一連の統一球騒動が、加藤コミッショナーの主導によるものだったとすれば、まだその方が良かったと思う。加藤氏の退任によって体質改善が期待できるからだ。しかし、加藤氏は「神輿の上」に座っていただけだった。
統一球の導入そのものは、加藤良三氏の発案だったことは間違いがない。公式球を統一すると言う最初の発想自体は、誰も反対しなかった。
また、その際に国際仕様に合わせようとしたこと自体も建設的な判断だったと思われる。

しかしながら、実務はお粗末としか言いようないレベルだった。
すでに紹介したように、NPBは、セパ両リーグが試合を行う上で最も重要な取り決めであるアグリーメントに、統一球の使用を加える改正をしたが、反発係数が変わるにも拘わらず、0.4134~0.4374という従来の反発係数の許容範囲は据え置かれたままだった。

NPB側はミズノに対し「下限の0.4134でボールを作ってくれ」と言った。工業製品には必ず「製造公差」が設けられる。反発係数0.4134の硬球を作るというのは、その数値ぴったりのボールを作ると言うことではなく、その数値を中央値、平均値として上下に一定の幅のあるボールを作ると言うことだ。
当然、0.4134を下回るボールも製造される。それも許容しなければ、製品を量産することはできない。
こういう「常識」があれば、アグリーメントの改正の際に、反発係数の数値も改正したはずである。しかし、NPBはそれをしなかった。

NPB総務部のG次長は、ミズノに対し反発係数の平均を0.4134にするよう求めた(この要求自体がアグリーメント違反を含んでいるが)。
ミズノはこれに対し、出荷段階ならともかく、球場で無作為に抽出した球を平均値にするのは難しいと伝え、許容範囲を設けるように求めた。
そしてミズノは、「統一球契約」の締結に際して「6ダースの平均反発係数が0.4134を目標に製作し、0.4034~0.4234を許容範囲として認める」という記載を盛り込んだ。2011年6月頃のことだ。
つまり結果的に「アグリーメント違反のボールも作りますよ」と書いていたのだが、加藤コミッショナーも、セパ両リーグの経営陣からなる実行委員会も、誰もその重要性に気が付かなかった。
その結果として、2011年から数多くの「不正球」に加藤コミッショナーの署名が印字され、承認マークが押されて球団に提供された。

このように「統一球導入」は当初から大きな問題をはらんでいた。しかし、加藤氏は報告を受けながら、善処しようとはしなかった。

2011年、表面的に露呈した「統一球問題」とは、極端な「投高打低」が進行し、NPBの野球が一変してしまったことだった。
しかし、裏側では「平均反発係数が設定値の0.4134に達しない。それどころかどんどん下がっている」という事態が進行していた。

「投高打低」の問題は、統一球がアグリーメントの許容内である限り、NPBサイドには責任はなかった。しかし統一球が規定値を極端に下回ったとすれば、NPBサイドは導入責任を問われる。

2012年4月、下田事務局長は、総務部G次長などの報告を受けて、統一球の仕様変更を決意した。このとき下田氏は、加藤コミッショナーをこのプロジェクトから「外す」ことにしたのだと思う。
2012年6月、恐らくは下田氏の意を受けて平均反発係数が下がっていることを加藤氏に報告したD規則委員は、アグリーメントの下限値を下回っていることを加藤氏に知らせなかった。加藤氏は「ボールの品質が安定している」と言っただけだった。
8月にもD規則委員は同様の報告をしたが「数値はミズノとの間で定めた許容範囲内だ」と伝えたのみ、加藤氏は無反応だった。

以後、下田氏はミズノと折衝し、統一球の仕様変更を進めた。また、新統一球をどのような形で導入するかを考え始めた。

5月のセリーグ理事会、社長懇談会では、統一球の仕様変更を期待する意見が多く出された。その席上ではNPBのセリーグ担当大柿部長や運営部E課長が同席、統一球に関する報告が行われていた。「秘密裡に変えるべきだ」との意見も出た。
しかし、このときのセリーグ側の意向は、加藤コミッショナーや下田事務局長には報告されなかった。
8月のセリーグ社長懇談会、9月のセリーグ理事会でも統一球の話題が上ったが、大きな議論にはならなかった。
報告書のこのあたりの記述は不自然である。パリーグ側の動向が一切述べられていない。
またセリーグの反応だけが述べられているが、セリーグ側の意向は、NPB側に明確に伝わったのか、伝わらなかったのかがよくわからない。
これは下田氏などNPB事務局サイドが、セリーグの意向で統一球の仕様変更をしたという印象を与えたくないために、第三者委員会のヒヤリングに対して食言をしたのではないかと思われる。(この部分、本稿の筋とは外れるが、あえて記載しておく)

とまれ、5月にひとたびは加藤コミッショナーの発言によってストップした統一球の仕様変更だが、9月に再スタートし、11月末には新仕様の試作品が完成する運びとなった。

下田事務局長はこの間、新統一球の導入について考えをめぐらせ「事務局に一任」という形で、来季から秘密裡に新統一球を導入する考えを固めた。
これは下田氏の独断であり、それを知っていたのはG次長など一部だった。
さらに、下田氏は加藤コミッショナーにもこれを話さなかった。

そして10月27日のNPB機構の理事会で加藤コミッショナーが日本シリーズのセレモニーに立った隙に、下田事務局長は統一球の仕様変更について「事務局一任」とする旨の提案を行った。

この席では結論は出なかったが、12月10日の12球団実行委員会で「事務局一任」が決議された。
この時点では「事務局一任」には3つの解釈が存在した。
1.加藤コミッショナーや多くのNPB職員は文字通り「仕様変更については事務局に一任された」と解釈した。
2.パリーグ球団(の一部)は、来季の仕様変更はないと解釈した(伏字が多いため報告書ではなぜそうなったかは不明)。
3.セリーグ球団(+パリーグ球団の一部?)は来季の仕様変更を前提に「事務局一任」したと解釈した。

正解は「3.」だった。なぜセリーグ球団がそれを知っていたかと言えば、12月10日の実行委員会に先立って行われたセリーグ理事会で、担当部長が事前に話をしたからだと思われる。



こういう経緯で、下田事務局長は、加藤コミッショナーに無断で統一球の仕様変更と導入を推進した。
統一球事件が発覚して、加藤氏が憮然とした態度を示したのはこのためだ。

しかし、加藤氏は自らがこうした境遇に追いやられた理由を理解しなければならない。

加藤氏は、自らが大見得を切って導入を決めた「統一球」の導入実務に何ら関心を示さず、部下の困惑を察することもしなかった。
週2回の非常勤では難しいと言うかも知れないが、ナショナルパスタイムの根幹を揺るがすような重要な提案をしたのである。時間外でも、非出勤日でも出勤して、事態の推移を見守り、適宜指示を与えるべきだったのだ。
それをしなかったのは、彼が「キャリア」だったからだ。

私は近畿財務局、大阪市交通局、JAなどで、キャリア官僚が参画する仕事をいくつかしたことがある。
彼らは会議の席上で「それいいね」「すぐやってよ」とごく気楽に発言をする。しかし、そのあと動くことは一切ない。そのあとはノンキャリアの下僚が奔走して仕事をまとめ上げるのだ。
キャリアの仕事とは、「指示する」だけなのだ。
昨年、私は農水キャリアのインタビューをした。彼は出向先の県や経済局での自分の実績を滔々と述べた。それは一人の人間が手掛けたとは思えない膨大な量だった。恐らくは「指示しただけ」の仕事だったのだろう。

加藤氏はそういう感覚で「統一球導入」を指示したのだ。しかし、彼の下には優秀なノンキャリはいなかった。そのために事態は奇怪な様相を呈しながら迷走した。まさにガバナンスの不在を露呈した。

加藤氏は報告書を読んで抗議の文書をマスコミなどに配布したが、冷静に読めば「自分はこうしたことを仕切るには不適格だった。自分が悪かった」ということが理解できたはずである。

普通の感覚でいえば、抗議文を配布するのは「恥の上塗り」だと思うのだがいかがだろうか。

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