一昨日は、BSと地上波のNHKで、MLB三昧をした。イチロー、ダルビッシュ、斎藤隆、上原浩治らのトークに聞き惚れた。
特に心に残ったのは、ニューヨーク・ヤンキース=NYYに移籍が決まったイチローが、セーフコ・フィールドの地下から車を走らせて、スタジアムの外周をまわり別れを告げるシーンである。
照明が煌々と光るスタジアムに、イチローはハンドルを握りながら、何度も何度も視線を走らせていた。NHKのカメラは同乗していたが、それは孤独な離別のシーンだった。
そしてイチローはニューヨークの新居で新しい生活をはじめた。まだ家財の大半はシアトルにあったが、トレーニング機器だけは持ち込んで一室に据え付けてあった。
銀色に光るトレーニング機器に乗って、ひとり体の各部を鍛えるイチロー。彼に従うのは一弓という名の柴犬だけ。一弓は年寄りになってまつ毛が白くなり、眼の光も弱弱しくなっている。
「ニューヨークの騒音に、一弓は慣れない」とイチローは笑って、老犬を傍らに引き寄せるのだ。
トップアスリートの孤高の姿だった。これを見て、「孤独だな」「寂しそうだな」と思うのは日本人の心性だ。恐らく、イチローはこの孤独さ、寂寥感でさえも楽しんでいるのではないかと思う。
上原浩治はもっと賑やかな人生を送っているように見える。自宅の前でバーベキューをしたり、仲間と飲みに行ったり。人との距離は近いように思える。
しかし、その上原であっても、「そぎ落とした感じ」はある。
twitterに載せられたボストン・レッドソックスとの契約に一人赴く姿。ロッカールームでデイビッド・オルティーズと写真に納まる姿。
新しいチームに入ろうとする緊張感や、腕一本で生きていく覚悟がうかがえる。
彼らのライフスタイルを見ていると、アメリカで成功するカギは「孤独、一人を楽しめるかどうか」ではないかと思う。
私はサラリーマン時代、一人でランチをするのが大好きだった。好きなものを食べ歩いて、食後は本を読みながらコーヒーを飲む。これが何よりの楽しみだった。
ある日、上司が近寄ってきて顔を覗き込みながら、「君は毎日一人で食事に行っているそうだな」と心配そうに言った。
多くの日本人にとって、「孤独」は何か問題がある人間の状態であり「不善」なのだった。それは、プロ野球の世界でも同様だ。
NPBでは、選手は連帯感を持つことを求められる。チーム行事に参加したり、宴会に出たり。トレーニングでさえも一人ではなく、チームメイトと行ったりする。キャンプ前の自主トレなどは、「自主」にもかかわらずチーム単位での行動が求められる。
選手たちは、野球は個人技ではなく、チームスポーツであることを常に刷り込まれながら生活するのだ。
しかしMLBでは毎年チームの半分以上が入れ替わる。チーム全体の連帯感は望むべくもない。選手たちは、個々にチームと異なる契約している。チームと選手は個別につながっているのであって、横の連帯は強いとは言えない。
チームワークとは、試合の中での連携であって、プライベートにまで及ぶことはない。
どちらがより良いと思うかは、人によって分かれるとことだ。
日本のやり方は「弱者」にとって居心地が良いのは間違いがない。実力が無くても、周囲はほおっておかない。手を差し伸べ、励ましてくれる。「一人じゃないんだ」と力づけてくれる。
しかし、こうした紐帯の強さは、本当の「強者」にとっては煩わしいものではないだろうか。自己をコントロールし、厳しい鍛錬を課すことのできる人間にとって、集団でのトレーニングや、連帯を強いられることは、苦痛になっていたのではないだろうか。
日本では、実力を発揮して、数字を残せば残すほど、プライベートは狭まっていく。若手選手の指導、ファンとの交流、マスコミ対応。多くの人がしなだれかかってくる。
トップクラスの選手たちは、その煩わしさから逃れるために海を渡るのではないか、とも思えてくる。
アメリカのような「個人主義社会」は、本当に実力のある人にとっては心地よいのではないだろうか。


早くも日本では「松井秀喜監督」待望論が出ている。しかし、松井は巨人の人脈には戻らないのではないかと思える。人間関係を大事にする古いタイプの典型のような松井秀喜だが、「個」を優先するアメリカで10年戦ってきて、「一個人」であることのシンプルな心地よさを痛感したのではないだろうか。現役としてNPBに復帰しようとしなかったのも、それが原因ではなかったか。
今季もNPBでは多くの選手たちが戦力外になっている。中には実力を出し切っても届かなかった選手もいるだろうが、多くは自己管理ができなかったり、自己鍛錬を積むことができなかった選手たちだ。日本では、そういう「個人」として自立していない甘い若者たちも、一定期間チームにいることができる。
松井秀喜など、トップクラスの選手、人間にとって、こうした連中と接し、「指導」をすることなど、苦痛以外の何物でもないだろう。「個」としての自立なくして成功などあり得ない。そのことが分からない人間など、問題外だと思っているのではないか。
藤川球児、中島裕之、田中賢介。来季もNPBのトップ選手がMLBに挑戦する。彼らの成功のカギは、「一個人」として自立できるかどうかにあるように思う。
言葉の壁も、野球文化の違いも、自分一人で解決する。その覚悟と能力があるものだけが、MLBプレイヤーになれるのではないかと思える。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。本日は宮本和知

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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照明が煌々と光るスタジアムに、イチローはハンドルを握りながら、何度も何度も視線を走らせていた。NHKのカメラは同乗していたが、それは孤独な離別のシーンだった。
そしてイチローはニューヨークの新居で新しい生活をはじめた。まだ家財の大半はシアトルにあったが、トレーニング機器だけは持ち込んで一室に据え付けてあった。
銀色に光るトレーニング機器に乗って、ひとり体の各部を鍛えるイチロー。彼に従うのは一弓という名の柴犬だけ。一弓は年寄りになってまつ毛が白くなり、眼の光も弱弱しくなっている。
「ニューヨークの騒音に、一弓は慣れない」とイチローは笑って、老犬を傍らに引き寄せるのだ。
トップアスリートの孤高の姿だった。これを見て、「孤独だな」「寂しそうだな」と思うのは日本人の心性だ。恐らく、イチローはこの孤独さ、寂寥感でさえも楽しんでいるのではないかと思う。
上原浩治はもっと賑やかな人生を送っているように見える。自宅の前でバーベキューをしたり、仲間と飲みに行ったり。人との距離は近いように思える。
しかし、その上原であっても、「そぎ落とした感じ」はある。
twitterに載せられたボストン・レッドソックスとの契約に一人赴く姿。ロッカールームでデイビッド・オルティーズと写真に納まる姿。
新しいチームに入ろうとする緊張感や、腕一本で生きていく覚悟がうかがえる。
彼らのライフスタイルを見ていると、アメリカで成功するカギは「孤独、一人を楽しめるかどうか」ではないかと思う。
私はサラリーマン時代、一人でランチをするのが大好きだった。好きなものを食べ歩いて、食後は本を読みながらコーヒーを飲む。これが何よりの楽しみだった。
ある日、上司が近寄ってきて顔を覗き込みながら、「君は毎日一人で食事に行っているそうだな」と心配そうに言った。
多くの日本人にとって、「孤独」は何か問題がある人間の状態であり「不善」なのだった。それは、プロ野球の世界でも同様だ。
NPBでは、選手は連帯感を持つことを求められる。チーム行事に参加したり、宴会に出たり。トレーニングでさえも一人ではなく、チームメイトと行ったりする。キャンプ前の自主トレなどは、「自主」にもかかわらずチーム単位での行動が求められる。
選手たちは、野球は個人技ではなく、チームスポーツであることを常に刷り込まれながら生活するのだ。
しかしMLBでは毎年チームの半分以上が入れ替わる。チーム全体の連帯感は望むべくもない。選手たちは、個々にチームと異なる契約している。チームと選手は個別につながっているのであって、横の連帯は強いとは言えない。
チームワークとは、試合の中での連携であって、プライベートにまで及ぶことはない。
どちらがより良いと思うかは、人によって分かれるとことだ。
日本のやり方は「弱者」にとって居心地が良いのは間違いがない。実力が無くても、周囲はほおっておかない。手を差し伸べ、励ましてくれる。「一人じゃないんだ」と力づけてくれる。
しかし、こうした紐帯の強さは、本当の「強者」にとっては煩わしいものではないだろうか。自己をコントロールし、厳しい鍛錬を課すことのできる人間にとって、集団でのトレーニングや、連帯を強いられることは、苦痛になっていたのではないだろうか。
日本では、実力を発揮して、数字を残せば残すほど、プライベートは狭まっていく。若手選手の指導、ファンとの交流、マスコミ対応。多くの人がしなだれかかってくる。
トップクラスの選手たちは、その煩わしさから逃れるために海を渡るのではないか、とも思えてくる。
アメリカのような「個人主義社会」は、本当に実力のある人にとっては心地よいのではないだろうか。
早くも日本では「松井秀喜監督」待望論が出ている。しかし、松井は巨人の人脈には戻らないのではないかと思える。人間関係を大事にする古いタイプの典型のような松井秀喜だが、「個」を優先するアメリカで10年戦ってきて、「一個人」であることのシンプルな心地よさを痛感したのではないだろうか。現役としてNPBに復帰しようとしなかったのも、それが原因ではなかったか。
今季もNPBでは多くの選手たちが戦力外になっている。中には実力を出し切っても届かなかった選手もいるだろうが、多くは自己管理ができなかったり、自己鍛錬を積むことができなかった選手たちだ。日本では、そういう「個人」として自立していない甘い若者たちも、一定期間チームにいることができる。
松井秀喜など、トップクラスの選手、人間にとって、こうした連中と接し、「指導」をすることなど、苦痛以外の何物でもないだろう。「個」としての自立なくして成功などあり得ない。そのことが分からない人間など、問題外だと思っているのではないか。
藤川球児、中島裕之、田中賢介。来季もNPBのトップ選手がMLBに挑戦する。彼らの成功のカギは、「一個人」として自立できるかどうかにあるように思う。
言葉の壁も、野球文化の違いも、自分一人で解決する。その覚悟と能力があるものだけが、MLBプレイヤーになれるのではないかと思える。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。本日は宮本和知

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コメント
コメント一覧
批判がかなり堪えているようでした
キャンプでは明るかったのに…(外野の立て看板にホームランで的当てが習慣だというのは凄まじかった)
それだけに移籍後の溌剌としたプレーと笑顔が印象的でした
あとは殿堂博物館で館長自ら接待するVIPっぷりですね
あらためて殿堂入り確実なレジェンドなんだなと
「チーム内に敵が…」
には衝撃でしたね。
本人の口から聞くのは初めてでしたので本当に相当酷い状況だったのでしょう。
近年の不調の理由が垣間見えた気がしました。
そりゃ移籍後弾ける様に活躍するでしょうし、いくら好条件でも人間関係をリセットしなければならない他球団より居心地の良いNYを選ぶ筈ですね。
あれを見て来季のイチローに期待せずにいられなくなりました。
『.350 20本 40盗塁』
ここまで思い切って期待します!
打撃コーチみたいな低い地位で安月給じゃー呼べないよな。
いきなり一軍監督、もしくはヘッドコーチ、最低でも二軍監督でね。
巨人がヤンキースにゴジラのコーチ留学がどうだこーだやってるけど。
まっ、原君の後釜は高橋、阿部と言われてるけど、
この二人じゃ巨人ファン以外のライト層は取り込めないでしょう!?
記者会見に通訳にべったりな
ゴジラ、イチローもメジャーじゃ監督になれそうもないし。
まっ、この10年でどーなるか見ものですな。
マリナーズは日本企業の援助無しに成り立たない球団だっていうジレンマがチーム関係者・地元紙・ファンからのイチローへの反感を増長させたんだと思います
来シーズンは自分の記録なんかのためにプレーすることが出来ないヤンキースで本格的にプレーする一年になりそうなので、野球選手イチローの本当の価値が試される一年になると思いますよ
私もイチローの番組だけは観ておりましたが、これまで見たどの番組よりもとても人間的であり、ああ、スーパースターもこんなふうになるのか、とずいぶんと共感したものです。
>人間関係を大事にする古いタイプの典型のような松井秀喜だが
どうでしょう。彼には読売のときから、誰か他の選手と徒党を組むというイメージがありません。メディアやその向こう側にいるファンは非常に大切にしている印象ですが、日本の野球界では孤高を保っていたイメージが強いのですが。
ただ松井は巨人時代から同僚に「普段何しているか全然わからない」と評される孤高の人でしたし、ダルビッシュは毎年チームや競技の枠を越えて様々な選手と自主トレを行っています。また現役時代個人主義の権化のようだった落合博満氏が監督としてあれだけ熱心に活躍していたのを見ると、選手の渡米理由や指導者としての可能性には一概に結びつかないのではと思います。
子どもの頃から「群れの中で分際を守って(空気を読んで)生きること」を叩き込まれてきた人たちには、こんな話はピンとこないんでしょう。
80年代以前のプロ野球には、チーム内で熾烈な競争意識があり
トップ選手には孤高な雰囲気があったのではないかと想像しています
もちろん生まれる前の世界なので知りはしないのですが、山際淳司さんの著作などからはそのようなイメージを抱きます
いつから野球選手たちは仲良し集団になってしまったのかなと
この記事を読んでふと思いました
ようこそいらっしゃいました。私は日本からほとんど離れたことはありませんが、常々息苦しさを感じております。
これからもお付き合いください。
自分も松井の方がイチローよりも「個」を優先していると思いますね。イチローの方が連帯感を大事にしていたので苦しかったのではないかと。プレーが逆みたいに見えるので、勘違いされそうですが。
黒田も自殺まで考えたみたいですが、苦しいですね。
これから海を渡ろうとしている日本人選手たちがそこまで覚悟しているのかどうか。
松井も指導者という地位には魅力を感じているのかもしれませんね
そして広尾さん、初めまして。
一度、サラリーマンが嫌でやめましたが、一人でやる実力がないので結局サラリーマンに戻っている四国在住の野球好きの43歳です。
一年ほど前から時折読ませていただいております。
広尾さんの書いていらっしゃることには共感することが多いので、
読んでいて心地よいのです。
私も若い頃から一人で昼食をとるのが好きでしたね。
まあ、営業マンでしたから当たり前といえば当たり前ですけれど。
他人の目、評価を気にする余り、窮屈になりすぎる日本社会。
依存心が強く群れの中で「仲良しごっこ」を幼い頃から強要されているので、大人になっても、社会に出てもその癖が抜けきらないのかもしれませんね。
群れをなさねば、生きていけない社会。
多数派工作して、努力して抜きんでようとする者を良しとせず、はじこうとする社会。群れに加わらない者に「変わり者」のレッテルを貼ってしまい居心地を悪くさせて追い出してしまう。
本当の実力者は相手の仕事ぶりだけで相手に敬意を抱いたり抱かなかったりするものですが、自分に自信のない者はすぐに多数派工作をしたがる。
結局のところ中学生のいじめ問題と大差はありません。
排他的な社会というのは、一旦向こう側(排他する側)の人間になってしまえば居心地が良い。
でも残念なことにマリナーズでも同様なことがあったのでしょうね。
今後も、野球の話を通じて、今の日本全体を覆っている停滞感を吹き飛ばしてください。
ようこそいらっしゃいました。私同様、今の社会が息苦しく思っている保地は多いのでしょう。これからもお付き合いください。