覚えておられる方も多いと思うが、私は昨年8月、ロンドン五輪の「なでしこジャパン」に関するlivedoorのコラムで炎上を起こした。
この時、かなり早い段階で著名なスポーツライターの杉山茂樹さんが「そりゃだめだろう」というコメントをお寄せくださった。
詳細について書くのは控えるが、なでしこジャパンが二次リーグ進出を目指して取った作戦について批評したもので、要するに私の勇み足だった。
以下参照
少なくともサッカーへの愛情はなかったと私自身思う。
未だに「お前はサッカーのことは今後一切書かないんじゃねえのか」とか「廃業しろ」とか言ってくる輩がいるが、そういう連中はともかく、普通に読んでくださった方には申し訳ないと思っている。
さて、その杉山茂樹さんが、数日前にオリンピックの報道について「我が意を得たり」と膝を打つような記事を書いておられる。
テレビをつければ応援ばかり、バランスを欠いている日本のメディア
杉山さんは、
日本の国際スポーツの放送は、ほぼすべてが「応援」に終始する。それは悪いことではないが、それ以前にスポーツとして伝えなければならないことがあるだろう。常識をわきまえよ、と書いている。
近頃はNHKでさえもそうなりつつある。報道する側が「応援」するようになると、選手やスポーツ団体を「よいしょ」するようになる。これが批判を許さない一部スポーツ団体の体質を助長している。
まさに同感。私が今のスポーツ放送に対して、抜き難い不信感を持っているのは、そういう体質が蔓延しているからだ。
オリンピックやサッカーの話はさておき、野球でもその傾向は近頃顕著だ。
記憶に新しいのは、イチローの「日米通算4000本安打騒動」だ。客観的に見て、私はこの数字には正当性がないと考えているから異議申し立てをしてきたが、マスコミは民放も公共放送も挙げて「偉業達成」の大合唱になった。「イチローの4000本安打」はアメリカでも少し大きな話題となったが、これを目にした日本のマスコミは「アメリカがお墨付きをくれた」とばかりに喜んで、さらに騒ぎ立てた。
当時、ニューヨーク・ヤンキースは故障者続出で、苦境のさなかにあった。イチローも全盛期とは程遠い低打率にあえいでいた。
しかし日本のメディアはそういうチームや選手の事情にお構いなくカウントダウンをし、達成すると無邪気に騒いだ。
「ピート・ローズ、タイ・カッブ、そしてイチロー。イチローの安打数の後ろの(日米通算)という但し書きが消えるのはいつのことになるのでしょう」とNHKのアナウンサーは言ったが、150年になろうかというMLBの歴史への畏敬の念はみじんも感じられなかった。
こうした「応援」放送は、「視聴者が喜んでいるからやるのだ」というかもしれない。しかしそれは、視聴者の見識を馬鹿にした判断だと思う。
多くの人々は贔屓チームや選手の成績に一喜一憂している。それがスポーツのだいご味であるのは間違いないが、前提にはそのスポーツへの愛情があるはずだ。
野球であれば、速い球を投げる投手に驚嘆し、それを打ち返す打者に畏怖し、神業のような守備に尊敬の念を抱く。そして何よりも野球というゲームの面白さ、精妙さにほれ込む。そんなファンが「基礎票」としてあって、その周囲に「浮動票」としてのファンがいるはずだ。
しかし今のマスメディアは「浮動票」の動向だけを気にして、表面的な報道ばかりをしている。わかりやすいが、奥行きのない軽佻浮薄な放送に堕している。
杉山さんが「バランスを失している」というのは、このことだろう。


そういうマスメディアは、チームや選手の「提灯記事」を書くことが仕事だと思っている。だからスポーツ団体や球団の意に反することは書けなくなる。
「取材させないぞ」と言われることが、何より怖いから、おかしなことが起きても報道しなくなる。不正も看過してしまう。
杉山さんはサッカー協会など健全な批評精神が残っている団体はまだしも、他のスポーツ団体の中には、こうしたマスコミの姿勢が不正を助長している可能性を指摘している。
杉山さんは他の国同士の国際試合を見るにつけ、日本の試合報道の異様さに違和感を持っておられたようだ。
取材歴30年余の杉山さんと同列にはできないだろうが、私も野球の国際大会を見るときは、他国の試合もすべて見ることにしている。それによって、各国の野球のスタイルがわかるし、長所短所も見えてくる。客のいない試合でも、素晴らしい選手を発見するのは喜ばしいことだ。
そして、そうした試合を見続けた後に日本戦を見るときに、期待感はいや増しに高まるし、選手を応援しようという気持ちも自然にわいてくるものだ。
そうした背景を知ることもなく、いきなり「美味しいとこどり」をするマスコミの姿勢はやはりおかしいと言えよう。
私はこれまでも、そういう視線で批評を続けてきたが、今後ともこの姿勢を堅持しようと思う。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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未だに「お前はサッカーのことは今後一切書かないんじゃねえのか」とか「廃業しろ」とか言ってくる輩がいるが、そういう連中はともかく、普通に読んでくださった方には申し訳ないと思っている。
さて、その杉山茂樹さんが、数日前にオリンピックの報道について「我が意を得たり」と膝を打つような記事を書いておられる。
テレビをつければ応援ばかり、バランスを欠いている日本のメディア
杉山さんは、
日本の国際スポーツの放送は、ほぼすべてが「応援」に終始する。それは悪いことではないが、それ以前にスポーツとして伝えなければならないことがあるだろう。常識をわきまえよ、と書いている。
近頃はNHKでさえもそうなりつつある。報道する側が「応援」するようになると、選手やスポーツ団体を「よいしょ」するようになる。これが批判を許さない一部スポーツ団体の体質を助長している。
まさに同感。私が今のスポーツ放送に対して、抜き難い不信感を持っているのは、そういう体質が蔓延しているからだ。
オリンピックやサッカーの話はさておき、野球でもその傾向は近頃顕著だ。
記憶に新しいのは、イチローの「日米通算4000本安打騒動」だ。客観的に見て、私はこの数字には正当性がないと考えているから異議申し立てをしてきたが、マスコミは民放も公共放送も挙げて「偉業達成」の大合唱になった。「イチローの4000本安打」はアメリカでも少し大きな話題となったが、これを目にした日本のマスコミは「アメリカがお墨付きをくれた」とばかりに喜んで、さらに騒ぎ立てた。
当時、ニューヨーク・ヤンキースは故障者続出で、苦境のさなかにあった。イチローも全盛期とは程遠い低打率にあえいでいた。
しかし日本のメディアはそういうチームや選手の事情にお構いなくカウントダウンをし、達成すると無邪気に騒いだ。
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こうした「応援」放送は、「視聴者が喜んでいるからやるのだ」というかもしれない。しかしそれは、視聴者の見識を馬鹿にした判断だと思う。
多くの人々は贔屓チームや選手の成績に一喜一憂している。それがスポーツのだいご味であるのは間違いないが、前提にはそのスポーツへの愛情があるはずだ。
野球であれば、速い球を投げる投手に驚嘆し、それを打ち返す打者に畏怖し、神業のような守備に尊敬の念を抱く。そして何よりも野球というゲームの面白さ、精妙さにほれ込む。そんなファンが「基礎票」としてあって、その周囲に「浮動票」としてのファンがいるはずだ。
しかし今のマスメディアは「浮動票」の動向だけを気にして、表面的な報道ばかりをしている。わかりやすいが、奥行きのない軽佻浮薄な放送に堕している。
杉山さんが「バランスを失している」というのは、このことだろう。
そういうマスメディアは、チームや選手の「提灯記事」を書くことが仕事だと思っている。だからスポーツ団体や球団の意に反することは書けなくなる。
「取材させないぞ」と言われることが、何より怖いから、おかしなことが起きても報道しなくなる。不正も看過してしまう。
杉山さんはサッカー協会など健全な批評精神が残っている団体はまだしも、他のスポーツ団体の中には、こうしたマスコミの姿勢が不正を助長している可能性を指摘している。
杉山さんは他の国同士の国際試合を見るにつけ、日本の試合報道の異様さに違和感を持っておられたようだ。
取材歴30年余の杉山さんと同列にはできないだろうが、私も野球の国際大会を見るときは、他国の試合もすべて見ることにしている。それによって、各国の野球のスタイルがわかるし、長所短所も見えてくる。客のいない試合でも、素晴らしい選手を発見するのは喜ばしいことだ。
そして、そうした試合を見続けた後に日本戦を見るときに、期待感はいや増しに高まるし、選手を応援しようという気持ちも自然にわいてくるものだ。
そうした背景を知ることもなく、いきなり「美味しいとこどり」をするマスコミの姿勢はやはりおかしいと言えよう。
私はこれまでも、そういう視線で批評を続けてきたが、今後ともこの姿勢を堅持しようと思う。
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コメント
コメント一覧
私も偏った報道が大嫌いです。
私はプロ野球ファンです。
しかし特定のチームのファンではありません。
それを周囲は、あんた変わっているね、と言います。
私は野球と言う競技が好きなのです。
高校野球にファンが多いのは、特定のチームの勝ちを期待すると言うよりも、全力でプレーする選手たちのやる野球という競技そのものに、大きな魅力を感じるからだと思っています。
私は野球に限らず、スポーツとは勝ち負けが全てではないと思っています。
私は私利私欲が渦巻くこの世の中で、せめてスポーツくらいはルールを守り、すべてにおいて公平であって欲しいと思うのです。
マスコミは常に監視し、不公平があればそれを厳しく追求していって欲しいのです。
私は、ナベツネ、三木谷が大嫌いです。
そして、国民的スーパースターで、その言動はプロ野球界に大きな影響力を持つことを自ら理解していながら、野球界に恩返しもせずに一つ球団の名誉監督なんぞ脳天気にやっているナガシマも、熱烈なファンだった昔と違って今は大嫌いです。
サッカーの場合、よく言えば「戦略的に」引き分けや負けを作って有利な状況を作るという事は結構あることの様に思います。
ただマスコミが常に偏向報道しているのは確かですね。たちが悪いのはこの偏向報道が最近はスポーツに限った話じゃないと言うことでしょう。
サッカーの原稿でミスしたあなたは、せめて杉山さんの話をしないであげるべきだと思います。「杉山シンパにサッカーに無理解なライターがいる」って誤解する人もいるでしょ。するほうも悪いけど。注目と裏腹の炎上リスク背負って書くのがブログだとは思いますが、だからこそ、他人を褒めるときも細心の注意が必要です。他人を火傷させないで。
自分の意見は自分の意見として書こうよ。
ご意見ありがとうございます。お前なんか足元にも及ばぬ、と言うのは認めます。
私が書くことで杉山さんが迷惑されるわけですか。悲しい話ですね。何か被差別民かなんかになった気分です。ずいぶんひどいなと思う。
この件に限っては、杉山さんのこのブログがなければ、私は自分の意見を確認することができなかったと思います。ご本人が消去を言ってこられない限り掲載します。
付け加えるなら、過去2500本くらいのブログを書いていますが、全部自分の言葉でしっかり書いてきたつもりです。いくつかは読まれたうえで書かれたとは思いますが。
なでしこの件については既に炎上していますので、議論はしません。当方も表現に問題があったと反省しています。
冬のオリンピックに向けて、特にNHKの入れ込み方が非常に気になります。
幼いころはオリンピック中継を楽しみにしていましたが、
長野オリンピックのころから狂乱的な実況がどうにも興を削いでいるように感じておりました。
サッカーもさることながら毎回日本で国際大会を行うバレーなどは、
(日本では)スポーツとは名乗らないでほしいです。
サッカーファン(広尾様が書かれたコアな基礎のファンも含めてです)からは
正直「何書いてんだ?」と敬遠、忌避される存在ですから・・・
それはともかく
>そんなファンが「基礎票」としてあって、その周囲に「浮動票」としてのファンがいるはずだ。
肝はここですよね。
この2つの数の割合によって、報道は変わってくると思います。
野球なら、私は1:9くらいだと思うのですが。
これが五輪競技となれば、サッカーやマラソンを除いたら
1は限りなく0に近くなるでしょう。
ライターを生業にしてきた広尾さんなら彼の文章を書く能力の低さは一目瞭然だと思ってたんですが。
確かにメディアのバランスはおかしいというのは間違いないです、それは私も同意です。
しかし広尾さんは彼と違って選手や監督・スポーツそのものへの愛情・リスペクトがあります。それだけで広尾さんと杉山とは差があります…それだけで?と思われるかもしれませんが、本当です。
両方の記事を10、いや3〜5本でも読んだ事がある人間に、広尾さんと彼のどちらを支持するかアンケートを取れば間違いなく広尾さんが勝ちます。
なので、杉山氏程度の威を借るような真似をしなくても広尾さんの意見として自信を持ってください。
私には判断付きかねます。ただ杉山氏のこの文章は賛同できました。
考えさせられますね。このコメントも15分くらい考えてやっとこの程度のことが書けたかな、という感じです。
杉山氏のような視点もある一方で、こんなコラムもあるんです。
http://news.livedoor.com/article/detail/8253108/
杉山氏に対するアンチテーゼとして、一読の価値があると思います。
おそらく、競技そのものへの関心、魅力を増したい、そういうファンを増やしたいという思いは両者に共通のはず。そして広尾さんも野球好きを増やしたいという思いはお持ちなのでしょう。
確かにバランスを欠いた報道はいけません。サッカーに関しても、W杯の組み分けが決まった途端に不必要な楽観論がメディアから出ています。
ですが、杉山氏ご自身が度々おっしゃられるような「上から目線」のやり方では、たぶんファンは増えないでしょう。このようなやり方、すなわち一種のゴリ押しのようなやり方を、日本人は嫌います。あるいは他国では上手くいくのかもしれませんが、それが世界の多数派だからといって日本人に合うとは限らない。杉山氏の論考にはそこが欠けていると感じます。
それではどうすればいいのか、と言われると難しいのですが、それこそ私が例に出したコラムには少しばかりのヒントがあるんじゃないでしょうか。バカバカしいけど、小さなことを愚直にやりきる。それこそイチローの安打のようにコツコツと積み上げてきたスタイルのようなものを、私は感じるのですが。
ちなみに私は杉山氏の著書も数冊持っており、賛同できることもないわけではありません。
広尾さんはサッカー畑にあまり詳しくないのでしょうが、「もっとも信頼できないサッカーライターは誰ですか?」で検索していただければ、サッカー評論界における杉山茂樹さんの立ち位置がよくわかると思います。
わかりやすく言えば「口を開けば日本の悪口と韓国の賞賛ばかり、バランスを欠いている杉山茂樹」ですからね。
ただし、杉山茂樹さんの評価はどうであれ、現在のスポーツマスコミのライト層に対するマスコミの報道姿勢については件の記事にある通りであり、その内容に賛同できるのは確かでしょう。
しかしそれは表層的な部分であり、野球でもサッカーでも他のスポーツに関しても、今はインターネットというメディアを中心にかなり真面目な評論が行われているのもまた事実です。
現在のメディアの棲み分けは、地デジ・全国紙等はやたらと応援を中心にしてライト層を対象にしており、所謂「濃いファン層」を対象としたメディア(有料放送や専門誌、インターネット等)は掘り下げた評論が中心といった感じです。
野球でもテレビのニュースコーナーとこのブログを見比べれば、そのような棲み分けが進んでいることがわかると思います。
週刊ベースボールマガジンとプロ野球aiの違い、と言いかえられるかもしれません。
インターネットというメディアは大きなマジョリティを作るよりも、しっかりとした質の高いマイノリティを育てるのに向いているように私は思います。
従来のマスコミのライト層向けの報道に憤るより、マイノリティ故の質の高い掘り下げを今後も地道に続けていってもらえれば、全体としてはバランスのとれた日本のメディアになるのではないでしょうか。
難しい話はよくわかりませんが、
今さらなでしこの話を持ち出してくるのは
論外だと思いますし、
杉山さんの立ち位置を持ち出してくるのも
このブログでは論外だと思います。
杉山さんのこの意見に賛同して
広尾さんが書いているんだから
それでいいと思いますし、
私は納得のいく文章でした。
すべてが賛同できるわけじゃないですけど、
広尾さんのブログ、大好きですよ!
ブロガー冥利に尽きます。
類は友呼ぶのでしょうね。
氏が仰る、大手メディアが「応援に終始すれば良い」、もっと言えば応援しない人間はダメ、批判はNGという空気を作っており、それがスポーツとその報道に関わる大きな問題であるという部分は同意です。ただ、杉山さんの記事は、その受け皿となるような「日本と海外との力量を比較的公平に見定めての批評活動」を心がけているようには見えません。むしろ煽ることを目的とした記事を書くタイプの方だと思います。ですので、「なでしこ」記事で擁護されたことや、今回の記事だけで杉山さんを同志と判断し、彼のスタンスに広尾さんが同意されるのは、複雑なものがあります。
こちらのブログでのNPBに関する問題提起やMLBをはじめとする海外との比較、有意なデータの提供も勿論素晴らしいですが、独立リーグなどマイナーな活動に関するコラムやレポートなどは、数字や反響を度外視しないとできない、スポーツに対する愛情がないとできない仕事で、こうした記事を継続的に配信くださっていることに感謝の念を抱くとともに、とても楽しみにしております。
色々失礼なことを申し上げましたが、一読者の意見として受け止めていただければ幸いです。
「応援」放送の根っこについては大本営発表にあるような気がします(広尾さんのおじい様のスクラップを拝見して)。
国際試合のフラットな報道であるべきという点についてはおっしゃるとおりであると思います。
ただ日本という国の成り立ちから難しいのでは。
米国在住の友人によればMLBやNFLの地元放送は「おらがチーム」の応援で偏向放送。五輪に関しては録画で淡々と結果を伝える程度とか。彼曰く「合衆国ではチームUSAがおらがチームになりきれていないんだよ」
野球に限れば、地元が熱狂的に「応援」するのはアリだと思います。
サンテレビやデイリーの様な「応援」はあってもいいかなと・・・
ただ、全国的な場、公共的な場では公平な「報道」が優先される様になっていればいいと思います。どちらかの立場に立つのではなく、あった事実か報じられるようになればと。
以上、阪神―ロッテの日本シリーズにおいて阪神贔屓のニュースばかりで辟易したロッテファンでした
「基礎票」と「浮動票」ですが、現状野球も含めほとんどのスポーツを支えているのは「浮動票」なのではないでしょうか。その「浮動票」を「基礎票」にしていくためにも応援報道的なものにはなるのかもしれませんがまずは楽しめる報道となるのはいくぶん致し方ないものなのかとも思います。
「基礎票」な人たちはすでにどなたかもおっしゃっておられますが有料放送などの全試合中継とかサッカーで言うならリーガやセリエA、チャンピオンリーグを中心に楽しんでたりするかと思います。
その入門としてまずはとにかく楽しむ。わかりやすく楽しむという位置づけも間違いではないかと思います。
サッカーで言うならbunchousannさんも紹介されていますが松木安太郎氏などはその最たるところかと。そうは言っても氏もJリーグの優勝監督だったりするほど実績のある方でもちろん「基礎票」ウケする解説もできるはずです。
また、例えば「基礎票」に含まれる野球好きで阪神ファンな人がいたとしても阪神の試合を見て応援するのがやっとで他のチームのことは新聞やニュースで結果を見るのが精一杯。記録に目を通すのがやっとという人が多いのだと思います。そういう意味ではサンテレビやデイリーはそういう層の受け皿にもなっているのかなと思います。
ただ、そういうのもありつつ地上波でもしっかり「基礎票」ウケするような報道がなされて欲しいなと思う自称「基礎票」ではあったりします。
とりとめもないコメントで申し訳ありません。
そもそも「観戦」であるはずが「応援」になっているのには常々不思議に思っていました。
単純にメディアが「ファンに対してわかりやすく」したいだけなんでしょうね。メディアがファンを育てるなんて発想は皆無なのでしょう。
ただ、これって日本だけなんでしょうか?海外での時刻スポーツの報道は寡聞にして知りませんが、(日本における)マイナースポーツを観戦している限りでは、どこの国も同じようなものなのかなーと思ったりもします。
彼らに出来ないものは我々にも出来ません。それが数の論理ではないでしょうか?国会議員は我々国民の一面を見ている訳です。
もちろん、おっしゃっている事に異論はありません。そういう意味では私は基礎票に位置しているのかもしれませんね。
さて杉山茂樹氏のお話ですが既に他の方々がおっしゃってますようにこの方、一筋縄ではいかない方なのです。
短く言うと彼の「恨み節」です。そもそも彼自身が公平な位置を間違えているのです。
その立ち位置がおかしいのを大部分のサッカーファンが知っているので「あーまた何か言ってるな」としか思ってないのです。
詳しくは知りたくもないでしょうから言いませんが、4年前のリベンジを果たすために語気を荒げてきている杉山氏の本性が来年のW杯後に垣間見えると思います。
私的には正直二度と日の目を見て欲しくない方です。
著名なライター、評論家に対して賛否が渦巻くのは仕方がないところです。旗色を鮮明にすることは敵も味方も生むわけですから。
文章を見る限り杉山さんはまともだとは思いますが、この方について語るべき知識を持ちません。
ただ世の中が数の論理だけで動くのは納得がいきません。放送の作り手が、数の多い方にすり寄るのはある程度仕方ないですが、クリエイティビティがないことを憂慮しています。
杉山さんのことは知りませんが、恐らくそれは偏見だと思いますよ。私怨でそんな記事が書けるものではありません。
ただスポーツ報道に関しては正論かもしれませんが外国贔屓日本叩きの記事が多い人なので好意的には受け取れませんね