After 21 years I have decided to retire from the game of baseball. I am excited for the next adventure…
20日、自身のtwitterでマーク・クルーンはこうつぶやいた。

たちまちリツイートがつながり、多くの人がメッセージを寄せた。日本で引退が報道されると、多くの日本人からも感謝のメッセージが届いた。
I'll never forget your fastball at Tokyo Dome.Thank you Marc! Arigatou
クルーンは丁寧にお礼のtweetを返していた。いい時代になったな、とこの時ばかりは思った。

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このブログでも何回か紹介しているが、クルーンは苦労人だ。
1991年ニューヨーク・メッツのドラフト2順目で入団。エリートだった。同期には今話題のマニー・レミレス、アーロン・シーリーなどがいる。
速球は群を抜いて速く100マイルクラブの一員として注目され、早くにMLBに昇格したがコントロールが悪く通用しなかった。2000年にはひじを故障し、手術。

次第に忘れ去られた存在になっていたが、2005年横浜に移籍し、クローザーとしてキャリアを開いた。

何度か近くで観戦したことがあるが、かなりのあがり症だと思った。ブルペンにいるときから気負いが目立ち、マウンドに上がるころには興奮しきっているのがよくわかった。投球練習でワンバウンドも良く投げた。おそらくクルーンがMLBで成功しなかったのは、メンタル面が大きかったのではないか。

2005年の横浜の正捕手は相川亮二だった。リード面で定評のある相川は、おそらくクルーンの気持ちを解きほぐし、実力を発揮させることに成功したのだろう。

以後、クルーンは水を得た魚の勢いで活躍した。球が速いというのはそれだけで見ものになる。9回にクルーンが登場すると、帰りかけていた人の足が止まったものだ。

本人も意気に感じる部分が大きかったと思う。巨人に移籍してからはスターの風格がそなわっていた。
とはいえ、巨人移籍時で35歳。駆使してきた肉体に限界が来たとしても無理はない。2010年は投げるたびに走者を出して自滅を繰り返した。

「もう、クルーンを投げさせるな」ポストシーズンに入り、権力者の一語で、クルーンの日本でのキャリアは絶たれた。衰えていたのは事実だが、チームを石もて追われるような筋合いはない。

春に「さよなら」をいったのは、この時期まで次のキャリアを模索していたのだろう。

日本でもアメリカでも、野球選手の終わりは、ごく一部のスター選手を除けば寂しいものだ。特に外国人選手には球団も、マスコミもそっけない。

しかし我々ファンは、楽しませてくれた外国人選手には、「ありがとう」と感謝の意を示すべきではないか。異文化の壁を越えてNPBで力を尽くしてくれた選手たちに「日本での野球生活は幸せだった」と思ってもらうためにも、「決して忘れない」とメッセージを送るべきだ。

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