宮本慎也がNPBの試合に初めて出場したのは1995年4月11日の神宮球場中日1回戦、先発石井一久の代打として打席に立ち三振、その後土橋の代わりに二塁を守っている。
2年目には遊撃手にコンバートされ、翌年には池山隆寛を三塁に追いやってレギュラーとなり、以後、15シーズン、何事もなかったかのようにずっとレギュラーの座を保ってきた。
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若いころの宮本は何と言っても守備の人だった。広い守備範囲、強い肩、いわゆるファインプレーは少なく、何事もなかったかのように難しいゴロも処理する。職人肌の渋い内野手という印象だった。
このままいけば、宮本は1000本安打くらいでキャリアを終える「名選手」として記憶されたはずだ。25歳という遅い球界入りであり、それでも十分な実績だったと思う。

彼がステップアップしたのは、リーダーとしての資質を見出されたことが大きいと思う。アテネオリンピック、第1回WBCでのキャプテン。古田敦也の後を受けたプロ野球選手会会長。練習と試合の繰り返しだけでなく、国際舞台でチームを引張り、NPB経営者たちとの折衝を行い、マスコミとの対応を行う中で、視野が広がり“自分は今どんな選手か”“何をすべきか”を高いレベルで認識したのだと思う。

長打が少なく、野村克也監督から“専守防衛”と揶揄された打撃は、30歳を超えてからじわじわと向上していく。宮本の年代別打撃。

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打率、OPS、RC27などの数値が30代で急上昇し、40代も維持していることがわかる。特に昨年は、統一球の影響で多くの打者が数字を下げる中で、3度目の3割を記録した。

また2008年には38歳にしてプロでは一度も守っていなかった三塁に転向。昨年は132試合で三塁を守って失策1、守備率.997というNPB記録を作っている。

四球は極端に少なく早打ちではあるが、犠打も多くつなぎ役もできる。攻守のかなめとして不動の存在感がある。

宮本慎也は試合を見ていても本当に目立たない。守備位置でも打席でもオーラのようなものを感じない。しかし、チームを掌握し、試合を作っているのは彼なのだ。

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あと25本、順調にいけば4月中には2000本安打に達する。大卒、社会人出の選手としては、背中を追いかけた古田敦也以来。
宮本はその栄誉ある日も「何事もなかったかのように」迎えるはずである。

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