さて、意見が分かれるであろう投手の登板記録についてである。
1) 1984年、阪神福間納の最多登板記録を巡る問題

1961年、西鉄の稲尾和久は、59年、自身が作ったシーズン最多登板記録の75を更新する78試合に登板。これもシーズンタイである42勝を挙げた。
以後、この記録はアンタッチャブルと思われた。しかし84年、阪神の福間納は、ワンポイントリリーフ、敗戦処理で登板回数を重ねた。9月19日にはセリーグ記録を更新する74登板、10月3日には77登板に達したが、チーム最終戦の10月5日、安藤統男監督は福間をマウンドに上げず、稲尾の最多登板記録は守られた。

◆宇佐美氏の見解
稲尾の大記録はこうして守られた。大乗的見地に立って判断を下した安藤監督のファインプレーというべきであろう。監督はじめチーム首脳陣もつまらぬ老婆心を起こさず、内容の伴った記録で正々堂々挑戦させる姿勢を打ち出してほしいものだ。

※広尾の意見
宇佐美氏の様々な業績の中で、この一点の評価は、人によって大きく意見が分かれる。

宇佐美氏は自著には書いていないが、福間が稲尾の記録に迫った時点で、阪神安藤監督に手紙を書き、「稲尾の記録は400イニング以上を投げて作られたもので、中継ぎ登板だけで形だけの記録を作るべきではない」と訴えている。安藤監督がこの意見に影響されて、最終戦で福間をベンチにとどめたのかどうかは不明だが、もし、1ジャーナリストの意見が、グランド内の采配に影響を与えたとすれば、これも大きな「作為」だといえよう。
稲尾の空前の大記録を守りたいと思うあまり、内容的に大きく異なる後世の選手の記録に異議申し立てをしたのだ。

2001年には、広島の菊地原毅が稲尾の記録に挑んだ。このときに宇佐美氏が手紙を送ったかどうかは不明だが、菊池原も78のタイ記録でストップした。
宇佐美氏は「ただ数で並んだだけで、稲尾と比べればお話にならない」とのコメントを出した。

しかし2005年には阪神の藤川球児がこの記録を破る80試合に登板。宇佐美氏は存命中だったが、どんなコメントをしたかは不明。この年の藤川は、セットアッパーとして獅子奮迅の活躍をし、稲尾の記録を破る79試合目は9月29日の巨人戦、リーグ優勝の決定シーンでの登板だった。その意味では、稲尾の記録を抜くにふさわしい投球内容だったとも言えなくはない。



その後、シーズン最多記録は2007年の阪神の久保田智之によって90にまで伸びている。

記録というのはあくまで「数字」である。いかに内容が違っていたとしても、表面上の数字でのみカウントすべきものだ。数字に「内容が伴っているかどうか」を吟味し始めては、切りがない。但し書きだらけでは「記録」の魅力は失せてしまう。

また、野球というスポーツは(野球だけではないだろうが)、日々刻々進化している。試合のスタイルも、作戦も、選手の起用法も変化する。
当然、記録も変化する。4割打者はいなくなり、40勝投手もいなくなった。しかし、だからと言って、今の打者や投手が昔日に比べて劣っているわけではない。野球の変貌に伴って、記録の意味するところも変わってくるのだ。

宇佐美氏は「野球の記録」のパイオニアであり、その魅力を我々に教えてくれた恩人だ。しかし、宇佐美氏は、ひょっとすると野球は再び原点回帰をして、稲尾のような大投手が一人でチームを背負う時代が来る、と思っていたのかもしれない。「野球史観」という考えはお持ちでなかったもかも知れない。

ポイントは、「タイトル」と「歴史的記録」は異なる、ということではないか。

個人の「今」の評価につながる「タイトル」については、作為は極力排除されるべきだ。特に「休場」「敬遠」など「不作為の作為」は、何としてもやめさせたいところだ。なぜなら、「タイトル争い」という野球の魅力がそがれ、ファンを失望させるからだ。

しかし「歴史的記録」はタイトルとは異なる。各々のSTATSは時代によって難易度が変わってくるし、その数字の意味するところも変わってくる。

「ギネス」的な挑戦者が出現するのは、ある程度やむを得ない。それも野球の一つの要素とすべきではないか。
ただし、そうした挑戦が「チームの勝利」という第一目的よりも優先して行われた場合(連続出場記録などがそうだ)、選手の体調や健康を棄損してまで行われた場合に限って、問題視すべきだと思う。
また、レコードブックには、そのまま数字が並べばよい。しかし、欄外にはその数字が生まれた経緯を記せばよいのだ。

「タイトル」と異なり、「歴史的記録」は「好事家の愉しみ」の範疇に属する。
野球ファンは「大記録」と「珍記録」を見分ける目をもつことで、「記録」の真贋を見分け、正しい評価をすべきだろう。

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