昨日は良い試合だった。中田翔が見せ場を作ってくれたおかげで、負けた日本ハムにもそれなりの納得性があった。しかし、11/2の「誤審」は遺恨として残ることだろう。
当夜は会合があったため、私はこの試合を見ていなかったのだが、確かに「誤審」である。
第5戦の4回表、5-2とリードする巨人は、無死一塁で加藤健が打席に立った。バントの構えをした加藤に対し、日本ハムの多田野数人はインコース高めに投げた。加藤はバントの構えのままのけぞって転倒。“頭部死球”をアピールした。柳田浩一球審はこのアピールを認めて死球とし、さらに多田野を「危険球を投げた」と判断して退場処分とした。
日本ハムの栗山英樹監督が飛び出して抗議。栗山は死球の有無ではなく、バントの構えをした加藤が「球を避ける意思がなかった」とのアピールをした。しかし、受け入れられず、多田野は退場、緊急登板した森内壽春が次打者の松本哲也にタイムリーを打たれて6点目が入った。
VTRを見れば、加藤は体にもバットにも当たっていなかった。単なるボールだった。そもそもボールは加藤の頭部よりもかなり遠かった。加藤は虚偽のアピールをした。そして主審の柳田は、そのアピールに眩惑された。柳田球審は、一度はファウルの判定をしようとしたという。つまり、いずれにせよこのプレーをしっかり見ていなかったのだ。
しかしながら、現行の野球のルールでは、選手にも、審判にも落ち度はない。選手のアピールに「嘘をついてはいけない」というルールはない。また、野球というスポーツは本塁打以外のプレーでは、VTRを判断材料にはしない。審判のジャッジこそが「事実」であり、「真実」なのだ。
そして、プレーはもう済んでしまい、その試合も成立してしまった。選手も、チームも、そしてファンも、そのことを受け入れるほかに選択肢はない。
もちろん、球団側がNPBの審判部に対して抗議を申し入れることはできる。明らかな「誤審」に対しては、苦情をいうべきだろう。しかし、それは「今後の対応」を要望することであって、試合結果を蒸し返すことではない。また、審判部もこうした批判は真摯に受け止めるべきだが、それ以上のことをすべきではない。
しかるに、一昨日以来、巨人軍の事務所などには、抗議の電話やメールが殺到しているという。また加藤に対しては「札幌の街を歩くときには気をつけろ」などというヤジが飛んだという。
これは、全くお門違いというほかはない。巨人の原監督や加藤健がとった行動には、落ち度はない。彼らは勝利のためにできることをしただけなのだ。「虚偽のアピール」は、確かに後味がよくないが、それもプレーのうちである。
NPBオフィスにも抗議の電話があったようだ。これは心情としてはわからないでもないが、基本的には「後の祭り」である。言っても詮無いことなのだ。


またぞろ「NPBの審判は巨人びいき」という話が持ち上がるだろう。一般の人だけでなく、マスコミの中にもそういうことを言う人がいるが、全く根拠のない妄説だ。一瞬一瞬で判断を求められる審判が、特定のチームに有利なジャッジをし続けるのは不可能に近い。もしそういう判断をしたとすれば、もっとあからさまなことになるはずだ。
ハンドボールやサッカーには「中東の笛」というものがある。アラブ圏の審判は、自分たちの有利になるようなジャッジをする。これは確信犯であり、スポーツの精神を理解しない産油国の権力者たちが、敢えてやらせている行為だ。しかし野球とハンドボール、サッカーの違いこそあれ、特定のチームに有利な判断をしようとすれば、そこまではっきりしなければ、効果がないということだ。
「NPBの審判は巨人びいき」説は、NPBが営々と築き上げてきた歴史を貶める妄言だ。そして審判の権威を貶めることでもある。
巨人という球団は、興行面や選手獲得の面で、専横的なことを繰り返してきた。企業としてのマナーは最悪だとは思うし、倫理面でも問題があると思うが、こと試合に関してまで、横車を押すことはありえない。もし、そういうことをしていたとすれば、プロ野球はとっくに衰退していたはずだ。
また、今の審判が取り立てて劣化しているとも思わない。VTRなどの進化によって、ジャッジに対してより厳しい目が注がれているのは事実だが、彼らも努力研鑽をつんでいる。それであってもこうした「誤審」は起こりうる。それくらい難しい仕事だということだ。
過去にも大試合で「世紀の誤審」とされるジャッジはいくつもあった。「円城寺、あれがボールか 秋の空」と詠まれた1961年の南海巨人の日本シリーズ第4戦、「大杉勝男大飛球」をめぐる阪急上田利治監督の80分に及ぶ抗議があった1978年ヤクルトとの日本シリーズ第7戦。しかし、そのジャッジは覆らなかった。
それで良かったのだ。もし選手や監督の抗議で試合が覆るような前例を残せば、NPBの野球の本質さえもが変わってしまう。
あえて言うが、「誤審」も「野球の内」である。明らかなミスジャッジも含めて、審判が試合を裁量し、進行する。これが野球というスポーツの基本ルールなのだ。
そのことを尊重し、結果を受け入れるのは、すべての野球ファンの基本姿勢だと思うのだがいかがか。
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日本ハムの栗山英樹監督が飛び出して抗議。栗山は死球の有無ではなく、バントの構えをした加藤が「球を避ける意思がなかった」とのアピールをした。しかし、受け入れられず、多田野は退場、緊急登板した森内壽春が次打者の松本哲也にタイムリーを打たれて6点目が入った。
VTRを見れば、加藤は体にもバットにも当たっていなかった。単なるボールだった。そもそもボールは加藤の頭部よりもかなり遠かった。加藤は虚偽のアピールをした。そして主審の柳田は、そのアピールに眩惑された。柳田球審は、一度はファウルの判定をしようとしたという。つまり、いずれにせよこのプレーをしっかり見ていなかったのだ。
しかしながら、現行の野球のルールでは、選手にも、審判にも落ち度はない。選手のアピールに「嘘をついてはいけない」というルールはない。また、野球というスポーツは本塁打以外のプレーでは、VTRを判断材料にはしない。審判のジャッジこそが「事実」であり、「真実」なのだ。
そして、プレーはもう済んでしまい、その試合も成立してしまった。選手も、チームも、そしてファンも、そのことを受け入れるほかに選択肢はない。
もちろん、球団側がNPBの審判部に対して抗議を申し入れることはできる。明らかな「誤審」に対しては、苦情をいうべきだろう。しかし、それは「今後の対応」を要望することであって、試合結果を蒸し返すことではない。また、審判部もこうした批判は真摯に受け止めるべきだが、それ以上のことをすべきではない。
しかるに、一昨日以来、巨人軍の事務所などには、抗議の電話やメールが殺到しているという。また加藤に対しては「札幌の街を歩くときには気をつけろ」などというヤジが飛んだという。
これは、全くお門違いというほかはない。巨人の原監督や加藤健がとった行動には、落ち度はない。彼らは勝利のためにできることをしただけなのだ。「虚偽のアピール」は、確かに後味がよくないが、それもプレーのうちである。
NPBオフィスにも抗議の電話があったようだ。これは心情としてはわからないでもないが、基本的には「後の祭り」である。言っても詮無いことなのだ。
またぞろ「NPBの審判は巨人びいき」という話が持ち上がるだろう。一般の人だけでなく、マスコミの中にもそういうことを言う人がいるが、全く根拠のない妄説だ。一瞬一瞬で判断を求められる審判が、特定のチームに有利なジャッジをし続けるのは不可能に近い。もしそういう判断をしたとすれば、もっとあからさまなことになるはずだ。
ハンドボールやサッカーには「中東の笛」というものがある。アラブ圏の審判は、自分たちの有利になるようなジャッジをする。これは確信犯であり、スポーツの精神を理解しない産油国の権力者たちが、敢えてやらせている行為だ。しかし野球とハンドボール、サッカーの違いこそあれ、特定のチームに有利な判断をしようとすれば、そこまではっきりしなければ、効果がないということだ。
「NPBの審判は巨人びいき」説は、NPBが営々と築き上げてきた歴史を貶める妄言だ。そして審判の権威を貶めることでもある。
巨人という球団は、興行面や選手獲得の面で、専横的なことを繰り返してきた。企業としてのマナーは最悪だとは思うし、倫理面でも問題があると思うが、こと試合に関してまで、横車を押すことはありえない。もし、そういうことをしていたとすれば、プロ野球はとっくに衰退していたはずだ。
また、今の審判が取り立てて劣化しているとも思わない。VTRなどの進化によって、ジャッジに対してより厳しい目が注がれているのは事実だが、彼らも努力研鑽をつんでいる。それであってもこうした「誤審」は起こりうる。それくらい難しい仕事だということだ。
過去にも大試合で「世紀の誤審」とされるジャッジはいくつもあった。「円城寺、あれがボールか 秋の空」と詠まれた1961年の南海巨人の日本シリーズ第4戦、「大杉勝男大飛球」をめぐる阪急上田利治監督の80分に及ぶ抗議があった1978年ヤクルトとの日本シリーズ第7戦。しかし、そのジャッジは覆らなかった。
それで良かったのだ。もし選手や監督の抗議で試合が覆るような前例を残せば、NPBの野球の本質さえもが変わってしまう。
あえて言うが、「誤審」も「野球の内」である。明らかなミスジャッジも含めて、審判が試合を裁量し、進行する。これが野球というスポーツの基本ルールなのだ。
そのことを尊重し、結果を受け入れるのは、すべての野球ファンの基本姿勢だと思うのだがいかがか。
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コメント
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例えばMLBでは、ストライク/ボールの判定についての正誤判定を導入しています。NPBではそこまでは難しいのかもしれませんが、そうした努力ができる可能性を「伝統」や「権威」の一言で封じ込めるのはあまりにも短絡的ではないかと思うのですが。
過ぎた誤審は受け入れる、が、減らす努力や無くす努力は論議されるべきでしょう。そしてNPBや審判部は、ファンに目に見える形でそれを示すことが肝要だと思います。
まあ、それもわかりますが…
今回の判定に関しては、最初は柳田球審は、ファールの判定をしようとした…ではなくてしたんです。
審判の判定は絶対ですよね。
しかし、原監督のクレームによってそれが覆された。
そこが問題。
栗山監督のクレームに関しては相手にもしていない。変な話です。
そもそも、最初の判定を覆すには相応の理由がなければいけない。
球審が問題のプレーを見ずに目をそらし、加藤選手の仕草だけで判定したとすれば、それが問題。原監督からの抗議だったからとなれば、さらに大問題。
柳田球審は自ら審判の権威を落としてしまったと私は見ています。
審判の劣化…と言われても仕方が無いのでは?
上田監督の歴史に残る抗議の時とは、審判の権威問題として、次元が違うと感じます。
審判がクレームに対して判定を覆すことも許されている行為です。それも含めて審判の権限の及ぶ領域でしょう。
私は心配しているのは「審判の権威」の下落です。昔の審判の方が良かったとは全く思っていないので。
試合見ていましたが、カトケンは演技というよりも怖かったんじゃないでしょうか。頭部死球もらったことがありましたよね。フラッシュバックというか。審判も、その意味で「危険」寄りのジャッジになったのではないかと。
ジャッジ面とは別の話しになりますが、栗山さんはもっと怒るべきだった。監督には抗議でチームに闘う姿勢を見せることも必要。澤村が上位打線にいきなり2死球したときも、ガンガン文句言って調子狂わせてやるぐらいの援護があってもよかったのかなあと。大人すぎ。
彼は右打者なんだから投げたボールが直接当たっているわけもなし。
日ハム側が納得行かないのも道理で、審判の判断は批判されてしかるべきものですが
加藤本人は明確に「騙そう」としていたんですかね。
倒れて本人が混乱してるうちに、監督と審判がさっさと話を進めたようにも見えました。
審判や巨人サイドが内容を話すとは思えませんが、鶴岡は知ってるんでしょうねえ。
なんにせよ後味の悪い試合になってしまいました。
そのあとの長野のデッドボールへの歓声もひどいもんでしたし。
第5戦を除けば緊張感のある試合が続き、とりわけ昨日は熱戦だったので勿体無い。
虚偽のアピールだったらイカンと思いますけどね。
サッカーだとシミュレーションでイエローカードの対象となりますし、後日罰金が課される場合もあります。
ましてやこの場合投手は退場を命じられたわけですから。
もちろん誤審もスポーツの一部だと思うので、それを前提としたルールを組み込んでもいいと思うのですけどね。
テニスやNFLのようなチャレンジ制度とか、ストライク・ボールに関わる部分以外なら導入してみてもいいと思うのですが。
VTRで観れば明らかに当たっていないだけに、多田野にしても栗山監督にしても日本ハム贔屓にしても、憤懣やる方ない結果です。
しかし、「審判の判定が最終決定される」というのがスポーツの基本である以上、誤審があっても審判個人を、そして選手個人を責めるべきではないと思います。
また、一部に「ジャンパイア」などと揶揄する、アピールプレーした加藤健や抗議した原辰徳を攻撃する、球団本部に苦情電話するのは、お門違いです。
どんなに自分に正義感ある自信あれども、だからと言って何を言っていいわけではありません。
それでも納得いかなければ、全面ビデオ判定や、審判の判定を審査するジュリー制(ロンドン五輪で有名になった)を導入するとかすればよいのではないでしょうか。
ヨーロッパスポーツは誤審を含めてそれがスポーツだと言って許されます。歴史的に不条理を受け入れてきた国です。
アメリカスポーツには正義がある(と信じたいとされている)。誤審はなくさなくてはならない、誤審も野球のうち、誤審もアメフトのうちというのが絶対に許されないというのがアメリカ人なのです。
ですから、「誤審も野球の内」というスタンスは良くないと思います、それをいえるのはヨーロッパスポーツ、誤審はなくさなくてはならない、これがアメリカ人のスポーツに対する基本的な考え方です。
いえ、それは違います。
例えば相手チームの選手が犯したミスを指摘せず、後でそのミスにつけ込む(ex.走塁時のベースの踏み忘れを教えてやらず、後からアピールする)のであれば、gamesmanshipの範疇として許容されるでしょう。
しかし加藤健が行ったのは「審判に対する虚偽のアピール」であり、それはsportsmanshipの根幹に関わるレベルの問題です。
そもそも「球審の判定が絶対」というのは、球審も「選手達は嘘をつかない」と信頼している、という前提があってこその話。そうした信頼関係を選手の側が裏切ることは、許されるべきではありません。
あの場面で最も重い責を負うべきは、打者・加藤健の言い分を鵜呑みにして、捕手・鶴岡の意見を聞かずにジャッジを覆した球審にあるのでしょう。しかし、あの場面で加藤健は、球審に尋ねられても「何が起こったか分かりません」とだけ話しておけばよかったわけです。それを自分から虚偽のアピールを行った件については、sportsmanshipの観点から、強く糾弾されるべきだと考えます。
咄嗟に球審を誤魔化そうとしたことまでは、まだしも理解の余地がありますが、あのアピールはやり過ぎです。
個人的には許せない行為であり、そのことをプロ野球界全体に肝に銘じてほしいです。
今回のことをしっかり批判することによって、選手はこのような行為を今後とりづらくなることでしょう
黙っていたら、許されるのだと思ってまた繰り返されるかもしれません
出来れば後のビデオ判定によって出場停止などの処分を課してほしいです
ファン心理から鑑みると受け入れるのには難しい課題ですよね。
ただ運営・当事者側にはより良い解決策を模索する努力を忘れて欲しくないですねぇ。
この場合ならあの抗議の時間が発生するのなら、今後は審判判定用のカメラ映像を設置し、確認の上で判定を下すぐらいの改革は当然考慮して欲しいですね。
解説の古田・工藤両人が明らかな誤審の後、めっきり言葉数が少なくなってテンション駄々下がりだったのが可哀想でした。
加藤選手には「脇谷の二の舞」にはならないで欲しい。
ルール内とはいえ、審判を欺く行為がどれだけ自身の評価を下げる事になるかを。
審判も試合の参加者であり、彼らも肉体を使って判定してほしいからです。
審判よりも機械が優先されることになれば、審判の権威は損なわれてしまいます。
それを危惧します。
こうした「誤審」は今後もあるでしょう。改善されるべきとは思いますが、なくなることは
無いと思います。
その前提の上での、議論であるべきかと思います。
が
やはり今回は少々事情が違いますね。
あれが腕に当たったとアピールして
デッドボール判定で進塁した。となっていたら
これほど大騒ぎにはなっていないと思います。
今回は、それにプラスしてピッチャーが危険退場になりましたね。
こうなると、あまりにバランスが悪い。不均衡。です。
どちら贔屓で無くとも、あれはやり過ぎと言わざるを得ない。
そんな中
>「嘘をついてはいけない」というルールはない
>「虚偽のアピール」は、それもプレーのうちである。
と公然と言う人だ出てきたら「それは違いますよ」と言いたくもなりますw
虚偽のアピールもやってもいいと思います。
しかし、やったもん勝ち。騙された方が悪い。ルールで禁止されてなければ何やってもいいんだ。と公然と言い放つのは如何なものでしょうか?
そうゆうのを当然として欲しくないんですよねぇ。
>もし選手や監督の抗議で試合が覆るような前例を残せば、NPBの野球の本質さえもが変わってしまう。
ヤ対阪神で、阪神のHR判定(審判はグルグル手を回してジャッジ)がヤの抗議により、二塁打に変更されましたよね。 サヨナラHRで、シーズンの優勝も決まった大事な試合でした。 1度判定してものでも、抗議により覆るんです。前例はいくらでもあります。
前例は沢山あるのに、”今回だけはダメ”って言う根拠はどこに?
正しい判定に変えた方がファンも選手も納得すると思いますけど。
ただビデオ判定を導入したから審判の権威が落ちるということはまずないと考えています
実際NFLやNBA テニス などはビデオ判定の導入に積極的ですが、それによって審判のありようが変わることはありません
当然ビデオが使えない場面は多々あり、現場の審判にしか行い得ない判定がなくなる事はないからです。
むしろ現場の選手監督はビデオによって判断されたジャッジは心理的に受け入れやすくなり、そのことによってスムーズな進行が行われることが多いと思います。
もしビデオ判定を導入しないなら、抗議に関してはより厳格な対応を取るべきでしょうね
スタジアムで抗議が行われている間待たされたことがありますが、あんなに無駄な時間は無いと思っています。
NPBの審判部も「誤審を減らす為にこういう努力をしています」というアピールをする必要があるのではと思います。興行として大切なことかなぁと
最近は選手会が優秀な審判を選ぶ投票をしたりもしていますが、審判部としてもっと大々的に何かやってほしいですね
>やったもん勝ち。騙された方が悪い。ルールで禁止されてなければ何やってもいいんだ。
実の所、これは「その通り」です。
但し、その主張が成立するのは、あくまで「選手の間で完結する事象」についてのみです。言い換えれば、「選手が選手を騙そうとする」限りにおいて、それはgamesmanshipの問題なので、基本的には「騙された方が悪い」ことになります(端的な例が、隠し球)。
しかし、選手が審判を騙そうとすることは、絶対にあってはなりません。これはsportsmanshipの問題です。
そもそも、「どこまでなら(審判を欺くことが)許されるか」などという設問自体が成立しないわけで、だからこそ「審判の判定は絶対」なのですから。
今回のエントリで触れられているケースに関しては、球審が加藤健の(虚偽の)アピールを容れ、しかも鶴岡の意見を聞かずに判定を覆したからこそ問題化しているのです。仮に、球審が最初から「危険球」と判定していれば、「あの審判、どこ見てるんだよ」だけで済んだ話。
確かに私も「誤審も野球のうち」だとは思うのですが、選手には審判の権威を侵すような行為は認められていないはずです。現行の野球規則では、ああした虚偽アピール行為についての罰則は定められていませんが、事後からでも短期間の出場停止処分ぐらい下しても構わないとさえ思います。
以下、今回の件に関する私見です。
確かに誤審は避けられない。しかしそれはお互いに意図のないクロスプレーの場合。今回の一件は、贔屓目に見ても加藤選手の確信犯に私には思えます。極端な言い方をすれば、誤審を引き出すようなプレーではなかったかということです。サッカーのたとえで言えばシミュレーションに含まれると思います。
サッカーの話ばかりですが、ドイツ代表のクローゼという選手が国内リーグ(カップ戦だったかも)でゴールを挙げたものの、自らハンドだったと申告してゴールが取り消しになったことがありました。これを正直と見るかどうかという意見もあると思いますが、今回の件とは好対照だと思います。
あと、これもファンの勝手な見方だと思いますが、プロスポーツ選手はロールモデルであってもらいたいという部分があります。何でもありにしてしまうとスポーツが殺伐としたものになるのではないかという危惧もあります。
いずれにしても、多田野投手にとっては気の毒すぎる結果。誤審は仕方ないにしても、誤審を引き出すような行為はするべきではない。私には加藤選手は確信犯に思えて仕方ありません。
負けた言い訳を日ハムに与えちゃったようなもんだから。
野球もそうしたらいい
私もそれを考えました。その後の打席でヒット2本を打っているので大丈夫かと。
今回かなり批判されていますが、広島達川のデッドボールアピールと違いがあるのだろうか、と思っています(達川は危険球をアピールすることはありませんでしたが)。
ただ今回のプレーは車で移動中ラジオで聞いただけなのでいまひとつ実感がありません。テレビの画面で通しで見ていれば「やり過ぎ」だと思ったかもしれませんが。
ところで、昨日気になったのは日ハム糸井の27個目のアウトシーン。1塁ベースはセーフに見えましたが、リプレイはありませんでした。
あるのは理解していますが、理想は誤審なんか起きないのがベストであってそのための努力はあってしかるべきだと思います。それは審判個々の技量だけでなく、システムの変更なども模索するのは悪くないと考えます。
確かに、多くの抗議する人たちにそこまで考える人は少ないでしょうが、不満を表せば改善の可能性だって出てくることもあるでしょう。
試合の結果がひっくり返らないのは仕方ありません。
まぁ、だからなんでも機械に任せろというのは、自分も受け入れがたいのですが。審判も含めて成立するのがスポーツですからね。
最後に映像は見ていませんが、この件に関して。試合後の加藤選手のコメントを見る限り当たっていないのはわかっているんだなと思いました。ただ、そのコメントは大人な対応をしたなという感じでした。そこで当たっていないという主張をしていれば、人間性を疑いましたが。
さらに最も顰蹙を買う理由になったのは、審判のせいなのは疑いようもないですね。危険球の定義も拡大解釈してたみたいですし、それで退場させてしまったのですから審判にもなんらかのペナルティはあってしかるべきでしょう。
>>審判よりも機械が優先されることになれば、審判の権威は損なわれてしまいます。
機械を判定の一助とする事は何も権威を損ねるとは考え辛いですね。
逆に言うなればこの様なケースでは直後のスロー映像によって、審判の権威はこれ以上無く損なわれていますよね。
参加者としての審判を尊重する事も大切ですが、審判が正しい判定を下せる様な環境を作るのも運営側の責務だと思います。
>>こうした「誤審」は今後もあるでしょう。改善されるべきとは思いますが、なくなることは
無いと思います。
その前提の上での、議論であるべきかと思います。
少なくとも運営・審判・選手の当事者達は「誤審は無くならない」とのスタンスは見せて欲しくないですねぇ。
「どうせエラーは無くならない」と守備練習する選手が居ない様に、審判は「誤審を無くす事」を永遠の課題にして欲しい。
その点では試合後の柳田球審の「自分の判断を尊重する」は受け入れ難い。
彼は過去にも同様の判定を下しており、教訓が全く活かされていないと感じます。
この日本シリーズの大舞台で起こった「誤審」でも、何故起こったかの検証もされずに今後も何も対策が成されなければ、審判の権威は地に落ちたままでしょう。
シーズン中でも、雨が降って続行かどうか微妙なときに、原さんが抗議すると審判団が従う、ということがまま見られました。
長良川球場の巨人対広島戦で、大雨だったのに、巨人が負けていたから、延々とのばして最後まで試合を続行して、終了が夜中の12時を超えていた、ということがありました。
友人が観戦に行っていて「途中で帰ったよ。相手が他チームなら絶対コールドのケース。」と・・。
シーズンの大事な時に巨人が雨天コールドで負けた、という記憶はほとんどありません。
クライマックスファイナルステージでも巨人が剣ヶ峰にたつと微妙な判定があったような気がします。
ただ、ここまで誰もがわかるようなやり方だと、ジャンパイアとしては下手くそだったような気がします。
巨人ファンの方の批判覚悟で言えば、昔からジャンパイアは絶対にあった、と思います。
もちろん戦力的にも上ですが、危なくなると負けさせないような力が働くかと・・。
それを野球機構やメディアなどが黙認しているのでは・・。
「今」ルールがそうなっている以上、今回の件は仕方ないと思っています。加藤選手も別に騙そうとしたとも言い切れないと見ましたので(スポーツマンシップ的に見ても)別に問題ないかと思います。
今回結果自体は当然仕方ないですが、やはりこんな大舞台であからさまな大誤審をして審判の威厳と言われてもいったい何なのだろうかと、不信感は生まれるのは当然なのかなと思います。
特に今回のような状況、ビデオ判定を行えば完全に防げたものですから。野球全体の不信感へと繋がる危険はあります。
今ならばもっと対策できそうなのに何かと理由を付けてやらない→ということは裏で何かあるのでは…
といった感じで。
様々な課題はあるでしょうが、可能な部分で不審な点はビデオで判定する裁量を認める等、とにかく誤審をなくす努力をして欲しい。それを具体的に見せて欲しいですね。
ビデオで判定しなければならなくなったことを恥だ等と思わないでほしい。どうも機械にというか他の外部の判断(相撲で言う物言いでしょうか)が入るのは恥だという意識があるように思えます。審判がキツイのは知っています。だからこそ稀に間違うのは仕方ないと思っていますので。そんな中で出来るだけ正しい判決が出来る様皆協力していって欲しいと切に願います。
当たっていないではなく、当たっていたと主張していたら─ですね。
そんな嘘つきスポーツを誰が信頼しますか?
客あってのプロ野球でしょう?
客が納得できなくてどうします?
そんなスポーツからはドンドン人は離れていきますよ。現に日本のプロ野球は衰退の一途を辿っていますけど。
私としては審判の権威なんて邪魔なだけで、最小限にするべきだと思います。
良い例が今年の五輪。各種目で誤審をなくそうと必死です。
ほぼ全ての種目でビデオ判定のルールがあります。無いのはバレーとサッカーくらいなものですが、バレーも来年からの試験導入が始まるそうです。
これから野球を世界に広めて五輪復活を狙ってるなら、ビデオ判定を導入してしっかりやらないと不可能だと思いますよ。
ホームランの判定だけなんてそんなの中途半端で甘っちょろい。
メジャーの後追いばかりしてるんじゃなくて、日本が率先してやりゃあ日本プロ野球の権威も上がるってもんですよ。
まあ、お隣の韓国が先にやっちゃうんでしょうけどね。
そして確認できた事があります。
鶴岡がボールを後逸している事と後逸して直ぐに審判に「ファールダ!」とアピールしてる事。
そして加藤、原監督ともに審判には抗議していない事です。
加藤は頭部死球を受けた過去があるためフラッシュバックしてうずくまっていた、監督は心配して駆け寄った。審判への抗議はしていませんでした。原監督の抗議で判定が覆ったわけではありません。
すっかり盛り上がっていますね。乗り遅れてしまいました。
まあ、加藤や読売球団に対する批判は、確かに感情的なもので、この際どうでもいいでしょう。要は、その行為が、自称「紳士の球団」にふさわしいかどうかの話です。
しかし、気になったのは、この一文です。
>また、審判部もこうした批判は真摯に受け止めるべきだが、それ以上のことをすべきではない。
本当にそうでしょうか?
私がこの誤審のあとで思い出したのは、2年前、タイガースのガララーガが完全試合目前で誤審にあい、大記録を逃した時のエピソードです。
この誤審をした審判は、誤審を認め、翌日に涙ながらの謝罪をしたことで、ちょっとした話題になりました。
審判も人間だから、ミスがあるのは先刻承知です。だからこそ、無謬性にこだわる必要はないのではないでしょうか。
私は、大きな試合の重大な局面で、仮に誤審と呼ばれるような行為があった場合には、それを認めてしまうこともあっていいのではないかと思っています。涙ながらの謝罪をせよとはいいませんが、誤審を認めなかったからといって、権威に傷がつくとは思えません。
下手に無謬性を守ろうとするから、世間の反発を買い、ビデオ判定がどうのという話になるのです。そのほうがよほど権威が失われるでしょう。(続く)
そして誤審を認めたうえで、今後どうやって改善していくのか、それを現場に示し、審判と現場が歩み寄ること、それが審判の権威を取り戻す第一歩になるのではないでしょうか。
Jリーグでも誤審が相次いでいますが、今年の9月に各クラブの強化担当者会議で、審判委員長が「技術向上のために行っている試合以外の活動」について説明するということがちょっとした話題になりました。
NPBの審判は、そのような取り組みをやっているのでしょうか。「誤審はなかった」で放置されているのではないでしょうか。あるいは、仮に内部でやっていたとしても、外部に発信されなければ、現場の不信感も増すだけなのではないでしょうか。私には、お互いの歩み寄りが足りないように思います。
柳田審判は、しばらくは色々な場所で批判の対象になるのでしょうが、そのうち忘れられていくはずです。その点ではNPBの審判は幸せだと言えるでしょう。Jリーグの審判の中には、試合前にスタジアムでその名前がコールされただけでブーイングを受ける審判が何人もいますからね。
2010年4月10日の東北楽天ゴールデンイーグルス対オリックスバファロ−ズ戦で、
加藤大輔(当時オリックス)が聖澤諒に対して投じ投球をデッドボールと判定。
球審をつとめていた柳田は加藤を危険球退場に処したが、のちに誤審と認められ、
この件に対し柳田は「今後に生かしたい」としている。
審判は人間ですからミスはあります。
でも懲りずにまた同じようなミスをする者が、審判としての職務を全うしてると言えるのでしょうか。
しかも現在の審判は威厳の維持を通り越して保身に走っている。
二軍降格や減給制度は一部の例外を除き本人が誤審を認めた場合しか適用されない。何のための制度なのかわからない状態。
MLBは好プレーや際どいプレーは繰り返し球場内のビジョンで流す。だがNPBでは審判の誤審が映ってはいけないというとんでもない理由でリプレーをビジョンで流すことは禁止されている。
審判も改革が必要では。現状でいいとはとても思えない。
http://mlb.mlb.com/video/play.jsp?content_id=12117903
それに関するジーターのコメントは
「オレの仕事は出塁することだから、あれはプロとして当然のプレーだ」
というもので、それに対する批判もほとんどありませんでした。
自軍に有利になるようなアピールをすること自体は"刺し、殺し、盗み、偽装し、隠す"野球というスポーツにて、達川に代表されるように過去から、現代でも"捕球後のミット動かし"や"1塁コーチがセーフのボーズ"などで延々と繰り広げられているものですから(無論見ていて気持ちの良いものではないのですが)、今になってどうこう言うべきではないかと。
はっきり言って、結果が死球だけならばここまで大事になっていないでしょう。
"危険球退場"という大きな結果になってしまったことがこの反響に繋がっている思えます。
ですから無論、誤審はなくすべきものであり、そして見ていて気持ちの良いプレーではありませんがあの状況で死球を得にいくのは当然の行為であったかと。
とちらかといえば現在の誤審を認めると減給され、例え誤審であっても認めなければ減給されないという審判のシステムに問題があるのではないでしょうか。
試合後に明らかに誤審であるとわかり、それを翻すことなく試合を続行した場合に減給するというシステムにすれば、試合中に正しい判定へと柔軟に判定を変えられると思います。
誤審をが生まれるのは人間が行うことなので、許容の範囲内と考えますが、問題は誤審が起きた際の審判側の対処や対策があまりに不十分な点なのだと思われます。
信頼を損なったまま、いくら権威を振りかざしたところで、裸の王様にしかなりえません。
今回の件に関しては、審判を欺くプレーをする選手よりも、それに簡単に騙されてしまう審判側に非があると考えます。
現状で、ビデオ判定を導入すれば、反って審判の技術低下を助長するだけの話でしょう。
まずは、誤審を認めて検証することが先決です。
ちなみに、最近のJリーグでも、誤審と思しきジャッジが頻発している傾向があり、同じような問題を抱えているようです。
日本社会の体質と、なんらかの関連性があるように思えてしまうのですが、考えすぎでょうか(笑)
自軍に有利になるようなアピールをすること自体は(中略)延々と繰り広げられているものですから、今になってどうこう言うべきではないかと。
いいえ。それらのアピール行為は、本来なら認められるべきではありません。
「捕球後にミットを動かす」のは、逆に下手な捕手だと捕球時にミットがぶれることもあるせいで黙認されているだけの話ですし、その程度で判定がぶれるのは審判の技量の問題でもあります。"一塁コーチがセーフのボーズ"に至っては、そんなことしてるのは日本だけ。不可解な判定なら、その場で抗議すれば済む話ですから。
野球の本質が"刺し、殺し、盗み、偽装し、隠す"ことにあることは否定しませんが、それはあくまでプレーヤー間で行われる限りにおいての話。「誤審も野球のうち」も同様で、審判も人間だから過失や錯誤を完全には排除できませんよね、というだけのこと。
そうした事象と、「プレーヤーが故意に審判を欺く行為」は、全く違う位相の問題です。「どこまでなら審判を欺いてもいいのか」という問いかけ自体、許されてはならないことはお分かり頂けるかと存じます。
皆さんのご意見などから、それまでは僕も、凄惨な死球の場面を演じて、審判の動揺を誘い、判断を覆らせた加藤のやりすぎと思って(彼女にそう言ったりも)ましたが、見てみれば、これ、プロ野球で通常行われているレベルの行いに過ぎないですね。
このプレーをきっかけに今後の改革を云々はともかく、この時点での加藤の行いはセーフでしょう。達川でも同じことをするだろう、ジーターもやってるみたいね、という話。
それから、ご指摘のある通り、鶴岡がファールをアピールしたことも重要ですね。
加藤のフラッシュバックがらみはまずなかったでしょうが、鶴岡もファールでないことはほぼわかっていたでしょう。つまり、どちらも審判をはめようとして、加藤が勝ったにすぎない。危険球退場に比べても、捕球ミスかファールかの差も十分に大きいので鶴岡も必死だったでしょう。
最後に今後のビデオ判定導入等についてですが、オリンピックのように各国から審判が集まるものと比べてもせん無いと思う以外は、みなそれぞれの意見があって当然と思います。
僕自身は、このような「大誤審」もまた、日本プロ野球史を飾る名場面として懐かしく振り返られるような状態を好みます。
(加藤のような)シミュレーションをすると、その試合には勝てるかもしれないが、YOUTUBE時代の現代だと自らの商品価値を著しく損なうリスクがあるという意味合いの批評がありましたね
見逃し三振の時に出る「卍」もキレキレに決まってましたねw
>鶴岡もファールでないことはほぼわかっていたでしょう。
私も同じ映像は何度も見ておりますが、あれはバットにかすっています。テレビ解説での古田敦也も「バットに当たっている」という見解だったようですね。
多田野は(恐らくサイン通りに)速球を投げているので、仮に「どこにも当たっていなかった」場合、少なくともミットの芯の部分で受けているはず。実際、鶴岡は捕球体勢に入ってからミットを動かしていません。しかし映像では、球筋が上に逸れている。加藤健のヘルメットには当たっていない以上、他に球筋が変わる要因としては、「バットにかすった」しか有り得ないんですよ。
(或いは、多田野がライジングボールを投げ込んだ、とでも?)
ちなみに鶴岡は、「木に当たった音がしたからファウルだと思った」とコメントしています。そして球審も当初は「ファウル」と判定したのですから、「木に当たった音」は球審にも(そして加藤自身にも)聞こえていた、と理解するのが妥当でしょう。最終的には判定を覆した球審が責めを負うべきですが、だとしても、加藤のアピール行為はスポーツマンシップに反しているのです。
私は草野球(軟式)経験者ですけど投手が本気で投げた球が身体の硬いところに当たると痛いですよ~。
私も一度顔近くに球が来た時(頬から鼻先をかすった)ことがあり、加藤と同じようにひっくり返りました。その瞬間、咄嗟に手で眼を触り額を抑えました。数秒経ってから、どこも痛くないと気づきましたが。
加藤は3年前にプロの投手が投げた硬球を頭にくらっているんです。間違いなくフラッシュバックはあったでしょう。そして自分のバットが右側頭部に当たった痛みがある。
あの瞬間、倒れて右側頭部を手で抱えた所までの行動は演技ではなく、自然にでた行動です。
その後ゆっくり立ち上がり監督らが寄って来た時にはもう、球は当たってないと気づいていますけどね。
これがもしバファローズ伊藤とベイスターズ高城だったら、
おなじシチュエーションでも絶対にこんなに盛り上がらなかったことでしょう(苦笑
バファローズ×ベイスターズの日本シリーズなんて設定あり得ない?
例えですってば、例え…
今回の一件が問題になっているのは、皆さんご指摘の通り「危険球退場になっている」からです。巨人の選手だからというご指摘は、もちろんないとは思いませんが、それ以上に危険球退場になってしまったという事実を問題視されています。
ビデオ判定の是非や危険球の考え方など、色んな問題を今回の一件はあぶりだしました。願わくばこのまま何もなかったことにせず、積極的な議論の材料としてもらいたいです。もちろん、NPBに対して、ですが。
サッカーでは足がひっかけられてもいないのに倒れて審判を欺こうとすれば下手すれば一発で退場もの、あまりにそういうプレーが多ければ敵だけではなく味方のサポーターからも愛想を尽かされて、結果的にどのチームにも所属することは出来なくなります
単によけて審判を誤審をしたのなら確かにお門違いの批判でしょう。でも加藤は当たってもいない頭を押さえて明らかに騙そうとしていた、そしてまんまと本来得られるはずのない利益を手にした
その時点で応援される資格はもうないですよ
ただ、以前からVTR技術が発達したからこそテニスのチャレンジシステムは入ってもいいように感じます。
今回の件で、世間はそちらの方向にあるように野球も人気スポーツであるなら導入も"検討"してもいいんじゃないかと思います。
あくまで"検討"であって、導入はたくさんの人の意見や議論の後ということですが
キャッチングに関しては古田敦也がボール球をストライクに見せる技術を多用していましたが、阪神矢野が同席した解説の際にも言われていた通り、プロの間でも賞賛されています。
彼も下手くそだからそのような行為が認められていたのでしょうか?
少し前になれば達川が審判を欺くプレーを公然のものとしてよくやっていましたが、好プレー珍プレーで多くの人に好まれていました。
更にこれはMLBの話になりますが、ゲイロード・ペリーは明らかに不正投球を行なっていたにも関わらず、"審判に見抜かれないこと"で賞賛を受け、05年に永久欠番の栄誉を贈られ、更に日米野球の際にパンチョ伊藤さんが「さすがは達人」との言葉を送っていました。
また、映画「メジャーリーグ」の主人公のチームメイトであり優勝決定戦の先発として投げたエディー・ハリスはペリーを元ネタとして作られたキャラクターです。
欺くようなプレーをしても「見抜けないほうが悪い」というのが野球の基本かと思いますが如何でしょうか。
それとも、古田のキャッチングも達川の芸も、そしてペリーの記録も野球史に於いては汚点でありあってはならないものであるのでしょうか。
ソクラテスは悪法も法なりと言ったらしいですが、結局そういう考え方ができるかどうかが分かれ目なんでしょう。
ところで、ここのコメントを読んで気が付いたのですが、鶴岡も「ファール」だと言って審判を欺いてるんですね。スローを見れば、ボールはバットに当っていません。鶴岡のミットに当って軌道が変わっただけです。
鶴岡にしてみれば後逸してしまったわけで、ランナーが進んじゃいますから、ファールだとウソのアピールをしたわけですね。
その後の長野への「報復死球」や、試合後の「木に当った音がした」というコメントも含めて、鶴岡の方が加藤よりよっぽど悪人ですよ(笑)
>今回の件の中で加藤の「演技」について噛みついているのは、野球経験がなくて当然デッドボールなんてくらったことない人ばかりでしょうね。
貴方は恐らく、フラッシュバックでパニックを起こした方をご覧になったことはないのでしょうね。本当に「フラッシュバック」だったら、即座に立ち上がってベラベラ喋るなんて、とても無理ですよ(笑)
ちなみに私も野球部時代に数回、死球は貰っています。送球が頭部直撃というのも2回ありました。
>52. G3 様
>スローを見れば、ボールはバットに当っていません。鶴岡のミットに当って軌道が変わっただけです。
「軌道が変わったから、ミットで捕れなかった」んですよ。
これ以上は議論のすれ違いにしかならないでしょうから返信はご無用ですが、私としては、貴方の見立てよりも、現場で解説していた元プロ野球選手の見解(=バットに当たっている)を支持しますし、それを覆す根拠も見当たらないと考えます。
>キャッチングに関しては古田敦也がボール球をストライクに見せる技術を多用していましたが、
確証が乏しいので上では書きませんでしたが、それを「高等テクニック」だと公言するのは、恐らく日本ローカルだと思います。
MLBだと、捕手は「球審が見やすいよう、捕ったらミットは動かさない」のがセオリーなので。確か城島が渡米した時、そこを厳しく指摘された、という記事を見かけた覚えがあります。
>ゲイロード・ペリーは明らかに不正投球を行なっていたにも関わらず、
しかし一方で、不正投球は「対等な条件での勝負」という前提を歪める行為であり、発覚すれば厳罰を受けることは、ジョージ・ウィル『野球術』等でも触れられている通り。コルク入りバットを使用した件でサミー・ソーサが糾弾されたことは貴方もご記憶でしょう。
ペリーが殿堂入りしたのは「ファンに愛されたから」であって、不正投球のテクニックを称えられたわけではありませんよ。
>欺くようなプレーをしても「見抜けないほうが悪い」というのが野球の基本かと思いますが
繰り返しになりますが、「選手が、敵チームの選手を騙す」のはgamesmanshipの問題で、基本的には「騙される方が悪い」。
対して「選手が審判を騙す」のはsportsmanshipの根幹に関わる問題であって、過失等のケースを除いては否定されるべきだと私は考えます。
改めて書かせてもらいますが、ここのコメント欄を見てもわかるように、この一件が「演技の是非」に矮小化されてしまっているのがとても残念です。
そうではなくて、本来考えるべきことは、例え誤審がなくなることなく、誤審が野球の一部であったとしても、そういう誤審をいかになくしていくかということだと思うのですが、そういった方面に誰も話を持っていかないのがとても残念です。
このように書くと、機械による判定をすれば……という安易な解決の方法が提示されてそれで終わってしまうのかもしれませんが、私やdivotさんのように、その中間でもっとやれることはないのだろうか、そういう意見がもっとあってもいいように思うのですが。
現在のNPBにおける「誤審を誤審と認めない」構造は、それこそ「臭いものにフタをして」議論を封じてしまう日本的な価値観を強く反映したものです。私は、日本の審判が、誤審を認めたうえで、その誤審から何を学び、どうやって改善していくのか、その取り組みが不十分だと思っています。
誤審は野球のうちだと言っても、やはりないほうがいいのは確かです。そのためにできることが、本質とはかけ離れた議論に終始して、あまりにも議論されなさ過ぎているように思えてなりません。
フラッシュバックの後に必ずパニックを起こすというものではないと思いますが・・・。
今回の場合は球は当たってないんだからパニック状態にまではそりゃなりませんよね。
フラッシュバックの定義云々は置いといて、私が45.のコメントで述べたかったのは倒れて頭抑えるという行動は演技ではないという部分です。
氏の言うとおり、判定に確信が持てない場合は塁審に意見を聞いても良かったのでは?と思いましたが…。
広尾さんが書いていた日本シリーズでの誤審について1961年の南海スタンカの「ボール」判定と1978年のヤクルト大杉の「ホームラン」判定が確かに有名ですよね。
でも私も含め見た記憶がない若い世代にとって忘れられないのは2004年日本シリーズ第1戦谷繁の捕手ゴロを巡る併殺プレーをめぐりD落合L伊東両監督が50分もの抗議、これも立派な誤審ですよね。
確かこの時も主審だけでは解決せず塁審が出てきたが結局解決しなかったことを考えると…。
やっぱり誤審も野球のうちと考えるべきか。
96年のワールドシリーズでヤンキースファンの少年が外野フェンスから手を突き出してヤンキースの打者が打ったフェンス直撃性の打球を捕球、審判がHR判定した誤審がありましたしね。(ルール上はアウトだが)
あとコメントには無かったのが、あの誤審が無ければファイターズは逆転勝ちできたのか?ということ。あの時点で3点負けていたこと、内海を攻略あるいは降板後リリーフを攻略して勝てたか、ということが引っ掛かるんですよね。
低俗と批判を浴びるプレーをしたのならば、それを批判されてしかるべき。
そしてミスした審判も批判を浴びるのもこれまた当然である。
批判されたくないなら、プロ野球は興業にすべきではないのでは?
筆者の観点には選手の権利、審判の権利だけしか書かれておらず、「プロ野球ファンの権利」が抜け落ちているから不完全ですね。
古田の件
日本ローカルであることでの問題点がわかりません。
日本球界において審判を欺くことが問題とはされていないという事柄の論拠として書きましたので。
ペリーの件
書き方が悪かったですね。早い話審判を欺こうがバレなければ問題にはされず、糾弾されることなく賞賛を受けられるということを申し上げたかったのです。
ファンに愛されたから殿堂入り?違うのでは。愛されるだけで殿堂入りできるのであればジム・アボットも殿堂入りしています。
不正投球を見抜かれることなく特筆すべき記録を残したから殿堂入りできたのです。愛されなくとも"MLB史上最も嫌われた選手"かつ"最悪の人格の持ち主"と形容されたタイ・カップのように殿堂入りできますから。
ソーサのコルクバットはバレたから問題になったのでしょう。
スポーツマンシップの件
これは個人個人の考え、美学であって押し付けるものではないでしょう。
自分個人としては、競技が異なれば不文律が異なるようにスポーツマンシップも異なると考えています。
野球に於いては審判の判定に従うというくらいでは。
返信不要とのことですが、返信させていただきます。
バットには当たってないです。
もちろん、解説をしていた古田は私より遥かに野球に明るいのは言うまでもないですが、古田も動画を何べんも見直したわけではないですからね。
素人の目でも、スローで見て当たってないものは当ってないです。
これ以上は水掛け論になるのは同意ですが。
>55. bunchousannさん
誤審防止策について、ウィキペディアで見たのですが、NFLで採用されているインスタント・リプレイやチャレンジ制度は面白いと思いました。
それはそれとして、日本の審判も誤審から学んで技術向上に励んでいると思います。ただ、審判の技術向上よりもビデオ機器の進化の方がスピードが遥かに早いので、誤審がクローズアップされる結果になっているんだと思います。
あと審判に「誤審を認める」ことを求めるのは、要するに審判に自分の間違いを認めさせることであり、ある種の懲罰的なニュアンスがあるので、考え方としてあまり賛成できません。
別に審判が悪いわけではなく、人間の目には限界があるわけですから、シンプルに「機械の力を借りる」という発想に立って、NFLの制度も参考にしつつ、ビデオ判定を拡大させる、、ということは一考の価値があると思います。
キャッチャーも騙そうとするし打者も誤魔化そうとする、審判とは過酷な職業ですね。
「誤審で流れが変わった」「あの誤審のせいで負けた」確かにそういうこともある。でも人が真剣にプレイし、人が厳格にジャッジするから野球は白熱するのであって事あるごとにVTR確認では興がそがれます、非常に味気ない。
審判が権威有る存在でありそのジャッジが全てである、それを理解し引き下がった栗山監督は立派です。
ただ今回の件がきっかけでデッドボールの判定にVTRが導入されるかもしれませんね。
自分としては「機械の介入はそこまででとどめて欲しい」です。
>誤審をいかになくしていくかということ
この点に関しては、Jリーグの対応が参考になるかと存じます。つまり、定期的に審判間で技術カンファレンスを開き、判定技術の向上を図る。可能なら、討議内容も公開されることが望ましい。「地道な努力」に勝る方途はありません。
一般のファンにできることは限られていますが、ある程度は専門誌などでの議論を通じて「突き上げ」するのも有効かと。
>56. car 様
>フラッシュバックの後に必ずパニックを起こすというものではないと思いますが
意識して抑えられるレベルなら、そもそも「フラッシュバック」と言わないのでは?
いずれにせよ、加藤健自身がフラッシュバックに言及していない以上、この論点はここまででしょう。
>59. Gin 様
>日本球界において審判を欺くことが問題とはされていない
その姿勢自体がスポーツマンシップの軽視に他ならず、是認されるべきでない、と再三申し上げております。
逆に、なぜ貴方は、日本国内でならスポーツマンシップを軽視しても構わないとお考えなのですか?
>早い話審判を欺こうがバレなければ問題にはされず、糾弾されることなく賞賛を受けられる
まさか! ペリーは確かに殿堂入りを果たしましたが、不正行為でそのキャリアを築いた点については、強く批判する向きも多いのに。
それに、「バレなければOK」なら、ドーピングも黙認されるべきだとなりますよね。ならば、「どこまでがセーフか」は誰が決めるべきだとお考えですか?
>自分個人としては、競技が異なれば不文律が異なるようにスポーツマンシップも異なると考えています。
「野球」と「Baseball」でその基準が大きく異なることは問題にならないのですか?
どういうことでしょうか?
サッカーをテーマにするブログは書いていないですよ。あなた方に言われたからではなく、私自身の意志として。
三下やくざみたいな言いがかりには絶対負けないですよ。
それを「誤審も野球の内」なんて言ったら,コメントが荒れるに決まってるじゃん。
どう見たって巨人贔屓のブログだな。
そのためにテクノロジーを利用することは、審判の権威を否定することと直結しないと考えます。だいたい、審判の権威はスポーツを成立させるための手段であって、目的ではないでしょう。
鬼木さん、bunchousannさん、KAさん、ナックルボーラーさん、jyonenさん、フーさんさん、きゃっぷさん、ねこ先生のご意見に賛同します。モちゃんさんのご意見も説得力があると思います。
ミスは減らす努力をしろと。それをしないから批判されるんですよ。当たり前のことでしょ。努力をしないでミスはあって当然なんて開き直ってるから余計に批判されるんです。
野球ってこんなのばかりですよね。
サッカーの世界には少なくとも一般的には「中東の笛」などという言葉はありません。露骨な時間稼ぎを皮肉って「中東戦術」と呼ぶことはネットの世界ではありますが。
サッカーの世界ではホームに有利な判定になるのは普通のことで、中東でもその範囲における判定が「アウェーの洗礼」とされているだけです。よろしければサッカーの世界で「中東の笛」という言葉が使われた雑誌や書籍を紹介いただければよいのですが。
きんどーにちようさんのコメントはそのことでは?少なくともサッカーファンにとってはそういうものがサッカーの世界ではあって、野球(NPB)の世界ではないという論調で語られてはおかしいと思う人がいても不思議ではないのでは。
少なくともこのような問題の是非を語る際に他のスポーツを引用する必要はないと思います。結局は野球というスポーツの精神と人間の良心の問題なのですから。
それはともかく、誤審はない方がいいです。なくす努力は必要です。それを踏まえた上での「誤審も野球のうち」であってほしいものです。
私は、ひとを騙してまで得をしようとする人間は軽蔑します。私と違う考えを持つひとが意外に多いので驚きました。
みたいな事は張本氏も昨日のTV番組で語ってましたね
元カープの達川選手を引き合いに出して。
ただそれを受けて立浪氏の答えた
今はスーパースローなどのカメラがあるから~~
というのが印象的でした。
シミュレーションを否定はしないけど
それがリスキーな行為になりつつあるよ(バレるよ)、という
最近まで現役だった選手の実感がこもっていたように感じます。
今回の加藤のような分かりやすいバレバレのシミュレーションでも「有効」というのが実証されたということは
実は立浪氏が危惧していたほどにシミュレーションはリスキーではなく
むしろ積極的にやってもいいのだ、って言う解釈が広がっていくかもしれませんね。
「中東の笛」は、サッカーの方が古かったと思っていましたが。
「中東の笛」で検索すると、ハンドボール、サッカーの順に出てくるので使ったまでです。
いろいろ細かいところまで、ご指摘いただいてありがとうございます。
申し訳ないですが、野球のブログを書く上で、。必要とあらばサッカーやその他のスポーツをこれからもどんどん引用します。
ずっとお読みいただき、いちいちご指摘くだされば幸いです。
もし審判の下したジャッジとはちがったからといって、審判に非難の声が上がっているでしょうか。
逆に断固として自分のジャッジを貫こうとしている野球の審判に「?」を感じます。
誤審は誤審でいいじゃない。
アメフトの審判のように、観客にもわかるようなはっきりとした説明ですよね。
せめてホームランか否かには「ホークアイ」を導入して欲しいですね。
メジャーと違い、日本のプロ野球では、プロ野球選手がダメになった、もしくは学生野球で見切りをつけ、アメリカの審判学校に行きアンパイアになるパターンが多いので。
今回の柳田浩一は、ヤクルトでゴールデングラブ賞と日本シリーズに出ている、数少ない実績ある方ですが。
まずはファンにしろ選手にしろ、正しい判定が当たり前、誤審したらバッシングで、審判一度も誉めない、感謝の意を示さないなんて風潮をなんとかしてほしい。
栗山英樹は、最後まで悪口を言わず立派でしたが、抗議の最中に「じゃあ退場にしろよ!」と怒鳴ったのだけは残念でした。
いくら相手が選手時代の後輩でも、これでは公私混同です。
なぜみんなそのことを問題にしないんでしょうか?
大杉の本塁打にしても「抗議によって判定が覆らない」のが審判の権威としていたのに、今回はあっさりと変わりましたが。
>まずはファンにしろ選手にしろ、正しい判定が当たり前、誤審したらバッシングで、審判一度も誉めない、感謝の意を示さないなんて風潮をなんとかしてほしい。
この点は私も同感です。審判もプロであるからには、優れたものは表彰されるべきです。
Jリーグでは、毎年最優秀審判が表彰されています。選手の表彰と同じ表彰式で、同列に扱われています。
私には、なぜNPBがそれをやらないのかがわかりません。監督や選手の投票でその年の最優秀審判を決めて、タイトルホルダーと同じ舞台で表彰すべきです。
その上でわたしの思うところを書かせてください。
今回の件に限らず、誤審に対するNPBのスタンスがファンにとって納得のいかないものとなっていますよね。
「誤審も野球のうち」は理解しますが、そもそも「誤審はない方が好ましい」ことは明白ではないでしょうか。
誰も「誤審の存在こそが野球である」とは言わないでしょう。
どんなスポーツでも、一瞬を切り取っての判定は困難であるが故に、いかにそれをカバーしようかという試みがなされています。
それは単にVTRであったり、またテニスのチャレンジであったり、柔道で知られたジュリーであったり。
様々な分野でそれぞれのアイディアが生まれています。
あれだけ頑なであった大相撲でさえ、VTRが導入されていますよね。
そして現在は、それが観客にも知られてきています。
だからこそ納得がいかない。「なぜNPBは誤審の改善に取り組まないのか?」と。
上記のスポーツにおいて、では審判の権威は失せたか、と言えばそのようなことはありません。あくまでも主体は審判です。
だから「誤審も野球のうち」で終わらせてはいけないと思います。
判定を補佐するシステムの導入は、審判も選手もファンも、三者ともが納得する道になるのではないでしょうか。
またNPBは導入しないのであれば、メリット・デメリット等、判断理由をきちんと発表すれば収まりが良いのでは、とも思います。
スポーツ全般のファンとして、その選択肢の1つが衰退することは悲しいですので。。。良き方向に進むことを願います。
この世に完璧な審判など存在しえないのですから(笑)
で、誤審の問題はそんなに難しい話ではなく、いかにして判定の精度を上げるかの一言に尽きると思います。
今回の問題は、判定の精度に対して疑問の余地が生じることから騒動になっている訳で、その余地をいかにして埋めるかの話が進まなければ、何度でも同じ過ちが繰り返されることになります。
確かに、ビデオ判定が、その余地を埋める有効な手段であることはわかりますが、審判の技術不足を埋める代わりの導入になっては、本末転倒ではないでしょうか。
その前に、審判自らの技術向上の余地があると考えています。
MLBとNPBを比較した際に、審判にスキルの差を感じてしまうのは私だけでしょうか。
そういった意味でも、審判制度の見直しや、地位向上に繋がるような改革に球界が取り組む必要が大いにあると思っています。
幸いなことに、今年から、MLBの審判を目指してAAAの審判まで昇格した実績を持つ平林さんが、帰国してNPBの審判技術委員に加わっていたりするので、個人的には彼の働きに期待したいところです。
無くならない最大の原因は、誤審もプレーの一部と狂った認識のある愚民だろう。はっきり言ってスポーツに人間だけの審判は不要だ、機械で瞬間を抑えて人間が判断するのが最良な審議だろう。
特に野球の審判達の権威にぶら下がる薄汚さは、東電などの薄汚い利権主義と
同様の破廉恥さがある。
激しいですね。素晴らしいお考えかも知れませんが、では、今の審判に代わってジャッジできる機械をご提案ください。
機械が不完全で、危ういことは原発でも証明済みだと思うのですが。
なぜ訳の分からない極論を言い出すのか・・・
広尾さんのブログが巨人贔屓と言われる時が来ようとは!(笑
ある種感動すら覚えてしまいました・・・(笑
機械導入の究極系は映像観てその都度ジャッジをアナウンスとかになっちゃうんですかね。連続するプレーが発生する時に問題が起きそうな気はしますが
審判が下に見られちゃうのは先のコメントとも被りますが「審判になりさえすればいつかは一軍に上がれちゃう」点じゃないですかね・・・MLBは選手よりも大変と言われる生存競争を生き抜いてマイナーから這い上がってくるので敬意を持たれるのではないかと。NPBの審判試験も狭き門ではあるのでしょうけれども・・・
涙が止まりません。巨人ファンと言われる日が来るとは。ご先祖様に顔向けできない。
人間がやっているかぎり「誤審」はけしてなくならない・・・
だからと言って、疑惑の判定を全て映像で判断すれば、すべて丸く収まるものでもないと思います。
映像を何度見ても判断しきれないこともありますし、
結局、映像を見て最終的に判断するのも「人間」です。
映像を確認して出した審判の判定にも納得できない人は出てくるはずです。
私は「誤審」も「野球の内」と考えます。
昨年、誤審で話題になった試合の記事に共感したものがありますので紹介します。
(あくまでも、「誤審」についての考えについてです。試合の状況や選手や監督の行動云々は、ここでは議論の対象にするつもりはありません。)
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/21/kiji/K20110421000669850.html
kyoさんの言ってるのが正論じゃないかな!?何も機械に全部任せろとは言ってないですよ。結局あなたは自分の好きなモノ、自分に賛同してくれる者には擁護して嫌いなモノや興味の無いモノには批判するようにしか見えないですね。物事、コメント、様々なものを正しく見れるようにしたほうが良いですよ。これだからコメント欄が荒れるのです。
この状況を私は「荒れている」とは思っていません。こういう議論の場にしたいと積極的に思っています。こういうことをしたいわけです。
⇒自分に賛同してくれる者には擁護して嫌いなモノや興味の無いモノには批判するようにしか見えない
おっしゃる通り、そうしているわけです。間違っていると思って意見は言えません。旗色を鮮明にしているわけです。
ただ「過ちを認める」のはやぶさかではないですが。
審判員が「誤審も野球のうち」というてるなら許せませんが、
以外の方(広尾さん)がいうのは「そりゃそうだ」で構わない。
誤認(サッカーでの表現はこうだったかと)はイレギュラーバウンドと同じって誰かが言ってました。これなら野球だと皆容認していると思うし。
イレギュラーバウンドが起こって江藤三塁手の顔面を直撃しても阪神園芸にペナルティなんかない。日夜、グラウンド整備に励んでます。
VTRで判定するなんて馬鹿バカしい。
球場にいくつ設置しますか?どの角度で?カメラマン付けます?
球場運営?大会運営?2軍戦はどうしましょう。
学生野球はどうしましょう?草野球はどうしましょう?
私も選手でも審判でもないから堂々と言いますよ。
年がら年中練習している選手のデータ(守備率や打率)が100%いかないのに、審判の判定率は素晴らしい。ましてや野球のルールは審判員の目視ですることになっている。一旦、判定したら変えるなと書いている。審判員はそのルールを遵守しているだけ。
柳田審判は非難にさらされるだろうが今後も研鑽をつづけて頑張って欲しい。また彼を守ってやれるのはコミッショナーだと思いますが。
また、審判に対するクレームは、両チームがどちらも”誤審だ"と、申し出たプレーにのみ、その審判の誤審として処理すればよい。自分の都合のよいプレーにはクレームをつけず、都合の悪いプレーにだけ文句を言う監督や選手には、誤審をクレームする権利など、なくてよい。
と思います。
批判は地方球団関連に片寄る。
有名になるにつれ中央利権主義でないと成り立たないとした判断はご立派だが、説得力が極端に低下して行った。
どこに行きたいのか?
悩んでいるところだろうが
来期のNBAやWBCを語る前に、懇意にするチームの改革案を立派に提示して認められてからにしていただきたい。
数打ちゃ当たるブログではないはずであり、あなたはすでにプロ野球ファンの船頭役を担うコラムニストなのだから
「懇意にするチーム」 ってひょっとして「闘魂こめて」のあのチームですか?
俺は今、猛烈に感動している!ここまで読み間違ってくれる人が出るとは!
すごいぜ!Yokoyamaさん
飛雄馬か!?(放置プレイ回避ということで。^^;)
そういえば、元祖すごいぜさんが御無汰沙ですね。
今、すごいぜさんはご出勤中じゃないですか。
それはともかく。
審判の権威については概ね異論はないんです。
ただ、この柳田さんという方、実は2010年4月10日の
東北楽天ゴールデンイーグルス-オリックス・バファローズ戦でも、
同じような誤審をやらかしているという経緯があります。
その時は誤審を認めて、
「二度とやらないように努める」という趣旨の発言をされていらっしゃるらしい。
個人として審判として適格なのかについては、
ちゃんと適宜審判部で検討していただきたいところだと思いました。
そんなに怖がらなくても、名前を名乗ったら。カスさんでしょ。
スポーツで審判は神様(笑)みたいなものらしいから
仕方ないんだろうけれど
後々判明してもろくに謝罪もしないそうで
団体としては最低レベル
出来ることもしない
VTR見るだけならそんなに時間かからんだろう
懐古厨の脱線話で悪いが
昔のようにめちゃくちゃになろうが乱闘してくれた方が
野球って気がする、NPBにしても色々窮屈にして
野球をつまらなくしてくれたなぁ
セ・リーグの星野、パ・リーグの東尾時代が最高や
中日ファンではあるけれど、
セ・リーグは巨人最強であってほしい
ほかがどうやって最強巨人を倒していくかの昔ながらの野球が好きだなぁ
レトロな話、どうも。でも世の中は動いていますので、無理でしょう。