原辰徳監督が、引退を表明した選手のために「特別登録枠」を設けるよう提案した。私は反対だ。
「引退を表明した選手に関しては、引退試合の1日限定で(ベンチ入り枠の)25人とは別枠でベンチに入れるようにしてはどうだろうか。25人プラス1でね」
とのこと。
これまで、引退を表明した選手の引退試合を公式戦で行うときは、その選手を1日だけ登録しなければならなかった。そのために25人枠から他の1人の登録を抹消しなくてはならない。いったん登録を抹消すると10日間再登録ができなくなる。
引退を表明した選手は戦力的には期待されていないから、チームにとってこれは戦力ダウンだ。だったら、特別枠を設けて戦力を低下させることなく、公式戦で引退試合ができるようにしようというものだ。
要らざる話だと思う。
今年でいえば藤本敦士、小池正晃、前田智徳、山﨑武司、桧山進次郎などが引退を表明後、選手登録をされて公式戦に出場。ファンに別れを告げた。
一つ一つの惜別のシーンは感動的ではあったし、目くじらを立てるほどの事ではないとは思うが、公式戦は“花相撲”ではない。勝利を目指した真剣勝負のはずである。
ペナントレースの進展とともに、公式戦が勝敗はどうでもよい「消化試合」になることはままあるが、それでもファンはチームの勝利を願って球場に来ている。真剣勝負を期待している。
そんな大切な試合に、すでに戦力外となった選手がお情けで出場する。明らかにおかしい。
登録抹消期間が最短で10日以上と規定されているのは、いい加減な選手登録ができないようにするためだ。登録された選手は、少なくとも10日間、数試合は使うことが求められている。MLBにはこんなルールはないが、良い制度だと思っていた。
戦力として十分に期待できる選手が、自らの意志で「早めの引退」を表明し、以後も試合に出場し続けるケースはままある。大昔の長嶋茂雄(1974年)、新庄剛志(2006年)などがそれだ。
そういう選手がシーズン最終戦でファンに別れを告げるのは、自然な成り行きだと思う(新庄がその年の日本シリーズで監督や主力選手をさし置いて真っ先に胴上げされたのは釈然としないが)。MLBのマリアノ・リベラなどもそのケースだ。
しかし、もう完全に終わった選手が、その試合だけ引き上げられて試合に出場し、公式戦に最後の記録を残すのはおかしい。
誤解を恐れずに言うが、選手の「引退試合」など、どうでもよいセレモニーである。
やりたいのであれば、オープン戦など非公式戦でやるべきである。公式戦やポストシーズンなどの真剣勝負を、そんな「私事」に使うのは公私混同である。お客さんに失礼である。
「我々が喜んでいるのだから、それでいいじゃないか」という反論が例によって予想されるが、そういうファンばかりではないはずだ。また、筋としておかしい。
大相撲では、引退を表明した力士は翌日から土俵に上がることはできない。大相撲は命を懸けた真剣勝負であり、そこに戦意を喪失した力士が混ざるのは危険であるし、失礼だという解釈からだ。
しかし一定の功績を残した力士は、数か月後に「引退相撲」を開いてもらう。我々は「引退相撲」といえば断髪式しか見ることがないが、実際は横綱土俵入り、幕内以上の取り組み、初っ切り、相撲甚句など巡業で行うのとほぼ同じメニューが行われ、観客は入場料を払ってこれを観るのだ。
「引退相撲」の収益は、経費を差し引いて引退する力士に与えられる。功績のあったお相撲さんに、仲間が協力して「退職金」を与えるようなシステムなのだ。


かつてはNPBにも同様の「引退試合」の規定があった。
「顕著な功績をもつすべての10年選手は所属クラブとの合意に基づき、かつ最終的に現役を引退するにさいし、希望する地域において毎年11月15日以後エキジビションゲームとして引退試合を主催し、その収益金を取得することができる」
恐らくは大相撲の「引退試合」に倣ったのだろうが、良いシステムではなかったかと思う。
ポストシーズンが過密になり、アジアシリーズなど11月も野球をすることが多くなったため、引退試合は実施されなくなった。
そのかわりに公式戦が「引退試合」になるケースが増えたのだ。
もちろん、公式戦の収益が引退する選手に与えられることは無い。ただセレモニーが行われるだけだ。
原監督が「引退試合の1日限定で現役枠に入れる」と言ったのは、MLBが引退をした選手と1日だけマイナー契約を結んで、公式戦の前にセレモニーをすることにヒントを得たのだろうが、当然ながらそういう選手が試合に出ることはあり得ない。今年の松井秀喜は、打席には立たなかった。原監督の提案とは似て非なるものだ。
原監督の提案が認められれば、公式戦の終盤は「引退試合」だらけになる可能性がある。
私はそんなふやけた試合が続くのは堪えられない気がする。
「引退試合」は感動的だというが、それは作られた「感動」だ。誰だって「別れ際」には特別の感情が湧いてくる。最近はテレビなどが演出した「感動のシーン」で易々と感動する人が多いが、「引退試合」もそれと同じだ。本物の感動とは別物だと思う。
少なくともプロ野球の公式戦は、たとえ消化試合であっても、100%まじりけなしの「本物の選手」のプレーが見たい。選手が死力を尽くした果ての「本物の感動」が見たい。
作られた「感動のシーン」は、必要ないと思う。
参考 豊浦彰太郎さんブログ
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とのこと。
これまで、引退を表明した選手の引退試合を公式戦で行うときは、その選手を1日だけ登録しなければならなかった。そのために25人枠から他の1人の登録を抹消しなくてはならない。いったん登録を抹消すると10日間再登録ができなくなる。
引退を表明した選手は戦力的には期待されていないから、チームにとってこれは戦力ダウンだ。だったら、特別枠を設けて戦力を低下させることなく、公式戦で引退試合ができるようにしようというものだ。
要らざる話だと思う。
今年でいえば藤本敦士、小池正晃、前田智徳、山﨑武司、桧山進次郎などが引退を表明後、選手登録をされて公式戦に出場。ファンに別れを告げた。
一つ一つの惜別のシーンは感動的ではあったし、目くじらを立てるほどの事ではないとは思うが、公式戦は“花相撲”ではない。勝利を目指した真剣勝負のはずである。
ペナントレースの進展とともに、公式戦が勝敗はどうでもよい「消化試合」になることはままあるが、それでもファンはチームの勝利を願って球場に来ている。真剣勝負を期待している。
そんな大切な試合に、すでに戦力外となった選手がお情けで出場する。明らかにおかしい。
登録抹消期間が最短で10日以上と規定されているのは、いい加減な選手登録ができないようにするためだ。登録された選手は、少なくとも10日間、数試合は使うことが求められている。MLBにはこんなルールはないが、良い制度だと思っていた。
戦力として十分に期待できる選手が、自らの意志で「早めの引退」を表明し、以後も試合に出場し続けるケースはままある。大昔の長嶋茂雄(1974年)、新庄剛志(2006年)などがそれだ。
そういう選手がシーズン最終戦でファンに別れを告げるのは、自然な成り行きだと思う(新庄がその年の日本シリーズで監督や主力選手をさし置いて真っ先に胴上げされたのは釈然としないが)。MLBのマリアノ・リベラなどもそのケースだ。
しかし、もう完全に終わった選手が、その試合だけ引き上げられて試合に出場し、公式戦に最後の記録を残すのはおかしい。
誤解を恐れずに言うが、選手の「引退試合」など、どうでもよいセレモニーである。
やりたいのであれば、オープン戦など非公式戦でやるべきである。公式戦やポストシーズンなどの真剣勝負を、そんな「私事」に使うのは公私混同である。お客さんに失礼である。
「我々が喜んでいるのだから、それでいいじゃないか」という反論が例によって予想されるが、そういうファンばかりではないはずだ。また、筋としておかしい。
大相撲では、引退を表明した力士は翌日から土俵に上がることはできない。大相撲は命を懸けた真剣勝負であり、そこに戦意を喪失した力士が混ざるのは危険であるし、失礼だという解釈からだ。
しかし一定の功績を残した力士は、数か月後に「引退相撲」を開いてもらう。我々は「引退相撲」といえば断髪式しか見ることがないが、実際は横綱土俵入り、幕内以上の取り組み、初っ切り、相撲甚句など巡業で行うのとほぼ同じメニューが行われ、観客は入場料を払ってこれを観るのだ。
「引退相撲」の収益は、経費を差し引いて引退する力士に与えられる。功績のあったお相撲さんに、仲間が協力して「退職金」を与えるようなシステムなのだ。
かつてはNPBにも同様の「引退試合」の規定があった。
「顕著な功績をもつすべての10年選手は所属クラブとの合意に基づき、かつ最終的に現役を引退するにさいし、希望する地域において毎年11月15日以後エキジビションゲームとして引退試合を主催し、その収益金を取得することができる」
恐らくは大相撲の「引退試合」に倣ったのだろうが、良いシステムではなかったかと思う。
ポストシーズンが過密になり、アジアシリーズなど11月も野球をすることが多くなったため、引退試合は実施されなくなった。
そのかわりに公式戦が「引退試合」になるケースが増えたのだ。
もちろん、公式戦の収益が引退する選手に与えられることは無い。ただセレモニーが行われるだけだ。
原監督が「引退試合の1日限定で現役枠に入れる」と言ったのは、MLBが引退をした選手と1日だけマイナー契約を結んで、公式戦の前にセレモニーをすることにヒントを得たのだろうが、当然ながらそういう選手が試合に出ることはあり得ない。今年の松井秀喜は、打席には立たなかった。原監督の提案とは似て非なるものだ。
原監督の提案が認められれば、公式戦の終盤は「引退試合」だらけになる可能性がある。
私はそんなふやけた試合が続くのは堪えられない気がする。
「引退試合」は感動的だというが、それは作られた「感動」だ。誰だって「別れ際」には特別の感情が湧いてくる。最近はテレビなどが演出した「感動のシーン」で易々と感動する人が多いが、「引退試合」もそれと同じだ。本物の感動とは別物だと思う。
少なくともプロ野球の公式戦は、たとえ消化試合であっても、100%まじりけなしの「本物の選手」のプレーが見たい。選手が死力を尽くした果ての「本物の感動」が見たい。
作られた「感動のシーン」は、必要ないと思う。
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コメント
コメント一覧
代打の神様と言われましたが、今年の桧山選手は出るたびに絶望感しか味わうことが出来ませんでした。
CSで消化試合を削減してさらに「引退試合興行」を増やすやり方だが弊害も考えられる。
まだ引退したくない選手が球団が「引退試合興行」をしたいが為、引退を強要する事も。
引退・退き際は選手の最後のメッセージなのであまりルール・規約に盛り込むのは好ましくないと思います。
広尾さんがJスポにかけあっていただけたら・・・(と、丸投げ)
ネット上ではない、ファンの意見を直接聞いた方が絶対いいですし。
これはファンの意向で左右されるような問題ではないと思いますよ。「公式」とは何かという問題だと思います。
無責任なファンのアンケートでこういうことを決めるのは筋違いでしょう。
>無責任なファンのアンケート
はさすがに言い過ぎのような気もいたします…。
今までやっていなかったことを望むのならともかく
やっていたことのルール整備をしようという提言に対し
ファンが肯定するなら、それは正しい改革なのではないか
という気もいたしますし…。
むろん、広尾様の意見も正しいものだとは思いますが。
ただ、一方で、広尾さんが主張されるように、引退試合で釈然としないものを感じるのも事実です。昨年のオリックス対ソフトバンク最終戦などその典型でしょう。なぜ小久保に引け目を感じながら、西が快記録をおそるおそる達成しなければならないのか、小久保の引退など関係ないこと、もっと堂々とするべきでした。あまりにも西が不憫でなりませんでした。
じゃあ、広尾さんならオープン戦で引退試合を行えばと言われるのでしょうがが、ファンの興味は最早その年のチームに集中して、その年に何の役にも立たない過去の選手なんてただの邪魔者です。
難しいところです。
シーズン終盤、消化試合に行うという現状が、球団収入とファンの興味を両立させるようになってきたのでしょう。
広尾さんがそう書かれたので、球場に来るファンの意見が大事かなと思ったんですが・・・
ファン、消費者のアンケートが有効なのは、商品開発やマーケティングの分野であって、制度の是非を問うには不適切です。
匿名性が確保され、しかも何の責任も問われない不特定多数の意向で、ルールや制度が左右されることがあってはならないと思います。
特に投手の引退試合では、相手打者がお情けで凡退しているように見えることがよくあり、真剣勝負であるはずの試合が白けてしまいます。
佐々岡選手の引退試合で本塁打を打った村田選手や、小久保選手の引退試合でノーヒットノーランを達成した西選手のことを、空気が読めない奴だとする意見を耳にしたこともありますが、
消化試合だからといって相手に手心を加えるような勝負を見て何が面白いのでしょうか。
ですからこんな問題は起きなかった。
しかし、オフを越してしまうと感傷も薄れてしまうのも事実。
ここは、大昔はあったという「秋のオープン戦」を開催して
そこで引退選手や戦力外選手の出場を一手に行うべきでしょうか。
ファンがそうだから、チームはこうすべきと言っているのではなく、チームはファンに対して常にどうあるべきか、という姿勢の問題です。
野球選手は「パフォーマー」ではなく、競技者なわけですから。
プロ野球は興行だからお客さんが来てくれる選手ならしても良いと思う。
ケジメの意味でも
翌春のオープン戦では、かなり劣化した姿を見せることになるだろうしσ(^_^;)
ただ、これだけは言いたい
ベイスターズ佐々木の引退試合は酷かった
単なる我が儘だよ
あんな試合でなければ引退試合は有りです。
あれは良い、これは悪いという線引きはできないと思います。
公式戦で引退試合をするのはありか、なしか。ありだとすれば、その試合は真剣勝負ではなくなるし、公式記録から除外すべきだと思います。
引退後の選手が劣化した姿で引退試合に出るのは別に問題ないのではないですか。所詮は非公式戦ですし。
それに、少し意識の高い選手なら、引退試合まではトレーニングをするのではないでしょうか。
それはプロ野球が興行だからと言うよりは、ある程度各球団の責任においての自由を認めるべきだからです。
広尾さんの考えは十分に理解できますが、それはそう考える球団が実行すれば良いこと。
引退試合を公式戦でやってもいいじゃないかという球団は、普通に今までどおりに引退試合すればいいんじゃないでしょうか。
ただ一つ考えていただきたいのは、真剣勝負だから公式戦で引退試合をするなというのはどうなのかな?ということです。
真剣勝負だからという言葉のは聞こえが良いですが、その言葉で全てを縛ってしまうなると育成だってするべきではないでしょう。
実力がレギュラーの選手と比べて僅かに劣るだけの若手選手を、チームの将来のために試合で育てることをおかしいと断ずる人は少数派だと思います。
しかし本来の実力者を差し置いてその若手選手を使うことは、「お客さんに失礼」ということになるのでしょうか?
真剣勝負の場に実力が劣る選手を「わざと」起用していても、それは長期的な視点で見れば球団のための大事な行いであり、育成しながら戦う事自体を否定する人は少ないと思います。
もちろん起用された選手が育成に値する選手なのか、いくら育成とはいえ試合に出すレベルなのかなど、その選手を出すことに賛否両論あるケースは多々有ります。
ただ、少なくともその時点で一番の選手を使わない理由がその試合で勝つためではないのであるなら、いくら長期的な視点に基づいたものであっても、真剣勝負を汚していると屁理屈ですが言えなくもありません。
(続きます)
翻って引退試合についてですが、これもある意味球団のための大事なセレモニーであると言えます。
そのセレモニーによりチームが団結したり、またそういうセレモニーを励みにして頑張れる選手がいることを否定することはできないでしょう。
その行いが結果的にチームの強化につながるのであれば、長期的な視点で見れば必要な行いであると言えなくもありません。
ただこれも、一試合を(全部ではないですが)捨ててまで行うかどうかについては、上記の育成しながらの例と同じく対象となる選手により賛否がわかれるのも当然です。
結局、ここのさじ加減に関してはあくまで球団の判断に依るとしか言えないのが現実的なところではないでしょうか。
私としてはわざわざ特別な制度を設けるのはどうかと思います。
枠を消費してまでセレモニーを行いたい程の選手にしか引退試合を行うべきではないでしょうし、シーズン終盤の大事な試合で引退試合ができないのならば、別枠で試合を開催すればよいだけのことです。
主義として引退試合を公式戦で行うべきではないというのは十分な説得力を持ちますが、それと同じくらいに公式戦で引退試合を行う理由もまた存在するのではないでしょうか。
公式戦の定義、価値観が球団ごとに異なるのはいかがでしょうか。
興行面が、野球の制度、ルールに優先することはあってはならないと思っています。
プロ野球はしょせん花相撲だし
プロ野球を不当に侮辱しておられると思います。失礼なご意見かと。
これはアマチュア選手のみ、ですね。
プロスポーツ選手は競技者であり見世物なわけなのですから。
両方できなきゃプロじゃありません。
基本、真剣試合の邪魔にならない場面での起用が筋であり、逆にそうでない場合はヤクルト宮本のように衰えを感じない選手であるとか、清原級の大物で真剣試合を凌駕する影響力を考慮していると思います。
そして、原監督の提案は真剣試合を損なうためではなく、引退選手の起用によって生じる影響を最小限に留めるためのルール変更なのであって、引退選手枠を設けることによって真剣さが損なわれると考えるのは逆だと思います。
大差が付いてしまったり、二死で投手に代打を出す場面など、影響の少ない場面で使うことを前提とした選手を登録することによって、現レギュラーが一人抹消されれば真剣試合に影響が出る。それを解消するための提案と思いますが。
しかも、超大物選手の場合には、ルールがどうだろうと引退試合は組まれますし、超々大物なら特別試合も組まれるでしょう。
現状の改善を目的としたルール変更提案を、原則論で否定するのはどうかと思います。
直接的には関係ないのですが、ベンチ入り枠を増やすということならば、個人的には、MLBのセプテンバー・コールアップのように、NPBも9月以降はベンチ入り枠を数人拡大してもいいのではないかと思っています。
NPBも9月でファームの大半の試合は終わります。ですから、上位のチームはポストシーズンへの追い込みとして枠を活用すればよし、下位チームは若手の育成として枠を活用すればよし。
で、その引退試合の話ですが、たとえ当該引退選手が周囲に終わった選手だと思われていても、監督が「この試合に勝つための戦力だ」と言ってしまえば、形式的には“真剣勝負”が成り立ってしまうのではないでしょうか。
そしてそうなった場合、試合前後にセレモニーを行えば、もう公式戦が「引退試合」になってしまいます。それとも、公式戦ではセレモニーさえやるのはNGだというお立場ですか?
私自身は正直、どっちでも構わないという立場なので、あまり深く考えたわけではありませんが。
これって特別枠の是非は関係ないですよね。
今回、原監督が特別枠を提唱したから話題にする契機になっただけで。
>やりたいのであれば、オープン戦など非公式戦でやるべきである。
オープン戦や練習試合であろうと、若手や当落線上の選手には重要なアピールの場です。
実際、赤星氏はそれを理由に翌春オープン戦での引退試合を辞退したと記憶しています。
広尾様の論と合わせて考えると、引退興行はファン感謝デーくらいしか行える場がなくなりますね。
特別枠の設定は、今まで公式戦の隙間にこそっとやっていた引退試合を公然化させるという意味で大いに問題があると思います。
確かに公式戦中に行われる引退試合は、ペナントレースに影響与えるような実害はありません。おまけのようにやっていたにすぎません。
しかし、そうであっても公式戦に「私的な事情」を紛れ込ますことは問題があると言っているわけです。
オープン戦など非公式戦でちょこっとやる分には問題はありません。どうせ形式的に出場するだけですから。
原さんは去年も、長野と坂本に最多安打タイトルを取らせるために、出場調整をしたことをあたかも良いことをしたかのように話していましたが、私的な目的や事情を、オフィシャルなものごとよりも優先させるきらいがあると思います。ちょっと感覚がずれているのではないでしょうか。
私は最初西村に失礼な話と思ったのですが、西村山口マシソンはじめ他の選手も原監督の「気配り」に感動し、団結力が高まったとの報道を見ました。ファンのみならず選手の気質も変わってきているようですね。
もう訳が分かりません。営業部長がみんなにボーナス増額をさせるために売り上げ実績を分配しているようなもんです。
お手盛りとはこのことでしょう。
>27. 広尾 様
昨年PSでは健太朗の調子が上がらず、日本一の瞬間にマウンドにいたのは山口でした。
その観点から、原監督の「危機管理」のコメントにも偽りは無いでしょう。
打率1位の打者が打率を落とさない為に欠場したり
出場記録の為に満足にプレー出来ない状態の選手が出続けるのとは違い、
どのみち投げる予定だった4投手が「危機管理」をも兼ねて順番を入れ替えただけです。
そこまで叩かれる程の話でしょうか。
それが記録に絡んでなければ別に何の問題にもなりませんが。
原監督はなぜそんな気持ちの悪い起用をするのかと思うだけです。
順位決定後の試合であっても公式戦に変わりがないと言ってしまえばそれまでですが、真剣勝負の甲子園でも思い出の一打席(勝敗が決定的な場面での控え選手の出場)が存在しますし。
今年のリベラ、ヘルトン、平成元年の中畑みたいな引退試合パターンは例外中の例外ですよね。
とにかく線引きが難しいと思います。
へりくつになりますが、公式戦すべてが真剣勝負でなければならないとすると、ノーヒッター継続中の投手が打ち気ない打席に立つのもなんか変な感じがします(詰まった打球で腕の感覚がおかしくなるのを防ぐ意味からも普通に思われています)。
引退試合がだめなら、せめて引退打席、引退登板、引退守備機会は許容範囲であって欲しいと思います。
そんな気配りは野球に対する冒涜です。
そう感じられるのはご勝手ですが、私には「気配り」がまかり通る野球は、汚らしいと思います。
当たり前です。でも物事には優先順位というものがあります。
「今のあなたはもう1軍レベルでないけれど、最後に一日だけ1軍扱いしますよ。」と言っているのと同じで、引退する選手に対して大変失礼な言葉ではないかと思います。
様々な思いで引退を決める選手が、監督から見てまだ公式戦に通用するレベルにあれば、場面に応じて起用すれば良いだけですし、通用しないレベルと思えば、始球式なり、グランド整備時間にサインボールを投げ込むなり、イニング間に功績をたたえる映像をビジョンで流したり、試合終了後にあいさつの機会を設けるなり、色々な方法で花道を用意すれば良いのではと思います。
ふと思いましたが、この手の引退試合は、ファームでやることもありますね。あれはアリなんですか?
初めてでこのようなコメントで恐縮ですが、コメント32の返信は、自らのブログを全否定しているのかと思いました。
選手への配慮を気持ち悪いと切り捨てる人に競技観戦を論ずる資格があるとは思えません。
広尾様のスタンスがあることですから少しは理解するようにしますが、野球観戦する人の多くは、選手が好きだと言うことを忘れないで下さい。
心配りというのは、何を指すかによると思いますが、勝利を目指すべき野球という競技に、他の要素を盛り込むような「配慮」は、できるだけ排除するのが本筋だろうと思います。
功績のある選手を、力が衰えているのに公式戦に出すという「配慮」は、一定の歯止めをかけないと、他の選手に対して失礼だと思うのです。
私もベテラン選手が最後の試合に臨むのを見るのは好きですし、感動的だとは思いますが、そうした「心配りで作ることができる感動」は、最小限にとどめたい、野球という競技の感動は、真剣勝負が作り出すものであってほしい、という願望があります。
最近、その手の「演出による感動」が安売りされていると思うので、あえてそう書いています。芸人の言葉でいえば「臭い芝居」は、ほどほどにしてほしいと思っています。
公式戦でやるのなら、問題ありだと思いますが、NPBはファームの試合をそれほど大切にしていませんからね。
が、そうでない部分も多々あります。
桧山選手や宮本選手、前田選手ように長年その球団一筋でやってきたような選手は特にファンから愛されてます。
そういった選手の最後は公式戦で見たいと思うファンがいるのも事実でしょう。
現に引退試合に行ってるファンは、勝敗云々結果云々より、その選手のグラウンドでの姿を見たい、応援歌を歌いたいって人達が多いはずです。
全力プレーからもたらされる感動ももちろん有るでしょう。
ただその選手が出る、応援歌を歌う、モニターに映る、そういったことでその選手の思い出が蘇り、涙をする。
これも本物の感動です。
さも引退試合での感動は偽物だ!と言わんばかりのご意見は、ファンの方(少なくとも実際に足を運んで感動したファンの方々)に失礼以外の何物でもありません。
消化試合に引退試合(=セレモニー)をやること自体に反対されていますが、そういう方ももちろん沢山いるでしょう。
だからと言って引退試合をやるならオープン戦でしろって主張は乱暴だと思います。
選手のコンディションが落ちるのが明らかだからです。
従って選手や球団のことを考えて消化試合にあてるということは自然なことですし、それでも納得出来ない方は観に行かなければいいだけです。
プロ野球の楽しみ方は人それぞれです。
ファンの為にする野球がプロ野球だと私は考えてます。
公式戦全試合に正真正銘真剣勝負を期待しているファンもいるでしょうし、かつての主力がプレーする姿を観たいファンもいるでしょう。
引退試合と銘打って、後者のファンの需要を満たしてくれるのですから、足を運んだファンに失礼なわけがありません。
今後も続けて行って欲しい慣習です。
ファンとしては当然贔屓球団の選手にタイトルを取って欲しいですが、何よりも期待するのはチームの勝利だというのが個人的な考えです。
極論かもしれませんが、好きな選手が活躍してくれればチームが負けてもいいとはとても思えません。
私も時代によって好きな選手は何人もいますし、そのような選手が他球団に移籍したこともありますが、だからといって贔屓球団を変えようとは思いませんでした。
自分がチームを応援する動機が、チーム自体が好きなのか、特定の選手が好きなのかで違ってくるのでしょうか。
ブログを読んでいただければ、現在、公式戦で引退試合を行っていることについては、仕方がない、あるいは許容範囲だと思っていることはわかっていただけると思います。
今問題にしているのは、原監督がそれを「制度化」しようとしていることです。
それによってシーズン終盤に、こうした花相撲が増えることを危惧しています。
ファンの意向と言われますが、力の落ちた選手を公式戦で見たいというファンは、正しいでしょうか。
また選手本人は、それを喜ぶでしょうか。
プロであれば、実力で試合に出るべきでしょう。
最後に少しだけ「温情」をかけるのは、ある程度仕方がないですが、これ以上広がってほしくないと思っています。
私の野球観では
プロ野球選手は競技者であると同時にパフォーマーです!
見てくれる人を楽しませるのがプロでしょう。
チームはファンに対して常にどうあるべきか?
喜んでもらう行動をすべきですよ。プロなんですから。
勝利を追及する姿勢をみせることが当てはまることもあるでしょうし、引退前に最後の雄姿をみせることもあてはまるでしょう。
引退試合をやる、やらないは選手の意向も踏まえて球団がきめることです。
引退試合をすることで喜んでくれるファンがいる(いつもより大勢のファンがくる)以上、それを非難する道理はないでしょう。
立派なプロ意識です。
所属選手にタイトルを獲らせたいが故の配慮も「冒涜」なんかではないですよ。気持ちいいものではないですが。
冒涜なんて言葉は大袈裟すぎるにもほどがあります。
私は、プロ野球選手がグランドでインプレー中に野球のプレー以外のことをことさらすることは、良いとは思っていません。芸人ではないのですから。
野球選手のパフォーマンスは、ハッスルプレーをする中で、自然とにじみ出てくるものだと思います。長嶋茂雄は、わざと派手な動きでボールを取ったと言いますが、それは彼に、「ボールを取る」能力に加えて自己演出をするだけの余力があったからだと思います。そういう選手は限られているでしょう。
野球選手のパフォーマンスとは、あくまでプレーした結果にじみ出てくる「個性」の域を出ないものでしょう。ワザとするものではないと思います。
実力もない選手が派手なパフォーマンスをするのは、見ていて気持ちの良いものではないですし、それを甘やかすファンも、私には気持ちが悪いです。
そういうパフォーマンスは、決して一流ではないし、実力がないのをカムフラージュするごまかしだと思います。
ファンにも「見る目」が求められていると思います。その部分が、劣化しているように思うのですが。
引退試合をするしないは球団の意向によるものですが、公式戦で行うのならあくまで「おまけ」「お情け」の範囲内でちょこっとやるべきだと思います。
非公式なセレモニーを公式戦にさしはさむには、それなりの節度が必要でしょう。
野球という競技に、関係のない雑多なものを加えていく動きには、私はこれからも批判的でありたいと思います。
広尾さん
原監督の制度化発言については同意見です。
実力の落ちた選手を公式戦で観たいというファンは正しいかということですが、ファンに正しいも何もないかと思います。
球場でビールを飲んで酔っぱらってたまーに試合を観る…なんてオジサマもいますし、それはそれでいいと思います。
ファンに、ファンとはかくあるべき!みたいな主張はいかがなものでしょうか。
選手も公式戦でやってもらって喜ぶかどうかは選手が決めることです。
嫌なら城島さんのように一軍公式戦を辞退すればいいだけですし。
ボロボロになった姿を見せたくない、球団に迷惑をかけたくないといって辞退するのもまた立派なプロ意識だと思います。
残念ながら私には、広尾さんが温情はある程度仕方がないと言っておきながら、それを否定するかのような考えに全体的に聞こえます。
率直に言って、引退試合がシーズンに何試合もあるのは好きではありません。でも容認する、仕方がないと申し上げているのです。
「好きになれ」と言われても、できないです。
ああいうものは、何年かに1度でいいと個人的には思います。
これで2回目だと思います。
あなたが成り済ました方との和解は成立しています。謝罪を受け入れて、訴訟には至っていませんが、あなたの場合、さらに悪質ですので、法律事務所を通じて、裁判所のIPアドレスの開示請求を発行していただくこととします。
「友人」氏との解決に至る事例は、一昨日LINEにも報告をしましたが、適切であったとされていますので、同様の措置をとります。
これまでのコメントはすべて保存しています。
再度の攻撃でもありますし、他の方のHNを使っておられます。
また、ありもしない犯罪を並べ立て、顔写真まで公開されましたので、犯意は十分に立件できると思います。
今の時点で、違法性はあると思いますので、火曜日に行動させていただきます。
ただし、そこに「プロ」という二文字が入ることで、様々な考え方が芽生えてくるということなんでしょうね。
要は、ファンサービスの線引きをどこするのかということに置き換えて考えられる話です。
思うに、ジェット風船や鳴り物応援なんかの是非と同質の話なのかもしれません。
私個人は、純粋に競技スポーツを楽しみたいタイプなので、せめてグランド内やプレー中は競技に徹して欲しいと考えます。
ただ、個々の事情を酌量しないべき論が受け入れられる世界は世界のどこにも存在しないってだけでね
それが通るのは慣れ合いの仲間内だけかと
利害が対立する世界ではべき論は通らない
よくわかりません、もう少し具体的にお書きください。
あなたは誰かと利害対立しているのですか。