観客動員数の記録、続いて1969年、
第一次のエクスパンションが完成した69年。24球団がそろったばかりであり、多くの球場はガラガラだった。この時期、日本の巨人は主催65試合すべてで5万人動員を誇っていたから、NYYの3倍近い観客が訪れていたことになる。NFL、NBAなどの台頭に伴い、ナショナルパスタイムとしての地位が揺らいでいた時期だ。NLが1500万人、ALが1200万人。NYYはこの時期、長期低落傾向にあった。
1979年。第二次エクスパンションによって球団数は26となった。
前年に日本向けにMLB放送が始まったこともあり、関心が高まった時期だ。スタインブレナー、ビリー・マーチンと言う名物オーナー、監督でNYYが人気を挽回した時期。チームは決して強くはなかったが、レジー・ジャクソンをはじめとするスターが結集していた。しかし、観客動員ではLADがトップを走っている。
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コメント
コメント一覧
MLBで初めて観客動員300万人を突破したのは、77年か78年のLADだったと記憶しています。
そして400万人突破はスカイドームのおかげでTORではなかったかと。(このときチーム成績は関係なかったような気がしますが・・・。)
TORが400万人を動員した最初のチームですね。ただ、そのときTORは強かった。もちろん、ドームがあればこその数字ですが。76、77年ごろのアスレチックスは金色のユニフォームで、レジー・ジャクソンを始めやくざな連中がそろっていて面白かったですね。
公式発表はあてになりませんよ。
1969年頃では後楽園が満員になることすら少なかったのでは・・・
1980年代から企業の年間契約も増え、満員御礼が増えたはずです。
日本の球場で満員御礼で5万人以上収容可能なのは甲子園ぐらいですし、
最大収容人数は一般には最寄の消防署への席数届けになります。
ようこそいらっしゃいました。
NPBの各チームが正確な観客動員を発表し始めたのは、今世紀に入ってからでしょう。従来の発表は、甲子園6万4千人、後楽園5万人など大雑把なもので、正確に有料入場者数を発表していた日本シリーズとは大きな差異がありました。このブログの表記は、もちろんそのことを前提としています。当時、NYYより巨人のほうが人気がある、と報じた新聞があったことを思い出して書きました。
これからもおつきあいください。