『日本のプロ野球、昭和の名将』


日本のプロ野球は昭和11(1936)年に始まっているから、ようするに24年前までの監督を紹介したムック。西本幸雄さんの死をきっかけに作られたのだろう。
「監督」という仕事の評価は、たいてい引退してから定まる。常勝監督もいつかはその地位を追われる。選手のように一瞬一瞬の輝きを評価されるのではなく、積み上げた実績を後付で値踏みされるものなのだ。監督は、「結果論」で評価される職業だと言えよう。
この本には、西本幸雄、三原脩、水原茂、鶴岡一人、藤本定義、川上哲治から長嶋茂雄、王貞治、野村克也まで主要な監督の実績が、多くの言葉によって評価されている。これが、なかなか読みごたえがある。「後付」「結果論」だから言える長所、欠点、特色がいくつも並べられる。
昭和中期に生まれた野球ファンである私にとって、そんな評論の一つ一つに思い当たる節がある。「うんうん」と何度も頷きながら読み進んだ。読み終わって「昭和の野球ってこういうことだったのだ」ということが、漠然と腹に収まった気がした。昔のコンクリート造りの、小便くさいスタジアムの雰囲気が脳裏に浮かび上がってきた。
MLBの影響はほとんど受けず、巨人を中心に安定したヒエラルキーがある中で、ドメスティックな野球が行われていた。それは古典芸能のようでもあるし、高度経済成長期の日本の幸せな「コップの中の嵐」だった。
意欲的な試みとして、監督力をMLBの「ヘンリー理論」「コーチ理論」で分析し、ランキングしているのも興味深い。やや消化不良ではあるが。
また、昭和の監督147人のパーソナルデータとチーム別一覧が載っているのもありがたい。大監督の情報はあふれるばかりだが、短期間で終わった監督、代行で終わった監督などのデータは貴重だ。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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「監督」という仕事の評価は、たいてい引退してから定まる。常勝監督もいつかはその地位を追われる。選手のように一瞬一瞬の輝きを評価されるのではなく、積み上げた実績を後付で値踏みされるものなのだ。監督は、「結果論」で評価される職業だと言えよう。
この本には、西本幸雄、三原脩、水原茂、鶴岡一人、藤本定義、川上哲治から長嶋茂雄、王貞治、野村克也まで主要な監督の実績が、多くの言葉によって評価されている。これが、なかなか読みごたえがある。「後付」「結果論」だから言える長所、欠点、特色がいくつも並べられる。
昭和中期に生まれた野球ファンである私にとって、そんな評論の一つ一つに思い当たる節がある。「うんうん」と何度も頷きながら読み進んだ。読み終わって「昭和の野球ってこういうことだったのだ」ということが、漠然と腹に収まった気がした。昔のコンクリート造りの、小便くさいスタジアムの雰囲気が脳裏に浮かび上がってきた。
MLBの影響はほとんど受けず、巨人を中心に安定したヒエラルキーがある中で、ドメスティックな野球が行われていた。それは古典芸能のようでもあるし、高度経済成長期の日本の幸せな「コップの中の嵐」だった。
意欲的な試みとして、監督力をMLBの「ヘンリー理論」「コーチ理論」で分析し、ランキングしているのも興味深い。やや消化不良ではあるが。
また、昭和の監督147人のパーソナルデータとチーム別一覧が載っているのもありがたい。大監督の情報はあふれるばかりだが、短期間で終わった監督、代行で終わった監督などのデータは貴重だ。
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コメント
コメント一覧
ひとつのチームで安定した成績を残すこと、複数のチームで優勝させること等、評価基準が多種多様になりそうです。
こういう場合は、セイバー系の数字をもとに攻撃・守備のチーム平均値から予測される順位を設定、その予測値を上回ればプラス評価、下回ればマイナス評価するなどすれば、数字としての優劣がはかれるのではと思いますが。(口で言うのは簡単、作業するほうは大変な作業)
さらには、ゲーム差を使って偏差値を織り込めれば面白い監督評価になるのではと考えます。
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無責任発言ですね。
無理ですね。
得失点差から順位を予測するヘンリー理論・ピタゴラス勝率などの指標が既に存在しますが、予想値と実値の差を監督の能力によるものと証明することが出来ませんから。