジャンプ力にまず驚いたのだろう。張本は幼少時のやけどの後遺症で利き腕の右手先が不自由になったために、左手で投げざるを得なくなり、守備は非常にまずかった。だから、なんとなく鈍重な印象があるのだが、実は俊敏な選手だった。
盗塁王はとったことはないが、319もの盗塁をしている。さらに三塁打も72本。打席での球の見極めは凄まじかった。静止した状態からほとんどバックスイングなしに振りぬくその打撃は、誰にも似ていなかった。また彼は守備妨害での出塁を「狙ってとる」ことができた。身体能力、反射神経はすごかったのだろうと思う。
同時に、イチローは「他人の業績に対して、これほど素直に喜びを表すことのできる張本勲」に驚いたのではなかっただろうか。その番組のインタビューでも語っていたが「すりよらない」性格のイチローは、誰も味方につけず、誰の味方もせずに野球を極めてきたように思う。同い年、同期のライバルの偉業を、手放しに喜ぶことが出来る張本勲のハートに驚きを感じたのだろう(イチローでいえばアルバート・プホルズの偉業を喜ぶようなものだ)。
38歳、若返りが進むチームで最年長となり、不振を抱え込んで呻吟するイチローの孤影が浮かび上がってくる。
しかし、張本勲はただの「いい人」ではなかった。756号の興奮がひとしきりおさまって打席に入った張本は、気落ちした鈴木康二朗の速球を右翼席に運んでいるのだ。そしてこれが彼の1500打点目だった。偉業達成の電光掲示板を背景に、張本は悠々とダイアモンドを回った。まさに黒光りするような存在感だった。
引退してから「喝」を連発する張本勲さんには興味がないが、現役時代の張本勲は、目が離せない選手だった。関西では嫌われていたが、罵声を背中に受けて悠々とバッターボックスに歩む姿は、悪役の魅力があふれていた。清原和博のように、球場外でドスをきかせるのではなく、彼はナイターの照明のなかで、ファンや選手ににらみを利かせていたのだ。
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コメント
コメント一覧
張本選手がジャンプした当時、私は小学五年生でした。
私も左利きだったので、あのバッティングフォームをまねしました。
3000本安打をジャイアンツで達成できなかったのが残念でしたが、プロ野球ニュースでいつもロッテに移籍した張本選手を追いかけていたのを思い出します。
普通のレフトフライで2塁にタッチアップされたシーンです。
それを覚えているので、外野守備に関して「喝」を入れているシーンを見るにつけ「よく言えるな」と突っ込みを入れてしまいます。
> 普通のレフトフライで2塁にタッチアップされたシーンです。
> それを覚えているので、外野守備に関して「喝」を入れているシーンを見るにつけ「よく言えるな」と突っ込みを入れてしまいます。
本当にあたふたしながらボールに近づいていましたね。巨人に移ってから特にそれがクローズアップされました。
> 張本選手がジャンプした当時、私は小学五年生でした。
> 私も左利きだったので、あのバッティングフォームをまねしました。
巨人に移籍してTV露出が増えてから、あのフォームをまねる子供が増えましたね。やってみると、相当腕力がいることがわかります。今年もお付き合いください。
その後よくよく考えてみると、イチロー選手は2004年以後チームがずっと低迷し、イチローに比類するどころか、チームに長年定着する野手もおらず、いつしか孤高・孤独な選手になっていた自分にハタと気がついたのではないかと思っています。
いつの間にか、チームメイトの活躍を素直に心から、全身で喜ぶことができなくなってしまった自分に気がついたのではないかと思います。
そんな中、当時の自分とほぼ同い年の張本選手のあのポーズを見て、”ハッ”としたのではないかと思います。
”自分(イチロー)はベースボールをプレーし高額な年棒を手にしても、あのような子供のように喜びを爆発させる感情がいつしか失われていた。。。”
考えすぎでしょうか?
私も突き詰めればそうだと思います。