寮生活をしている野球部員の暴力事件が起こり、夏の甲子園の望みが絶たれたPL学園は、河野有道監督が退任した。
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河野監督は有名な中村順司監督の後継者として1999年に監督に就任。夏2回、春1回甲子園に出場し、8勝を挙げた。しかし2001年、野球部員の暴力沙汰が明るみに出て引責辞任。
藤原弘介監督に代わった。
藤原監督は2008年に解任され、河野氏が再び復帰した。藤原弘介監督の解任も、野球部員への監督の暴力が原因とされている。
要するに、この学校は暴力沙汰のたびに監督が代わっているのだ。暴力体質が染みついているといわれても仕方がない。

PL学園は、この間何もしなかったわけではない。野球部専門寮を廃止し、他の生徒と同じ寮で野球部員も生活するように改めた。
しかし、野球部の上下関係の厳しさは変わらず、暴力体質は継承され、またえげつない暴力沙汰を起こしたのだ。

今回の河野監督の退任は、暴力の責任を取った「解任」ではないようだ。河野氏はPL教団の職員に戻る。失職したわけではなく、PL教団グループ内の「人事異動」だった。
64歳という年齢を考えれば、3度目の監督就任は微妙ではあろうが、学園、教団側は、引責辞任という形はとらなかった。甲子園で通算11勝した河野氏の功績を考慮したのだろう。
河野氏は「責任を感じている。部員には、これをきっかけにチームを立て直して頑張れと話をした」と話している。
後任監督は報道されていない。

この報道を見る限り、PL学園が野球部の体質を抜本的に改める意思はないように思われる。のど元過ぎれば熱さ忘れるではないが、監督を代えることで世間の非難をかわそうとしているように思える。

PL学園でたびたび起こる暴力事件は選手個々の問題ではなく、それを容認し「少々悪くても甲子園に行きさえすれば勝ち」という学園の、教育機関にあるまじき功利主義が根底にあると思われる。
野球部の一旦解体、人事の一新、そして学校側の意識の刷新がなければ、こうした事件はさらに何度も繰り返すのではないか。



PL学園にとって、「高校野球」は単なるクラブ活動ではない。1955年に創設された新興校である「PL」の名を日本中に知らしめたのは、7年後に甲子園に初出場した高校野球である。これによって、全国から高校球児が集い、一般生徒も増えた。ありていに言えば高校野球は「飯の種」であり、学園の命運を握っているのだ。
「甲子園で知名度を上げて、生徒募集を有利にする」は、今や私立高校の典型的なビジネスモデルの一つだが、その嚆矢はPL学園だったのだ。

甲子園のアルプススタンドで繰り広げられるPLの「人文字」は、この学校の勢い、組織力の象徴だった。
しかしながら、PL学園は、最近は甲子園に出場しても「人文字」をやらなくなった。少子化の影響もあって、生徒数が減っているのだ。

母体であるPL教団も、1916年に生まれた新興宗教である。多くの新興宗教と同様、戦後、教勢を伸ばしてきた。PL教団が成長するにあたっても高校野球は「PLの花火」とともに、大きな広告塔となった。
しかし、近年は信者数は頭打ちだといわれる。信者数の増減の実態はわからないが、信者の高齢化と後継者不足、さらにはオウム真理教などカルト教団によるイメージの悪化などもあり、布教は伸び悩んでいると思われる。

それだけに野球部にかける思いは半端ではないはずだ。
しかし「暴力のPL」という悪いイメージをいつまでも放置することは教団にとってもマイナスだと思われる。
「パーフェクトリバティ=完全なる自由」を謳う教団の膝元で、たった1歳、2歳違いで奴隷のような生活を強いられている若者がいるということを、これ以上看過すべきではない。

PL学園、教団は、今度こそしっかりした改革案をまとめるべきだ。数年間甲子園に出場できなくとも、二度とおかしなことが起こらないように、体質を改善すべきだ。

それが「高校野球名門校」が生き残る道でもあろうと思う。


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