張本勲は上原浩治と一緒に「サンデーモーニング」に出ていた。そう、今日は日曜なのだ。「日本にいてほしかったね」と言っていたが、日本にいたら上原はとっくに引退していたのではないか。
それはともかく、最近、必要があって野村克也の記録を細かく調べていたのだが、野村克也の最大のライバルは、中西太でも、山内一弘でも、長池徳士でも、スペンサーでもなく、張本勲だと言うことを発見した。
張本は安打製造機と言われるが、実は守備以外のすべての面でリーグ屈指の選手だったのだ。
キャリアSTATSから安打、本塁打、打点、打率の各項目のリーグ順位を調べてみた。ベストテン以内の順位を表記。最下段の数字はベスト10に入った回数。

張本は最多安打(当時はタイトルではない)を3回、2位1回、本塁打2位が3回、打点2位が5回ある。
それだけでなく盗塁でもリーグ2位が3回。1963年は広瀬叔功(南海)と4個差の2位だった。
首位打者はNPBトップタイの7回、2位が5回。最高出塁率が9回、最高長打率が3回、最高OPS(そんなもの、当時はあるはずもないが)が8回。これはすごい。
最多安打が意外に少ないのは、張本が4番を打つことが多かったうえに、四球もたくさん選んでいたからだ。
仮に野村克也がいなければ、張本は本塁打王を3回、打点王4回とっていたことになる。
ただ巡り合わせが悪くて、三冠王は取れていない計算だが。
セリーグに移籍して2年、打率は2位が2度。しかしこの時期は空前の打高投低だったため、本塁打、打点は目立たない。


60年代70年代パリーグの最強打者は間違いなく張本勲だと思う。
改めて「喝!」のおじさんは、“現役時代は”本当に凄かったと思う。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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張本は最多安打(当時はタイトルではない)を3回、2位1回、本塁打2位が3回、打点2位5回ある。
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首位打者はNPBトップタイの7回、2位が5回。最高出塁率が9回、最高長打率が3回、最高OPS(そんなもの、当時はあるはずもないが)が8回。これはすごい。
仮に野村克也がいなければ、本塁打王3回、打点王4回に輝いていたことになる。
ただ巡り合わせが悪くて、三冠王は取れていない計算だが。
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コメント
コメント一覧
盗塁含めたチーム内四冠王も結構ありそうですね。
三振も少ないですし、攻撃面に関してはほぼ非の打ち所がありません。
ノムさんにも言えることですが、彼も現代にプレーしていたら
MLBに移籍していたんじゃないかと思います。
考え方なんて時代や周囲の環境によっていくらでも変わるものですし。
「韓国の誇りと日本の魂を見せてくる」などと嘯きアメリカに降り立ち
NPB出身なのに守備がど下手な外野手が、リーグ屈指の評価を受けるところも見てみたかったです。
それはさておき、最近テレビで見る限り、身体が随分と細くなったように映る張本氏の体調が、ちょっと心配です。
それから張本氏の守備ですが、彼は足が速かったので、外野手としては決して下手くそでは無かったんじゃないですかね?
ただアレなので、捕球が苦手だったのだとは思いますが…
ちなみに私は現役時代の張本氏を、巨人移籍後しか生で見ていません。
確かに記録上の本塁打は野村克也に及ばないですが、現役を知らない私にとってはサンデーモーニングが始まるまで、偉大な選手というイメージしかありませんでした。
過去のNPBの大選手の紹介は楽しいので、またよろしくお願いいたします。
最多安打が少ないのは、打順のこともありますが、シーズンフル出場が少ない(3回だけ)ことも影響ありそうですね。王貞治は11回、捕手ながら野村克也も6回記録しています。ただ、フル出場した62年、63年は、全盛期の榎本喜八が最多安打を獲得していて、めぐりあわせの悪さもあるのかもしれません。
500本の本塁打と3000本のヒットを打ったのはこの人だけ。
イチローが日本でプレーしていても、3000本のヒットは打てても500本の本塁打は、記録から推定する限り、打てなかった。
守備は確かに問題だったが、彼の場合、手に障害があったことを忘れてはいけないと思う。
何か引っかかるコメントですな。