ペドロ・マルチネスがラモン・マルチネスの弟だとはしばらく知らなかった。LADの先発投手として野茂などとローテーションを組んだラモンは193cm78kgという針金のような体。打たれる、歩かせる出入りの多い投球ながら、要所を締める投手だった。


弟のペドロは、180cm88kg、野手のような体つき。期待感はそれほど高くなかったが、90年のRkですでに頭角を現し、翌々年にはMLBに上がる。翌93年はタフなセットアッパーとして10勝を挙げる。94年にはLADからMTLに移籍し、先発に転向する。


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この投手が超一流になったのは、MTL最終年の97年から。この年の防御率は驚異的な1.90。サイヤング賞を受賞。以後BOSに移ってからは、リーグを代表する投手になった。99年は23勝4敗、奪三振率は13.2、31試合でQSは24。WHIPは0.92.。翌00年は6月後半から7月にかけてローテーションを外れたが、29試合でQSは26試合、WHIPは何と0.74を記録した。先発投手としては空前絶後だろう。全盛期の最後といえる2003年、松井秀喜を子供扱いした投球が強く印象に残っている。内角を鋭く突く気迫の投球。死球は歴代24位の141個。コントロールと、球のキレと、強烈なカーブ、そして勝負師としての駆け引き。まさに小さな大投手だった。


ペドロ・マルチネスは、このほど引退したランディ・ジョンソンやロジャー・クレメンス、マダックス、スモルツらとともに、世紀末から21世紀へかけての大投手の一人であるのは間違いがない。しかし勝ち星はこれらの300勝投手に大きく劣る219勝。


これは、ペドロがよく欠場したからだ。「契約最終年でなければ頑張らない」と揶揄されたが、実際のところはこの小さな体で選手生活を長らえるために、無理をしなかったからではないだろうか。


2006年に右腕を手術してからは不本意な投球が続く。2009年は何とかMLBに復帰すべくWBCドミニカ代表でアピールした。ドミニカはオランダに連敗し、まさかのグループリーグ敗退をしたが、その中でペドロ一人が悠々と投げていた。「こんなやつらに何を手こずっているんだ」と言わんばかりに。


そして、PHIに入ってからはマイナーで投げたのちに8月12日にMLBに上がると、ローテの一角として8試合に先発した。往年の剛球はすでになく「顔」で投げている、という感じだったが、味のある投球だった。


WBCでそうだったように、ペドロはワールドシリーズで快投を演じて、次の勤め先を見つけようと思っていたのだろうが、よりによって、あれほどカモにしていた松井秀喜に完膚なきまでたたきつぶされた。「今年はついていない」と思ったことだろう。


39歳になるペドロだが、2010年もどこかで必ず投げていると思う。


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