今もNPBのサイトで公式記録を見ると「無四球試合」という項目がある。投手が完投して(コールド含む)1つも四球を出さなかった試合の記録。
かつては、投手の実力を示す代表的なSTATSだったが、今ではほとんど意味がない。しかし、ある種の投手の特質を表すSTATSではある。
シーズン最多無四球試合を並べる。ベスト30



野口二郎という投手は、今は完全に歴史の中に埋もれているが、NPB屈指の肩の持ち主だったのだ。
80年代までの各年代の投手がならんでいる。
土橋正幸は援護の少ない東映で、芸術的な投球をしていたことがわかる。再三述べているが、殿堂入りすべき投手だ。
白木義一郎はのちに公明党参議院のドンになったが、わずか7年の現役時代に3度最多無四球試合を記録している。ただ防御率はたいして良くない。安打は打たれるが四球は出さない投手だったのだ。
鈴木啓示は78年、最後の25勝投手となったが、この年の投球ははっきり覚えている。南海にも非常に強かった。二けた無四球試合は、11年前に鈴木自身が記録して以来の記録。もう出てこないだろうと言われていた。
しかし、翌年、高橋直樹が無四球試合11を記録。さらに82年にも江川卓が記録する。この時期は投手の完投がまだ多かったのだ。
以後30年、二けた無四球試合は生まれていない。そもそも完投数が二けたに達することさえ稀なのだ。昨年は田中将大が14完投、ダルビッシュが10完投したが、無四球試合はパが田中、成瀬の4、セが吉見の3に過ぎない。
通算での無四球試合数。

鈴木啓示が1位。白木義一郎の多さが目立つ。現役では60位タイに三浦大輔が出てくるに過ぎない。この記録はMLBにはなく、NPBだけのものだ。分業が進み、完投そのものが「例外」になる中で、STATS自体の意義が消えつつある。絶滅危惧STATSといえよう。
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野口二郎という投手は、今は完全に歴史の中に埋もれているが、NPB屈指の肩の持ち主だったのだ。
80年代までの各年代の投手がならんでいる。
土橋正幸は援護の少ない東映で、芸術的な投球をしていたことがわかる。再三述べているが、殿堂入りすべき投手だ。
白木義一郎はのちに公明党参議院のドンになったが、わずか7年の現役時代に3度最多無四球試合を記録している。ただ防御率はたいして良くない。安打は打たれるが四球は出さない投手だったのだ。
鈴木啓示は78年、最後の25勝投手となったが、この年の投球ははっきり覚えている。南海にも非常に強かった。二けた無四球試合は、11年前に鈴木自身が記録して以来の記録。もう出てこないだろうと言われていた。
しかし、翌年、高橋直樹が無四球試合11を記録。さらに82年にも江川卓が記録する。この時期は投手の完投がまだ多かったのだ。
以後30年、二けた無四球試合は生まれていない。そもそも完投数が二けたに達することさえ稀なのだ。昨年は田中将大が14完投、ダルビッシュが10完投したが、無四球試合はパが田中、成瀬の4、セが吉見の3に過ぎない。
通算での無四球試合数。

鈴木啓示が1位。白木義一郎の多さが目立つ。現役では60位タイに三浦大輔が出てくるに過ぎない。この記録はMLBにはなく、NPBだけのものだ。分業が進み、完投そのものが「例外」になる中で、STATS自体の意義が消えつつある。絶滅危惧STATSといえよう。
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コメント
コメント一覧
(常々思いますが、若い頃に速球派で鳴らした投手はいつの時期に技巧派への転向するかが問題でしょう。巨人のV9初期のエースの城之内はいつまでも速球に拘って寿命を短くしましたね)
土橋は江戸っ子投球と言われ、ちぎっては投げという感じで試合はテンポよく進み、彼の投げる日は試合時間が早く終わるので審判にも評判良かった筈です。確か同時期の久保田もテンポ良く2時間前後で試合を終わらせていましたね。
スレ違いで申し訳ありません。
こういった観点で記録を調査した結果、土橋投手が再評価されるのはすばらしいことだと思います。
あといつもホームベースのコーナーギリギリを微妙につく投球をしていた(そして審判は神経をすり減らしたであろう)北別府投手が 実は通算で36も無四球試合をしていたのがおもしろかったです。
無四球試合は、好不調の波がある投手が記録するのではないか、とも思います。
黒田の場合はMLBの2回の完投がどちらも無四球なので、NPBに残っていればもう少し記録を伸ばしていると思います。
同じく東映系のエース・土橋、高橋直樹も無四球試合が多いです。
この辺りは興味深いです。
白木で特筆すべきは1947年で、先発45試合登板中44試合で完投しています。今では考えられない完投率です。
登板した残りの14試合はすべて交代完了。先発完投できなかった唯一の試合の状況がものすごく気になります。
1950年の藤本も「登板したのに九回を投げなかった試合」は1試合だけ。気になります。
余談がすぎました。
1947年(昭和22年)8月21日、後楽園球場での対タイガース13回戦、この年26回目の先発投手となった白木義一郎は2回を投げて打者11人に対して4安打無四球無三振3失点、自責点2で降板して3回から黒尾重明が二番手としてリリーフに出て9回まで投げ続けます。タイガースの先発は若林忠志で6安打無四球1死球2三振2失点、自責点1で完投勝利を飾っています。
この年の東急フライヤーズは白木義一郎、 黒尾重明、北川桂太郎、一言多十で回しています。5月5日の太陽ロビンス戦では何と大下弘が先発して2回3分の1でノックアウトされて敗戦投手となっています。
MLBではダリル・ストロベリーが同タイプです。残されているベーブ・ルースの打撃フォームもヒッチするバッティングのように見えます。
因みに三原脩著「勝つ 戦いにおける“ツキ”と“ヨミ”の研究」に「大下も王と同じように、バックスイングのさい、右足をヒョイともちあげた。但し、王ほど長い時間ではない。ヒッチするといった方がいいかもしれない。」という記述が見られます。