野球は、「プレイボール」と審判が宣言して試合が始まり、「ゲーム」と宣言して試合が終わる。審判は、すべてのプレーに対して判定を下す。野球は審判が果たす役割がきわめて大きく、重要度が高いスポーツだ。
野球の審判は、プレーの判定をするだけが仕事ではない。試合進行に関わるすべての権限を有している。選手交代、守備位置の変更、雨天やスタンドから物が投げ入れられたときの試合の中断、試合進行を早くするための選手やチームへの督促、そして試合使用球を投手に与えるのも審判の役割。審判は試合進行を妨げたり、審判に対して暴言を吐くような選手、監督は退場にすることができる。まさに、審判は試合の主宰者だ。審判の権限は極めて強い。
なぜ、そうなのか?
判定すべき事柄がきわめて多く、しかも微妙だからだ。一球一球の投球のストライク、ボールの判定から、ファウル・フェアの判定、ノーバウンド・ワンバウンドの判定、アウト・セーフの判定。審判は、これを瞬時で判定して白黒をつけていかなければならない。
いずれともつき難い微妙な状況は、無数に発生する。一つ一つの状況で、有利不利がわかれてくる。両軍は文句をつけようと思えば、いくらでもつけることができる。しかし、それでは試合進行ができない。だから、審判の判定は絶対的なものになっているのだ。両軍は、審判の判定を絶対的なものとする合意のもとに、試合を行っている。
我々は、ストライクは、打者が投球を空振りするか、2ストライクまでにファウルをするか、所定のゾーン内のボールを見逃すかしたときに与えられると思っているが、厳密にはそうではない。試合中に、審判が「ストライク」と宣言したボールだ(ファウルや空振りの時には、宣言は省略されているが)。
本塁打も、我々は柵越えをすればホームランだと思うが、本当は審判が「本塁打」と判定して、そのジェスチャーをしたものだけが本塁打なのだ。
審判に対して絶対的な権限を与えるのは、野球というゲームを円滑に進めるうえで不可欠だ。野球という競技の大前提と言っても良い。
残念ながら、日本ではこの大前提が軽視されることが多い。かつては審判の判定に対する暴行事件がいくつも起こった。中には傷害罪に問われるほどの暴行を与えたケースもある。日本では、審判は選手や監督に尊重されない。審判の地位が低い。
なぜそうかというと、選手上がりの審判が多く、審判が選手や監督など野球人の序列に組み込まれているからだ。
NPBでは野球選手上がりの評論家たちは、審判に敬語を使わない。NPBで大いなる実績を残した彼らは、審判を下に見ている。NPBでは審判は「裏方」であり、スタッフなのだ。
MLBの審判の多くは、野球選手とは無縁に採用される。野球人の序列とは別である。独立性が保たれている。そしてその権威をすべての野球人は尊重している。1997年、マイケル・デュミロというMLBの審判が人事交流でNPBのセリーグで審判をしたことがあったが、当時の中日の選手に暴行を受けて2か月で帰ったことがあった。NPBとMLBの審判の地位の「段差」を示す例である。
長々と審判について述べてきたのは、日本シリーズの例の「誤審」が、野球のルール上は何ら問題がないジャッジだったことを再確認したかったからだ。
柳田球審は、日本ハム多田野数人が投げた球が、加藤進の頭部付近に接触したとして「死球」と裁定し、多田野には危険球を投じたとして退場を命じた。野球的な事実はこれだ。
映像を見れば、多田野の投球は加藤に当たっていなかったが、現行の野球ルールでは審判の判断が最終的な結論なのだ。野球的には「映像が間違っている」のだ。
この前提を崩すような議論は、「野球」という競技そのものを脅かしかねない。プレーのジャッジが、審判の最終判断ではなく、VTRなどの機械に委ねるとすれば、審判は試合の主宰者としての権威を失うことになる。それでも良いのか。ということだ。野球という微妙なプレーの積み重なりで成り立っているゲームを、人間以外のものに判断させることが可能なのかどうか。
たった一つのミスジャッジをとらえて、審判の適格性の議論をするのは、不条理だと思う。彼らは毎試合300球近い投球の判断をし、54のアウト、20前後のセーフの判定をしている。そして試合を円滑に進行している。しかし、彼らを正当に評価する人はほとんどいない。


「審判の誤審が多い、しっかり見てほしい」というクレームは、近年、球団や選手会から審判部に頻繁に寄せられている。審判部もこうした意見を受けて勉強会や研修を行っている。
しかし、誤審についてのクレームが増えたのは、恐らくは「審判の劣化」が原因ではない。すべてのNPBの試合が試合開始から終了まで、VTRで録画され、プレーの一つ一つまで検証することができるようになって、物理的な「誤審」が発見されやすくなったことが大きいと思う。「誤審」が増えたように思うのは、その「証拠」が多数上がるようになったからだ。
昔に比べて、審判の能力が劣化したと断じる根拠はない。恐らくは「進化」している。
審判の研修では、VTRを導入してプレーの動きを解析するようになっている。また、すべてのプレーが映像化されることに対応して、審判のアクションもより明確になってきている。併殺のように、かつては一連の流れの中でジャッジしてきたプレーも、ポイントを押さえるようになってきた。
それでも「誤審」は起こる。目の前で起こったプレーを瞬時に判断するのは、それくらい難しいのだ。そのことを我々は理解しなければならない。
ミスジャッジはあってはならないとは思うが、必ず発生する。絶対に無くならない。そのことも理解すべきだと思う。
審判部の体制や、その人材登用に問題なしとするわけではない。かつての年功序列型はなくなったものの、審判の起用には問題がある。重要な試合の審判は、特定の人に偏っている感もある。かつてはMLBよりも優秀だと言われた技術面も、今は優位性があるとは思えない。縁故的な採用が続いていることも問題だ。
しかし、だからと言って審判部を全否定する材料があるわけではない。
時代の趨勢としてVTRの導入は致し方ないかもしれないが、これを監督の「クレームの機会」にしてはならない。円滑な試合進行を妨げるからだ。また、VTRを見て判断するのは審判だけが行うべきだ。最終的なジャッジは審判が行う。その前提は確保すべきだ。
今回の「誤審」事件を機に、審判の技術的な進化が促進されるべきだとは思う。
それでも「誤審」は起こる。しかし、たとえ誤審が起ころうとも、審判の権威はいささかも揺るがない。それが野球というスポーツだ。
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なぜ、そうなのか?
判定すべき事柄がきわめて多く、しかも微妙だからだ。一球一球の投球のストライク、ボールの判定から、ファウル・フェアの判定、ノーバウンド・ワンバウンドの判定、アウト・セーフの判定。審判は、これを瞬時で判定して白黒をつけていかなければならない。
いずれともつき難い微妙な状況は、無数に発生する。一つ一つの状況で、有利不利がわかれてくる。両軍は文句をつけようと思えば、いくらでもつけることができる。しかし、それでは試合進行ができない。だから、審判の判定は絶対的なものになっているのだ。両軍は、審判の判定を絶対的なものとする合意のもとに、試合を行っている。
我々は、ストライクは、打者が投球を空振りするか、2ストライクまでにファウルをするか、所定のゾーン内のボールを見逃すかしたときに与えられると思っているが、厳密にはそうではない。試合中に、審判が「ストライク」と宣言したボールだ(ファウルや空振りの時には、宣言は省略されているが)。
本塁打も、我々は柵越えをすればホームランだと思うが、本当は審判が「本塁打」と判定して、そのジェスチャーをしたものだけが本塁打なのだ。
審判に対して絶対的な権限を与えるのは、野球というゲームを円滑に進めるうえで不可欠だ。野球という競技の大前提と言っても良い。
残念ながら、日本ではこの大前提が軽視されることが多い。かつては審判の判定に対する暴行事件がいくつも起こった。中には傷害罪に問われるほどの暴行を与えたケースもある。日本では、審判は選手や監督に尊重されない。審判の地位が低い。
なぜそうかというと、選手上がりの審判が多く、審判が選手や監督など野球人の序列に組み込まれているからだ。
NPBでは野球選手上がりの評論家たちは、審判に敬語を使わない。NPBで大いなる実績を残した彼らは、審判を下に見ている。NPBでは審判は「裏方」であり、スタッフなのだ。
MLBの審判の多くは、野球選手とは無縁に採用される。野球人の序列とは別である。独立性が保たれている。そしてその権威をすべての野球人は尊重している。1997年、マイケル・デュミロというMLBの審判が人事交流でNPBのセリーグで審判をしたことがあったが、当時の中日の選手に暴行を受けて2か月で帰ったことがあった。NPBとMLBの審判の地位の「段差」を示す例である。
長々と審判について述べてきたのは、日本シリーズの例の「誤審」が、野球のルール上は何ら問題がないジャッジだったことを再確認したかったからだ。
柳田球審は、日本ハム多田野数人が投げた球が、加藤進の頭部付近に接触したとして「死球」と裁定し、多田野には危険球を投じたとして退場を命じた。野球的な事実はこれだ。
映像を見れば、多田野の投球は加藤に当たっていなかったが、現行の野球ルールでは審判の判断が最終的な結論なのだ。野球的には「映像が間違っている」のだ。
この前提を崩すような議論は、「野球」という競技そのものを脅かしかねない。プレーのジャッジが、審判の最終判断ではなく、VTRなどの機械に委ねるとすれば、審判は試合の主宰者としての権威を失うことになる。それでも良いのか。ということだ。野球という微妙なプレーの積み重なりで成り立っているゲームを、人間以外のものに判断させることが可能なのかどうか。
たった一つのミスジャッジをとらえて、審判の適格性の議論をするのは、不条理だと思う。彼らは毎試合300球近い投球の判断をし、54のアウト、20前後のセーフの判定をしている。そして試合を円滑に進行している。しかし、彼らを正当に評価する人はほとんどいない。
「審判の誤審が多い、しっかり見てほしい」というクレームは、近年、球団や選手会から審判部に頻繁に寄せられている。審判部もこうした意見を受けて勉強会や研修を行っている。
しかし、誤審についてのクレームが増えたのは、恐らくは「審判の劣化」が原因ではない。すべてのNPBの試合が試合開始から終了まで、VTRで録画され、プレーの一つ一つまで検証することができるようになって、物理的な「誤審」が発見されやすくなったことが大きいと思う。「誤審」が増えたように思うのは、その「証拠」が多数上がるようになったからだ。
昔に比べて、審判の能力が劣化したと断じる根拠はない。恐らくは「進化」している。
審判の研修では、VTRを導入してプレーの動きを解析するようになっている。また、すべてのプレーが映像化されることに対応して、審判のアクションもより明確になってきている。併殺のように、かつては一連の流れの中でジャッジしてきたプレーも、ポイントを押さえるようになってきた。
それでも「誤審」は起こる。目の前で起こったプレーを瞬時に判断するのは、それくらい難しいのだ。そのことを我々は理解しなければならない。
ミスジャッジはあってはならないとは思うが、必ず発生する。絶対に無くならない。そのことも理解すべきだと思う。
審判部の体制や、その人材登用に問題なしとするわけではない。かつての年功序列型はなくなったものの、審判の起用には問題がある。重要な試合の審判は、特定の人に偏っている感もある。かつてはMLBよりも優秀だと言われた技術面も、今は優位性があるとは思えない。縁故的な採用が続いていることも問題だ。
しかし、だからと言って審判部を全否定する材料があるわけではない。
時代の趨勢としてVTRの導入は致し方ないかもしれないが、これを監督の「クレームの機会」にしてはならない。円滑な試合進行を妨げるからだ。また、VTRを見て判断するのは審判だけが行うべきだ。最終的なジャッジは審判が行う。その前提は確保すべきだ。
今回の「誤審」事件を機に、審判の技術的な進化が促進されるべきだとは思う。
それでも「誤審」は起こる。しかし、たとえ誤審が起ころうとも、審判の権威はいささかも揺るがない。それが野球というスポーツだ。
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コメント
コメント一覧
>映像を見れば、多田野の投球は加藤に当たっていなかったが、現行の野球ルールでは審判の判断が最終的な結論なのだ。野球的には「映像が間違っている」のだ。
やはり気になるのはこの部分です。
試合中に結論を覆すことはできません。ですから、誤審の発生する余地はあるわけです。ですが、後日、それが誤りだったと認めることはできるはずです。
MLBの話を引き合いに出すならば、先日のプレーオフでもあったはず。黒田の好投が報われなかったあの試合で、塁審はのちに誤審を認めています。ですが、それで審判の権威が損なわれたという話にはなりません。
私が問題だと思うのは、そのような誤審があった際に、審判がどのように何を改善していくのかを、外部に発信する機会が足りないように映ることです。極端な言い方をすれば、審判が何も対策をとっていないように映ってしまう。だから、ビデオ判定がどうのと議論が一足飛びに進んでしまうのです。
また、選手や監督の側も、優れたジャッジに対しては敬意を持ち、優秀な審判については、選手を表彰する場で表彰することを働きかけていくべきです。
要は、お互いの歩み寄りがなさ過ぎることが問題なのです。それが審判の権威を貶めている最大の要因です。
そもそもNPBは「審判の権威」を擁護しているのでしょうか。それが見えません。
例えば、TV中継の解説やゲストに元審判の方を呼んで、瞬時の判定の難しさや、非常に細かいルールについてわからない「大多数の視聴者」に対して、レフェリングの観点から解説をしてもらう。現在の解説者でもレフェリングについての言及はありますが、元審判の意見というのはやはり説得力や見方が違う部分があるかと思います。
それによって、なぜ誤審が起きるのか、起きやすい場面はどういう時なのか、そうしたことを視聴者が知ることにより、主に感情論や無知からくる「審判の権威」の否定を軽減できるのではないでしょうか。
TV局がやれないのなら、NPBが審判のインタビューを作って動画を公開するなり、せっかくパ・リーグチャンネルというyoutubeのコンテンツがあるので、「レフェリングについて」語るコーナーを設けてもいいでしょう。
NPBの全体的な印象もそうですが、審判部も含めて、権威という言葉から「俺たちがやるんだから外野は黙って受け入れろ」という印象を受けます。
そして、広尾さんの文章からも、「難しいんだから=受け入れろ」ということに収束してしまっていて、改善すべきところがあるのか、あるとすればどういう部分なのか、そのために何をすべきなのか、というところをもっと掘り下げてほしかったです。その必要はない、と言うのであれば仕方ありませんが。
もちろん、前提としては当然審判が絶対でありそうでないとジャッジが成り立たないという面はありますが、NPBや審判部はそのジャッジについて周知してもらう機会を果たして作り出しているでしょうか。その努力をしているでしょうか。どうにも(目に見える形では)そうではない、という印象を受けます。
・何故「誤審」が生まれたのかの検証。
・今後、同様の「誤審」を生まない為にはどうするべきか。
の二点だと思います。
個人的には一刻も早くVTR導入をするべきだと思う。
『アンパイアカメラとしてバッテリー間を撮影して、今回の様な重要な判定を下す際の一助として確認を設ける。』
コレだけで今回の「誤審」は防げたと思います。
巷でMLBより権威が低いと思われているNPBの審判だからこそより「誤審を無くす」努力・環境整備を推進する義務がある。
NPBには今回の一件を機にNPB発の審判改革として今の時代に合った、VTRを含む新たな審判モデルを提案して欲しいですね。
そうする事により、NPBの審判の権威が損なわれるとは思えないし、更に信頼性が高まるものだと思いたい。
とにかくこの一件をただの『よくある誤審』で終わらせてはいけないと思います。
NPBがより魅力的なコンテンツに成長する為にはどうするべきかを真剣に議論して頂きたいですねぇ。
いまだに中立に立つ審判の盾になるモノがありません。
審判なんだから、ミスをしてはいけない、とのたまわった監督もいました。
今回の日本シリーズの件にしても、第三者が騒ぎを大きくしているように見えます。
共感しました。
解説で審判の方が出てきてくれたら、その放送には非常に興味が持てます。
テニスにはチャレンジという制度があるので、それをNPBにも用いるのはどうなのでしょうか。
テニスでは確か2回くらい微妙な判定をビデオ判定に求める権利が各選手に与えられていたと思います。
野球で同じように1試合に2回も権利を与えてしまうと、それこそ審判の権限や円滑な試合進行に支障をきたし、しょうもない判定に用いられてしまうので、シーズンに5回程度の権利行使の機会を与えます。
そもそも試合を左右するような微妙な判定はシーズンに何回もないと思いますし、こうすることで審判のジャッジも精度を増すのではないかと考えています。いかがでしょうか。
今シーズンの戦いについては書いてないでしょうか?
いろいろ探しましたが、見つかりません。
ここのブログ(?)非常に重くて、表示に時間がかかりますし。。。
恒例のレビューはNPB,MLB42球団について、11/10頃から始める予定です。
重たいのは、表が多いからでしょう。
Googleからも怒られています。ご迷惑をおかけします。
相手チームが誤審も野球のうちと言うならともかく、当事者が言うべきことではないでしょうし、ファンがそれを認めてしまっては終わりでしょう!?これだから野球って前に進まないんですよ。そりゃ良くなるわけが無い。ファンも離れていくし人気が向上するわけが無いですね。
誤審を「犯罪」と同一視するのは、間違っていると思いますよ。
人間が行っているわけですから。それも「野球」の一つの要素として容認しないと。
それとファンはなれとは無関係でしょう。
誤審の無いスポーツって、私には思い浮かばないんですが。
NPBのファン離れはこういった一つ一つの積み重ねだと思いますよ。何事もただ一つの理由で全て説明できるモノは無いと思います。私もかつては野球少年でしたが嫌気が指してNPBはあまり見なくなりました。様々なブログなどを見てると野球ファンも嫌いな人もNPBの問題として挙げていることはほぼ同じです。改善される兆しも無いですし、これではファンが転じて嫌いになっても不思議ではないと思いますね。
NPBに関する問題点については、このブログでも100回以上にわたって書いています。
大きな問題だとは思います。
しかし、審判部の技術的な問題は、全く異なると見ています。
関連性はありますが、私は別個の問題だと認識しています。
柳田主審の件の判定が、果たして担保している範囲内なのか、そうでないのかによって、評価が大きく変わってくるように思います。
加えて、思ったのは、全ての誤審を一緒くたに語ると議論のミスリードを起こしかねません。
なかなか線引きは難しいとしても、防げる誤審プレーと防ぎにくい誤審プレーに大別して考えてみては、いかがでしょうか?
必然的に、技術向上と機械導入の分岐点がおのずと見えてくるはずです。
鯨ファンさま
関連エントリーのコメントでも触れました、AAAの審判を努めた平林さんのブログは、読んでいて興味深い話が多くて面白いですよ。
日米の審判を知る彼の経験は貴重だと思います。
ご参考までに
http://old-rookie.aspota.jp/
広尾 晃さん失礼なことを言ってしまい、すみませんでした。
大豊が、判定に不満で強く抗議しただけだったと思いますが・・・
それに、恐怖を感じて、彼は帰国したと思います。
趣旨からは外れますが・・・
厳密に言えば大豊が暴行をし、星野以下中日の選手らがデュミロを取り囲んだわけですね。修正します。有難うございました。
この件に関しては、広尾さんの言わんとしていることは前のエントリも本エントリも理解ができるところです。
ただ、エントリでも触れられていますが、本塁打のみ行われているビデオ判定をもっと広げていくべきでしょう。一塁線、三塁線のフェアか?フェアでないか?や、今回のような死球、危険球のときは導入していくべきと強く感じるのです。
日本シリーズという大舞台で発生したこと、あれで流れが変わったのやもしれずと思うファンが多いことなどで「世紀の誤審」と報道されていますが、
私にとっての「世紀の誤審」はこれ↓
中畑監督あ然…ビデオ判定も画面小さく“本塁打”確認できず
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/20/kiji/K20120520003285940.html
誤審を防止するため導入されたビデオ判定が、チェック用のモニターがお粗末で結局判別できず、結果、誤審になってしまったなんて、悲劇通り越して、もはや喜劇ですな。
ところで、MLBではPitch f/xの導入で、球審の誤審は減ったのでしょうか?
人間がやるからこそ野球は面白い。それは審判も含めて野球なんだという思いを新たにしました。
行事に権威がないとは、どういう根拠でおっしゃっておられるのかわかりません。立行司は付き人がついて、大関横綱と同じ扱いを受けます。今はなれませんが、かつては行司も親方になれました。木村瀬平、式守秀五郎がそうですね。
行司の判定システムとは、何をさしておっしゃってられるのでしょうか。
理想論として先進の判定システムという方向性もあるでしょうが、現実的ではないと思います。また、私はそれが導入されるのなら、もう野球は見ないだろうと思います。
ただ、主審が自分の判断は正しいと意固地になるのか、正確な判断をするために機器を利用するのか?という判断に使うだけの話。
人間性の問題ですね。
で、日本Sの誤審の件ですが、やっぱり自身の判断を歪めてしまった柳田球審は審判の権威を貶めたと私は思います。自ら権威を放棄し、読売の経営するジャイアンツの監督の抗議にのってしまった。そうとしか映らない。
そうならないためにも逆に機器の導入をする方がいいと私は思います。
サッカーでは、ボールにチップを埋め込んで判断するとか(うまくいってないような気がしますが^^;)、いろんなことを考えてます。他の競技でもそうでしょう。
これだけ審判の権威という言葉に護られて、先進的なことを取り入れようとしない競技は....落ちぶれるんじゃないかな?
審判の劣化(=”=)ウゥム 審判全体としては問題ないと思いますが、個々では技術力に劣る審判もいるように感じます。誰とは言えませんが...誤審連発するようなら、個別に考えないといけないでしょう?そのためにもVTRでの検証は必要。拒否するのは既得権益を守ろうとする姿勢とかぶります。
MLBと同じようにファーム組織や独立リーグ、高校野球などで確かな実績を残した審判だけNPBの審判にするという流れにすればいいのにね。審判の育成も必要ですよ。
「行司軍配に権威がない」とは、それが最終的な判定にはならないという意味です。
因みに、野球に限らずどの競技でもそれを興行とするかぎりは常に判定システムの進化を図るべきと考えます。プレーの質も大きく進化しているのですから。劣悪な判定システムが原因で興行として凋落して行くのが現実路線だとしたら悲しすぎます。
私は、審判の誤審が、野球人気に与える影響はそれほど大きくないと思います。NPBはマーケティングの何たるかを理解していないので、じり貧ではありますが。
少々のこと(判定)でもそんなの関係ねぇー♪
ちょっと高めをストライクを言われても要はヒット打ちゃあいいんです。
だ・か・らぁー、
基本的に一回出した判定を覆すな。とルールブックに書いている。
もし覆すことがあったとしてもそれが最終ジャッジメントだと書いてる。
審判の人たちはトレーニングによってそれを教育されている。
ルールを頑なに遵守しているのであって
一回出した判定を頑固に押し通そうとしているのではない。
目指している若者は、できるだけあこがれのプロと同じルール/環境でやりたいでしょうねぇ。
その競技で飯を将来食いたいなら尚更。
(どうする?アマ野球のカメラの設置は。コスト的に無理ちゃう?)
裾野で目視。野球のレベルが上がってカメラ判定って???
審判技術のピラミッド形成にもなりゃしない。
はい。機械に頼ったら人間的なスポーツで無くなるという問題ですね。
歴史上1度の判定を機械がやるなら私もbaseballを観なくなると思います。
ポストシーズンの黒田登板のときの2塁アウト、セーフ。
NYYの監督も審判の敬意からコメントしていたよ。
判定システムを改善すること、少なくともそれに対する意欲を示すことは、チーム間の戦力均衡策と並んでマーケティングの一大要素と考えます。
実際に最近の投高打低の傾向は興行成績に少なからぬ影響を与えていると思いますが、そこには判定システムの変更が絡んでいるのでは?統一球のことばかり取り沙汰されますが、セ・パのストライクゾーン統一を図ってゾーンそのものを広げてしまったのが問題なのではないでしょうか?
そもそも、ルール上「ファウル」判定後に「デッドボール」をアピールすることが認められるものなんでしょうか?
更に「デッドボール」判定後に「ファウル」だとアピールすることは認められないのでしょうか?
細かいルールには疎いので、どなたか教えていただけたら幸いです。
もしも、プレイヤーが不当にアピール権を濫用したり、審判がルールを厳格な運用をしない状況であるならば「審判の権威」というものは元々なかったのだ、という事になりませんか?
統一球と並んで、ストライクゾーンの変更はNPBの野球を変えたのは事実ですが、審判は適切にジャッジしたと思います。現行の判定システムは正常に機能していると思います。だからこそ、これだけSTATSが変わったのでしょう。
記事を読ませていただいて、内容は大筋で大変納得できるものでしたし、深く頷くところもありました。
特に後半の「物理的な「誤審」が発見されやすくなったことが大き」く、故にクレームが増えたという分析は個人的にも前々から思っていたことであり、そのような指摘はもっともだと思います。
しかし今回の誤審の件について問題と感じるのは、おっしゃるような誤審そのものよりも、球審の判定が一度簡単に覆ったことにあるのではないでしょうか。
日本ハムの捕手鶴岡選手によれば、球審は最初ファールの判定を下したと証言しています。それが原監督の抗議を受けて死球に変更したそうです(映像によれば加えてバッターボックスに立っていた加藤選手が、球審に対して証言しているように見えます)。
一度球審自身の下した判定を監督の抗議により覆したこと、さらにその判断に誤りがあるとして再度抗議を行った相手監督(栗山監督)の抗議を退けたこと、個人的にはこの点が問題ではなかったかなと思いますし、またこの記事のタイトルに反しますが「審判の権威は貶められた」と感じます。
よく言われるように、プレーをもっとも間近に見ているのが審判ですし、その審判が自ら下した判定は簡単に覆ってはならないでしょう。
それを覆すのであれば、他審判との協議や、ファン目線から見ても公平といえるような事実の究明をする姿勢が必要なのではないしょうか。
審判員の権威が保たれるためにも、選手から見てもファンから見ても、それが揺るがない審判員の姿勢が大切ですよね。
1.頭部付近の投球に対し、即座に両手を広げて「ファウル」のゼスチャーを行なう。
2.そのまま新しいボールを鶴岡に手渡し、次のプレイを始める為に捕手の後ろで待機している。
3.巨人軍が加藤を囲んでから、初めて加藤に駆け寄り協議を始める。
4.当初の「ファウル」の判断を改めて「危険球」を宣告する。
※試合後に柳田球審は「ヘルメットに当たったと判断した」と説明した。
一視聴者として疑問なのは、何故当初の自らの「ファウル」の初見を捨てて「危険球」と変容したのか?
これではヘルメットを指差した加藤のアピールをそのまま受け入れた形でしかありません。
その3から4に至る判断材料が「加藤のアピール」だけなのだとしたら、厳しいですが彼は日本シリーズに出られるレベルの審判では無かったと思います。
NPB最大のイベントである日本シリーズで「大誤審」のニュースが流れてしまった事についてNPBは今一度考えて頂きたいですねぇ。
あの場面で柳田球審が、「ファウル」といったのか「hit-by-pitch」、はたまた「タイム(ボールデッド)」と言ったのかは判っておりません。すみません。覆したかどうかわかりません。鶴岡の声も。加藤の声も原監督の声も聞こえません。
ただ、TVの向こうで彼の両手が上がったので、ボールデッドになった。そのあと、柳田球審が(時間の経緯はあったにせよ)デッドボールと判定しました。
これだけやね。(危険球のNPB内規に照合は付随してきた)
私は素人目に、キャッチャーがボールを追っていないのでパスボールや暴投でないのだなと思いました。
ルールに詳しいわけではないのですが、私が知っている中身は、、
要は、審判の判定に対する抗議は禁じられているし、
審判が抗議で覆すことは禁じられていると思います。
監督がやっているのは抗議じゃなくて確認というもの。
(MLBでもそれが確認を超えて抗議になったらGet-Out!)
栗山監督がもし(汗)、
「確認だけど、投球後両手を上げたのは何の判定?」
→「Hit-By-Pitchです」
こうなればもうここまで。これ以上は確認ではなく抗議。
判定が終わっているので「バントスイングじゃないか」と言うのもダメです。
→「ファウルと言ったが、あの音はヘルメットとの接触」と覆すのもギリギリあり。
→「ファウルと判定したが、原監督の抗議でHbP」
これなら栗山監督は「貴方はルール違反をしている。その判定を受け入れられない」と食い下がれると思います。
柳田審判の対応は、ショボかったかも知れません。
けどG側抗議で覆してはいないと思います。
とにかく人間が精一杯視認をして出した判定です。
本件の当事者で彼が一番夜も眠れない日々を過ごしているでしょう。
これの反省を活かして研鑽を重ね頑張って欲しいです。
まっ、あとからスーパースローであれこれ言うのは誰でもできるわ。
そうしないと揺らがない、揺らいではいけないはずの前提、審判の威厳は簡単に揺らいでしまう。
今回の露骨な誤審で審判の権威はまた落ちてしまった感じます。
youtubeやテレビの高精細化で間違いの証拠が残りやすくなったという事実に対して何かしなくて良いのか、野球はそんな物と観客に理解を求めるだけで良いのだろうか、時代に合わせなくてよいのだろうか。今後もっと事実という証拠は強力に残るようになります。その時こういうものだから理解せよだけでいいのだろうか。
審判のその後の何も反省していないとも取れる発言も、よくなかったと思います。一般観客の心象は確実に悪かったでしょう。
今回の事件、多くの人にとってただただ不快だっただけで決して面白いなどとは思わなかった。
絶対的な権威が審判にあるからこそ、下がった権威はそのまま野球に対する不信となると思うんです。静かに人が離れて云ってしまう気がします、このままでは。
審判が手を広げると同時にファールのコールをすれば鶴岡は自身からファールのアピールをする必要がありませんよね。
巨人側の抗議で判定が覆ったと断定できるものではありません。
⇒野球の判定はちょっと慣れれば誰にでも勤まる簡単な作業です。
たぶんを野球をされたことがない方かと思いますが、あり得ないご意見だと思います。
草野球の審判をした経験から言っても、こんな難しい仕事はないと思いますが。
大相撲のビデオ判定とは次元が違います。
私見です。アメフトで採用されている
「チャレンジ」という制度を検討してはどうでしょう?
審判の裁定に異議を唱えるチームが宣言し、
VTRを使って再度、同プレーを精緻に検証する。
明らかな誤審と認められれば、審判が裁定を覆しプレー再開。
但し、裁定が覆れなかった場合、異議を申し入れた
チームが「故意の遅延行為を引き起こした」と見做され、
異議申入れチームにペナルティが課された状態からプレー再開。
ぜひ管理人様のご意見を伺いたいのですが、
いかがでしょう??
またスポーツの判定は厳正であるべきで、できる方法があるのにやらないのは怠慢なのではないでしょうか?いくつかの意見が出ているように、試合の遅延を防ぐ手立てはいくらでもあります。
私はストライク=ボールをセンサーが判定する野球がどうなるか見てみたいです。
貴サイトに辿り着きました。
で、前回エントリー「誤審も野球の内」ともども拝読しました。
的を得た素晴らしい記事ですね。本当にそう思います。
公認野球規則では、誤審というものは存在しないんですが
人が判断することですから、いつも間にか誤審という単語が一人歩きしているのでしょうね。
審判の方々は、大衆から言われなくても
日々技術向上に努めていることだと思います。
まあ、それが外野の我々には解り難い部分でもありますが。
なにわともあれ、ブクマさせて頂きました。
今後ともよろしくお願い致します。
では、いずれまた。
⇒判定行為の難易度は一般社会人のお仕事のレベルと何らかわりが無いと考えます。
そこのところが、全然理解できません。
単なる思い込みのように思うのですが。
日本にもアメリカにも殿堂入りをした偉大な審判がいます。100マイル近いボールを瞬時に判定する能力が、「一般社会人のお仕事のレベルと同様」と言われるのは、審判という職業へのの侮辱だと思います。
権威がなければ審判の存在の意味がありません。
審判は英語で言えば"JUDGE".
つまり球場における裁判官、判事なのです。
二者の争いごとを当事者同志で解決できない場合に裁判長に白黒を決めてもらう。
野球での審判も微妙な判定は例えば打者にとってはボールに見えるし、投手や捕手から見ればストライクに見えることでしょう。
これを当事者同士でどちらか決めてくれとやったら、何時間かかっても解決しないでしょうね。
最後は殴り合いになるのがオチで、試合になりません。
試合を円滑に進めるために「白黒」をその場で決めてくれる審判のありがたさを選手も監督もファンも噛みしめるべきです。
NPBの現状認識について、私とは異なりますが、危機感を抱くべきだということには同意します。
毎日更新しております。お付き合いください。
もちろん判定行為のレベルも競争次第でどこまででも向上し得るでしょう。審判志望者が何十万人も存在し、そこから激しい競争を経た数十人が選ばれるのであれば、その審判達の判定は金を払っても見に行くに値する素晴らしいものになるでしょう。草野球の審判をやってみて苦心した経験をもとに、それを難しい行為と判断するのは早計ではないでしょうか。誰であれどこか見知らぬ会社の特殊な業務をやってみれば始めはかならず難しいと感ずるはずです。私が判定行為の難易度が低いと申し上げているのは、選ばれたプレーヤー達の到達点と比較しての話です。
どこにでもいるサラリーマンの体験と、プロ野球の審判を同列に考えるところがようわかりまへん。
プロの審判になるのは、どれだけ難しいか。
選手が「ボールが見えなくなって」引退したりしますが、審判はどうなんでしょうか?
実際はどうなのか知りませんが、ライセンスの更新制度があれば、素人でも分かりやすい「威厳」がある程度担保出来るかと思います。
VTR判定もわざわざプレーを止めて確認。では無く、非公開で予備審判みたいな人を置いて、微妙な場面や明らかな誤審時に無線でコッソリ確認出来る様にしても良いかと思います。(あくまでも、周りにばれないように)
最後に、今は審判に対する抗議に時間制限がありますが、このせいで審判の判定に対する緊張感が薄れてきているのでは?と感じています。
以前は、微妙な場面には強面な監督から延々と怒鳴られたりする場面が良くありましたが、今はある程度聴き流して、それでも収まらないなら「退場」で終わりです。
今回も栗山監督の抗議中に塁審に促されてベンチに戻っています。
判定が覆ら無いまでも、「誤審をすると怒鳴られる」緊張感を持って判定して欲しいです。
0コンマ何秒で繰り広げられるモノを毎試合100回以上自分でジャッジをしなくてはいけない。
そしてその微妙な判定に対して監督や選手、ファンから文句を言われ続けるとても大変な仕事だと思います。
個人的に今回の問題を見てて感じたのは日本シリーズという大舞台だから反響が大きかったのもありますが
こういった問題でシステムや権威、モラルと言ったとこまで議論が繰り広げるスポーツは日本では野球くらいだなと。
以前サッカーのW杯予選で審判の判定や試合終了の笛を吹くタイミングが話題になりましたが
あの審判はおかしい間違っているという一方的な審判批判だけで
その判定や笛が正当化されてしまうサッカーそのもののシステムやルールついては殆ど議論はされて無かったと思います。
日本人にとって野球は昔から長い間身近なスポーツであり続けているからこそ
こういった議論が繰り広げられるのかなと思いました。
わかりました。百歩譲ってプロ野球の審判は一般のサラリーマンの平凡な業務よりかなり難しいことをこなしていると認めます。おそらく大工や左官の職人程度には難しいのでしょう。何年かの年季は必要でしょう。そうであったとしても、その技能をもって150k/hのボールを投げ込んだりそれを打ち返したりするプレーヤー達の技能とは比較のしようがないと考えます。
例えば、オーケストラの指揮者の存在価値と権威の源泉は、各演奏者と同等か或いはそれを凌駕する音楽性が指揮者にあるからで、そこには幸せな共同作業が生れ得る構造があります。スポーツ競技の場合は、競技者と審判の間に競技性の不均衡があるので不幸な誤認が常に生まれてしまうのでしょう。そのような不幸な関係は早く解消して別の方法を採るべきです。
世の中には審判を目指して厳しい競争を勝ち抜く人も、いるわけです。審判の方が野球選手よりも劣っているという意見には、全く同意できません。そこに立脚する意見も同様です。
それから大工、左官を見下したような言い方も、不愉快です。何を根拠に職業に優劣をつけておられるのでしょうか。あなたの価値基準がわかりません。
これ以上の議論は平行線で不毛だと思うのですが。
論理的な意見には論理的に、論理的でなくともきちんと何がどういった理由で分からないのか、また論点のどこがおかしいのか説明しないと、議論にならないと思うのですが。。。議論をするならする、しないならしない、で立場を明確にされないと、炎上するのではと危惧してコメントを申し上げました。余計なことと思いますが、ご容赦ください。
「職人が自分の仕事を芸事と履き違えたらまんまの食い上げだ」は父の言ですが、野球のプレーはファンの夢を体現する芸の極みです。なんびとであれそれを瀆すことは許されません。職人である審判と、芸事で生きるアーティストたる野球選手は大きく隔たった存在です。年季をつんでもそれを捌けない職人は、足を洗うしかないでしょう。
審判が誤審を映されたくないので禁止にしているのだ。
日本では確かに審判の権威が尊重されていないのは確かだし
それは是正されるべきである。
だけど選手監督の側に対し一方的にそれを求めるべきなのか?
審判団も歩み寄る努力をするべきなのでは?
自分の判定をビジョンで流す勇気もない人間に、権威など笑わせてくれる。
処分が嫌だから自分の心境良心に関係なく誤審を認めない
(否定すれば減給や降格がないという逃げのシステム自体問題)
今の審判は保身しか見えていない。
はっきり言って情けないと思います。
審判の権威などは考慮せずあらゆる技術力を使って正しい判定を出す。
その理想像を否定するわけではないですが誤審はスポーツの一部という認識は間違い、絶対にあってはならないモノで100%無くすような技術投入やシステム改革をするというのは無理だと思います。
どんなスポーツも真剣勝負ですが興行でもあります。サッカーのロスタイムからの試合終了時間は最終的に審判が決めますがはっきり言って曖昧で公平さはないしフェアなルールではないですよね。でもあの曖昧な感じがエンターテイメント性を生み出すのでああいったシステムが今でも存在するわけです。
審判の誤審問題に関してはアメフトのチャレンジは回数制限があり審判の誤審を上手くスポーツの一部に利用しているルールです。
審判のミス判定があるこそ生まれる面白さもスポーツにはありますし100%正しい精密な判定が出るようなシステムは費用や興行的な問題からして今後も無いと思います。
それと野球の審判は誰にでも勤まる簡単な作業という意見には否定ですね。150キロ前後~さまざまな種類の変化球を数十センチの枠内に入ったかを100回以上も正確な判定を求められる仕事が簡単なわけありません。
要は判定を皆が納得できるかって話。
でもまあここの主さんはもう頭が凝り固まって何かの審判宗教に入ってるみたいだから理解不能だろうけど。
審判だけがジャッジするなんて時代遅れです。
裁判にしてもなんでもそうでしょう?
あらゆる意見を聞いて判断する時代。
MLBがどうだからとかワケ分かりませんから。
私見ですが、今回の件は基本的には、
現状のジャッジシステムに問題はないと思っています。
VTRがあればいいんでしょうけど、人間の目と耳で
ジャッジすると言う事も必要だと思います。
自身で気になった事は、後日VTRで振り返って
明らかに誤審であった事を審判本人、もしくは
審判を管理している部署が認めて、以降は再発を防ぎます、
と総括をする事だと思います。
柳田さんが「自分の判断を信じます」と言ってそれきり。
これが多田野であったり、ファンが鬱屈を抱えたまま
整理がつかず次へ進めない要因だと思います。
ゲーム中の事は起きてしまった事はどんな事でも
ゲームが成立してしまった以上は仕方がありません。
全ての流れに「審判」を下してこそのジャッジの仕事ですし、
それには試合中には絶大な権力と周囲はそれに見合う敬意を持つべきです。
だからこそ、審判にはゲーム後には日が経ってからでも
「誤審」と言うと重い話になりますが、
審判のプレーミスを受け入れ、度量も持ち合わせてほしいと思います。
そして他の審判員と問題点や改善点を共有してほしいと思います。
この事は審判の威厳を貶める物でもないですし、
寧ろプレーヤー側も敬意を持って向き合えるのではないでしょうか。
審判本人が「間違ってました」と言うのは、
もしかすると、次の現場などでカドが立つかもしれないので、
ある程度選手目線で話のできるOBを
審判技術管理委員として擁立し、
そのOBが誤審対象の選手に対して
「次は気を付けるから今回は俺の顔に免じて許してよ」と頭を下げるのが
ある意味日本式で円滑に回らないでしょうか。
委員の候補を考えてたら達川辺りが適任かと思いついたんですが
「お前が言うな」と言われそうですね(笑
しかし、当の審判が「我は全てにおいて無謬である」という態度で動くから
そりゃおかしい、と感じてしまうのではないかと。
誤審も含めてこの試合を預かった運営全権はワシが握る!
誤審も含めて俺の責任の下にこの試合は進められる!
ってくらいの覚悟があればまだしも
俺は間違いを犯さないスペシャリストなので
俺に委せておくのが一番無難で安心だと思いませんか?
という感じのご機嫌伺い的な雰囲気が感じられてイヤです。
誤審犯したくらいでクビ切られるかも、って不安がって
ビビリまくってるから明らかな誤審でも「誤審じゃない」と突っ張って
さらに不信を招く。
とりあえず審判自身が、俺は無謬、という態度を捨てるところから
始めたらいいと思いますけど。
後から見たら誤審だったね、けど俺は俺の判定に自信と覚悟を持っている。
そうでなければ試合を預かるなんて重責は担えない。
コレくらい言ってくれるとむしろスッキリしますけど、
あからさまなミスでもミスじゃない、と強弁されれば白けるでしょう。
iyonenさんは、審判の仕事は「サラリーマンの仕事程度」あるいは「職人並み」だ。だから、審判の仕事は、機械を導入し、新システムにすれば代替可能だ、とおっしゃっておられます。
私は、審判の仕事も野球選手のプレーと同様、高度なものであり、機械での代替は不可能だという立場です。個人的には、そんな野球は見たくないと思います。
そのことを延々と申し上げたつもりです。立場も明確で、感情的でもないし、論理的だと思っているのですが。
⇒審判が誤審を映されたくないので禁止にしているのだ。
そうなんですか?初耳ですが。
こういう極端な断定をされる方が多いですが、ちゃんと読んでいただいているのでしょうか?
判定の納得性の話には全く触れていないのですが。
審判部の体制には、問題点はあると思います。開かれていないし、コミュニケーション力も弱い。情報発信をしっかりしていくべきだと思います。
審判のコメントに世間がほとんど注目していないことも大きいと思います。権威だとは思われていない。
昔のように殿堂入りする審判はもう出ないのではないかと思います。
遅くなりましたが、解説ありがとうございます。
古都金魚さん、補足ありがとうございます。
納得できました。テレビ実況や新聞報道、ネットの記事とか鵜呑みにできませんね。確かにこの目で見ている事ですら、真に理解できているとは限らないのですから。
ならばこそ、そもそも「審判の権威」などというものは無いのだと思います。そこにあるべきものは、プレイヤーと審判が互いの立場を尊重しあい、共にゲームを創っていくのだという「対等な信頼関係」だと思います。
◆巨人3―2中日(12日・東京ドーム)
巨人の6回攻撃前に、一塁ベンチ前で原監督と審判団が話し合いを行う場面があった。
その直前の守備で、長野が三塁走者を本塁で刺すシーンがあったが、その場面がすぐにオーロラビジョンに映し出されたことに、審判団がクレームをつけたと見られる。
微妙な判定だったため、混乱を招くとして、判定に関わる映像の使用自粛を主催者の
巨人側に求めたもよう。巨人側はNPBと今後の対応を話し合う。
http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20120412-OHT1T00328.htm
この件があって以降オーロラビジョンでのリプレイ放映は自粛になっているはずです。
東京ドーム側としては長野の好プレーを映したかっただけなのに。
なるほど。
誤解を招くかもしれませんが、審判のその措置はまっとうだったと思いますね。
誰でも誤審をする可能性があるとして、審判が主導権を担保するためには必要な措置でしょう。
微妙な判定のリプレイを流し続ければ、野球はできなくなるでしょうね。
審判を止めて、ビデオ判定をジャッジの代わりにするのならともかく。
VTRの問題は難しい問題だと思いますね。野球を選手、審判のものから、観客席のものにしてしまう可能性があります。
先日BSで放送(再放送?)された大リーグの「知られざる審判の伝説」
は面白かったです。アメリカ人の審判の権威とリスペクトがよく伝わってきました。何より大リーグの審判ってかっこいいんだよね。
抗議してくる監督に足で線を引いて「この線に入ったら退場たぞ」って太っちょの審判のセリフはしびれますねぇ。
「俺は生涯一度も誤審をした事が無い」とかね。ウソつけってつっ込みたくなるけど。
日本の審判も「うるせぇ俺がルールブックだ」ぐらい言えばいいのに。
誤審を楽しむ余裕が今の日本にはないのかなぁ。
野村克也
広澤克実
桑田真澄
槙原寛己
司会 爆笑田中
「あの危険球退場、最大の問題は何でしょうか?」
野村克也
「アカデミー賞ものだね。
名演技賞、当たってないじゃないの。
スローで何回も見たけど、全然当たってない。」
司会
「で、問題はどこに?」
野村克也
「審判ですよ。
誤審だわ、完璧な。」
広澤克実
「まぁあの誤審もありますけど、野球選手の中で法律もルールにも違反していません。
だけどやっちゃいけないモラルやマナーが野球界にはあるので、しかも日本シリーズという舞台でコレをやってしまうと色んな人が見てるので、子供達も見てるだろうし、あまり印象的には良くないですね。
レギュラーシーズンならともかく、日本シリーズではやって欲しく無かったですね。」
桑田真澄
「僕は、加藤君はアレで良かったと思うんです。
小学校時代から教えられた事をやっただけだと思うんです。」
司会
「それはどういう事ですか?」
桑田真澄
「今の時代って当たって無くても、当たったフリして出るのがナイスプレーって褒められるんですよね。
でも振り返って見ると本来日本の野球って、セーフでも僕はタッチされたからアウトですと自己申告していた。
嘘をつく、騙すとは非常に卑怯な事だと。
それが時代と共に相手や審判を騙す事がナイスプレーに今の野球界はなっています。」
続く
「何故そうなってきたんでしょうか?
ソレは良い方向とは思わない?」
桑田真澄
「ビデオが無い時代はよかったんですけど、今は何でも直ぐに見れますから。
僕はコレが凄く良かったのは、コレをキッカケにして、野球界は変わるべきだと思います。
やはり、そういう卑怯な事はしてはいけない、マナーやモラルを大事にしながら野球をしなきゃいけないと。」
野村克也
「HRだけビデオ判定じゃなくて、こういうのはビデオ判定を入れたらよいと思うけどね。」
司会
「ビデオ判定をどこまで入れるのか?」
槙原寛己
「加藤はあの後ブーイングを浴びたりする。
Twitterやらの時代だからビデオ判定は日本シリーズに限りOK。
加藤がとった行動に関しては普通だと思う。」
広澤克実
「正力松太郎さんが聞いてたら、泣くよ。」
見ていました。根が深い問題だと思いました。
審判についてみんな軽く見ているなと思いました。
やはり皆プレーヤー、それも超一流だから審判に対しては「軽く」見ているのでしょうかね。
まぁテーマがそもそも「誤審」ですから仕方ない部分もあるかも…。
>>涼木 さん
私が感じたのは「巨人の抗議」とは全く無関係な部分です。
あのプレーにおいて当初の柳田球審の態度は「危険球」のものではありません。
彼は「危険球」という本来打者の安全を守る為に設けられた裁定を下す際に(柳田球審が本当に当たったと確信していたなら)被害者である倒れ込んだ加藤に即座に駆け寄りもしなかったのです。
これが何を意味するかと言うと、球審が即座に打者の安全を守る為に「危険」と判断しなくても、しばらく経ってから「あの時危険だった」という裁定を下せると示してしまった訳です。
「危険球」の解釈を見直す裁定になるかと思います。
ここがよく分からないです。
VTRが使えるのなら、それをクレームに使うことがなぜいけないのでしょうか?
それも審判の「権威を守るため」ですか?
映像を使ったクレームを受けるくらいで、権威は傷つかないと思います
『審判員の権限のもとに規則書に従って行う競技』とあります。
その審判員は、目視で判断、裁定、宣告を行っているわけです。
トレーニングを受け死角をできる限りなくしたマニュアルの下、一番近くの人間が目視(丸腰)したことを即座に判定せよ。です。
審判はVTRのような武器を持っていないのです。
プレイが終わってスーパースローで以って「マチガイだ!」というのも野球の楽しみ方のひとつかもしれません。
ただ審判員(反論できない丸腰の人)に、「自分の判断が正しかったと信じる」これ以外、どんなコメントをお求めでしょう?
審判部でおそらく、原因調査/対策/今後の訓練はなされていると思います。彼らもプロですから。前述の通りイレギュラーバウンド(これも野球)も今後も無くならないでしょう。グランド整備の人は出来るだけこれを無くそうと努力するよね。
今年、マニエルとやりあったボブ・デビットソンは謹慎数試合を食らってます。これはおそらくマジ誤審(審判がルール違反)をやらかした。→悪送球がボールデッドゾーンに。そのあと走者進塁テイク2をテイク1に。
(ダルビッシュが投げて2時間位雨中断した試合の初回だったような?)
貴重な情報を頂きありがとう御座います。残念ながらその番組は見ていないのですが、KAさんの引用からだけでも、流石は桑田真澄と感じます。彼が野球を語るときの精神的なバックボーンの高潔さに常々感心させられます。野球はもちろんクリケットとは異なる発展を遂げたスポーツですが、イギリス紳士がクリケットに於いて「エティケット」に求める価値感は日本人には良く理解できるのではないでしょうか。フェアープレーをしないと思われるぐらいなら死を選ぶ精神の構えがクリケットの基盤になっているとイギリス人が語るのを聴いた事があります。野球はもちろん紳士のスポーツたるクリケットの対極に位置する大衆スポーツなのでしょうが、時を経てそこに侍の流れを汲む日本の精神文化が影響を与えることが出来たら素敵だと思います。審判を軽んじるかどうかという問題ではなく、最高のフェアープレーが繰り広げられる場を、関係者全てが最大限の敬意を持って尊重するという方向に進んでもらいたいものです。
「でも振り返って見ると本来日本の野球って、セーフでも僕はタッチされたからアウトですと自己申告していた」
どのくらいさかのぼった時代のことを仰っられてますでしょうか?
またそのとき審判員は、セーフをアウトの判定に覆したのでしょうか?
貴方様の発言は多くの人に影響を与えます。
次の野球界を背負ってほしいと願っている私なんぞは、「そんな時代もあったのか、野球侍はかくあるべき、アウト/セーフに審判不要だなetc.」と勘繰ってしまいますが如何でしょう。 敬具
桑田氏が自己申告したかもしれないのは、もちろん時代の違いではなく人間の資質としての差でしょう。ちゃかすべき対象ではないと思います。
野球場は遊郭や寄席、江戸の相撲場所などの悪所の流れを汲む大衆的な娯楽場であることは確かです。数多のひと・もの・ことが渦巻きます。しかし、そこに筋金入りのフェアープレーが展開されるとき、高みに至るなにかか生まれもします。偉大な横綱や野球選手達を畏敬の念を持って見つめ、愛してやまないファンが何世代か続けばそこに新しい文化が生まれるでしょう。「審判の権威」という演出も悪くない野球周辺文化なのかもしれませんが、所詮は方便。高い資質のプレーヤーばかりであれば必要なくなるでしょう。しかし一朝一夕にそうはならないので、機械技術を駆使すべしと申し上げます。
>>でも振り返って見ると本来日本の野球って、セーフでも僕はタッチされたからアウトですと自己申告していた。
>>嘘をつく、騙すとは非常に卑怯な事だと。
>>それが時代と共に相手や審判を騙す事がナイスプレーに今の野球界はなっています。
>桑田氏が「自己申告したかもしれないのは、もちろん時代の違いではなく人間の資質としての差」でしょう。
ええ。ただ審判の尊重がテーマですので私の質問は、
実際に自己申告した選手がいたのかどうか。に端を発して、いたのなら、そのアウト申告で審判員はどうしたのかを質問したいのです。なぜなら審判員は選手の発言で判定を決めたり覆したりすることはルール上ありえません。そんな審判がいたら尊重とは程遠いですし、baseballじゃない。
jyonenさんの解釈だと、実際には自己申告しようという気概のある選手が沢山いたけど結局、その事実はない。
ということでしょうか?ならばちゃかしと言われても仕方ないです。
すみません。
ソースは?
そういう時代なんですねぇ…。
批判するなら、そういう風土そのものを批判すればいいのに、やった個人のせいにする。それはトカゲの尻尾切りの論理です。
また、広沢が言った「ペナントレースならまだしも、日本シリーズではダメ」という言い分も理解不能です。この論理は、要するに「悪いことをやっても、人が見ていなければOK」というのと同じです。立ちション(失礼)を昼間にやるのはNGだけど、真夜中にやるのはOKと言うのと同じですね。
誤審がすべて巨人有利に…とは思わないが、「誤審」=「巨人有利」にと思う人が多いのが現状ではなかろうか。「保身」「官僚主義」「天下り」と同じように「巨人有利に」と想起していくことで、ファン離れに直結する要因だとは考えられないか。
貴殿は選手の隠れた才能を新しいファイリングで世間に発表し選手の評価を高めることでプロ野球を盛り上げている。
だから「誤審も野球うち」とは言わず、今後誤審が少なくなるような論評や審判の評価・威厳を導くデータなどをアナリストとして革新していただきたい。
切にお願い申しあげる。
「誤審」=「巨人有利」
根拠を示してください。そうでなければただの妄想です。
巨人に対しては、私は一貫して批判的な立場を取っていますが、根拠のないことで批判をすれば、かえって巨人、讀賣を利することになります。
「誤審も野球の内」と私が申し上げている真意を、もっとしっかりご理解いただきたい。
目が覚めました。
審判が判定したことがファイナルジャッジメントですね。
証拠が要るようなら、機械導入でしょうけど・・・
今回、ここにコメントした方々や解説者諸氏がスロービデオを見て説明をなさっていますが、明らかに彼の投球がバットに当たったか当たっていないのかだけをみても意見が分かれています。(古田氏は当たっていないと言ったんですよね?)
つまり、ここにビデオ判定をもってきてもその判断は困難を極めることが(くしくも)証明された気がします。
園城寺審判の件や、監督復帰初年度開幕戦の疑惑のホームランとか、酌量したい面もありますが、信奉者が多い、影響力ある大人物だからこそ、審判蔑視につながる発言は軽率だったと思います。
それは星野仙一も同じ、星野なんて普通に怒鳴り付けや暴力を審判に向けていたわけです。
おはようございます。
87ですが、古田氏は
「ちょっとバットに当たった」
「完全にバットに当たった」
と前から横からの映像に対してコメントしています。
あの実況・解説陣の誰1人として「バットに当たっていない」と発言していません
なので「証明云々」はその前提から崩れていますので、87に関しては(くしくも)何とも言いようがありません。
しかし
『ここにビデオ判定をもってきてもその判断は困難を極めることが~』
という意見にはある意味同意します。
そう、困難なんです。
だからこそ、裁定を下す判断材料の一つにVTRを導入する事もやぶさかではないと考える訳です。
『どうせVTR導入しても困難なんだから~』
という考えには全く同意出来ません。
「HRVTR導入」
と
「危険球VTR導入」
の何が違うのか…。
試合の行方を左右する非常に重要なジャッジなので、「危険球宣告」の際にはVTR確認するぐらいは必要だと思うのですが、いかがか。
パセリ さん
文脈を知らないので推測に過ぎませんが、桑田氏は少年時代の野球の話しでも引き合いに出したのではないでしょうか。ここでの議論は「審判の尊重がテーマ」なのでしょうか?審判を尊重すべきか否かをテーマにするほうが有意義では?憲法と同じくもちろん現行法は尊重しますが、改正の議論はおおいにすべしと考えます。
スロービデオでは意見が分かれるのは当然ではないでしょうか。100m走や競馬の着順判定に用いる程度の解像力は必要でしょう。当然経費は嵩むでしょうが、審判団への人件費よりは安く収まるのでは?試合進行役はボールボーイ・バットボーイに毛の生えた程度の技能で十分でしょう。どこかの球状の場内アナウンスのようにファンに体験してもらうのも良いサービスになるかもしれません。
そもそも競馬の着順を目視で判定しようと思う人がこの御時世にいらっしゃるでしょうか。何故あちらは機械で野球は目視なのでしょう。金が絡むことは厳密に、金も絡まぬお遊びは適当に、とういう発想でしょうか。「誤審も野球のうち」という発想には深く悲しい自己矛盾があるような・・・。
それだけ、難しいテーマとも言えますが...
ただし、審判の裁量を奪うような機械式判定の導入だけは断固反対です。
例えば、ストライクゾーンの判定は審判によって個性があって構わないと思いますし、ホームゲームアドバンテージが、審判の判定に影響を及ぼすこともありだと思っています。
これらを機械の導入にすることで、正確な判定を求めようとは全く思いません。
プロ野球の審判は、ただ判定を下せばよいだけの存在ではなく、試合の面白さを引き出す影の演出家だと思っています。
生身の人間のプレーを、生身の人間がジャッジする面白さもスポーツの醍醐味のひとつなのではないでしょうか。
だからこそ、審判はプロフェッショナルに徹して欲しい。
審判の技術不足と思しき判定を減らしてさえくれれば、私は今のままでも構わないと考えます。
ごめんなさい。記憶違いでした。古田氏は「当たった側」なんですね。
→でも2つの見方に分かれているのは事実。
「くしくも証明」はおなじことですね。『「誤審」も「野球の内」である。』の広尾さんやそのコメントされた方の中にも投球はバットに当たっていないと見ています。
もうひとつごめんなさい。KAさんの次の意味もくみ取り間違えだったようで。
> 証拠は?
> ソースは?
> そういう時代なんですねぇ…。
審判が判定したものが最終ジャッジなので、プレイの度に証拠(物的)やソース(規則書、過去事例等)を求めることは徒労。
なのに、精度が高くなったVTRを見てあれこれ言って楽しんでる。こんな時代になったのですねぇ
↑あわてん坊の私はそう解釈しました。
> 『どうせVTR導入しても困難なんだから~』
はい。困難どころか・・・(笑)
まず以って精度云々よりもVTR判定採用が追加されてもボールデッド時でないと使えないということがネックになると思います。
ですので、「VTRでも分かりにくい」は困難の一理由です。
「審判がやってることをVTRが全て網羅できることはない」と達観しています。だから「そうなったら野球は観ない」と宣言しました。
(VTR全面導入を肯定されていないKAさんには釈迦に説法でした。ord)
>当然経費は嵩むでしょうが、
試算が甘すぎるのではないでしょうか?ボールパークのどこでプレイが発生するかわからない。競馬のゴールシーンのように2Dでもない。打球(特にファウルチップみたいな衝撃)、競技者が激突、あるいは雨雪がカメラに不具合を起こさせるかも知れない。実費だけでなくその開発費用と期間。国際化におけるルール改正etc.。そんな有意義(?)な改正議論は導入賛成派でおきばり下さい。ボールボーイがVTRを見て(例えば)オブストラクションの判定ができるとも思えないし、エイヤで判定したとしてもそのあと打者や走者をどこまで進めるかもわからんでしょ。VTRでも微妙なときは??まさか昔の相撲のように天皇の裁定を仰いでいる時間もないでしょう。
異なる意見の議論を締め出そうとする姿勢は感心しませんねぇ。
野球はアメリカンフットボールとあまり変わらぬ程度にすぐボールデッドになるじゃありませんか。NFLで出来ていることが野球で出来ないとは思えません。バスケットカウントやラグビーのアドバンテージのような判定猶予には良く馴染むと思います。
機械化はビデオ映像だけに限りませんが、映像面でも高精細化や3D化は可能でしょう。近くから撮影しなければならないとも限りません。その他我々がまだ想像も出来ない技術革新はいろいろあり得るでしょう。10年前に今日のタッチパネル端末の隆盛を実感を伴って予測できなかった身としては、今後なんでもおこりそうな気がしてしまいます。機械は設置してしまえば減価償却でき、長い目で見て人件費より安くなるのでは。
→でも2つの見方に分かれているのは事実。
水掛け論は勘弁ですが「分かれているのが事実」というには無理がありますね。
あのVTRを見て「当たっていない」と言う人間は申し訳ないですが、審判を務めるだけの視覚的能力が無いと言う他ありません。
[83] に関しては私がコメント引用したばかりに、桑田氏に素敵な手紙を書かれた方へ桑田氏に成り代わってせめてもの当て擦りです。
HNが100%当人だという保証も無いし、アンカ名指しも無粋だし、分かる人にだけ分かればよかったので…。
『サンスポに掲載された栗山監督のコメントによると、柳田球審に「どう見えた?」と聞いて「当たっている」と返ってくれば栗山監督は引き下がるつもりだったそうです。
しかし返ってきたのは「違う答え」だったので抗議を続けたと。
何を言われたのかはノーコメントでした。』
球審は「当たったか否か」以外の何を判断材料にしたのだろうか?
栗山監督は「違う答え」を公表するべきだと思う。
そうじゃないとどこに問題があったのか明らかにならないし、後年の為の糧が失われてしまう。
> 異なる意見の議論を締め出そうとする姿勢は感心しませんねぇ。
(出たっ!)
私のコメントがOBライン超えたかどうかの判定は、管理人さんの方から受けます。(本人がとろうとしていない姿勢の指摘は勘弁して!)
>> 63
>>私は、審判の仕事も野球選手のプレーと同様、高度なものであり、
>>機械での代替は不可能だという立場です。
>>個人的には、そんな野球は見たくないと思います。
私、↑広尾さんと同じ立場なので、可能だという方々でその実現方法を推進していただくしかないと思っています。
まっその隆盛がレベルに達したとして、ボーク、インターフェアランス、インフィールドフライ、故意落球、タッグアップの判定、観衆の妨害etc.全て・・・無理だと思いますよぉ。それでいちいちVTRでボールボーイがアナウンス。オモロないでしょう。(あっ審判の妨害は無くなりますね)それより微妙な判定を人間が瞬時に宣告した方が・・・
チャレンジ!
いいですねぇ、でもNFLと違い野球の場合、これを行使したチームが代わりに差し出すものは何にしましょう? ってこれKAさんにレスしたんですけど。
全面的に納得です。NPB内規で危険球にVTR導入しても見るのは審判なんですね。それが決定したらそれはそれで私は構いません。(野球を見離さないという意味)ただずるずると事が起こるたびに「これもVTR判定や!」と浸食されていくのを危惧します。
> 96 KAさん
> 栗山監督は「違う答え」を公表するべきだと思う。
> そうじゃないとどこに問題があったのか明らかにならないし、
> 後年の為の糧が失われてしまう。
武士の情けを。→NPB審判部にお任せねがえないだろうか。
あたかも審判は不必要かのような表現をされてる方がいらっしゃいますが、正気でしょうかね?厳密さを求めるあまりに、斜め上にいっておりますが・・・。
NFLを引き合いにもされてますが、最近には労使問題の影響か本職の審判ではなく、下部組織か何かの審判が試合を裁いて誤審が起きまくったという話を聞きましたが。
その誤審で試合が決まったケースもあったようです。
ボールボーイに判定でもさせたら、どうなるでしょうね。というか、本来関係の無いボールボーイが裁くのを許容できるんですかね?
まず、審判はスポーツになくてはならない存在だという前提を崩すべきではないでしょう。
いちいち小馬鹿にしたような表現もいらないでしょう。そのせいで何度か脱線もしていますし。
挙句に機械の進歩・・・?ですか。まだ登場してきていないシステムをどう設置するんですかね。将来的にはこういう機械が登場するからと、今からルール作りですか?発言がおかしくなってきてますよ。
一旦、落ち着かれてはいかがでしょう。
締め出す意図をお持ちでなかったのなら申しわけありませんでした。穏便に感想を述べたつもりですが、お気に障ったのなら謝罪します。ボールボーイ云々は言い過ぎたかもしれません。現実には判定能力のある人間が必要になるでしょう。記録員が兼務するのも良いかもしれません。個人的に野球のメカにクス、動作解析に主たる興味があるもので、判定を楽しむという発想を持ったことがなく、機械判定にして面白くなくなるかどうかを想像したこともありませんでした。球場のスクリーンには、ボールデッドの間もスーパースローのリプレーなどが流れ続け、希望者はその解説の音声もたのしめる、なんていうのが私の理想像です。
仰るとおり、少し正気を欠いているかもしれませんね。誤審を憎むあまり侮辱的な表現をとってしまったとしたら、反省せねばなりません。判定を楽しむという発想がないものですから、ついつい邪魔なものに感じてしまいます。
もちろんまだ登場してきていないシステムは設置しようがありませんが、将来の技術発展を見越して議論する必要はあるように思います。どのみち今日明日にすぐ改善できるほど判定システムの問題の根は浅くないでしょうから。