【2009年4月3日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】
まだ、「昭和という時代はいつ終わるのだろう」と思っていた時代に、大阪ミナミの大衆食堂で夢中になって読んでいた記事があった。「漫画アクション」に連載された関川夏央の「海峡を越えたホームラン」。この記事はのちに単行本にまとめられ、関川の出世作となる。発足当初の韓国に渡った僑胞(キョッポ=在日韓国人)野球選手の苦闘が、ほぼリアルタイムで伝えられていた。その記事を読んでいた食堂は、なぜか午後三時をまわると十数人の小学生がたむろし、口々にしゃべりまくるのだが、それがみんな朝鮮語で、その口調の親しみやすさと一語も理解できないことに、激しく取り乱してしまう不思議な店だった。ここで、「祖国という名の異文化」というサブタイトルの記事を読んでいると、選手たちの苦悩がわがことのように感じられるのだった。
1982(昭和57)年、韓国に始まったプロ野球の初期をリードしたのは、在日韓国人の選手たちだった。引退したばかりの張本勲も尽力したようだが、第一年に打率4割をマークし、MVPに輝いたのは、張本の元同僚の白仁天、そして2年度には張明夫(日本名松原明夫)、朱東植(日本名宇田東植)ら4名が韓国野球に身を投じたのだ。
彼らが感じたのは、「もはや韓国は故郷でない」という現実だ。朝鮮語がほとんどできず、儒教的な習慣にも無知な彼らは、混乱と孤立感にさいなまれる。また、受け入れる韓国人たちも、「同胞なのだから韓国語が喋れてあたりまえ」という意識と、「所詮は日本に帰るやつ」という反感をもっていた。公然非公然の差別が行われたのだ。
在日韓国人の選手たちは、この状況を打破するためには、野球で相手を黙らせるしかないと悟り、奮闘する。張明夫は驚異的なシーズン30勝を挙げる。
「日本では南海や広島で勝ったり負けたりの松原が、30勝かあ」と思った記憶がある。当時の韓国野球は、勝敗にあまりにもこだわるために、監督やコーチが数試合で交替したり休養を余儀なくされる。投手は速い球を投げ、打者はそれを遠くに飛ばすだけ。駆け引きも作戦もない。張は、ある意味赤子の手をひねるように勝ちを重ねていくのである。
この本から漂ってくるのは、当時の韓国の貧しさである。選手たちは、たびたび変更される試合スケジュールをこなすために、バスに乗って高速道路をひた走る。睡眠もバスの中である。また、優勝チームは祝勝会の後、夜の街に消えていくが、みんなユニフォーム姿である。
そして、当時の日本人は、韓国について本当に無知だったこともわかる。今では家庭の食卓にまで上る韓国料理に、在日選手たちは悪戦苦闘するのである。
1988(昭和63)年のソウルオリンピックを機に、韓国は大きく発展する。彼らは今や「世界十大大国」の一員だと胸を張るようになるのだが、この本はその直前までの、韓国の貧しさや儒教的な社会構造などを、感覚的に伝えている点でも貴重だと思う。
こないだのWBCでの韓国の強さ、賢さを見れば将に隔世の感がある。しかし、金泰均のあのスイングには「投手は速い球を投げ、打者はそれを遠くに飛ばすだけ」という韓国野球のDNAが色濃く残っている。韓国プロ野球は日本のプロ野球の大きな影響下で育ったが、異なる魅力をたたえた野球へと進化したのである。
マウンドに大極旗を立てたり、日本に対して異様に敵愾心を燃やす韓国への反発は強い。むしろ昭和のあの頃よりも「嫌韓」をはっきり口にする人が増えたように思う。
でも、私は彼らのひたむきさ、何かもかなぐり捨てて、敵にむしゃぶりつくような熱さが、なんとなく懐かしく、うらやましくもある。
今年は私も海峡を越えて、大人になった韓国野球を見てこようか、と考えている。
■後日談:今年、ついに韓国へは行けなかった。来年こそと思っている。
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