難攻不落の鉄壁の城のようだった王貞治の牙城に、ドラフト後の選手が挑戦し始めたのは、70年代半ばから。田淵幸一、山本浩二、谷沢健一、若松勉などの新しいタイプの強打者がタイトル争いに絡みだした。
えんじ色がセリーグ、青がパリーグ。



75年、田淵幸一は本塁打王になるとともに王からRC王のタイトルを奪った。しかし、以後はまた独占が続き、78年山本浩二が奪取していこう、新しい時代となる。
同時期のパリーグは、張本、大杉、長池、野村などの強打者に交じって、カタカナ名前の選手の躍進が目立つ。この時期のパリーグは自前の選手を育てるよりも、外国人打者を導入する傾向にあったと言ってよいだろう。
80年代の後半には、セリーグでも外国人選手が増えていく。バース、ブーマーの両者は三冠王をとっている。昭和が終わった1989年は両リーグのRC10傑のうち、実に11人が外国人だった。この時期のNPBの実力は、相対的に下落していたのではないだろうか?
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75年、田淵幸一は本塁打王になるとともに王からRC王のタイトルを奪った。しかし、以後はまた独占が続き、78年山本浩二が奪取していこう、新しい時代となる。
同時期のパリーグは、張本、大杉、長池、野村などの強打者に交じって、カタカナ名前の選手の躍進が目立つ。この時期のパリーグは自前の選手を育てるよりも、外国人打者を導入する傾向にあったと言ってよいだろう。
80年代の後半には、セリーグでも外国人選手が増えていく。バース、ブーマーの両者は三冠王をとっている。昭和が終わった1989年は両リーグのRC10傑のうち、実に11人が外国人だった。この時期のNPBの実力は、相対的に下落していたのではないだろうか?
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コメント
コメント一覧
蓑田、野村、イチローなどがRC王になっていることも総合指標ならではと思います。
何とも破天荒なチームが、かつて存在したものです。
現役時代を知らないので,小柄で非力な選手だというイメージなのですが,案外パンチ力もあったのですね.
球状が狭かった,ということもあったかもしれませんが.
この表に,円-ドル相場と経済史上の出来事を重ね合わせると,最後の段落の理由が説明出来るかと思います.
1971年,ニクソンショック.ブレトン・ウッズ体制が崩壊.
1976年,円-ドルが変動相場制に移行.
1978年,1ドル=200円を突破.
1985年,プラザ合意.1ドル=120円台まで上昇.
その後,89年頃には160円くらいまで下落.バブル経済へと向かっていきます.
この表の最初では1ドル360円だったのが,20年で1/3まで円高になったのですから,優秀な外国人選手が増えるのも自然なことでしょう.
実際,クロマティやホーナーといった,メジャーの第一線でプレーした選手が来日しています.
メジャーを知る選手と対戦する機会が増えたことが,その後日本人選手が海を渡る下地となったのかな,と思います.
そういった視点で見ても,この表は非常に面白く感じます.
1970年代半ば以降の主役は、団塊世代の選手と外国人選手という傾向が強く出ていますが、80年代に入ると、当初はダークホース的な存在だった落合が、見る見るうちにのし上がっていますね。ルーキーの年が最も鮮烈だった清原は、その後も年々順位を着実に上げていて、後年の悪戦苦闘ぶりが想像もつかない位です。
外国人選手では、西武初優勝の原動力となったスティーブとテリーは、大リーグで働き盛りのレギュラー選手を、破格の金額を投じて獲得ということで話題になりましたね。その路線の頂点だったホーナーは、シーズン途中の入団ながら、そのスイングと打球は、日本人選手だけでなく、他の外国人選手たちまで、皆色あせて見えてしまうほどの、数字以上の衝撃度と話題性を。
ストライク・ゾーンが低めに拡大した1980年代後半以降は、元々低めの球を打つのが得意な外国人選手が、打線の主役として更に活躍を見せる一方で、日本人選手は対応しきれず打力低下という傾向が、表にもあらわれているようです。