2年前の楽天への入団はかなり地味なものだった。「凱旋復帰」とは言われなかった。
kazuo-Matsui-2013

アメリカに渡る前、松井は「内野のイチロー」だった。最短距離でバットを鋭く振りぬき、糸を引くような鋭いライナーを連発する中距離打者、そして俊足。遊撃手としても、守備範囲が広く強肩。

2001年にイチローがアメリカに渡って大ブレークし、2003年には松井秀喜がヤンキースで数字を残した。
松井稼が失敗することなどあり得ない、と思ったものだ。

しかし、ニューヨーク・メッツ=NYMでは、信じられないようなプレーが続いた。開幕戦こそ初打席初本塁打で沸かせたが、守備、打撃ともに精彩を欠いた。重要な場面での失策が続いたうえに、打率がなかなかあがらない。夏ころには松井が打席に立つとブーイングが聞こえるようになった。
「イチロー並みにやってくれるに違いない」と期待が高かった分、失望感も大きかったのだ。

2年目には二塁にコンバートされたが、この頃の松井は自信喪失しているのがはっきりわかった。
3年目にコロラド・ロッキーズに移籍。以後は一軍半のジャーニーマンとしてなお4年間アメリカでプレーした。

今から思えば、入ったチームが良くなかった。NYMは、オマー・ミナヤがGMに就任、強力な補強をしたが成績が上がらなかった。周囲の評価が下がる中で、松井のMLBへの順応を長い目で見守る余裕はなかった。1年目で4位。松井は「戦犯」扱いされてしまった。この点、2011年の西岡剛とよく似た境遇だ。

1年目で失った自信を取り戻すことなく、松井は6シーズンをアメリカで過ごしたのだ。

アメリカでのトータルの数字は、それほどひどいものではないが、失意のうちに日本に帰還。そして楽天に身を投じたのだ。
巡りあわせの悪いことに、この年から統一球が導入された。松井は、同時に日本に復帰した岩村明憲とともにこの球に苦しみ、成績は低迷。それでもシーズン終盤には盛り返し、最多二塁打も記録したが、松井に注目が集まることはなかった。

2年目の昨年は主将となったが、腰痛に悩まされた。しかし出場すれば松井は力強い打撃を見せた。ただ規定打席には届かなかった。
松井を見る周囲の目は意外なほどに乾いている。外国人選手に対する眼差しに近いと言っても良いのではないか。6年の歳月は、松井を「帰国子女」に変えたのだと思う。



すでに松井は「名球会」のメンバーだ。日米での合わせ技で2000本安打を達成しているからだ。しかし「功成り名遂げた」という意識はないだろう。

今年、大型補強をした楽天は初優勝を目指している。松井はその中心にあって、チームをけん引したいと思っているのではないか。
自らのキャリアの最終章を飾るためにも、そして米での6年間が無駄でなかったことを証明するためにも、松井は「数字」と「輝き」を取り戻さなければならない。

クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。本日は村上之宏
Classic Stats


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!