殺伐とした話題が続く。ちょっと違う風を入れようと思う。正岡子規(1867-1902)と言えば野球好きで知られているが、野球の短歌をいくつか残している。
子規は「ほととぎす」を創刊。近代俳句の創始者だ。門弟の高浜虚子、その子年尾、星野立子、孫の稲畑汀子らを通じて、今も続く俳句の王道を作った人だが、同時に歌人でもあった。

子規は「見たままをありのまま詠む、歌う」写実を重んじた。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり

が有名だが、その写実の心は、野球を題材にした歌に見事に活かされている。

ひさかたの アメリカ人の はしめにし ベースボールは 見れとあかぬも

「ひさかたの」とくると紀友則を思い出すが、これにアメリカ人と続くと、おおらかな「あくがれ」の気持ちが広がる感じがする。技巧はないが良い歌だ。
要するに、「アメリカ人がはじめた野球は、見ていても飽きないなあ」と。野球好きのマインドはまさにこれ。

有名な歌。

いまやかの 三つの塁に人満ちて そぞろに胸の うちさわぐなり

満塁である。そぞろ=なんとなく、そわそわ という言葉が利いている。野球好きの面目躍如だ。

ベースボール うちはつす球キャッチャーの 手にありて ベースを人のゆきかてにする

走者がいる場面での空振り。ゆきかてとは「進めそうで進めなかった」さま。空振りと同時に走者の体が前に傾くのはよくあることだ。
捕手は子規が野球をした1880年代はまだ素手だった。

俳人殺すに刃物はいらぬ それがどうした と言えばよい

とは江國滋(今や江國香織の父という方が通りがいい)の言葉だが、良い写実は「それがどうした」を乗り越える。



國人と とつ國人と うちきそう ベースボールを 見れば ゆゆしし

横浜で行われた駐留米人、あるいは海兵との日本初の国際試合。野球史的にも重要な歌だ。「ゆゆしし」とは「えらいこっちゃ」ということ。
WBC日本戦も我々は「ゆゆしし」と思って見ているのだ。

九つの人 九つのあらそいる ベースボールの 今日も暮れけり

野球少年は、今も昔もこうして毎日を過ごしている。「九つの人」という語感が素晴らしい。「九つの思い」でもあるのだ。

うちあぐる ボールは高く 雲に入りて 又落ち来る 人の手の中に

絵のような歌。「雲に入りて」は子規先生ちと大げさぞなもし、といいたくなるが、そういう爽快感である。
人の手の中に。そう、グローブはまだなかった。字余りだが、ここに「やっと取った」という感じが出ていると思う。

若人の すなる遊びは さはるあれど ベースボールに 如く者 あらじ

者は「は」と読むのかもしれない。「如く者」は「しくは」だろうか。野球好きならみんなそういうだろう。
「いやー、野球って 本当にいいものですね」


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