今日はリーグ、チームの打撃成績に注目してみよう。NPBでは、1936年以来、77シーズンが消化された。もっとも打撃優位だったのは何年のどのリーグだろうか。
リーグの打率ベスト10 総サンプル数は141だ。長打率の順位も示した。

最もリーグ打率が高かったのは、2004年のパリーグ。
この年はダイエーの松中信彦が三冠王を獲得、規定打席以上31選手の内15人までが三割を打った。
続いて2003年のパリーグは、小笠原道大が.360で首位打者、規定打席以上31選手の内19人が三割を打った。
続いて2004年のセリーグ、2003年のセリーグも15位。恐らく2003、2004年に使われた公式球の反発係数は相当大きかったと考えられる。
長打率で見れば、1980年のパリーグが最大。本塁打数1196本も最多だ。マニエルが48本でタイトルを獲得。20本塁打以上打った打者が22人もいた。
2003、4年も本塁打は1000本前後と高い数字を示しているが、1980年と2003、4年では環境は大きく異なる。1980年当時の球場は両翼90m中堅115m前後、2003、4年にはこれが両翼100m中堅120mに拡大している。チープホームランは無くなっているのだ。
20位に1949年が入っていることに注目。ラビットボール効果によってリーグ打率が急上昇したのだ。
打撃水準は(裏返せば投手成績の水準でもあるが)、投打のパワーバランス、球場の大きさ、ボールの反発係数が複雑に絡み合っているのだ。
さて、リーグの打順ワースト10も出してみよう。同様に長打率のワースト順位も示した。



飛ばないボールの戦前のリーグがずらっとならぶ。この時代のプロ野球は異次元だったことが良く分かる。
1943年の首位打者は呉昌征の.300、42年は同じく呉昌征(登録名は呉波)の.286だった。
2リーグ分裂後では1956年のセリーグが低い。この年セリーグは、チーム打率トップの巨人が.258、最下位の大洋が.208。チーム格差がきわめて大きかった。50年代のセリーグがランキングにしばしば登場するのは、ドラフト以前で、チーム格差が大きかったことが影響して居よう。
さて、統一球導入後のセパ両リーグの成績を赤字で付記した。前述したようにサンプル数は141だから、両リーグともに水準以下のレベルまで落ちた。
特にセリーグの打率の下落が激しい。セリーグでは犠打数がかなり増加しているが、最初から安打を狙わないスモールボール志向が打率に影響しているのかもしれない。
稿を改めて、チームの打撃成績についても見ていこう。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。1965年の先発投手陣の成績

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓

最もリーグ打率が高かったのは、2004年のパリーグ。
この年はダイエーの松中信彦が三冠王を獲得、規定打席以上31選手の内15人までが三割を打った。
続いて2003年のパリーグは、小笠原道大が.360で首位打者、規定打席以上31選手の内19人が三割を打った。
続いて2004年のセリーグ、2003年のセリーグも15位。恐らく2003、2004年に使われた公式球の反発係数は相当大きかったと考えられる。
長打率で見れば、1980年のパリーグが最大。本塁打数1196本も最多だ。マニエルが48本でタイトルを獲得。20本塁打以上打った打者が22人もいた。
2003、4年も本塁打は1000本前後と高い数字を示しているが、1980年と2003、4年では環境は大きく異なる。1980年当時の球場は両翼90m中堅115m前後、2003、4年にはこれが両翼100m中堅120mに拡大している。チープホームランは無くなっているのだ。
20位に1949年が入っていることに注目。ラビットボール効果によってリーグ打率が急上昇したのだ。
打撃水準は(裏返せば投手成績の水準でもあるが)、投打のパワーバランス、球場の大きさ、ボールの反発係数が複雑に絡み合っているのだ。
さて、リーグの打順ワースト10も出してみよう。同様に長打率のワースト順位も示した。

飛ばないボールの戦前のリーグがずらっとならぶ。この時代のプロ野球は異次元だったことが良く分かる。
1943年の首位打者は呉昌征の.300、42年は同じく呉昌征(登録名は呉波)の.286だった。
2リーグ分裂後では1956年のセリーグが低い。この年セリーグは、チーム打率トップの巨人が.258、最下位の大洋が.208。チーム格差がきわめて大きかった。50年代のセリーグがランキングにしばしば登場するのは、ドラフト以前で、チーム格差が大きかったことが影響して居よう。
さて、統一球導入後のセパ両リーグの成績を赤字で付記した。前述したようにサンプル数は141だから、両リーグともに水準以下のレベルまで落ちた。
特にセリーグの打率の下落が激しい。セリーグでは犠打数がかなり増加しているが、最初から安打を狙わないスモールボール志向が打率に影響しているのかもしれない。
稿を改めて、チームの打撃成績についても見ていこう。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。1965年の先発投手陣の成績

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
コメント
コメント一覧
本稿、ワーストの方の表が表示されていないようです。
(事務的な連絡ですので、当コメントはご確認後に削除していただいて結構です)
ありがとうございます。のっけました。
もう一つは、ブルーウェーブ投手陣がひどすぎたから(今もひどいですが)でしょう。1-29とか2003年だけで4度の20以上の失点を食らっています。
しかし、2011年以降の打率はセリーグは下落(明らかに最初から脱落しているチームがあるからです)、パ・リーグは平均ということは、統一球は飛距離を落とした、すなわち、こすっただけでホームランという当たりを消したのではないでしょうか。
打てないのは戦前、戦中が並ぶのは想像がつきますが、1944年の数字が多少なりとも上がっているのは、投手の質的低下を物語ってますね。
また、1940年以降、ボールの質が粗悪になったから打てないとも言われましたが、39年以前でも打てていない、要は打者のレベルが低かった、あるいはボールの飛ばし方を知らなかったのかもしれません。
50年代のセリーグの打率が低いのは、ホエールズ、スワローズ、カープの新興チームが寄せ集めで本当に弱かったといえるのではないでしょうか。
打撃優位の年は、1970年代後半から1980年代半ばまでと、2000年代前半に極端に集中しています。この期間に活躍した打者は幸運だったかも。
長打率歴代1位1980年のパ・リーグは、飛ぶボールと狭い球場の組み合わせで、外野に打球が飛ぶと片っ端から本塁打にという様子でしたね。下田コミッショナーの通達で飛ぶボールと圧縮バットが禁止されたけど、飛ぶボールはすぐに復活して1985年は長打率歴代3位に達しています。
長打率2位と5位の2003年と2004年は記憶にも新しいけど、メジャーの試合よりも速くて飛距離がある打球が、ばんばんと飛び交っているようでした(笑)。
長打率4位の1977年セ・リーグも、強打の外国人選手の導入による打力アップ以外にも、既存のベテランや中堅のレギュラー選手たちの打率や本塁打数も、1975年以前に比べてずいぶん上昇していて、ボールの質の変化が話題になるなど環境面で打者が急速に有利になったようです。
純粋な選手の投打の力関係に加えて、球場・ボール・ストライクゾーンなど様々な要因が重なるけど、使用球を球団が選択していた日本では、変更が容易なボールの飛び方の違いが大きな影響を与えていたという印象で、そのせいもあってか年度ごとのリーグ全体の打力の変動も、なかなか慌ただしいですね。