2009419日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

膝の調子が思わしくないこともあって、松井秀喜は早くもスタメン落ちである。4/17は内野安打1本、4/18は代打で三振、4/19はデーモンの代打で途中出場し1安打2四死球。この選手はこのままフェードアウトしてしまうのか。松井秀喜は、これで終わりなのか。

MLBに移籍してからの、松井には、ずっと隔靴掻痒のもどかしさを感じていた。彼の存在が日本人の限界を示しているように思えたからだ。彼の真価はこんなものではない、そんな思いが高まっている。松井秀喜が斜陽を迎えている今、この打者の真価を考えておきたい。

以下は、2リーグ分立以降のNPBの本塁打王を、日本人・外国人の別に分けたものである。

 Matsui-01

60年代、70年代まで、日本にはホームラン王がいた。言わずと知れた王貞治と野村克也である。60年から79年までの20季で、王は15回、野村は8回本塁打王を取っている。しかし、パでは野村が衰えた70年代以降、セでは王が引退した80年代以降、本塁打王は外国人が多くを占めるようになる。また常に一人で45本というハイレベルな本数を維持してきた王貞治の引退によって、セでは本塁打王の本数も激減する。

この時期にNPBのホームグランドは改修や新規建築で、大きく広げられている。87年までの後楽園球場は両翼87.8mセンター120.8m、88年からの東京ドームは100m122m。91年には甲子園のラッキーゾーンが撤去される。96年までのナゴヤ球場は両翼91.4m、センター118.9m、97年からのナゴヤドームは100m、122m。

こうした変化を経て、90年代以降、日本では、本塁打王は打撃3部門の1つに過ぎなくなったように思える。落合、松中という三冠王をはじめ、多くの日本人の本塁打王は常に一発を狙うわけではなく、アベレージも打点もというバランスのとれた打者である。いわば結果としての本塁打王。一発屋は、外国人の専売特許となった感がある。1995年、パリーグの本塁打王はわずか28本だった。この年、イチローがもう3本スタンドに放り込んでいたら、前代未聞の打率、打点、本塁打、盗塁の4冠王が誕生したところだった。

そんな時期に、松井秀喜は出現したのである。以下は松井のNPBでの最後の5季にあたる1998年から2002年の、NPB選手の通算本塁打と打点のランキングである。

Matsui-02

広いグランドで、多くの選手が出塁率や打率などのバランスのとれたスラッガーを目指す中で、松井は圧倒的な存在だったのだ。彼に対抗しえたのは、ヤクルトのぺタジー二のみ。

久々に誕生した「和製大砲」のMLB入りに、ファンだけでなくMLBの関係者も多いに注目していたのだ。

■後日談:今年、松井は久々に存在感を見せつけた。しかし彼を取り巻く状況は決して芳しいものではない。