愛媛、済美高校の安楽智大投手は772球で力尽きた。2回戦で232球を投げたことがアメリカのメディアで取り上げられたのを契機として「投球制限」の論争が持ち上がっている。
選抜での安楽の戦績。

2回戦の232球もさることながら、2日連続完投が響いたのではないか。3連投目の決勝戦では、大きく成績を落としている。この日の5回には6連打を含む8安打を打たれている。安楽は「力不足」と言ったが、この状況で力を発揮できる投手はまずいないだろう。
米メディアは「世界で最高の16歳投手の1人。大リーグにいけば、契約金は100万ドル単位」(ベースボールアメリカ)、「まだ体が発育中なのに、正気のさたではない球数だ。だが、日本の高校では珍しくないこと」(CBSスポーツ)と報道した。
安楽本人は「大きなお世話だ」と言った。先日は、夏は「3、4試合投げても150km/h出せるように鍛えなおしたい」と語った。乗せられやすい性格のように見えるのが気がかりだ。
乙武洋匡氏やダルビッシュ有などは、高校野球にもロースターや投球制限などを設けるべきだといった。
また、松坂世代の野球人だという自民党の小泉進次郎氏は「腕も折れよと投げるから、甲子園のドラマは生まれる」といった。
江本孟紀氏は米メディアの「上から目線」に反発し、日本の投手はきちんとトレーニングをしているからここまで投げられる。アメリカも見習うべきだ。投球制限をしているアメリカでも肩やひじを壊す選手は後を絶たない。松坂などは投球制限によって故障し、不振に陥ったのだといった。
江本氏は「体をしっかり鍛えて、美しいフォームで投げることができれば、投球制限は必要ない」と言い切った。
投球制限の問題は、一般論と個別の事情がいっしょくたになっているために、答えが見えなくなっているように思える。論点を整理したい。


1)個人の資質の問題
NPBには、稲尾和久や杉浦忠、江夏豊のように、今の投手の倍以上の投球回数を投げて素晴らしい成績を上げた「鉄腕投手」がたくさんいた。
甲子園でも、少し前まで投手は予選から決勝まで一人で投げ抜くのが当たり前だった。安楽の例など珍しくもなかったのだ。
こういう投手たちを見ると、投球制限など必要ないと思えてくる。
しかし一方で、短期的に華々しい活躍をしてすぐに消えて行った投手がプロにはたくさんいたのも事実だ。甲子園でも、無理がたたって選手生活を断念した投手もいる。
要するに「投手の肩、肘」は、個人差が極めて大きいのだ。
神様は不公平なもので、何百球投げても平気な投手も、すぐに故障する投手もお作りになったということなのだ。
世の中には3つのタイプの投手がいるのではないか。
A 投球制限をしなくてもどんどん投げることができる投手
B 1、2試合は好投するが、投球制限をしないといずれ故障してしまう投手
C 投球制限をしてもしなくても、長い回は投げられない投手
Cは別にして、A、Bは区別がつきにくい。「こいつは大丈夫だ」と思っていても、何の前触れもなくある日、突然故障してリタイアしてしまう投手だっているのだ。
「体をしっかり鍛えて、美しいフォームで投げ」たとしても、つぶれる投手はつぶれるのだ。
それが可能かどうかはわからないが、日本のアマ指導者に求められているのは、A、Bを見極めて起用することなのかもしれない。
MLBでも大昔は300~400回も投げる鉄腕投手は存在した。しかし、1940年代にはローテーションが確立された。「肩は消耗品」という意識が定着したからだ。
MLBの理屈は、A、Bを見極めることなど不可能だ。いずれにしても投球制限をする方が投手は長持ちする、ということではないか。
NPBも、大投手が何百回も投げた時代は昔話になっている。今ではローテーションはMLBよりも間隔が広く、MLBよりも緩い環境になっている。1試合当たりの先発投手の投球数は、NPBの方が少しだけ多いが、投球制限は、プロでは常識になっている。先発投手のシーズン投球数は、MLBの方がNPBよりも多い。MLBと同様の理屈が定着しているのだろう。
プロだけでなく、アマでも球数制限を尊重する指導者は多い。安楽をここまで投げさせた愛媛済美高校、上甲正典監督はむしろ少数派かもしれない。
ただ、甲子園では、投球制限をしない投手起用は普通に見られる。ここが問題なのだ。
2)野球の「価値観」の問題
アメリカでは、プロだけでなくアマチュアでも、リーグ戦がほとんどだ。トーナメント形式の野球大会は少ない。
1戦必勝ではなく、勝ったり負けたりしながら優劣を競っていく。
だから、長いシーズンを考えると一人の投手に無理をさせることはできない。
ときには力の劣る投手を投げさせることもある。「捨てゲーム」も織り込み済みで試合を消化していくのだ。
これに対し、日本の野球は、草創期から「1戦必勝」だった。以前にも述べたとおり、明治時代無敵だった一高は、勝利のために故障をいとわぬ姿勢が賛美された。大正時代に始まった甲子園の野球大会はトーナメントだったから「一戦必勝」主義はさらに強化された。
そして高校野球では、春夏の「甲子園」が、唯一無二の異様に大きな大会になった。
日本では「個人よりもチーム、学校、郷里を優先する」のが美しいとされている。極端に言えば、野球選手には常に「選手生命を賭して試合に出る」ことが求められているのだ。
特に、甲子園ではそれが増幅される。日ごろは投球制限をしている監督も、「腕が折れるまで投げろ」という古風な指導者に変貌する。そして「ここでつぶれたって本望だろ」と言われて「いいえ」と言える野球選手は日本にはほとんどいない。
投球制限の是非以前に、これこそが問題ではないかと思う。甲子園があまりに巨大になりすぎ、美化され過ぎていることで、いろいろな問題を生んでいる。
大阪府立桜宮高校のバスケ部員体罰自殺事件や、全柔連女子選手のパワハラ事件で、日本のスポーツ界には「選手本位主義」が根付いていないことが明るみに出たが、野球界でも「個人の将来」よりも「チームや学校の栄誉」が優先される体質は存在するのだ。
近い将来、甲子園で大活躍した投手を擁するチームの監督が、「彼は投げすぎです。彼の将来を考えて、決勝戦では投げさせません」と明言する姿を見てみたい。
そのときに、日本の野球は変わるのではないか。
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2回戦の232球もさることながら、2日連続完投が響いたのではないか。3連投目の決勝戦では、大きく成績を落としている。この日の5回には6連打を含む8安打を打たれている。安楽は「力不足」と言ったが、この状況で力を発揮できる投手はまずいないだろう。
米メディアは「世界で最高の16歳投手の1人。大リーグにいけば、契約金は100万ドル単位」(ベースボールアメリカ)、「まだ体が発育中なのに、正気のさたではない球数だ。だが、日本の高校では珍しくないこと」(CBSスポーツ)と報道した。
安楽本人は「大きなお世話だ」と言った。先日は、夏は「3、4試合投げても150km/h出せるように鍛えなおしたい」と語った。乗せられやすい性格のように見えるのが気がかりだ。
乙武洋匡氏やダルビッシュ有などは、高校野球にもロースターや投球制限などを設けるべきだといった。
また、松坂世代の野球人だという自民党の小泉進次郎氏は「腕も折れよと投げるから、甲子園のドラマは生まれる」といった。
江本孟紀氏は米メディアの「上から目線」に反発し、日本の投手はきちんとトレーニングをしているからここまで投げられる。アメリカも見習うべきだ。投球制限をしているアメリカでも肩やひじを壊す選手は後を絶たない。松坂などは投球制限によって故障し、不振に陥ったのだといった。
江本氏は「体をしっかり鍛えて、美しいフォームで投げることができれば、投球制限は必要ない」と言い切った。
投球制限の問題は、一般論と個別の事情がいっしょくたになっているために、答えが見えなくなっているように思える。論点を整理したい。
1)個人の資質の問題
NPBには、稲尾和久や杉浦忠、江夏豊のように、今の投手の倍以上の投球回数を投げて素晴らしい成績を上げた「鉄腕投手」がたくさんいた。
甲子園でも、少し前まで投手は予選から決勝まで一人で投げ抜くのが当たり前だった。安楽の例など珍しくもなかったのだ。
こういう投手たちを見ると、投球制限など必要ないと思えてくる。
しかし一方で、短期的に華々しい活躍をしてすぐに消えて行った投手がプロにはたくさんいたのも事実だ。甲子園でも、無理がたたって選手生活を断念した投手もいる。
要するに「投手の肩、肘」は、個人差が極めて大きいのだ。
神様は不公平なもので、何百球投げても平気な投手も、すぐに故障する投手もお作りになったということなのだ。
世の中には3つのタイプの投手がいるのではないか。
A 投球制限をしなくてもどんどん投げることができる投手
B 1、2試合は好投するが、投球制限をしないといずれ故障してしまう投手
C 投球制限をしてもしなくても、長い回は投げられない投手
Cは別にして、A、Bは区別がつきにくい。「こいつは大丈夫だ」と思っていても、何の前触れもなくある日、突然故障してリタイアしてしまう投手だっているのだ。
「体をしっかり鍛えて、美しいフォームで投げ」たとしても、つぶれる投手はつぶれるのだ。
それが可能かどうかはわからないが、日本のアマ指導者に求められているのは、A、Bを見極めて起用することなのかもしれない。
MLBでも大昔は300~400回も投げる鉄腕投手は存在した。しかし、1940年代にはローテーションが確立された。「肩は消耗品」という意識が定着したからだ。
MLBの理屈は、A、Bを見極めることなど不可能だ。いずれにしても投球制限をする方が投手は長持ちする、ということではないか。
NPBも、大投手が何百回も投げた時代は昔話になっている。今ではローテーションはMLBよりも間隔が広く、MLBよりも緩い環境になっている。1試合当たりの先発投手の投球数は、NPBの方が少しだけ多いが、投球制限は、プロでは常識になっている。先発投手のシーズン投球数は、MLBの方がNPBよりも多い。MLBと同様の理屈が定着しているのだろう。
プロだけでなく、アマでも球数制限を尊重する指導者は多い。安楽をここまで投げさせた愛媛済美高校、上甲正典監督はむしろ少数派かもしれない。
ただ、甲子園では、投球制限をしない投手起用は普通に見られる。ここが問題なのだ。
2)野球の「価値観」の問題
アメリカでは、プロだけでなくアマチュアでも、リーグ戦がほとんどだ。トーナメント形式の野球大会は少ない。
1戦必勝ではなく、勝ったり負けたりしながら優劣を競っていく。
だから、長いシーズンを考えると一人の投手に無理をさせることはできない。
ときには力の劣る投手を投げさせることもある。「捨てゲーム」も織り込み済みで試合を消化していくのだ。
これに対し、日本の野球は、草創期から「1戦必勝」だった。以前にも述べたとおり、明治時代無敵だった一高は、勝利のために故障をいとわぬ姿勢が賛美された。大正時代に始まった甲子園の野球大会はトーナメントだったから「一戦必勝」主義はさらに強化された。
そして高校野球では、春夏の「甲子園」が、唯一無二の異様に大きな大会になった。
日本では「個人よりもチーム、学校、郷里を優先する」のが美しいとされている。極端に言えば、野球選手には常に「選手生命を賭して試合に出る」ことが求められているのだ。
特に、甲子園ではそれが増幅される。日ごろは投球制限をしている監督も、「腕が折れるまで投げろ」という古風な指導者に変貌する。そして「ここでつぶれたって本望だろ」と言われて「いいえ」と言える野球選手は日本にはほとんどいない。
投球制限の是非以前に、これこそが問題ではないかと思う。甲子園があまりに巨大になりすぎ、美化され過ぎていることで、いろいろな問題を生んでいる。
大阪府立桜宮高校のバスケ部員体罰自殺事件や、全柔連女子選手のパワハラ事件で、日本のスポーツ界には「選手本位主義」が根付いていないことが明るみに出たが、野球界でも「個人の将来」よりも「チームや学校の栄誉」が優先される体質は存在するのだ。
近い将来、甲子園で大活躍した投手を擁するチームの監督が、「彼は投げすぎです。彼の将来を考えて、決勝戦では投げさせません」と明言する姿を見てみたい。
そのときに、日本の野球は変わるのではないか。
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コメント
コメント一覧
高校生を預かる大会の主催者としてそれぐらいの事をやる義務はあると思いますが。
広尾さんの意見に賛成です。
>腕も折れよと投げるから、甲子園のドラマは生まれる
高校野球は教育の場ではなく興業で球児は演者ということですかね?高校生がボロボロになるのをみんなで見て楽しむというのなら馬鹿な話だと思います。ドラマを見たいなら本当のドラマでも映画でも見ればいい。
自分は試合場所を甲子園に限らず地方球場も使って決勝戦は必ず甲子園で行うような全国高校サッカー方式にすれば日程に余裕が生まれ少しはマシになるかと思いますが、TV放送がうまくいかないだろうから朝日からNGが出るでしょうね。
> A 投球制限をしなくてもどんどん投げることができる投手
>B 1、2試合は好投するが、投球制限をしないといずれ故障してしまう投手
> C 投球制限をしてもしなくても、長い回は投げられない投手
そのとおりだと思います。昔の投手のstatsを見ても、活躍しても3~4年で消えていった投手の多いこと。
>甲子園で大活躍した投手を擁するチームの監督が、
>「彼は投げすぎです。彼の将来を考えて、決勝戦では投げさせません」
>と明言する姿を見てみたい。
80年代のPL学園は複数投手ですでにこの体制になってました。ダルビッシュの時の東北も真鍋との二枚看板でした。
どうして一般化しないのか?それは傑出した投手が複数存在することの確率の低さと、投手、特にエースがチームの王様だからでしょう。
もう一つは日本人のメンタリティにある「此一戦」主義でしょう。次どうなろうと構わないと思う構造です。江戸時代はそういうイメージがないので、明治の日本人が育てたのではないでしょうか。
少なくとも、投球にかかる身体的な負担は、医学的な検証をするべきです。
客観的な判断材料の乏しさが、悲劇を繰り返しているように思えるのですが。
まぁ、それ以前に、甲子園大会があそこまで盛り上がることが異常なんですけどね。
大人のエゴを高校生に背負わせておいて、あれを教育と呼んでいいんですかね?
個人的には、甲子園大会そのものに、かつての軍国主義の面影をなんとなく見出してしまいます。
甲子園と靖国神社が妙に重なって見えるのは私だけ?
春夏の甲子園、ひいては高野連の主催する大会がそもそも商業主義的になってしまっているという指摘はよくされています。そしてその負担を選手にばかり担わせているのはけしからんという意見はわかるのですが、解決策として日程の変更ではなく投球制限にばかり目が向いていること自体、商業主義的であると私は感じます。
もし本当に生徒たちの体の負担について考えるのなら、極端な話毎週日曜日に試合を行う形式で2ヶ月ほどの期間を持って大会を運営しても良いはずです。
それならばプロ野球との球場使用の掛け持ちも負担になりませんし、ただ一人のエースが毎週完投しようとも中6日のスケジュールならばそこまで肩・肘への負担はかかりません。(もちろん長期的なスタミナは要求されるでしょうが)
確かに長期的な大会日程となれば現状のようなお祭り的な盛り上がりには欠けるでしょうから、商業的に盛り上げることは難しくなるのは事実でしょう。しかし生徒にかける負担を考えればこのような運営方法も一考の価値があるはずです。
投球制限による選手の保護と日程の長期化によるそれを比べれば、明らかに後者のほうがコストが増す上に短期的な盛り上がりが失われますから、商業的に考えれば前者のほうが優秀でしょう。またファンから見てもダラダラと長く大会が続くのはつまらないかもしれません。しかし、この両者を天秤にかけた議論がなされてない現状が、そもそも選手に負担をかけることを厭わない商業主義的な価値観を表しているように感じます。
ほとんど一人で投げ抜いているという事実が考えられないのは不公平だと思うんですよね・・・
一つのチームにエースが二人存在しなければ勝ちあがれないのなら
今より更に強豪私立への一極集中が進むでしょう、それが果たしてよいのかどうか
ダブルエースではおそらく一番有名であろう成瀬涌井コンビだって決勝では力尽きて15点取られました、二人いようが最後まで持たないときはあります
駒大苫小牧はダブルエース方式で連覇しましたけど投手力は高くなく打ち勝つチームだからこそ成し遂げられたことです
トーナメントという野球にとっては特異な試合形式を採る以上、エースに頼る比重が格段に上がらざるを得ないのは仕方ないのではないでしょうか
連投の制限とか投球数の制限というのは本当のところ分かりませんから医学なり生理学の問題で本来は解決すべきでしょう。
ただ当座の問題は今の状況の回避でしょう。甲子園大会が昨今では母校の名誉でだけではなく郷土の代表として扱われてることを考えれば別の発想はないでしょうか。
都市対抗野球では予選大会の対戦チームから補強することが認められています。こうすることでトーナメントの戦力不足、特に投手不足を回避してることは有名です。
だから選出方法はどうでもいいかですが、地方大会で活躍した投手を補強し甲子園で投げさせるようなシステムを考えるべきじゃないかという気がします。
地方大会ならば総合力で勝てないだけで、隠れた人材はいるかもしれないし、こうした経験を甲子園でつみ
自公に持って帰りフィードバックすることで技術の向上を図ることは有意義だろうと思います。
地方大会では選手が足りないところは混合チームを組むなどということをしていますからこんな方法も言っっこうに値するんじゃないかという気がします。
もちろんそのためにはベンチ入りの人数を増やすべきですがこの数が全然変わっていないことが旧態然だる姿の本質でありましょう。
本気で球児の健康と将来のために改革するなら、投球制限よりもまず、日程改革だと思います。
いっそのこと1,2回戦は甲子園でなく、大阪ドームやグリーンスタジアムなどの近隣球場4会場くらいで同時開催して、日程に余裕を持たせればいいと思います。
聖地甲子園の土を踏めるのはベスト8もしくはベスト4くらいからにする。
ベスト8からベスト4、決勝の試合間隔は最低でも3~4日はとる。
甲子園の価値は今より高まるし、日程に余裕を持たせられるのでワンマンエースチームの公立校でも複数の有力投手擁する金持ち私立になんとか対抗できるでしょう。
(オピニオン)__
7回戦にして同点なら無死満塁からのサドンデスは如何でしょう。
・選手が発育途上。
・監督が将来を考えない。
・トーナメント戦の良さ(WBCとか)
・商業主義とプロ向けの品評会は避ける気がない。
もう少年野球++
故障を押して出場しその場所では優勝した貴乃花でしたが、あれは選手生命を短くしてしまった要因の1つではなかったでしょうか。
けれど、マスコミ・世論は例によっていつもの「感動をありがとう(視聴率・発行部数のとれるネタをありがとう)」調でありました。
高野連やスポンサーである新聞会社が重い腰をあげるためには、社会やファンの価値観が大きく変わることが必要かもしれません。
選手育成視点で発言しているのかでかわりますね。
小泉議員の発言は興行からでしょう。
現在の甲子園であればその視点は間違いではありません。
そもそもアマチュアの世代別全国大会で興行している主催者がアレなんですよね。
根っこの興行なのか、育成なのかをはっきりさせない状態での
選手保護策なんて何の効果ももちません。
北海道や南九州から、毎週西ノ宮まで移動させるおつもりでしょうか。
それに、タイガースは週末にゲームができなくなりますが。
>きゃっぷさん
投手というのは、マウンドから引きずり降ろされた段階で、レゾン・デートルさえ否定されてしまうのです。まして、次がないんですから。
>kazkさん
医学や生理学でもわからないでしょう。突然壊れるのですから。
補強選手なんか行ったら、大阪か神奈川ばかりが優勝しますよ。オールスターみたいになりますし。
そもそも補強選手制度は「都市」対抗野球で、地域全体の対抗戦という概念で始まっているのですから。
それに対して、単独チームでの最強を決めるために日本選手権が存在しておるのです。
>sunnyboyさん
京セラドームやほっともっとフィールドで試合したって、球児には「スカ」の思いしか持ち得ないでしょう。
かつて、西ノ宮で高校野球を分担したことがありましたが、当時の選手にも「西宮での試合では試合をしたことにならない」と公言されておりました。
>パセリさん
7回戦制や無死満塁からのサドンデスって、そんなの野球じゃないです。
はい。少年野球です。
育成途上の選手のために中体連で7回戦やってますし、
学童やリトルで投本間、塁間を考慮しています。
トーナメント3回戦までは1日5試合、組めませんかね、7回戦なら。
日程的に余裕ができるし、(今の大会期間内が基本ですが)
チームの滞在日程が短縮できれば宿泊費、食費etcの合理化につながります。
現状の駄利権をぶっ壊せないとすれば、「そんなの」もありだと思います。
ふと思ったのですが、高野連の公式球は統一球なのでしょうか?
投手の身体と将来を考えるならもっと低反発でもいいのでは。
これは、アマチュア野球なので過去の選手との実力比較は不問。
記録の塗り替えに一喜一憂しない方向で是だと思います。
(アマ野球の記録比較はパス!→広尾さんゴメン)
>くっちーさん
そもそも育成途上の選手にプロ野球並みの野球を望む方(パセリ含む)が無理を強いているような気がしたので出した案です。7回戦になってボールの変更で低得点争いになったら、高校野球ファンは減る方向であることは否定しません。(別問題)
たしかに小島君もほとんど一人で投げてきましたが、初戦と二戦目が21世紀枠と絆枠の学校で、お世辞にも強い相手とは言えなかった上にバックの強力打線の援護もたっぷりあります。加えて決勝は2連投でした。
初戦から優勝候補と延長戦、その後も大会屈指の投手を持つ有力校、地区大会優勝校と、強豪ばかりに当たり続けて挙句に3連投、しかもバックの打力が弱いの安楽とは肉体的にも精神的にも疲労度が比べ物にならないと思います。
スカでもいいんですよ。
甲子園の土を踏めるのは勝ち抜いた8ないし4校のみなんですから。
それ以外は二次予選敗退ってことで。
いままでの価値観を変えてやるくらいの変革をしないと。
相手は高校生が例え腕が折れても一戦にかける姿が見たい、って言うとんでもない奴らなんですから。
まあ、無理でしょうけど。しょせん新聞屋の興行ですからね。
「欧州野球狂の詩」さんも書いていましたが、現状を追認することは、大人が子供に対して責任転嫁しているだけにすぎないのです。常識的に考えれば、世の中でこれほど見苦しいことはないでしょう。
誰かを犠牲にして勝ち上がる、それで得た勝利に対して、他のチームメイトは素直に喜べるのか。そういった観点も全く議論されないまま、ただただ熱投、連投だとメディアがはしゃぎたてる。
智弁和歌山の高嶋監督は、かつてのエース、高塚投手を連投で潰してしまったことを今でも後悔しているそうです。指導者にもそういった後悔が生まれるならば、それは本人が投げたいといっても大人が責任をとってどこかで歯止めをかけないといけないのではないですか。
その責任をとったのが、今回で言えば県岐阜商の藤田監督でしょう。済美との準々決勝で、先の大阪桐蔭戦で死球を受けていた自分の息子でもあるエースをリードしている段階で降板させました。後続の投手が打たれて逆転されて敗北したことに対して、「難しい選択でした。2番手以降の投手をしっかり作ってこなかった私の責任です」と堂々と答えておられました。
このように、大人が責任をとろうとしない風潮の中で、自ら責任をとろうという高校生も出てきました。詳しくはナンバーのコラムをご覧いただきたいのですが、本来、高校生にこのようなことを言わせる前に、日程を変えるにせよ、投球制限をつけるにせよ、大人がもう少し責任をしっかりとるべきだと思います。
http://number.bunshun.jp/articles/-/391492?page=3
逓減していく事が予測されるのだから、有望な人材を潰さない
措置がとられるはずなんですけどね…
現状そんな協会ができるのは夢物語ですから
興行面の面白さを残しておくほうが、野球に力を注ぐ学校が
減らずに済むので、球界全体としてはプラスなのかもしれません。
後ろ向きの意見になっちゃいましたが
安楽投手がなぜ騒がれてると思われますか?
全国レベルでも年1でるか出ないかの、いわゆる「スペシャルワン」だからですよ
「スペシャルワン」は希少だからゆえに「スペシャルワン」たりえるのであって、そんなのに匹敵するのを作れるのなら誰だってやってますよ
人的資源には限りがあるのです。それを忘れて「大人の責任」を主張するのは
それこそ「カープがCSに入れないのはマエケンをもう一人作れなかったノムケンの責任」
と言ってるに等しく、滑稽な事と思います。
監督に出来るのはせいぜい敗北覚悟でエースをマウンドから引き摺り下ろす事位です。
これは安楽投手レベル以下の投手でも言える事と思いますよ、
敦賀気比は聖光戦でエース岸本投手の温存を測った結果、ベンチ入り投手が軒並み打ち込まれ
結局岸本投手を再登板させざるを得ませんでした。エースってのはそのチームのスペシャルワンなのです。
そもそも甲子園にでる強豪野球部所属と言っても高校生です。上と下には指導では埋まらない実力差があるのは止むを得ない事なのですよ
現実的にはトーナメントという形式をとる甲子園自体に問題があるというべきでしょう
>私は「2番手投手を作れないのは大人の責任」という論には組みしません
念のために言っておきますが、私は、監督が2番手投手をつくれなかったことを責め立てろ、と言っているわけではありませんよ。
>監督に出来るのはせいぜい敗北覚悟でエースをマウンドから引き摺り下ろす事位です。
そうです。その具体例も示しました。しかもその監督は、そのことに一切の言い訳をすることなく、自らの責任だと仰った。
それができない指導者たちが大勢いるから問題になっているんでしょう。私は指導者の方々にこの監督の姿勢こそ見習ってもらいたい。ただそれだけです。
私が挙げたのはあくまで思いつきの案ですが、選手の負担を軽減するために他の部分での負担をます方策の1つではあると思います。
ですからこの案の場合は、勝ち残る限り毎週末に西宮まで移動させれば良いと思います。選手の負担を軽減するために金銭的な負担を増すわけです。
もちろん浅はかな思いつきであり、タイガースの件以外にも問題点は多々あると思われますが、少なくとも選手の負担は大きく軽減しますよね?
私がこの案を挙げた理由は、選手の負担を軽減するように求める方々の意見のほとんど全てが、現在の商業的な利権を前提としているように見えたからです。つまり、選手の負担はあくまで二の次ということで、そのくせ偉そうに選手の負担について語っているのはどうなのかなと。
もし本当に選手の負担軽減を考えるのであるならば、商業的なものはあくまでその次に考えるべきではないでしょうか? 商業ベースを優先しながら選手の負担について語る方々の言葉に説得力を感じないのは私だけなのでしょうか。
トーナメント、郷土、甲子園、限られた日程、数少ない有能な投手というキーワードにどれも譲歩の余地が無いのなら、もう学校別の対抗戦を止めて、都道府県別選抜チームの対抗戦にしてしまっては? と思いました。kazkさんの意見に近いかもしれません。
また、sunnyboyさんが言われるように甲子園をウインブルドンのセンターコート(あるいはWBCのアメリカラウンド?)的存在にするのもありかと。パセリさんの7回戦制+サドンデス案や、これはひどいさんの日程案もいいですね。
しかし、より緻密な対策をたてるためには、まずは、広尾さんが示された3つの群を分ける必要があり、その方法としてtobataさんがおっしゃるような検証と分析が、まず行われるべきことだと感じました。
投手の将来を勘案して部活高校野球を7回戦制にする。
↓
「こりゃ、野球じゃねぇ!」ということで全国の市町村毎に
倶楽部チームができ、賛同拡大する。
(もち、9回戦、監督コーチに教員免許不要)
↓
3年もしないうちに倶楽部baseballアカデミー協会が立ち上がり
全国大会が始まる。(協賛にNPBチームや独立リーグが参画)
読売系地方局が中継をはじめる。全国大会は秋(球数制限)。大手を振って品評会。
プロをめざず者は倶楽部チームルートが近道。の土壌ができはじめる。
↓
高野連部活動、7回戦制は衰退をみせるが、まだまだ大会は存続している。
そこにある地方から部活動出身のプロ入り即戦力の怪物が現われる。
↓
秋の神宮大会は残るが、毎日新聞が選抜大会をやめる代わりに
新人交流大会「倶楽部チームvs部活動」開催。各秋ベスト8の16チームの大会にする。
春のNHK放映はなくなり、TBSが放映開始。
↓
地元高校野球ファンのために腕も折れよ、夏の大会は継続。
「泣くな所別、炎天下の花!」
トモダチ・ベースボール・リーグのドラフトで米国チームから上位指名を受ける倶楽部チームの投手が現われる。
すわ、倶楽部チーム大会では、利権や青田買い、商業主義は解消できないし
さらには全寮制内のカワイガリが問題となる。(あれっ?ダメやん。)
そういえば、少年野球は7回制でしたね。まあ、朝7時から試合をすれば、一日5試合は可能なんですけれどね。5試合目は17時ぐらいの開始ですから、19時には終わるでしょう。
困るのはNHKとABCだけでしょう。
あ、それと、私自身は球数制限賛成です。野球が9人で行われるように、投手も複数用意することを高校野球のルールにしてしまうべきです。弱小高校には問題になりますが、そういうところが甲子園に出てくることはまずないでしょうし。
私は球数制限も消極的ですがね、その制限球数に科学的根拠がないからですよ
広尾さんも仰るように球数制限に積極的なMLBでも日本以上に故障者が続出しています。
投げているのは日本人より強靭な肉体を持つ外国人というのに!
一旦大会に制限を設けても何処が適正かですったもんたするに決まってますからね
そもそも有望な野球選手に故障させたくなければ試合に出すべきではないのですよ
試合にでる以上常に故障のリスクはつきまといます、
私は球数制限なんて無意味な事をする位なら甲子園大会を廃止すべきと思います。
それが嫌ならある程度のリスクは甘受すべきでは?
そうではなく,球数が多くなりスタミナが衰えたときに,投球フォームが崩れることによって故障が起きるのなら,トレーニングによりスタミナをつけることやフォームが崩れないようにすることによって故障は防げる.
後者であれば,江本氏の理屈は正しいと思います.
MLB関係者でも,ノーラン・ライアン氏などは若いうちは球数を投げることによって肩を鍛えた方がいい,という意見を持っています.ボールを投げるために必要な能力を身につけるのに,ボールを投げるトレーニングをする,というのは自然なことでしょう.
甲子園については,確かに色々な問題をはらんでいます.一方で,現在の形式-負けたらオシマイの一発勝負,地域の代表として大会に臨む-という点が大会の魅力を高めており,甲子園の存在そのものが野球人気を支えている,という現実もあります.
小泉進次郎氏の意見はその点,真を衝いている.(個人的には気に入らない考えですが)
私の意見としては,たかが野球のこと.選手が悔いのないようにすればいいと思います.
彼らは今後野球を続けるかもわからず、ほとんどがこれで本格的な野球は最後になる人たちです。そんな彼らが最後に最高の結果を望むのは当然だし、そのためにはエースの連投を望むでしょうし、エースもそれに応えたいと思うでしょう。
先生に言われるから投げるわけではなく、仲間のために頑張りたいと思うから投げるんじゃないですか?それが否定されるなら、自分のことだけ考えてやれということですよね。
それって今言われてる自分勝手な日本人が増えることにつながる気がしますよ。
まあそうは言っても高校野球の感動とか甲子園の面白さなども極力失いたくないわけで・・・。
そこで考えたのですが、球数制限ではなくてアウト数制限というのはどうでしょう。
一人の投手は18個までのアウトしか取ることができない。
つまり最初から完投という概念を無くしちゃうわけです。完投も可能なのにリリーフ投手が出てきて打ち込まれたら後悔もあるでしょうが、元々投手が二人以上必要なルールなら仕方無い、リリーフが打たれてもそれは野手のエラーで負けるのと大差ないでしょう。
これだと日程や会場は今のままでいけます。連投はOKの想定なので100球投げて三連投とかはありえますが今よりは随分ましかと。
有力校がさらに強くなるという指摘もあるでしょうが、チームスポーツで一人の力だけで勝ちぬけるというのも不自然ですしね。
何にせよ、アメリカの報道がきっかけだろうと何だろうと議論が始まったことは良いことだと思います。
これこそ根っこにある部分でしょうなあ。
でもね、ここの下のブログはもっと深いところまで
気り込んでますよ。
少しテーマは違うけど、なるほどなと思わせる。
↓
http://www.kaynotes.com/archives/6887623.html
まず、その点をおさえておく必要がある。
したがって、その上甲が「投げられる」と判断して登板させたのだから、話を安楽君に限定して論じることは、江本が指摘するように個別事情を無視した間違った議論といえるだろうし、それはやめた方がよい。
しかしながら、過去において才能ある投手がプロ入り前につぶれたケースが何件も存在しているのは事実であるのだから、あくまでも一般論としては投手の体調保護について論じる必要がある。
ただ、昨年、ストラスバーグのポストシーズン議論もあったことを考えれば、話を日本の高校野球に限定するのも、これまた間違っているようにも思う。
そう考えれば、そう簡単に断罪できる問題ではないこともわかるだろう。
私個人としては、視点を少し変えるべきだと考える。
つまり、結果的に決勝戦がワンサイドゲームに終わってしまったわけで、それについて野球ファンは論じるべきであろうと思う。
そうすれば、結論は自ずから出てくるだろう。
やる前から結果が見えていること、そして、それが不本意な事情から生じていることほどつまらないものはない。
プロであれアマであれ、それが「ゲーム」であるからにはやっている者も見ている者も楽しくなければ意味がないのだから、興行主はそれを満たすように設定しなければならないはずだ。
ようこそ。球数制限が良いか、投球間隔制限が良いか、議論が分かれるところでしょう。
言っちゃなんですが酷いですね
スポーツを露骨に見下してるのがありありと見えて不快感すら覚えましたよ
アインシュタインの例も的を100m位外してますし
アインシュタインはドイツから自分を賞賛してくれる所に逃げただけにすぎないのに
それが悪いとは勿論言いませんが
きっとそのサイトの人は価値観が常人と異なるのですね
日本学生野球憲章でも「部員の健康を維持・増進させる」と明確に謳われている以上、なんらかの措置が取られてしかるべきかと。
投げ込みならともかく試合で9日間で772球は肩の強い弱い関係なく危険
上甲のような人間の下で無理やり投げさせられているのは恐ろしいことだ
「本人が投げたがっている」などというのは明らかに高校野球を経験したことのない人間の戯言
「投げたくない」などと言えるわけがない
そもそも僅か15歳の子供が本当にすべてを理解しているのかは疑問がある
「甲子園で全力を尽くしたい人間もいる」などとのたまう人間もいるが肩でも肘でも野球とは関係なく日常生活に支障をきたす
残りの人生40年や50年を障害者手帳と共に生きるということがどういうことだか本当にわかっているのだろうか?
まだまだこの件に関して断定的意見を述べるのは、
時期尚早のような気がします。
それは君の受け止め方の問題じゃないのかね。
君が自分勝手に文章を読み、自分勝手に解釈し
自分勝手に不快感を覚えているのだよ。
中にはそう思わない人間も大勢いるのだよ。
>アインシュタインの例も的を100m位外してますし
アインシュタインはドイツから自分を賞賛してくれる所に逃げただけにすぎないのに
それが悪いとは勿論言いませんが
>きっとそのサイトの人は価値観が常人と異なるのですね
君は知っているかね?
価値観というやつは人によって異なるということを。
だから君が常人と呼んでいる人間でさえも、価値観は違うのだ。
その証拠に、このコメント欄でも、様々な意見が出ているではないか。
そういった異なるものを認めるからこそ「価値観」なんだよ。
自分の考え方は全て正しいと思っている典型だな。君は。
そんなもの誰にもわかりゃしないのだよ。
だから、その1つの考え方として例のブログを紹介したのだ。
そういったことも、よく勉強したまえ。
では失礼する。
どーどー。ご紹介いただいた「ITスペシャリストが語る芸術」氏は、私のブロガー仲間です。少しきつい表現の人ですが、いい人です。
ということで、論争はこれくらいで。
オレは・・・・・・・・オレは今なんだよ!!」
とある有名マンガの一節です。
ケガを追って交代させられそうになった主人公が監督に出場を直訴するシーン。
そして今回気に入らないのは、米メディアをはじめとする、
プロ>甲子園と決め付けるかのような姿勢。
それこそ本人次第じゃないですか、と。
こんな形で注目を浴びてしまう安楽君が不憫でなりません。
ただ、27で書かれているように、
>「本当は投げたくないが投げることを強制されたり、
>投げざるをえない状況に追い込まれる」
は避けなければならないので、
現実的には毎試合ごとに医師がチェックするとか、
イニング制限か登板間隔制限を設けることですかね。
投球数制限には反対ですね。当てるだけのファール狙いが横行しそうで。
私は 2)野球の「価値観」の問題については、まったくそのとおりだと思います。しかし、1)個人の資質の問題には、疑問があります。我々がすべきことは、先ず医療機関による大規模な追跡調査ではないでしょうか。その結果登板過多と故障との因果関係が判明すれば何らかの制限を設けるべきでしょう。
おっしゃる通りでしょう。ただ、この調査は長期的で大規模なものになりそうです。投球によって筋肉が疲弊するメカニズムはすでに解明されていますが、その「回復過程」の個人差を究明することになるわけですから。
個々の筋肉の差であるとか、フォームだとか、気温など外的環境とか。いろんな要素もからんできます。
費用的に見てもかなり難しいものになるのではないでしょうか。
プロ野球や大リーグでの活躍が見たい。プロ後の活躍に影響してしまう。これらは大人の、しかも他人の願望を高校生に押し付けて正義面しているようにしか見えない。ダルビッシュは大リーグでの自分の寿命を延ばすため(登板間隔の問題など)に高校野球の投球制限にも口を挟んでいる。
地元愛媛のために仲間のために投げることを自ら望んだ安楽。自分の成長のために故郷ではなく野球留学し、高校生の身で喫煙、自分の子供の幸せよりも自分の幸せを取るダルビッシュ。現時点で野球の成功者はダルビッシュで間違いないが人間的にはダルビッシュはとても尊敬に値しない。