私は2006年2009年のWBCも全試合DVDに収録している。思うところがあって、前回の決勝戦のDVDを見返してみた。
韓国と日本の5度目の対戦である。ドジャー・スタジアムは5万人を超す観客が詰めかけ、大盛況ではあった。
場内の日本語のアナウンスは日本人ではなかったようで、不思議なイントネーションだ。
しかし、「ニッポン」という歓声こそ聞こえたが、コンバットマーチは聞こえてこなかった。
場内は試合状況に一喜一憂し、韓国、日本のファンがプレーのたびに様々な声を上げていた。
やはりそうだった。
今回、AT&Tパークは外国チーム同士の対戦にしては多い3.7万人の観客が詰めかけていたが、その中にトランペットを持ち込んで、コンバットマーチを演奏したファンがいた。そしてその音に合わせて声援をしたファンがいた。稲葉の打席のときには、ジャンプさえする観客がいた。WBCのアメリカラウンドでは初めてのことだ。
当サイトでも紹介される方がいたが、これは外国人には異様に映ったらしく、ちょっとした話題になった。
どうやら今回のWBCでは、各球団の応援団が事前に話し合いをして、合同応援団を作ったようだ。侍ジャパンの全選手の応援曲がトランペットで演奏される。かなりレベルが高いように思われる。強化試合から本戦まで、まるでペナントレースのような応援が繰り広げられた。
WBCも3回目である。応援団の足並みもそろってきたのだろう。
しかし、それとともに国際試合の興趣が殺がれたことも事実だ。
好き好きの話ではあるが、私はNPBのペナントレースを見に行くとき、常に気持ちの片隅に重たいわだかまりを感じている。
それは、応援団の存在だ。彼らはどんな状況でも選手それぞれに設定した曲のラッパを吹き鳴らし、決められた声援を送る。一緒になって応援している人は実に楽しそうで、それはそれで結構だが、試合の緊張感や、1球ごとの作戦の変化や、球場の空気などを感じたいと思っている人間にとっては、甚だしく集中力を殺ぐ。
以前、この手のブログを書いて、大反撃をいただいたことがある。私も少しは学習したので、そういうお客さんがプロ野球を支えていることは認めたいと思う。
球団側もスタジアム内でジェット風船を売ったり、「応援席」というシートを設けたりして、応援を奨励している。球団経営の上では必要なことなのだと思う。
しかし、そんなことをしなければ野球の応援ができないわけではない。野球の応援とは第一に「試合を見る」ことであって、のべつまくなしに選手の名前を連呼したり、踊ったりすることは、それほど重要なことではない。
ましてや稲葉ジャンプ、角中ジャンプなどは、スタジアムの強度を考えれば自粛すべきことだろう。確かWBCの東京ドームの試合では、ジャンプを自粛するような通達がされたと思うが、守られなかった。AT&Tパークでも日本人がジャンプするシーンが見かけられたが、恐らくスタジアムの観客席は数千人もの人々が一度にジャンプすることを想定して造られてはいないと思う。
応援団各位は、「自分たちの応援こそが本流だ」と思ってはいけないと思う。そういう愉しみ方もあるだろうが、そうでない人もいるのだ。
「球団側だって公認しているじゃないか」というかもしれないが、多くのスタジアムが「応援席」を設けているのは、応援団と一般客を隔離したいという意向があるからだと思われる。


こうした派手な応援は、アジア独特のもののようだ。台湾では昔から拡声器を使って選手個々の応援フレーズをシュプレヒコールしている。
韓国も昔から鉦や太鼓で応援するのが常だったが、最近はベンチの上に特設ステージを設け、球団専属のチアガールが出て全員にパフォーマンスをするように強要している。7回にはオレンジ色のごみ袋を頭にかぶって応援するなど、こまごまとした応援スタイルが決められ、スタンドは応援一色になっている。
韓国の応援がこのようになってから、観客動員は激増したそうだ。
しかし、一方でこうした応援団の大部分がろくに野球を知らない人々なので「本当の野球振興にはつながらない」という声も上がっている。
テレビなどでお隣の国の応援風景を見て、応援団各位はどのような感想を抱かれるのだろうか。「我々も頑張らなければ」と思う人は少ないのではないか。「台湾や韓国の応援はださいな、うちの方がずっと洗練されている」と思うのではないか。
しかし、応援団以外の人から見れば、どれも一緒である。第一印象だけでいえば、「野球そっちのけで騒いでいる」ということになる。恐らくアメリカなどの人々から見れば、区別がつかないだろう。
何度も言うが、応援団は「それはそれで結構なこと」だ。選手の中には「野球に集中できない」と思っている人も多いようだが、力づけられている人も確かにいる。
しかし、応援団は「野球とは何の関係もない」ことを認識し、「好きで勝手にやっている」ことを自覚すべきだと思う。
応援スタイルを世界に広めたいと思うのも勝手だが、それを快く思わない人もいることを、心の隅にとどめるべきだと思う。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。1972年の救援投手陣パリーグ 佐藤道郎のキャリアSTATSも変わる?

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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場内の日本語のアナウンスは日本人ではなかったようで、不思議なイントネーションだ。
しかし、「ニッポン」という歓声こそ聞こえたが、コンバットマーチは聞こえてこなかった。
場内は試合状況に一喜一憂し、韓国、日本のファンがプレーのたびに様々な声を上げていた。
やはりそうだった。
今回、AT&Tパークは外国チーム同士の対戦にしては多い3.7万人の観客が詰めかけていたが、その中にトランペットを持ち込んで、コンバットマーチを演奏したファンがいた。そしてその音に合わせて声援をしたファンがいた。稲葉の打席のときには、ジャンプさえする観客がいた。WBCのアメリカラウンドでは初めてのことだ。
当サイトでも紹介される方がいたが、これは外国人には異様に映ったらしく、ちょっとした話題になった。
どうやら今回のWBCでは、各球団の応援団が事前に話し合いをして、合同応援団を作ったようだ。侍ジャパンの全選手の応援曲がトランペットで演奏される。かなりレベルが高いように思われる。強化試合から本戦まで、まるでペナントレースのような応援が繰り広げられた。
WBCも3回目である。応援団の足並みもそろってきたのだろう。
しかし、それとともに国際試合の興趣が殺がれたことも事実だ。
好き好きの話ではあるが、私はNPBのペナントレースを見に行くとき、常に気持ちの片隅に重たいわだかまりを感じている。
それは、応援団の存在だ。彼らはどんな状況でも選手それぞれに設定した曲のラッパを吹き鳴らし、決められた声援を送る。一緒になって応援している人は実に楽しそうで、それはそれで結構だが、試合の緊張感や、1球ごとの作戦の変化や、球場の空気などを感じたいと思っている人間にとっては、甚だしく集中力を殺ぐ。
以前、この手のブログを書いて、大反撃をいただいたことがある。私も少しは学習したので、そういうお客さんがプロ野球を支えていることは認めたいと思う。
球団側もスタジアム内でジェット風船を売ったり、「応援席」というシートを設けたりして、応援を奨励している。球団経営の上では必要なことなのだと思う。
しかし、そんなことをしなければ野球の応援ができないわけではない。野球の応援とは第一に「試合を見る」ことであって、のべつまくなしに選手の名前を連呼したり、踊ったりすることは、それほど重要なことではない。
ましてや稲葉ジャンプ、角中ジャンプなどは、スタジアムの強度を考えれば自粛すべきことだろう。確かWBCの東京ドームの試合では、ジャンプを自粛するような通達がされたと思うが、守られなかった。AT&Tパークでも日本人がジャンプするシーンが見かけられたが、恐らくスタジアムの観客席は数千人もの人々が一度にジャンプすることを想定して造られてはいないと思う。
応援団各位は、「自分たちの応援こそが本流だ」と思ってはいけないと思う。そういう愉しみ方もあるだろうが、そうでない人もいるのだ。
「球団側だって公認しているじゃないか」というかもしれないが、多くのスタジアムが「応援席」を設けているのは、応援団と一般客を隔離したいという意向があるからだと思われる。
こうした派手な応援は、アジア独特のもののようだ。台湾では昔から拡声器を使って選手個々の応援フレーズをシュプレヒコールしている。
韓国も昔から鉦や太鼓で応援するのが常だったが、最近はベンチの上に特設ステージを設け、球団専属のチアガールが出て全員にパフォーマンスをするように強要している。7回にはオレンジ色のごみ袋を頭にかぶって応援するなど、こまごまとした応援スタイルが決められ、スタンドは応援一色になっている。
韓国の応援がこのようになってから、観客動員は激増したそうだ。
しかし、一方でこうした応援団の大部分がろくに野球を知らない人々なので「本当の野球振興にはつながらない」という声も上がっている。
テレビなどでお隣の国の応援風景を見て、応援団各位はどのような感想を抱かれるのだろうか。「我々も頑張らなければ」と思う人は少ないのではないか。「台湾や韓国の応援はださいな、うちの方がずっと洗練されている」と思うのではないか。
しかし、応援団以外の人から見れば、どれも一緒である。第一印象だけでいえば、「野球そっちのけで騒いでいる」ということになる。恐らくアメリカなどの人々から見れば、区別がつかないだろう。
何度も言うが、応援団は「それはそれで結構なこと」だ。選手の中には「野球に集中できない」と思っている人も多いようだが、力づけられている人も確かにいる。
しかし、応援団は「野球とは何の関係もない」ことを認識し、「好きで勝手にやっている」ことを自覚すべきだと思う。
応援スタイルを世界に広めたいと思うのも勝手だが、それを快く思わない人もいることを、心の隅にとどめるべきだと思う。
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コメント
コメント一覧
広尾さんの御意見、大筋で理解できるところであります。
私が物心ついた時には、鳴り物入り応援ありきのプロ野球でした。そういった環境で野球を楽しんできましたから、なくなることはちょっと想像しづらい。しかし、時節、外野スタンドの応援団から距離を置いて、観戦を楽しみたいと思うことも、しばしばあります。
>応援団各位は、「自分たちの応援こそが本流だ」と思ってはいけないと思う。そういう愉しみ方もあるだろうが、そうでない人もいるのだ。
このくだりはもっともと思います。この件に関して思いだしたのは、2011年6/30楽天対ソフトバンク戦(Kスタ)の1戦です。この試合は楽天初の試みで、「Sounds of Ball Game」と銘打ち、鳴り物応援を禁止し、野球本来の打球音や捕球音などを楽しもうという趣旨の企画でした。
ところが、発表された観客動員数は9,649人。2011年Kスタで行われた試合では最低の入りでした。観客動員は低迷するのでは?と予想されましたが、最低とは想像がつきませんでした。
さらに、あらかじめ告知されているにも関わらず、従来通りの応援を繰り広げていたファンが両軍に一定数いて、興ざめしたのも覚えています。鳴り物が無いだけで、普通に選手の応援曲やチャンステーマの応援が繰り広げられていました。(これに懲りたのか、以降、同様の企画は楽天ではおこなわれていません)
たった1試合だけの試みなのに、多種多様の楽しみ方を受け入れることができない残念な人達の存在にがっかりきたことは今なおよく覚えています。
個人的には、応援団の存在があるからこそ得られるファンの独特な一体感みたいなものもありますし、MLBのような球音や選手の掛け声や、息遣いまで聞こえるような雰囲気も好きです。
昔、長嶋監督の提案で、"球音を楽しむ日"ということで、Giantsの試合で鳴り物を禁止する試みもありましたね。あれはあれで良かったと思います。そういう試みを、例えば3連戦のうち1試合は鳴り物を禁止するとかで増やしていったらいいのかもしれないですね。
自分も球場では応援団の影響を受けないところに座る派です
鳴り物禁止デー、復活しないですかね
「グラウンドに背を向けてこの人はここに何しに来たのだろう?」という素朴な疑問とともに。
野球観戦よりも応援に比重を置くのは個々の楽しみ方の違いでもありますが、せめて内野席では鳴り物を禁止して欲しいですね。
応援団の存在を否定するのではなく、応援団の跋扈を否定する、そういう主旨の話だと理解しました。
こうなった原因は、球団側が応援団を甘やかしてきたからだということが大きな原因だと思っています。ちょっと前まで外野席は自由席が大半でしたが、応援団の席とりが酷いばかりか、球場によっては「トラブル回避」と称して、主催する球団側が応援団だけ先に入場させるといった行為まで平然と行われていました。
とはいえ、それを目当てに球場にやってくる観客も多く、今はプロ野球も様々なコンテンツとの競合が避けられない以上、ライトユーザーやそれこそ「野球そのものにはあまり関心がない人たち」も観客として取り込んでいかなければならない時代であり、球団としてもやめろというわけにはなかなかいかないのでしょう。
ただ、どこもかしこも似たような応援というのはちょっと残念ですね。最近では独立リーグまで同じことをやっているので驚きました。歴史に疎いのですが、プロ野球のこうした応援と、甲子園初めとするアマチュア野球のブラスバンドとどちらが先なんでしょうか。
もう球音を楽しむ際には、私はファームの試合を観に行くことにしています。ここはもはや「最後の聖域」かもしれません。ミットを叩く音も打球音も、そしてオッサンの野次までしっかり聞こえますから。
東京ドームでラッパと太鼓の音が響いてペナントレースのような応援がされています。
前回大会にアメリカまで行かなかった事を考えると主催者から何らかの打診があったと考える方が自然でしょう。
各国のスタイルで試合から観戦までやって欲しいという主催者の意図があると思います。
その経験からは、広尾さんがご自身の考えで「球団や応援団の意図や考えを推察している部分」に見当違いが見られたりして、しかし「オフレコ」という約束なのでそれを議論のうえで軌道修正できない歯痒さを感じながら読んでおります。
書いても差し支えないと思うのは、私設応援団側も、鳴り物応援に関する批判の見解が及びそれに対する支持があることは認識しているということ、これを承知のうえで批判の対象となること、責任が発生することを納得させてから若い団員を入団させているということです。
(実際にはそういう単純な話ではなくて、あれやこれや・・・あるのですが、そこはお察しください)
ということなので、こうした賛否は積極的に当事者たる私設応援団へぶつけて良いと考えます。
公式ホームページを持ってメールアドレスを公開している応援団もあることですし、今回のWBC決勝ラウンドの応援に関する公開質問状のような形を取るのはいかがでしょうか。
むろん、面倒だし「そこまでする義理はない」という向きもあるかと思いますので、まあ一つの提案として・・・。
『好きか嫌いか』で語られる分には「そういう楽しみ方も確かにあるよな」と受け入れられますが、
『恥ずかしい』『解ってない』などの論調で言われると正直反発を覚えます。
30年以上も続いている事ですし『これが日本スタイル』と生温かく見て欲しいものですが。
>>5
永井良和他『南海ホークスがあったころ』によれば、現在のような声を中心とした集団応援は、早稲田大学が戦前のアメリカ遠征の際、当地で行われていたカレッジ・エールを持ち帰ったのが発祥だそうです。
その後、鳴り物を含めた集団応援は、主に人気のあったアマチュア野球に広まり、戦後になるとプロ野球の隆盛とともに自然な流れとして取り入れられました。(鳴り物自体は戦前の阪急の応援からありましたが、本格的に見られるようになったのは戦後とのこと)
戦後の応援の集合化・華美化そのものは、社の団結を目的とした都市対抗の方が先にあって、プロ野球応援団が模倣するパターンのようです。
「生温かく」というのが不気味ですね。何年続こうと、生温かいものは嫌いです。ファンに無理からの一体感がいるとは思ってみたこともありません。
東京ラウンドは私も見に行きましたので、応援団がいたのは知っています。あくまで海外の話。
日生球場で強要された三三七拍子の嫌悪感はまだカワイイ。
もうミュートで観ようかと思ったけど、桑田の解説も気になるし。
きっちり野球ファン後進国を露呈したと思います。
・当人達は言わんけど、選手がMLBに行きたがる理由の1つにもなっているんでは?
だから、MLB体験者(?)に本件を説いてもらわなきゃ変わらんだろね。
ゴルフの良いギャラリーは、動いていい時と悪いときをわきまえている。
TBSはゲン担ギで衣笠。彼に遠慮があったのか、
しかし昨日の解説、桑田らしくなかったね。
まあ、アスレチックスもインディアンズも太鼓で応援やってるんですけどね。
たしか、トランペットは広島が最初ですよね?鳴り物の応援って、客が少ないから少しでも盛り上げようとして始めるのだろうか。
セパで1チームだけなら鳴り物の応援も個性があって良いのかなとは思いますが、どこもかしこもはちょっとね。
当時はまだ笛に太鼓で三三七拍子みたいな応援が多かっただけに、子供のわたしにはとても魅力的な応援でした。
実際、そういった応援が集客に果たした力は大きいのでしょう。
現在でも、応援を楽しみに来るファンは野球そのものを楽しみにくるファンよりは多いと思いますよ。
しかしながら、30年以上続いたこの応援文化。そろそろ新しいスタイルを考えてもいいのでは。各チームの応援団のみなさま、お知恵をしぼってぜひよろしくお願いいたします。
思います。ちょうど僕が広島に住んでいた昭和51年位かと思います。当時は2~3人位の編成でそんない耳障りではなかったですね。
学生服があれば、毎朝ファッションについて思い悩まなくて済む。それと似ています。
その逆が歌舞伎ですね。声援にも色んな約束事があり、素人がむやみに声をかけるのははばかられる。こうなると敷居が上がってしまい、真の大衆芸能とは言えなくなります。
日本のアイドル応援文化とも共通性があります。サイリウムを振ってコールする姿は、野球の応援団と実によく似ている。最近はこういうスタイルがYouTubeなどを通じて他国に波及し、アジア圏はもちろん、欧米でも一部のマニア層が取り入れています。
お笑いでも全員が同じところで爆笑し、コンサートでも一糸乱れぬ手拍子が巻き起こるのは日本くらいらしいですね。もう国民性がマスゲーム体質なんでしょう。全員がぴったり揃うことに快感を覚えるという。
オーケストラの団員としてなら、実にすぐれた資質だと思うんですけどね。
実は今回、仕事の為ゆっくり見ることができず、海外のネット配信されている中継を音だけで楽しんでました。
私は英語での中継は、何を言っているのかはほぼわからないので、応援歌で「あー井端の打席だなぁ」とか「稲葉の打席はジャンプしてるのかなぁ」とか感じながら聞いていたので、非常に助かりました。
私みたいな人は、なかなかいないと思うのでちょっとコメントしてみました。
わざわざオランダ側内野席にしたのですが、四方八方からのガチャガチャ音がかなり不快でした。
日本を応援する人がこれだけいるというのは良いことだと思いますが、ビジターの内野席くらい静かに見させて・・・
と、思いました。
どちらかというと自分が周りから白い目で見られてましたけどね(^^;
シモンズやバーナディナなど、メジャーリーガーを日本で見られる数少ない機会ですし、純粋に試合を楽しめないのはちょっと歯がゆい思いでした。
そんな僕も、NPBの試合では外野で騒いでます。
あれはあれで、みんなで一体となって応援して盛り上がる楽しみであると思います。
ただ、外野限定で良いのでは?とも思います。
国際試合だからといってアメリカにあわせる必要もないと思いますけど、少しでも鳴り物禁止の席があってもいいんじゃないかと思いました。
そういうことをしないファンが多い内野席でそういうことをするファンの方は‥‥と思いますねえ。
球場内の席できちんと棲み分けすれば、歌ったり踊ったりどうぞご自由に。
鳴り物を全面的に止めろとまでは言いませんが、せめて「カードの初戦は鳴り物禁止」といったNPB共通ルールを作って継続して実施してもらいたいものです。
読売は、「球音を楽しむ日」をなぜやめてしまったのでしょう。
私も鳴りモノが苦手派です。AMラジオから小さく流れる消化試合のペットは、夏の終わりの場末感に絶好とは思いますが。
野球は競技のオンオフがはっきりしているのですから、オンプレーになる瞬間に静寂が訪れる、一糸乱れぬ統制を各応援団が競われては?プレーに感嘆した後、また皆さんで揃って歌うなり踊るなり。応援団の気質を昇華させると、マスゲーム的なものに行き着くかと思います。
野球を観戦する人と野球の応援をしにいく人、共存できればいいですね。
ようこそいらっしゃいました。でも私のサイトを応援団の人が見る機会はそれほど多くないのでしょうね。
読ませていただきましたが、応援も野球文化の一端だと、
個人的には思うのです。
外野席には行きませんが、交流戦の普段と違う雰囲気は楽しみです
プエルトリコはサッカー風な応援してましたね
私の考えでは、グランド外の出来事は野球ではないですね。
しかし、娘と観戦したホークス戦は内野席にも関わらず、娘がメガホンをガンガンたたいていました。うるさいからやめろとは言えませんでしたが。
最近は選手ごとのヒッティングマーチはBGMとして考えるようにしていますのでうるさいとは感じません。
これまで一番耳障りだと思った応援は、昭和51,52年日本シリーズでの阪急応援団の金太鼓。あのチ○ド○屋のような「チンチンチン」の音がたまらなく嫌だった(たぶん巨人が負けていたせいもある)。
ボールがミットをたたく音、バットがボールを捕らえる音はキャンプ期間に楽しむようにしています。
その言い方だと観客席を“グラウンド外”と言ってる様に聞こえますが、当方の勘違いでしょうか。
観客席も含めて『スタジアム』であり、
MLBの『ボールパーク』はそうした発想の下で成立していると理解しているのですが。
観客席はグランド外でしょう。MLBでもNPBでも同じでしょう。野球文化の範疇には入るでしょうが、野球とは別です。藝能でも映画でも舞台と客席は峻別されると思います。
私もあまり騒がしいのは苦手なので、一人で観戦する時は静かに観ていますが、トラキチの友人と観戦する時は私の分まで応援用バット(?)を持って来てくれますので、その時は頑なに拒否せず控えめにたたいています。
NPBではこのスタイルが出来上がってしまっているので、共存して行くしかないのかなと思っていますが、稲葉ジャンプだけは耐えられません。札幌ドームに行ったことはないですが、テレビで見てるだけでも画面が揺れて気分が悪くなります。
だとすると過日の記事での『野球文化』の表現は『プレースタイル』とでもするべきでしたね。
『野球文化』と言ったらフィールド上のプレーだけでなく、フィールドの選手と観客席のファンとの
触れ合い・距離感や、スタジアム外での選手の慰問活動なんかも含まれる筈です。
大相撲の取組前の歓声と立ち会いでの静寂、舞台やコンサートの演技・演奏中の静寂と終了後の拍手、
そういった観客との一体感も包含しての『文化』であり、
土俵や舞台の上だけでその競技・演目が成立している訳ではないと思いますが。
確かに厳密さを欠きました。「野球文化」はあくまでプレーにまつわる文化的な側面のことだとすれば、グランド外のことは「野球周辺文化」と書くべきでした。
それは峻別すべきでしょう。
相撲でも芝居でも同様ですが、どんなに応援をしてもその人は相撲や芝居に関わったことになりません。
観客席と競技者が一体になるというのは、あくまで「比喩」ですね。
よく「観衆が打たせてくれました」といいますが、多くの選手は本心ではそんなこと思っていないと思います。自分の努力と才能の結果だと思っているはずです。そうでなかったら私は幻滅しますけどね。
一週間くらい前、
マエケンの投球フォーム(リリースの瞬間)の写真が新聞に出ていました。
どの位置でボールが彼の手から離れて、
そのときの手のひらがどこを向いてて
どんな表情で投げきっているのか
そのときグラブはどこにあるのかなんて見方。
なのにホームラン打ったバッターの、三振を奪ったときのピッチャーの、
ガッツポーズ写真が最近多過ぎ! その方が売れるんだろうね。
エコなSUVカーで、内外装にキティ―ちゃんのシール貼って
AKBの曲ガンガン鳴らしながらコンビニにお買い物。
下名:「判ってないなあ」「走行性能とエンジン音を楽しめよ」
上司:「そんなんで購入者や市場が拡大するか?ボケ!」
いやはや仰る通り。
80年代、○○球場。長時間並んで外野自由席。
応援団はガムテープで20m辺の□と×でマーキング。
その中で恐そうなお兄さん方が5、6人場所取り座り。
ようやく確保した席は目の前金網フェンスで視界不良。
気づけば私の後頭部3m後ろにトランペット部隊。
*野茂のリリース、掌と肘は180度回って空を向いてたよね。
広尾さん
youtubeで2007年ACL浦和レッズの準決勝の浦和ホームの試合とやべっちFCで2007年ACL浦和レッズ決勝前の特集VTRを是非見てください
サッカーじゃ特にそうですが応援の力は間違いなくあります
本当に辛い時、身内に応援されると能力が上がることは脳科学でも証明されている話です
鳴り物応援という応援の仕方に問題があるのであって、応援そのものを不要と捉えるのはいかがかと思いますよ
30年前であれば、「俳優と観客の相互作用が~」なんてのは前衛演劇だけの世界でしたし、現在でも古典的な(すなわち普遍的な)演劇観に基づく上演はなお盛んですが、理論化の進展により、「いかなる場合であっても、観客の存在を想定しない上演はあり得ない」という考えで定着しつつあります。
これらの理論の対象は、いわゆる「演劇」だけでなく、スポーツ応援はもちろんラーメンの盛りつけにまで応用される抽象的(すぎる!?)な概念です。
そうした概念を、だからそのまま野球の応援に援用して良い、とは思いません。
専門的に論じようとするなら、留意事項をいろいろ挙げて検討しなければならないでしょう。
しかしながら、「観客席とグラウンドを隔絶された別の世界であると捉えること」や、「観客席はグラウンドに影響を与えてはならないという優劣関係」を前提に置くことは、こうした演劇に端を発した上演空間理論からいっても、また球場(スタジアム、ボールパーク、呼称は問いません)という空間の成り立ちから言っても、いささか疑問の余地はあると考えています。
別に応援の効果は否定しませんが、興味がないということです。
(マリーンズのように工夫していれば好感が持てるのですが)
じゃあ,MLBの野球周辺文化がNPBに比べ洗練されているか,というと,大いに疑問です.
MLBの試合は一度,それもスプリングトレーニングしか観たことがないのですが,あちらは運営側が色々と工夫して客を盛り上げるスタイル.
そうでもしないと中だるみしてしまうのでしょうが,ビジターチームの打者がファールを打ったときになる”ぼよよーん”という効果音は不快でした.
その点,NPBはファン自ら盛り上がる方法を作り上げているのですから(盛り上げ方には疑問がありますが),日本の方が高度とも言えます.
隣の芝が青く見えてすぎているように思います.
応援というのは、洗練されればされるほど「何もしない」に近づくと思います。結局、ステージを注視することに尽きるのではないでしょうか。
アレは南アW杯を境に見事に世界を席巻しました。
世界には未知の応援文化がまだまだあると言う事。
私は応援を含めての野球文化がぶつかり合う事が国際試合・国際交流なのではないのかなと感じます。
ttp://news.livedoor.com/lite/article_detail/7512607/
どちらかと言えば私はこちらに近しい共感を覚えます。
応援は別物だと思いますね。ジャンルが違う。文化人類学的には面白い課題かもしれませんが。なくても別に良いと思います。
さみしい気もしますが、ゴルフや大相撲は拍手と歓声だけですが、なんの違和感もないですからね。
要は客観的な視野を持てるかどうかだと思います。応援している人もいれば、野球を見ている人もいる。共存できればよいのですが。
日本人はアホだから相手に合わせすぎて損をする人種なので。
アメリカの野球が標準じゃない、ということを分からせなきゃ国際化もへったくれも無い、と言った感じです。
応援は観客をつなぎ止める役割があると思います。
札幌ドームではファイターズが来てから、野球に興味なかった年配の女性達が大勢駆けつけてます。
これが日本式の応援無しにただ見るだけだったら行かないのではないでしょうかね?
見解の相違ですね。
私は昨年3/28、東京ドームのマリナーズ、アスレチックスの開幕戦を見ましたが、ラッパや太鼓や民族の祭典が一切ないあの試合程、集中できたことはありませんでした。イチローのプレーもしっかり目に焼きつけることができました。
個人の意見でいえば、ない方がいいと思います。
いつごろから外野になったんでしょうね。
>>特に阪神の応援団とかは見ていて自分達しかみえてないのかとかんじますね。
>>自分達はチームを思っているからの行動だと。
>>だから、野次とかもへいきでいえるのかなぁと。
あぁ、それを聞いたらわかりました。
応援に名を変えた「憂さ晴らし」になったり、「チーム愛」の言葉を盾に球団や監督や選手をクソミソにバッシングする、恥じらい忘れた一部のファンの言動、根本は日本の応援文化にあるのかぁ!
応援は「文化」だと言われますが、それは文化人類学の用語としてのそれであって、芸術や文学と同列で語れる「文化」ではないように思います。
ロッテも経営面でより重要な内野席に空席が目立ち観客動員の減少傾向に歯止めが掛からない状況。まあ、うまくいかなくなってくると特定の客層頼りのマイナス面も目立ってきます。
大音量や一体感や整然とした応援よりも、様々なタイプの観客が自分に応じた楽しみ方が出来る観戦状況が最も理想的なんでしょうけど。
応援は仕方ないとは思うんですよ。でも、これ以上広げないでほしい。応援団のいない試合も残してほしいと思います。
サッカーでも南アフリカのブブゼラが世界中に広がりそうになりましたが、ヨーロッパのファンはこれを受け入れなかった。
何でもあり、騒げば勝ちみたいなのは、どこかで歯止めが利かないと。
「文化」とかいって、持ち上げるのはよくないと思います。
応援したい層と観戦したい層は、同じ試合では決して共存出来ないと思いますので、この問題を解決するには、やはり以前長嶋さんが提案されたような「球音を楽しむ日」を球団に作ってもらうしかないでしょうね。
正直中継を観ていてとても恥ずかしく、いたたまれない気持ちになってしまいました。
「自分たちのスタイルはどこでも変えない」というのは一見正論ですが限度を超えると単なる傲慢です。
話を聞くと、日本野球機構の運営の元で活動しているようです。
そして北京五輪の時にはそのNPBが公式応援を送り込むとスポーツ新聞一面で読みました。
その時に出ていた応援旗の絵柄が今回のサンフランシスコと同じなので、やはりNPBの意向なのではないでしょうか。
応援はお客さんを楽しませる為にするのではなく、選手の為にあるのだと思います。
韓国や台湾もそうですが、それがNPB管理の元であればそれは日本野球の目指すとこであり、受け入れられなければメジャーを観るしかないかと思いますが。
私はただの1ファンですので、ただうるさいだけなので鳴り物応援は辞めてほしいと言う考えを持っております。
特にWBCに関しては、わざわざアメリカまで行ってジャンプは見ていて恥ずかしさすら覚えました。
一方、シーズン中について自分が球場・球団運営する側の立場になって考えてみますと、
鳴り物の応援をする層がチケットの販売に大いに貢献している
という側面も無視できないと考えられます。
ですが、「うるさいのは嫌、応援を強制されるのが苦手、もっと自由に見たい」という方も同様に居るはずです。
鳴り物なしの日を設定すると同時に、
そういった層の方により球場に足を運んでもらえるようなPRを球場・球団には期待したいですね。
応援したい人と観戦したい人がかぶらない、ということは収益マイナスではなく、むしろプラスになる可能性もあるわけですから。
何か、飲食店の喫煙問題めいてきましたね。空間の共有という観点で同じでしょう。
「球音の聞こえる日」にして観客減少、ではなく、これだけの観客は来てくれると捉える球団があってもいいのでは?既存の応援団の方達にも「空間の共有」を考えて頂きたいものです。そこから観客増につなげる方策もあるのでは?
NPBの公式だから受け入れるべき、いやならMLBを見ろ、は暴論ですね。
応援団を球団が公認したのは、おかしな連中がどんどん好き勝手やりだしたからです。暴力団もいましたし、一般客を締めだして我が物顔で振る舞う連中もいました。
それは彼らは、野球にも球団にも選手にも観客にも全く敬意を欠いているから。自分だけ良ければそれでいい。楽しい。満足。他人がどう思うかなんて考える知性が欠如している。騒ぎたいだけ。
その内、悪貨が良貨を駆逐することになるかも知れません。私は良貨では無いのでまだ時々応援に行きます。耳栓は球場横のダイエーで買いますが。
まさに正論、おっしゃる通りです。
毎回楽しく読ませていただいておりまして、
初コメントさせていただきます。
私はどちらかというと今の鳴り物応援は賛成です。
しかし、広尾さんたちの反対意見もわかります。
まず、WBCでの応援団の行為はまちがいなく賞賛されるべきです。
賛否あるにせよ今の日本の応援スタイルで応援することが、
大事だと思います。
サッカーのW杯等、各国の応援スタイルで各々応援しています。
他国の応援方法についてバカにするなどもってのほかです。
つまり、ここで郷に入っては郷に従えの理論はおかしいのです。
WBCの場合ずっとアメリカですが、単なる試合場所がアメリカで
あり、日本対○○である以上問題はないと考えます。
(MLBで日本人選手に鳴り物応援することはまさに郷に入っては
郷に従えと言うとおもいます)
>国際試合の興趣が殺がれた
というのは非常に残念に思います。
>野球の応援とは第一に「試合を見る」ことであって
とおっしゃっているのは「野球」の観客であると思います。
例えばわたしは福岡なんでホークスが好きです。
ホークスの試合では応援団になります。
しかし、他球団、高校野球に関しては観客になります。
上記の表現でわかってもらえるでしょうか?
私もホークスの試合以外で鳴り物応援の中にいくのは嫌です。
つまり「応援団」になるようなディープ層と、「観客」に
なるライト層は相容れないと考えています。
>応援団各位は、「自分たちの応援こそが本流だ」と思っては
いけないと思う。そういう愉しみ方もあるだろうが、
そうでない人もいるのだ。
その通りだと思います。
しかし、昔は鳴り物がなかったといいます。
(父はヤジが楽しみだったといいますし)
たくさんの人に受け入れられてきたことも事実ではないでしょうか?
野球場という非日常空間を作る応援団、
野球を楽しむ観客としてむかうスタジアム、
どちらも日本の野球文化を作っているとおもうんですけど。
なんかまとまりつかずに読み苦しい長文で失礼しました。
ちなみに鳴り物応援について、
福岡での留学生(アメリカ、カナダ)は非常に好印象でした。
びっくりされましたが、選手に対し応援して、みんなで
パワーを与えている気がするという感想です。
ようこそいらっしゃいました。いきなりでなんですが。
私は静かに野球が見たい。
あんなに踊ったり騒いだりして、試合の経過が分かるとは思えない。
サッカーがそうだから、日本代表だから、何万人がそうだからと言われても、私は従いません。応援スタイルを人様から強要されたくない。
球場で騒ぎたいという人がいるのは承知しています。でも「一緒に騒がないのは非国民だ」とか「うるさいというのはけしからん」といわれる筋合いはないです。
一部のアメリカ人が喜ぼうと、知ったことではありません。
そもそもあれを「日本の応援スタイル」だと私は認めていません。一部のみなさんの独善です。声が大きく厚かましいだけです。
サッカーだって、子どものお遊戯みたいなのをしないと観戦できないわけではないでしょう。
こういうのをアートや文学などと同様「文化」と呼ぶのもおかしいと思います。「習性」とか「風習」の類だと思います。全く洗練されていないし、独善的だし。批評に耐えるものではない。最近の「ソーラン」と同じです。
「生活習慣」を「アートや文学」よりも下位に置くという見方は正直どうなのだろう?と思います。
また、そもそもスポーツ観戦そのものがサブカルチャーに属するのに、その応援行動を「文化としての劣っている」と議論するのは無意味ではないでしょうか。
(もっとも、私自身はハイカルチャーとサブカルチャーに優劣関係をつけたり、双方の二分法的に捉えることそれ自体に異を唱える立場なのですが)
他にも、当事者の見解を聞かずして「あんなに踊ったり騒いだりして、試合の経過が分かるとは思えない」と断定したり、「子どものお遊戯みたいなの」とネガティブなレッテルを貼るのは、客観的な物の見方とは言えないように思います。
一方で、「そもそもあれを『日本の応援スタイル』だと私は認めていません」という部分は心より賛同したいところです。
今回、ある私設応援団は、「日本の応援文化を世界に発信するチャンスである」(要約)と発言しました。
いくつかの立場があるうちの一つの形態が殊更にピックアップされるのは、既成事実を作って他の発言権を奪うことに繋がります。
この某私設応援団の発言に対して、私は危機感を覚えました。
人様の、まして私よりも長く野球文化の研究に携わっておられる方の見解を後出しじゃんけんで評するようなコメントになってしまいました。
ただ、鳴り物応援を拒否する側は「推測で相手の考えを推し量って、その真意には聞く耳持たない」、鳴り物応援を推進する側は「身内だけ分かれば良いという考えで、真意を発信しない」では、いつまで経っても平行線です。
双方から意見を聞ける立場にある人間として、不幸な行き違いだけが続いているようで、少し気になりました。
野球が、歌舞伎やクラシック音楽の様に、大衆的だった娯楽がどんどん敷居が高くなって、文化や伝統、芸術になってしまうのではないかと。
できれば、ガラガラの外野席に酔っ払いが横になっていても許される位のユルさが理想ですが・・・。
15年前くらいまで、ダイエーホークスの応援団に所属していました。
公設と聞かされていて入場料も球団に出してもらっていたはずです。
(関西在住だったので、オリックス・近鉄戦)
田舎から出てきたばかりのころ、友人と行った球場でみた外野席の応援は衝撃的でした。
18歳の僕はすっかりはまってしまい、球場に通いました。
友人と応援しているところを応援団の方にスカウトされ入団。
はじめは楽しかったのですが、90年代後半のダイエーはほんとに弱く、応援が監督やFAしてきた選手への誹謗中傷に変わったころやめました。日生球場の生卵事件にも応援団の人がかかわっていました。
鳴り物応援は球場に来た人が観戦にはまる大きなファクターであることは明白で、除外はできないと思います。
ある意味、多くの日本人の感覚にマッチしていると思います。
実際、ホームランコールしていて、一発が出たりするとたまらない感覚になりますし。
そして、球場に通ううち、野球の観かたに慣れてから選択していけばいいと思います。
まずは球場に来ないと見られない細かい選手同士の鞘当てみたいなものが醍醐味だと思います。
当時外野で応援しながらも、配球や野手の細かい守備位置などしっかり見れましたし、ただ騒いでいるだけではありません。
確かに、成績のいい時にだけ沸いてきて騒ぐにわかファンに腹を立てたこともありましたが、現在はその中から、本当のファンが増えればいいな、くらいに思っています。
長文失礼しました。
しばらく日本に帰っていなかったので、鳴り物の応援は懐かしくもあり、悪くありませんでした。それほど大音量でもなく、若干控えめだったように思いましたし。
自由の国アメリカですので、日本流を押し通すのもあまり問題ないでしょう。それを受け入れる寛容さもアメリカの魅力のひとつかと。
アメリカは以前より謙虚のように思います。日本スタイルの応援も理解してくれる素地が今はあると思いますし、また、日本のプロ野球もあまりメジャーリーグに迎合せず日本のスタイルを大切にしたほうが良いように思いました。
たまたまファンの球団のホームスタジアムの近所に住んでいるのですが、あの応援になじめず、年に数回しか観に行きません。
以前、某選手に直接聞いたことがあるのですが、その選手は自分はあの応援団の鳴り物応援は集中できなくて嫌いだけど、球場に足を運んできてくれる人たちだから…と言葉を飲み込んでいました。
息をひそめてじっと見つめる。ビュッと空気を切り裂く投球音。選手のうめき声。甲高い打球音。良いプレーには割れんばかりの拍手と大歓声。
そんな野球観戦がしたいが、NPBでは叶わない。
通算10試合ほどだけですが、MLBを観たことがあり、自分が心地よく野球を観ることを楽しめるのはこっちだと思いました。
今回のWBC日本ラウンドで非常に気になったのはウェーブです。観客の高揚もわからなくはないけど、少なくともインプレー中はやってはいけないと思う。
ですが、なぜ「鳴り物応援」=「恥ずかしい」=「即刻やめろ」となるのでしょうか?
MLBにもオークランドなどといった球団は楽器を用いた応援をしていますし、今回のWBCでもサンフアンでの1次ラウンド、そしてマイアミでの2次ラウンドでドミニカをはじめとする多くのファンがトランペットや太鼓を持ち込んで音を打ち鳴らしつつ応援していました。
あなたの文章からは、それを「恥ずかしい」と決めつけたい何かを感じざるをえないのです。
ESPNなどの実況放送では、東京ラウンドでの日本の鳴り物応援を好意的に取り上げていたと聞きます。
さらに申し上げると、「個人の応援歌ができることが、一流選手のステータスである」と捉える選手もいるのです。
一方で、「洗練されている」とされるMLBの観衆は、その実聞くに堪えないヤジが飛び交っていると聞きます。現在東京ヤクルトに所属しているラスティングス・ミレッジなどは、MLBでプレーしていた際にはあまりのヤジの酷さに耳栓をしてプレーしていたそうです。
今回、ジャパニーズ・スタイルである鳴り物応援がアメリカのボールパークで披露されたのは、その善し悪しは置いといて画期的なことなはずです。おそらく1世紀以上に渡る野球とベースボールの歴史の中で初めてだと思います。それだけで偉大なことだと思うのです。
それぞれの国に野球のスタイル(例えば日本であればバントを多用するスタイル)があるように、「野球観戦のスタイル」があるはずです。
鳴り物応援がダメ=ないのが正解、というわけではないと思います。私の見識が不足していたら申し訳ないです。
「試合観戦の邪魔になる」のが一番の問題です。我慢して見ている人がいるわけです。そのサイドからの意見です。
「風習」「習慣」と「芸術」「文学」に優劣をつけるのはけしからんとおっしゃいますが、それは数多くの芸術家や文学者の、恐ろしいような努力、凄い才能と、一般人の戯れを同列に語れと言うことだと思います。次元が違うでしょう。
サブカルチャーを一般人の戯れだと勘違いしている人も多いようですが、表現手法、アプローチの仕方がこれまでと違うだけで、表現者の才能、能力は、一般人とは懸絶して高いと思います。
「文化」とレッテルを張ることで何も言えなくなる昨今の風潮は嘆かわしいと思っています。好き放題やってエスカレートしてきたものは文化ではないと考える次第です。
「鳴り物応援」=「恥ずかしい」=「即刻やめろ」となるのは、野球観戦を邪魔するからです。
こういうものだと思っているお客、あきらめているお客=日本人の前でやるのは、仕方がないと思いますが、「野球は静かに見るものだ」と思っている大部分の外国のお客の前で、いきなり大騒ぎするのはマナー違反だと思います。
MLBでの音の立て方は、日本のそれとはスケールが違います。昔は日本でもそうでしたが、応援団は一部の客がスタンドの片隅で小さな音を立てる程度でした。
ここまで大きく、厚かましくなったのは異様なことだと思っています。
大きな音を出す上に、派手なパフォーマンスまでするのに、自分たちのやることはどこでも受け入れられると考えられる神経(あるいは無神経)を私は「恥ずかしい」といっているのです。
「他の応援スタイルがある」ことが理解できない想像力の乏しさも嘆かわしい。
それから、あの大騒ぎが「日本の応援スタイルだ」と胸を張っているのは、やっている御当人だけです。
恐らくは選手の多くもそんなことは思っていません。遠慮していっていないだけです。
長嶋茂雄が「球音を聞く日」を提唱したのは、なぜだと思われますか。
率直なコメント有難うございます。
セットポジションに入ったら静かにしてくれないか。頼む!
とりあえずそこから歩み寄ってくれないか。お願いです。orz
私が日本プロ野球大嫌いの理由の一つが、この応援団です。
が、が、、今回の試合だけは、なんだか不思議なことにほっとさせられてしまいました。。
もう心臓バクバクでTV観戦、「あれ、なんだか今日の俺、変だぞ。。」と思いながら、どうにか普通にしないと、普通に。。と思っていたところに、あのトランペットが流れてきたのです。
普段大嫌いなこの応援が、この時ばかりは「ああ、いっぱい日本人が居るんだ。。NPBの選手たちがこのトランペットで平常心に戻ってくれたら。。」と妙な安心感を覚えてしまいました。
気付けば、俺もこの応援に毒されてたんだな、、と気付きました。
テレビで見るMLBはとても静かに紳士的にファンは観戦されていると言われ、NPBの応援スタイルとたびたび比較されますが、ぶっちゃけMLBの中継では聞こえないように局側が調整してるだけで球場によったら結構なヤジ等がありますから一概にそのスタイルがイイかどうかは判断しかねますけどね。
他国の応援スタイルは良くて、日本の応援スタイルが悪いというのはどうにも納得ができません。
MLBは試合をみるのも楽しみのひとつですが、球場で楽しむのも娯楽のひとつと言われています。
日本の場合はその応援スタイルで楽しんでいる人も多数いるというのを忘れないでもらいたいです。
じゃ、ボールがバットに当たる音や、ミットに収まる音が聞こえる程度に応援していただけませんか。私はそれが聞きたいのです。我慢しているのはどちらでしょうか?
メジャー信者の超頑固オヤジ?そんな感じです。
「応援=恥ずかしいとみんな思っているに違い無い」との考えですよね。
この思考こそ恥ずかしいですよ。
日本人というのは賛成の時は何も言わない、反対の時だけ言いまくる傾向があります。
「記録で話したい」というブログ名なのに、そこは数字で調査しないんですか?
ちなみに広尾さんはスポーツしたことありますか?
趣味ではなく競技として、誰かに応援される立場で。
その通り、私は「固定観念」を持っています。それを信じているから意見が言えます。うるさい応援団も「固定観念」を持っているでしょうが、それを論難しているわけです。ふらふら意見が変わったりはしません。
私と違う意見の人がいることを承知で、その方々に向けて言葉を吐いているわけです。
あの応援について、「恥ずかしくない」と思う人がいることも承知です。その方に「私は恥ずかしいと思う」とお伝えしているわけです。
「お前と違う意見の人もいる」「お前と違う感性の人もいる」当然のことです。違うからこそ議論になる。
それが問題だというのは、「議論」の意味を理解されていないということになるのではないですか。議論に真剣に参加されたことがありますか?
賢そうに「あの意見もある」「この意見もある」と相対論を述べて、丸く収めるようなつまらないことはしません。
傾聴に値する意見は聞きますが、相手の数が多いから、とか、あんまりいうと悪いからという理由で妥協はしません。大事な問題だと思うからです。
スポーツの経験について聞いておられますが、何の関係があるのでしょうか?
「応援されてうれしかったから、応援OK」みたいな単純論ではないと思いますが。
そういう感じ方はあるでしょうね。外国で、日本にいるときと同じような空気を作ってくれるのだとすれば、応援団にも一片の効果はあるでしょう。それは認めます。
例えば試合を見れば自ら学ぶことはあるかもしれませんが、そういった個々人の学びというのは人から見ることができません。外見上はただぼーっとしているだけです。そしてぼーっとしていると、応援しろよと怒られるのです。応援は、その実たとえなにも考えていなかったとしても、共に戦っているように映ります。だから、ベンチに座っているときは応援しなければサボり魔とされ、そうみなされないために応援する中で、だんだんと応援が楽しくなってくるという実感もありました。
ベンチに座ってなにもしなければ、サボっているように見える。そういうの、様々な教育の中で、日本人は嫌いなのかもしれません。自分のできることを他人に見える形でしなくてはならない、というのが教育の中で育まれ、そうすることが心地よいのかもしれません。
共に戦っていることを他人に見える形で表現しなければならない。他人に気づいてもらえなければ、サボっているのと同じなのだから。だからこそ、『応援』している人は大きな音を立てる。しかし、『観戦』している人にとってそれは邪魔になることがある。同時にただただ観戦している人というのは、応援している人からすれば『球場まできて何をサボってるんだ』ということかもしれません。
球場には、自チームを応援しにきている人、野球を観戦しにきている人、様々な人がいて、そして、選手も応援されたい人、黙ってみていて欲しい人、様々な人がいる。
私はどちらの立場でもなく恐縮ですが、みなさんの書き込みを見て、球場に集まる人にも種類があって難しいものだな、と興味深く思いました。
返答ありがとうございます。
広尾さんのご意見もごもっともだと思います。
ただ、たびたびつっこんですみません。
静かに「観客」として見たいという人もいれば、
がっつり「応援」したい人もいるのがスタジアムだと
考えますがいかがでしょう?
確かに強要されることは批判すべきことだと思います。
また、強要するつもりもありません。
ちなみに「応援」していても十分試合展開はわかります。
(ただし、プロの批評家が「観る」のではなく、部活野球を
やって野球を楽しんでいた程度で「見る」ですが)
>「一緒に騒がないのは非国民だ」とか
「うるさいというのはけしからん」
ここまで言う人はおかしいでしょう。私も言いません。
(コメントでも言ってないつもりです)
応援という行為自体が、巨大な騒音を立てるので、迷惑行為になっているということが大前提でしょう。それが嫌だという意見は、もう少し尊重されるべきかと思います。
私は平気ですが、というのは答えになっていません。
ガッツリ応援したいという要望は聞きいれられても、静かに観戦したいという要望は叶うことが無いのが現状です。
「日本の応援スタイル」として認めないというのは
意見として結構だと思います。
ただ、我慢しているだとか恥ずかしいというのは
肯定派に対して失礼だと思います。
スタジアムにはいろんな人がくるところです。
野球に詳しくない人も、イケメン選手を見にくる人も。
そういう人たちが一緒に応援しています。
球場には玄人しか来てはいけないのでしょうか?
じーっと1球、1球集中して「観る」ことを強要されるのですか?
素人は盛り上がるプレーがわからないこともたくさんありますよ。
そういう人たちは楽しいでしょうか?
少なくとも鳴り物応援で楽しんでいる人はたくさんいます。
(嫌がっている人ももちろんたくさんいます。)
どちらも相容れないというのはまちがいないと思います。
(前のコメントでもいっています)
風習・習慣かもしれません。
応援スタイルはこうだという決めつけはよくないですが、
どちらも尊重すべきであると思います。
応援団は日本人の気質による存在ではないかと思います。
日本人 => 誰がが頭にならないと騒ぐことすら躊躇う国民気質。
要するに出るくいは打たれる、皆と同じが安心。
アメリカ人 => 自分の思いを自分の責任で行う。
台湾人 => と言うか台湾野球は、お客が極端に少ないので
ああいう応援でもしないと、本当に寂しいからでは…
(因みに鳴り物一切禁止の球場も存在はしています)
最近の日本の球場では、外野の応援や人間関係が嫌で内野に流れる人が増えています。
しかしながら内野でもメガホンとかが増えてきているので、球場に行かない人が、
俺の周囲では増えてきています。
だからと言って皆、応援団の存在を否定してはいません。
お国違えば応援方法が違うだけです。
なので、別にアメリカで日本式の応援をしたって良いんじゃないんでしょうか?
(但し今回のWBCではMLBの何か意図的なものを感じますが…)
カリブのチームも鳴り物を持ってきていましたが、あれもお国柄。
それにMLBを良いと言いますが、結構酷いヤジが飛び交っていますよ。
なので全否定するのはどうかと思いますが…
因みに俺の友人(米、加、台)と日本の野球を観戦していますが、概ね好評でした。
各選手に応援の曲があって、親近感が湧いてくると…
大抵は鼻歌で覚えて帰国する人が多いです。
それに球団側でも無碍には出来ないと思いますよ。
応援グッズの収益はバカになりませんから…
定番の物としてメガホンが売られ、単価数十円のジェット風船が何十倍で売られ、
毎年応援振り付けを指南するDVDが発売され、
球団仕切りのオリジナル曲をCDとして発売しetc…etc…
それなりの収益を上げているんですから…
アメリカでの稲葉ジャンプが色々言われていますが、
あれはマスコミの報道姿勢も悪いと思います。
カメラが揺れるのは耐震構造の為で、それもほんの数十秒なのに大騒ぎして煽る。
あれでは普段札幌ドームの試合を見ない人は、勘違いします。
因みにロッテの応援では、稲葉ジャンプ以上の長時間ハネますが、それは球場によりけりです。
球場側から通達を受けていて、やれない所もあります(例:甲子園、Kスタ)
逆に今回国内で行われた東京や福岡からの通達は聞いた事がないです
=> すなわちジャンプ可能
なのでもし今回だけジャンプ禁止の通達が出たのなら、
それはそれで客の反発を食らうでしょう。
普段がOKで何故今回がNGなの?と…
ただ個人的にですが、アメリカでのジャンプはいただけないと思いますね。
少人数とはいえ建築上どうのか?確認されていないわけですから…
それと俺が現地で見ていたとしても、気持ち悪いと思いますね。なんだこいつ?って思うでしょう
最後に…本文に記載されている『角中ジャンプ』ってなんでしょうか?
聞いた事もなく初耳ですが…
長文失礼しました
好き好きではあるとお断りしていますが、要するに日本国内でとどめておいてほしかったと思うわけです。
失礼というのは、静かに観戦している人のことを考慮せずに騒ぐ方々ではないかと思います。
迷惑に思う人のことを一顧だにしないのは、失礼ではないのでしょうか?我慢するのが正しい在り方なのでしょうか?
もう十分に我慢をしてきているので、これ以上広がらないでほしいと思っている次第。
では、「野球の応援」というのは何かという定義を考えてみると・・・、
まずはプレーする選手が、応援する側には背中をくれる有言・無言のメッセージとなる、ということでしょう。
その観点でいけば、「応援」は自分で入場料払っていたとしてもあくまでも「選手のため」という、いわば利他的に行うもので、「自分はこう考える、こうしたい」という利己的な部分は極力排除しないとならないものです。
静かに観戦するにせよ、歌ったり踊ったり楽器などで音を出して応援するにせよ、「応援する選手のために何をするのがベストか」という意識が必要なんじゃないかな。
まあ、アカの他人の自己アピールなんていちいち見たくないというのは人間の正常な反応なので、外野席の応援団もそれを気にしながらほどほどにやってくださいとしか言えませんが(笑)。
人気があるから、球団がもうかるからOK,という理屈に理解を示す気はありません。その是非を論じたいと思うばかりです。
でもああいう応援を不快に思う人もいるんですね…。人それぞれですね。
サッカーはどこの国もサポーター一丸となって応援して盛り上がっているので、野球代表もそうなればいいな~とか安易に考えていました。
とりあえず私は今回のWBCを見て野球に興味をもちました!
集客策は特に考えなくて良い、寧ろ余計な事をすればマイナスですから。
しかし実際は、そこまでコアな観客だけでは1/3も埋まらないでしょう。
ライト層やニワカ、関心の薄い人々に如何に足を運んで貰い、リピーターを増やすかが勝負です。
その為にビール半額やグッズプレゼント、コラボ企画など色々腐心している訳です。
そして何人かの方々が言われてるように、あの応援スタイルも一定の効果を果たしています。
「打球の音や投球がミットを叩く音を楽しみたい」との意見も解りますから、
各種企画と同じ扱いで『球音デー』を数試合に1度設ける形なら、相応のアピールにもなるでしょう。
しかし「プレーを静かに注視するのが唯一無二の正しい観戦の仕方」などと言って
全試合でそれを強いられれば、観客動員が落ち込んで球団経営に響く事態も考えられます。
「だからコア層の言い分なぞ無視しろ」という事では勿論ありません。
しかし「原理原則を貫ければ球団経営なぞ知った事か」とは流石にならないでしょう。
『信念を持つ』事と『異論を認めない』事とはイコールではないと思います。
文章を読んでいただければ、私が応援団の存在を認めていることはわかると思うのですが。
馬鹿騒ぎ客も初心者も入れないと球場がいっぱいにならないのは百も承知です。しかし、応援団の圧倒的なボリュームに不快な思いをしていると申し上げているだけです。我慢せよ、と言われるかもしれませんが、すでにずっと我慢しています。特にドームは音が渦巻くので、かすかに聞こえる打球音さえ、どこから聞こえるのかわからなくなります。
マイノリティからマジョリティに異議申し立てをしているまでです。でもマイノリティだから間違っているとは思っていません。
ただ、これ以上際限なく広がるのは問題だと言っています。韓国のように客席が馬鹿騒ぎ一色になるのを恐れます。
giabbits8さんは、いつも巨人の経営陣を気遣われますが、それも私には理解できないことです。
どうしても「日本の応援団の悪癖悪習」にしたいみたいにしか見えないんだけれど。
あなたの論理に「経営陣に応援団が落とす利益以上のもの」、応援団に「応援による一体感と、チームに選手に貢献しているんだという自己満足以上のもの」、そしてそのような応援に「祭り」を感じるライトなファンに「ビールを飲みながらメガホンを鳴らして贔屓チームに一喜一憂する楽しさ以上のもの」をそれぞれ感じさせることができれば、きっと変わっていくことでしょう。
「ああ、まったくおっしゃる通りだな」と納得してくれれば、ですね。変わらないなら、その程度の論理だった、ということです。
このての記事は常に平行線ですよね。
私個人は野球を様々な見方で観る人がいて良いと思ってるので、応援したり、集中して見たい人がいて当然だと思います。ただし、応援がやかましく感じるのはプロ野球だけに限らず、高校野球や大学野球でも同じです。
MLBに関しても、アメリカにしばらく住んでいたのでよく見に行きました。
ニューヨーク、シカゴ、セントルイス、テキサス、ボストン、シアトル、サンフランシスコ…どこの球場にも
共通しているのは日本以上に酔っ払いが多く、酷い野次が飛び交い、日本の球場以上に野球を見てない人が多い感覚が持たれました。
球場の周辺は治安が悪い所も少なくないし…日本人のメジャーに対するイメージってちょっと美化しすぎなのかなと思います。
その点、日本では多様な野球観戦の在り方があって子供から大人まで安全に楽しめるっていう部分では平和であり良くできていると感じます。
席も別れてますし、自分に合った席種のチケットを買えばいい訳だし。
ベンチやホームに近い場所の席であれば球音や選手の声も聞こえて臨場感あります。
私はその日の気分で席種を変えるようにしています。
「議論」では、「固定観念」に縛られていては、何も生まれません。「許容」や「柔軟さ」こそ必要なのです。それがないものでは、単なる「言いぱっなし」であり、「対立」を生むだけです。
もちろん、文章を書くということは、ある意味、「決めつけ」ないとできないことだと思います。つまり「主張」が必要なわけです。一方で、「主張」だけでは、現実社会において、何も変化は訪れません。
長々と、前提を述べてしまいましたが(あなたは、こういう文章は嫌いでしょう)、公共の場の使い方というものは、「棲み分け」をするのが妥当ではないでしょうか。
この場合なら、外野席においては、ホームとビジターで、それぞれ、楽器類は、1つだけにするようなルールを作るような(押しつけではなく)ことが適切ではないでしょうか。
大切なのは、「行動」することでしょう。広尾さんが、強い信念をお持ちなら、球場に行って、応援団の人達や球団関係者と話してみるようなことをなさってはいかがですか。
個人的にはこの応援方法は好きですが、広尾さんに歩みよってほしいというわけではなく、理解を深めることで、批判をするならするでもうすこし的確なものになるのでは、と思いました。
こういうコメントをしても、私はただ静かに見たいだけで、相手を理解をする気がないって返されるんでしょうけど。
おっしゃる通り、私はすみわけをすべきだと思います。ロッテのように外野だけがそうなるのなら、それでよいと思います。
ただ、ブログで意見を表明すると、当事者に直接言いに行けと言われるのは当惑してしまいます。前はナベツネに会いに行けと言われましたが。
私は社会運動家ではなく、ライターなので言論でアプローチしたいのですが。
特にドーム球場では顕著だと思います。
せめて投手が投球動作に入ったら打者が打つまでは静かにしていてもらいたいですね。
みなさん私が折れないと納得しないようですが、なぜ?
理解が浅いと言われるのもよくわかりません。立場が違えば、見方が違うのは当然でしょう。45年も野球を見てきて思ったことを書いているのですが。
ようこそいらっしゃいました。
MLBを美化する気はありません。良いところも悪いところもあるでしょう。それほど見ていないのでわからないけど。
ただ豊浦章太郎さんと話していても、やっぱりMLB観戦の方がNPBよりも気持ちがいいと言われます。応援団がいない野球観戦は、NPBをずっと見ているものにとっては、見果てぬ夢になっているわけです。
食事をしに行き、隣で喫煙されると席を変えます。
そもそも喫煙席には座らないし、仕方ないならなるべく間切りのある席を案内してもらいます。
私は食事を楽しみに行ったのであり、煙草の煙をかけられる為に行ったのではありません。
なんだか応援も気持ちは同じですね。
そう思うと理解出来ます。
野球の場合はどうしたらよいのかは分かりませんが…。
あと西武ドームではライオンズが得点すると松崎しげるの球団歌に合わせて小旗を一斉に振ったりするんですが、試合展開が最高潮に達するとそのままチャンステーマっていうんですか、切れ目のない応援歌に移行してそのまま旗が振られっぱなしってことも。
ブルー一色の旗が振られるの遠目にはものすごくきれいなんですよね。ただ目の前で視界を遮られるのはとことん迷惑というジレンマ。
自己防衛として比較的すいてる少ないビジター側の内野席で見てます。
30年近く続いてきた事もあり、自らのアイデンティティと同義なのでしょう
今までなぜ鳴り物応援の反対意見が黙殺されてきたのか謎です
同感。
現在中国に駐在している一野球ファンです。
鳴り物は元々甲子園の高校野球の応援をカープの応援団が取り入れたのだと思っておりました。それが各球団に普及し選手個別のテーマソングになっていったのだと・・・。
それはさて置き、私ものべつ幕なしで応援するスタイルはあまり好きではありません。やはりここ一球の場面ではジッと手に汗握って見つめたいと思います。
私はテニスも好きなのですが、ワンプレーが終わって大歓声、そしてサービス側がベースラインで構えると歓声がスーッと引いて静寂になる・・・。こんな応援が野球でもあればいいなとは思います。
あくまで個人的な感想ですけど・・・。
ようこそいらっしゃいました。
頼まれもしないのにみんなで揃って応援するのは、アジアの特性ではないかと思います。ただ、サッカーは別ですが。あれは考察の余地ありですね。
このブログの人って、どの程度現地で見ているんだろう,
そして情報源は何処からなんだろうって…
誤報が多いんだよね。
文面にある
「角中ジャンプ」 => 誰?そんなこと言ってんのは?マスコミ?ちょっとでも通っていれば、間違いだって解るよね?
「東京ドームの試合では、ジャンプを自粛するような通達がされたと思うが、守られなかった」 => ソースは?何処の方から聞いたの?自粛と禁止って違うの解ってる?
98の米より
「私はすみわけをすべきだと思います。ロッテのように外野だけがそうなるのなら」 => ハイ?誰がそんな事を言ったんですか?ソースは?内野でもできる所ありますけど…
http://www.marines.co.jp/ticket/general.php
の※欄よく読んでみ
それとMLBを神格化しすぎだと思う。
誰かも書いていたけど、MLBの球場を建設する時って、
治安が悪い所に作るって常套手段な訳よ。
治安が悪い => 安く建設が出来、かつ治安が向上される。
そんな所にある球場で、観戦してみな、酔っ払って絡みたい欲望満々な奴や、まぁ聞くに堪えないヤジは飛ぶわ、下手すりゃ差別的発言を客が客に浴びせたりもしますよ。
なんか説得力にかけるんですよ。五感で感じて書いている訳ではなく、周りから情報を集めて、そこに感想を載っけているだけっていうのかなぁ…
普段から数字や球団史とか、他人任せの情報に載っかって書いているんじゃ?って感じに今回の一件でとれた。
だから平行線なのかなと…
現場絡みの発言するならもう少し、足を運んだほうが良い気がするなぁ…
情報源の99%は、メディアやマスコミやネットからですよ。年に試合は30くらいは見てますが、それ以上は無理です。仕事もあるし、ブログも書いているし。野球記者じゃあるまいし。そんなことは、みなさんもご存じのはず。もう聞き飽きた批判ですけど。
→なんか説得力にかけるんですよ。五感で感じて書いている訳ではなく、周りから情報を集めて、そこに感想を載っけているだけ
五感云々はあなたの感じ方ですから知りませんが、その通りですよ。私はジャーナリストではない。その前提で読んでいただいています。
いちいち応えるのはうんざりしますが、
角中ジャンプは、実際に球場で何度も体験しました。そういう呼び方がないということですか?
東京ドームの自粛のソースは
http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20130307-OHT1T00255.htm
です。禁止と自粛の件は単なる言いがかりです。
千葉ロッテの件は外野よりの一部の席に(1塁側2階内野自由席のライトスタンド寄りのエリア)応援可能な席があると言うことですね。これについてはご教示感謝します。
これからは「外野席など」と言い改めます。
ただ、重要なことは、応援可能な席が分かれていて、それが徹底されているということだと思いますが。
MLBを神格化しているというのは、単なるあなたの感想です。
→現場絡みの発言するならもう少し、足を運んだほうが良い気がするなぁ…
大きなお世話です。
ずっと読んでいたそうですが、重箱の隅をほじくるようで、批判としても大したことないと思います。もう少し骨のある批判をしないと、せっかく書いた意味がないと思いますが。
まず、前提として、自分がWBCでの応援について認識している部分を。
日本は野球に限らず、他の競技でも、一体感のある応援をすることで海外でもある程度は有名かと思います。
サッカーだろうとバレーだろうと、日本の後に3回の手拍子を行う応援スタイルは、特に球技でしばしば見かけると思います。
国内野球の場合は、これにトランペット(アマチュア野球はその他金管楽器も含む)や打楽器が加わります。
これは、ブログ主様も認識してることと思います。
時は遡ること2009年、WBCの運営会社、米国WBCI社が参加各国に対し「自国の応援文化の尊重」を要請しました。
日本に対してだけ見れば、WBC側からの鳴り物の「容認」あるいは「公認」と見て差し支えないでしょう。
結果、2009年では東京ラウンドで日本の応援文化である鳴り物応援が行われました。
また、野球文化では特に大きな影響を与えてる、韓国、台湾の応援でも、鳴り物が用いられました。韓国戦では米国での試合でも鳴り物が用いられてたと記憶しております。
それ以外でもオーストラリア、キューバの応援でもそれぞれのファンが鳴り物を用い、キューバに関しては、人伝に聞いた話でありますが、メキシコ戦において対戦相手の投手の降板時にショパンの「葬送行進曲」を演奏したとかいう話も聞いております。事実であれば、阪神タイガースの応援団が用いる「蛍の光」に通じるものが有りましょう。
まずこの実態から、鳴り物による応援はアジア独特という発言については、どうか撤回していただけるとありがたく思います。
また、これが「日本の「恥」を世界に晒した」ならば、影響を受けてると思われる韓国、台湾、あるいはそうでないオーストラリア、あるいはキューバの応援はどうなるのでしょうか?
もちろん、鳴り物応援に対する賛否は大いに論じられるべきでしょう。
否とする立場のブログ主様は「鳴り物は恥」とされるのは理解できます。
即刻やめろというのも、論理の筋は通っています。
鳴り物賛成の自分は共感はしかねますが。
しかし、メジャーを経験し日本に来る助っ人選手の中にも、今年横浜に入団したナイジャー・モーガン外野手、巨人に入団したホセ・ロペス内野手など、「日本の応援スタイルは活気があって好きだ。」という声を挙げている助っ人が居ることも、どうぞご理解ください。特にモーガン選手に関しては、インタビューで自身の応援歌を歌えるほどの選手です。リップサービスでもここまで出来る選手はなかなかいないでしょう。
この文化を恥とする日本人の意見があることは重々承知していますが、この文化に賛同する外国人選手、あるいは同じ文化を持つ外国のファンが少なからずいることを、どうぞ頭の隅に置いていただければ幸いです。
ようこそいらっしゃいました。
日本の応援団を「日本の恥」だと誰かが言っているのでしょうか?私はそうは思っていないですよ。
外国人がどう受け止めるかは知りませんが、少なくとも野球の微妙な「音」を聞き分けたい人間にとっては害悪です。
選手によってはそれが嬉しいと思う人もいるでしょう。それも好き好きです。
しかし、快く思っていない人が同じ球場内にいることも頭に入れるべきだ。あたかもチームの一員になったかのように勘違いして、「我が物顔に振る舞うな」といっているだけです。
応援団も、普通の観客も、ただの素人ですから。
先ずは先日のコメントにて、こちらの行き過ぎた解釈があったことお詫び申し上げます。
お返事を読み返してちょっと気になった部分があったので、改めてお聞きしたいと思います。
(以下、当記事本文中より引用)
しかし、応援団は「野球とは何の関係もない」ことを認識し、「好きで勝手にやっている」ことを自覚すべきだと思う。
(以上引用終わり)
これについてなんですが、「野球に関係なく」「好き勝手にやってる」ことであるのであれば、球団や選手会といったところからなぜ自粛要請、あるいはそういった層の強制排除を求める声が強くならないのか疑問を抱きます。
また、球団側としても、たとえば応援歌のCDを球団が発売してるケースがあります。具体的に名前を挙げれば、知る限り巨人・中日が該当します。
また、わたくしは巨人のファンクラブの有料会員に属しておりますので、球団から今年度の巨人の日程などが記された特製の手帳を特典として、頂戴しております。
これには、シーズン途中から応援歌が追加されたロペス選手等、一部を除き巨人の選手の応援歌が記載されております。
横浜スタジアムにおいても、バックスクリーンの改修が行われた今年より、横浜DeNAの選手の応援歌の歌詞を表示するようになりました。
これらの事実について、どういうご感想をお持ちで、またどういうふうにお考えになるのか、自分が一ファンとして、プロ野球の応援を考えるにあたって参考にしたいので、最後にお伺いしたいと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=HCp8P8IYAF8
まぁ、こういうのを見てから議論するんだな。
ありがとうございます。
奴らに何を言っても、馬の耳に念仏ですよ。いや、その表現は正しくないな。とても「馬」なんていう邪心のない存在ではないからです。
一言で言って、奴らを動かしているのは「恨み」です。字面からしておだやかでないですよね。でもやはり「恨み」なんです。
何のかというと、「文化的なもの」「知的なもの」「個性化につながるもの」「自己表明につながるもの」「実力評価されるもの」etc.etc.つまり、健全な社会にあっては当たり前とされるものに対する恨みです。
奴ら「野球」を観ないでしょ。観れないからですよ。野球なんて言う知的で複雑な駆け引きにあるスポーツは。今何アウトか、得点差は、塁上走者は、作戦の選択肢は、投手の交代時期は、そのような野球を形作る面白さは、すべて奴らの敵です。なぜなら、奴らにはそれらを味わう知性がないからです。
で、何をやっているかというと、「応援」のパフォーマンスを取った憂さ晴らしです。
奴らがなぜ「投球前は静かにしようよ」とか「無走者のときは静かにしようよ」とかいう取引の提案になんの意味のある答えをしないのは、それが「文化的観戦」に協力することになるからです。やつらは「野球文化」を破壊したいのですよ。
無走者だろうが、同店スクイズから連続の逆転スクイズだろうがどうでもいい。ただ騒いで、終わってみれば勝っていた負けていない、ああよかった。それで終わりです。
奴らは決して素直になりません。なぜなら、心の底では自分らの存在を深く恥じているからです。「文化」から隔絶した自分らをね。
だから、「おれらは試合なんてどうでもいいから騒いで応援の不利をした憂さ晴らしをしたいんだ邪魔するな!」と素直に言わない。
こういう奴等とは何のコンタクトもしないことです。すべて無駄です。そして、私も2度と球場に足を運ぶこともないでしょう。さらばプロ野球です。
今年横浜に入団したナイジャー・モーガン外野手、巨人に入団したホセ・ロペス内野手など、「日本の応援スタイルは活気があって好きだ。」という声を挙げている助っ人が居ることも、どうぞご理解ください。特にモーガン選手に関しては
モーガンは能天気なんだろうね。過去にもヤクルトのホージーみたいなやつ。
でも、期間限定の飛び入りゲストみたいなやつでしょ。8割はリップサーヴィスで内心は何年もこんな耳をつんざく中でプレーできるか!と思うのが普通だろうね。
自らも硬式野球部に所属したほどでした。
しかし、ロ野球の試合の放映に応援の過激化、CM時間の冗長化など、
さまざまな変化が生じたためもう20年以上テレビ中継を見ておりません。
最近のメジャーにおける、日本選手の目覚しい活躍に触れ、
先日久々に日本のプロ野球のTV中継を観戦。
しかし騒音のあまりのヒドさに、5分も観戦できませんでした。
もちろんすべてがそうだとは思いませんが、
日本のプロ野球離れの原因のひとつは、「騒音応援」にあるのではと
思っております。
確かにバックネット裏ほど詳しく見れているわけでも無いし、応援しろと強要する人もいます(私もそれは反対です)。
うるさいって言い分も分からなくはないですけども、あたかも応援してる人を下等な人だと言う風に聞こえますよ。
一人一人考え方は違うんですから、自分が言ってる事が全て的な発言はちょっと・・・
ただ応援されると集中できない選手や観客もいるでしょうし、応援を禁止する試合を設けるのは賛成です。
私もゆっくり試合を見たいと思うこともあります。
これは正直お互いがお互いをリスペクトしないと解決しない問題でしょうね。(特にここのコメント欄を見てそう思います)
私は応援団が今のようになる前に、南海ホークスの応援団にちょっと関わっていました。
その楽しさは知っているつもりですが、あまりにも巨大化して、野球本来の「音」が聞こえなくなっていることを非常に残念に思っています。
特にドーム球場では、音が渦を巻くので、応援以外の物音はほとんど聞こえません。
MLBの試合など、ごくたまに応援のない野球を見ると、ゲームに集中できるので特にそう思います。
できれば、応援をする方もそういう観戦の仕方を体験してほしいと思います。
下等か上等かは別として、「応援こそが野球観戦のすべてだ」と言わんばかりの我が物顔に辟易しているわけです。
でも、お客が来ないよりは来た方がいいとは思っていますけどね。
>外国人がどう受け止めるかは知りませんが、少なくとも野球の微妙な「音」を聞き分けたい人間にとっては害悪です。
私は自分はマイノリティの側の人間であると思っているので、あなたのような意見を「少数派は黙ってろ」と切り捨てるつもりはありません。
ですが、バックネット裏など静かに観戦したい人たちの席が消えたわけではありませんよね。
>しかし、快く思っていない人が同じ球場内にいることも頭に入れるべきだ。あたかもチームの一員になったかのように勘違いして、「我が物顔に振る舞うな」といっているだけです。
特大ブーメランですね。人の意見を尊重しろ、という論法で主張を押し付ける人を見る度に辟易させられます。それでは議論の平行化が進むだけです。そしてその議論は「人それぞれだから」で片付けられる無意味なものです。
あなたは>57や>>117のように「自分だけ良ければいい」人たちがお嫌いなようですが、自分もそうだとお気づきですか?
球場は様々な人が集まるところですから、うるさいと思うのもそれを口に出すのもできても、人に強制することは誰にもできません。
これは決して全体主義ではありません。これを行動に移した瞬間、あなたはあなたが嫌悪する我が物顔の連中と同レベルになり下がるからです。
ですが、アメリカ人が奇妙だと思う応援も>>111さんが言うようにMLB様から言われてやっていることです。そして何より、日本以外の国は恥ずかしいだとか思っていません。MLBファンのように好きな事を好きなようにやっているだけです。
何故か日本人に限定して「人の迷惑」を口酸っぱく言っていますが、自由主義とはそういうことではないですか?最低限のマナーを守れば、個人個人の考えが少しずつ尊重されるんです。「空気を読んで」誰も喋らなかったり誰もがメガホンを叩く光景は、日本的な全体主義そのものです。(見たことはありませんが)
話がそれてしまったので戻しますが、私は気分によって外野で叫ぶ時もあれば内野で一言も喋らず観ることもあります。
内野席でお通夜のように黙っているのを気味悪いと思うこともありますが、外野応援団の柄の悪い人の多さにドン引きすることもあります。
どちらにも良いところがあり、悪いところがあるを理解しています。
あなたはどうやら応援団が嫌い、の前に色々ひん曲がったものがありそうですから何を言っても無駄だと理解していますが、韓国と違って充分共存できている今の状況で十分ではないですか?
それでもうるさいと仰るなら、いっそアメリカに移り住むか(我が家はそうしました)平日のKスタの内野などで観戦するのをおすすめします。
この記事を読んで少し疑問が生じたのでコメントさせていただきます。
あなたはナイターゲームを見たことがありますか?
夜10時を過ぎると近所のことも考えて
鳴り物応援はなくなり拍手だけの応援をしている応援団がいます。
45年野球を見ているならおわかりと思いますが。
そのような応援をしているのでも不快に思われますか?
拍手になるとバットがボールに当たる音などとっても聞こえます。
ここで言ってもわかってはもらえないと思いますし
私は直接言いにいくのをお勧めします。
それから球団、応援団がなんと言われたかをお伝えしてもらえたらと思います。
いろんな方に実際に街に出て調査して数字にだすというのもおすすめします。
興味がないと仰られているのに記事にしていることも疑問ですが…
興味がないなら気にしなければと思いますが…
今はあなたの思っているだけ、固定概念にしかすぎません。
是非数字にして記事にしていただきたいと思っているのでよろしくお願いします。
まぁ残念ですがそもそも野球に夢中になる層の大半はバカなので、ラッパならして大騒ぎしてストレス解消するのが野球そのものより優先される。
これが結論。
長嶋茂雄が「球音を楽しむ日」を作ったりしてたけど、1970年代前半くらいまでは日本球界もメジャーリーグのような雰囲気で、野球そのものに熱狂していた。
わたしはメジャーを楽しむ。せめてWBCでどんちゃん騒ぎしてほしくないが、猿みたいな連中には騒いで飲んでラッパ鳴らすのが楽しいのです。