昨日のダルビッシュの試合を見ていて、カンザスシティのベンチにジョージ・ブレットが座っているのを見かけた。「打撃コーチ補佐」に就任したのだそうだ。
ちょうど私がMLBの試合を見始めた頃、この選手は若手のトップスターだった。
当時、大リーグ中継録画を見る番組で、八木一郎さんが「日本でいえば掛布雅之ですね」と言っていたのをよく覚えている。
掛布はブレットよりも2つ下だが、きびきびとした三塁守備と言い、左打者、シュアな打撃と言い、確かに通じるものがあった。
キャリアSTATS

33歳で引退した掛布と違ってブレットは40歳まで現役生活を続けた。3000本安打も記録した。
数字を見てもわかるように、典型的な中距離打者。火の出るような当たりの二塁打が売りだった。
1980年には打率4割に肉薄したこともある。
1981年には来日。テレビでしか見ていないが、この時も掛布と対比して語られたと記憶している。それほど体は大きくないが、打球が鋭かった。
そして21年間カンザスシティ一筋でプレーをし続けた。これも今では稀有のことだ。
三塁手であり、フランチャイズプレイヤーとして人気者だったという点で、アトランタ・ブレーブスのチッパー・ジョーンズに似ているが、スケールはブレットの方が上だったと思う。


ブレットが売り出した頃のカンザスシティは新興チームだったが、良い選手が揃っていた。投手にデニス・レオナード、ポール・スプリット-フ、捕手に眼鏡のダレル・ポーター、外野にアル・カウエンズ、ハル・マクレー、私は163cmの遊撃手、フレッド・パテックがごひいきだった。
69年創設のカンザスシティ・ロイヤルズにとって、ブレットは最初の全国区のスターだった。そして以後も出ていない。この球団から殿堂入りしたのも実質的にブレットだけ。
28年間も優勝がないこの球団にとって、ブレットは永遠のスターだ。すでに球団副社長だったが、ついにコーチとしてユニフォームを着ることになった。
昨日は、1993年10月3日、同じ日にラストゲームを迎え、メンバー表を交換したノーラン・ライアン(当日の試合には出場していない)テキサス・レンジャーズ球団社長と、20年ぶりにメンバー表を交換した。
MLBは、こういう粋なことができるのだ。
経営する会社が破産し、自らはぶくぶく太って、うたた哀れを誘う掛布雅之と引き比べて、うらやましく思う次第。
広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。


クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。平成になってからの巨人投手陣

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1980年には打率4割に肉薄したこともある。
1981年には来日。テレビでしか見ていないが、この時も掛布と対比して語られたと記憶している。それほど体は大きくないが、打球が鋭かった。
そして21年間カンザスシティ一筋でプレーをし続けた。これも今では稀有のことだ。
三塁手であり、フランチャイズプレイヤーとして人気者だったという点で、アトランタ・ブレーブスのチッパー・ジョーンズに似ているが、スケールはブレットの方が上だったと思う。
ブレットが売り出した頃のカンザスシティは新興チームだったが、良い選手が揃っていた。投手にデニス・レオナード、ポール・スプリット-フ、捕手に眼鏡のダレル・ポーター、外野にアル・カウエンズ、ハル・マクレー、私は163cmの遊撃手、フレッド・パテックがごひいきだった。
69年創設のカンザスシティ・ロイヤルズにとって、ブレットは最初の全国区のスターだった。そして以後も出ていない。この球団から殿堂入りしたのも実質的にブレットだけ。
28年間も優勝がないこの球団にとって、ブレットは永遠のスターだ。すでに球団副社長だったが、ついにコーチとしてユニフォームを着ることになった。
昨日は、1993年10月3日、同じ日にラストゲームを迎え、メンバー表を交換したノーラン・ライアン(当日の試合には出場していない)テキサス・レンジャーズ球団社長と、20年ぶりにメンバー表を交換した。
MLBは、こういう粋なことができるのだ。
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コメント
コメント一覧
「変に指導して成績が下がったら天文学的な年俸を貰う選手の代理人に何言われるか分からないから口は出せない」
と言っていたのを目にしましたが、そのコーチの補佐ということは指導者というより、球団レジェンドによるお目付け役、的なものなのでしょうかね。
しかし成績見ると最終年にホームランが激増してるのがすごいですね。
ほぼフル出場してたようですし。
いとし「当年とって60歳」
こいし「えらい若いな」
いとし「十年とってまっさかいに」
サイヤングかいな
いや、稲尾和久や
このレベルの選手に。
70,80,90年代と3デイケードで首位打者を獲得した唯一の打者と思います。
85年のバットの松ヤニ事件も有名ですね。
初めて生で見たメジャーチームが81年のロイヤルズでした。
後楽園球場の2階席の上の方から、豆粒みたいなジョージ・ブレットを見たことを今でも覚えています。
前々年度だったかな?レッズのベンチが本塁打連発でしたが同じくらいの衝撃でした。
広尾さんはチッパーとの比較をしていますが、ブレットと時期がかぶっているのはマイク・シュミットですね。
あと広尾さんが忘れているロイヤルズのローテーションピッチャーが一人いる。85年の阪神日本一の胴上げ投手。リッチ・ゲイル!
>出場試合と同じくらい打っていた記憶があります。
「日米野球交流史」(2004年 BBM社)によると15試合で8本塁打とのことです。
81年のロイヤルズではクイゼンベリーの下手投げとフランク・ホワイト二塁手の守備も印象的でした。
>レッズのベンチが本塁打連発でしたが同じくらいの衝撃でした。
同誌によると78年のジョニー・ベンチは17試合で9本塁打とのことです。
詳細な解説ありがとうございます。
中学生の記憶なんてあてにならないものですね。
本塁打の数は出場試合の半分でしたか。
当時は物見遊山の花試合なんて意識もなく真剣にテレビ観戦していました。ロイヤルズの試合に関しては、YOUTUBEで「江川日米野球」で検索すれば一部の様子が見て取れます。後楽園球場は箱庭に見えます。
例えばキャリアの多くを4番で過ごした(去年今年は3番ですが)カブレラが1番を打ったらどうなるか。
単純に打席は30~40ほど増えるし、併殺打も減るしWAR的にはプラスのことしかないです。
逆に去年のトラウトが1番ではなくクリンナップだったら、併殺打も増えるし打席も50近く減るし盗塁も20以上減っていたでしょう。広尾さんに4番打者がどのくらい盗塁がしにくいのか検証してもらいたいところですが。
さらに3,4番じゃ内野安打も打ちづらいし、高年俸もらっていながら1死12塁のチャンスでバントヒットなんて狙おうものなら地元紙から批判され本人も監督室に呼ばれて説教、さらには若手選手も尊敬しないでしょう。
2011年の8月だったと思いますが、シアトルのウェッジ監督が1番の鈴木一朗が2死12塁でセーフティバントをしてアウトになったら試合後に監督室に呼ばれて説教されてましたね。1番だろうと1800万ドルもらって2死からバントなんて監督からすれば我慢できなかったんでしょう。任天堂がバックにいた鈴木にはなかなか言えなかったんでしょうが、大変なところは後ろの若手に丸投げの姿勢を問題視したんでしょう。
翌年3番になった鈴木の内野安打が減ったのも当然です。
あとは何年もプレーして警戒されてるカブレラと違ってマークも緩い新顔のトラウトが有利です。
その辺の事情(プレッシャーのかかる主軸打者の大変さ)が評価されたんでしょうね。
結局1番での成績より中軸での成績の方が価値が高いってことでしょうね。クローザーなんかもそうやって判断されてたりしますよね。