Gファンですが様の示唆を頂いて、MLBの観客動員数を調べた。その草創期からデータとしては揃っているが、長大な表になるので、1949年から10年区切りでたどることにしよう。まずは1949、1959年。
戦後間もなく、選手が続々と復帰したMLBは復興期にあったが、まだ球場は満杯とはいかなかった。ヤンキースタジアムでも平均すれば50%以下だったのだ。特に弱小球団の観客数は悲惨だ。ダントツに低いセントルイス・ブラウンズは今のオリオールズ。隻腕投手や身長108センチの選手を試合に出すなど奇策に走るも数字は上がらなかった。
動員数が伸び悩んだのは、フランチャイズが重なるチームが多かったことも大きい。ニューヨークに3チーム(ヤンキース、ジャイアンツ、ドジャース)、セントルイス(ブラウンズ、カージナルス)、シカゴ(今と同じ)、フィラデルフィア(アスレチックス=コニー・マック健在、フィリーズ)に2チームが併存していたのだ。
1959年、MLBの西海岸進出が始まっている。ブルックリン・ドジャースがロスへ、ニューヨーク・ジャイアンツがサンフランシスコへ。西部ではないがフィラデルフィア・アスレチックスもカンザスシティに異動している。新市場に根付く過程の時期であり、全体としての観客動員数は微減するが、各チームの動員数は均衡してくる。移転2年目のドジャースはロスで爆発的に観客を獲得した。以後、LADはMLBのマーケティングのお手本となっていく。

反対に東海岸のチームは軒並み動員数を落としている。NYY、BOSといった名門チームはチーム成績がもろに動員数に影響するのだ。
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これでのどのつっかえが取れました。1976年頃(オーナーがメディアからスタインブレナーに代わる時期)、自分がヤンクスファンになった時はチーム成績が低迷していた時でした。だから人気も全米一ではなかった。
当時NPBと較べたがる人が、「ヤンクスって日本の巨人みたいなものだろ」と言ったことに対し、「一番の人気球団でもないし全国区でもない。」と反論したことを思い出しました。