昨日の西岡のブログを書く際に躊躇したのは、手厳しい反論をいただくことが予想されたからだ。しかし、書くべきだったと思っている。いつもながら少々僭越だったとは思うけれども。
一つの出来事に対して、違う感じ方をする人がいるのはごく自然のことだ。価値観は人によって異なるし、倫理観や社会常識に関する意識も様々だからだ。
しかし、自分のサイトで書くうえは、他の人の意見に左右されることなく、自分の考え方だけで書く。改めて原理原則を述べておきたい。
私は野球選手には、「対戦相手も含めた選手相互」と「野球という競技」に対するリスペクトの気持ちを持ってほしいと思う。
対戦相手は「敵」ではあろうが「仇」ではない。競技をする上では寸毫の手加減もすべきではないとは思うが、競技が終われば互いに認め合い、尊敬しあう間柄であってほしい。
森本稀哲に対して西岡剛がとった態度は、一言でいえば「惻隠の情」に欠けていた。
先輩に対して失礼な言葉を吐いた、という表面的な部分だけでなく、戦力外からテスト入団と言う森本が置かれた境遇に対して「我がことであればどうであろうか」と思い遣る余地があってしかるべきだった。
「勝敗は時の運」というが、今、スターとして輝いている西岡が、数年先に森本のような境遇に置かれることだってあるのだ。そのことを考えるべきだったと思う。
バラエティだからという意見もあったが、バラエティだからこそ本音が見えてしまう。一言でいえば「洒落にならない」発言だった。
「西岡は裏でフォローをしていたはず」と言う意見も頂いたが、テレビで失礼なことを言って、裏でフォローをすることに何の意味があるのだろうか。森本が「後輩からも馬鹿にされた」と受け取められた事実は覆らない。
西岡は「受ける」「洒落と受け止められる」と判断して発言したのだろう。少なくとも私から見れば、その感覚はずれている。そう受け止めた人は少なからずいたはずだ。
同様のずれを西岡剛にはたびたび感じてしまう。西岡は自分と同じ感覚を有する人間にだけ受ければよいと考えて発言しているのかもしれないが、それは「独りよがり」というものだ。ぽっと出の少年ならばともかく、彼は今年30歳になる立派な社会人なのだ。彼の言動の影響力は非常に大きいのだ。
「グラティ」なるものについて、あれは西岡の発案ではないとの意見も頂いた。しかし、彼が率先してあのお遊戯をやっていたのは間違いがないところだ。
ああいうものを見て、常々思うのは、「殊勲打を上げて嬉しいのは十分に伝わっているのに、なぜその上、あんなことをするのだろうか」ということだ。
オリンピックなど国際大会での韓国チームの振る舞いを、我々は苦々しく思ってきたはずだ。
WBCで勝った後にマウンドに国旗を立てたり、政治的な主張をしたり、相手チーム(主に日本)の方を向いて、歓声を上げたり。
彼らは「勝負に勝てば何だって許される」「相手を侮辱しても良い」と思っているのだ。そして敗者は「何をされても文句は言えない」と思っている。
スポーツの勝敗も「時の運」である。勝つこともあれば負けることもある。過度な「喜び」や「示威行為」は、勝者が敗者を思いやらないという点で、浅薄な行為だ。
スポーツは戦争ではない。競技が終われば、まさに「ノーサイド」であって、敵味方隔てなく互いに敬意をもって接するべきだと思う。


もちろん、「グラティには相手チームを侮辱する意図はない」と感じる人もいるだろう。相手チームのファンの中にも「別にかまわない」と思う人もいるだろう。まさに人それぞれだ。
しかし、私は「グラティ」は、「過度な喜びの表現」であり、「独りよがり」だと思う。
こうしたお遊戯は、相手チームにも伝搬してエスカレートする恐れがある。
私は巨人ファンだったことは一瞬一秒もないが、巨人がこういう示威行動をすることはあまり見たことがない。「紳士たれ」という言葉が抑止力となっているのではないか。
しかし他球団で広がる可能性がある。野球の品が無くなると思う。
何事も昔の方が良いとは言わないが、野球の試合で、野球以外のことで騒ぐのはほどほどにしてほしいとも思う。
さらに言えば、こういう誰でもできるパフォーマンスは、子どもが真似をする。少年野球や高校野球での選手たちのアクションは年々派手になっているが、そういうアクションをさらに覚えることで対戦相手への尊敬の念はますます薄らぐのではないかと危惧する。
総じていえば、「独りよがり」がキーワードではないかと思う。
しつこいとは思ったが、たくさんいただいたコメントへのリターンの意味も込めて、もう一度だけ申し上げた。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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しかし、自分のサイトで書くうえは、他の人の意見に左右されることなく、自分の考え方だけで書く。改めて原理原則を述べておきたい。
私は野球選手には、「対戦相手も含めた選手相互」と「野球という競技」に対するリスペクトの気持ちを持ってほしいと思う。
対戦相手は「敵」ではあろうが「仇」ではない。競技をする上では寸毫の手加減もすべきではないとは思うが、競技が終われば互いに認め合い、尊敬しあう間柄であってほしい。
森本稀哲に対して西岡剛がとった態度は、一言でいえば「惻隠の情」に欠けていた。
先輩に対して失礼な言葉を吐いた、という表面的な部分だけでなく、戦力外からテスト入団と言う森本が置かれた境遇に対して「我がことであればどうであろうか」と思い遣る余地があってしかるべきだった。
「勝敗は時の運」というが、今、スターとして輝いている西岡が、数年先に森本のような境遇に置かれることだってあるのだ。そのことを考えるべきだったと思う。
バラエティだからという意見もあったが、バラエティだからこそ本音が見えてしまう。一言でいえば「洒落にならない」発言だった。
「西岡は裏でフォローをしていたはず」と言う意見も頂いたが、テレビで失礼なことを言って、裏でフォローをすることに何の意味があるのだろうか。森本が「後輩からも馬鹿にされた」と受け取められた事実は覆らない。
西岡は「受ける」「洒落と受け止められる」と判断して発言したのだろう。少なくとも私から見れば、その感覚はずれている。そう受け止めた人は少なからずいたはずだ。
同様のずれを西岡剛にはたびたび感じてしまう。西岡は自分と同じ感覚を有する人間にだけ受ければよいと考えて発言しているのかもしれないが、それは「独りよがり」というものだ。ぽっと出の少年ならばともかく、彼は今年30歳になる立派な社会人なのだ。彼の言動の影響力は非常に大きいのだ。
「グラティ」なるものについて、あれは西岡の発案ではないとの意見も頂いた。しかし、彼が率先してあのお遊戯をやっていたのは間違いがないところだ。
ああいうものを見て、常々思うのは、「殊勲打を上げて嬉しいのは十分に伝わっているのに、なぜその上、あんなことをするのだろうか」ということだ。
オリンピックなど国際大会での韓国チームの振る舞いを、我々は苦々しく思ってきたはずだ。
WBCで勝った後にマウンドに国旗を立てたり、政治的な主張をしたり、相手チーム(主に日本)の方を向いて、歓声を上げたり。
彼らは「勝負に勝てば何だって許される」「相手を侮辱しても良い」と思っているのだ。そして敗者は「何をされても文句は言えない」と思っている。
スポーツの勝敗も「時の運」である。勝つこともあれば負けることもある。過度な「喜び」や「示威行為」は、勝者が敗者を思いやらないという点で、浅薄な行為だ。
スポーツは戦争ではない。競技が終われば、まさに「ノーサイド」であって、敵味方隔てなく互いに敬意をもって接するべきだと思う。
もちろん、「グラティには相手チームを侮辱する意図はない」と感じる人もいるだろう。相手チームのファンの中にも「別にかまわない」と思う人もいるだろう。まさに人それぞれだ。
しかし、私は「グラティ」は、「過度な喜びの表現」であり、「独りよがり」だと思う。
こうしたお遊戯は、相手チームにも伝搬してエスカレートする恐れがある。
私は巨人ファンだったことは一瞬一秒もないが、巨人がこういう示威行動をすることはあまり見たことがない。「紳士たれ」という言葉が抑止力となっているのではないか。
しかし他球団で広がる可能性がある。野球の品が無くなると思う。
何事も昔の方が良いとは言わないが、野球の試合で、野球以外のことで騒ぐのはほどほどにしてほしいとも思う。
さらに言えば、こういう誰でもできるパフォーマンスは、子どもが真似をする。少年野球や高校野球での選手たちのアクションは年々派手になっているが、そういうアクションをさらに覚えることで対戦相手への尊敬の念はますます薄らぐのではないかと危惧する。
総じていえば、「独りよがり」がキーワードではないかと思う。
しつこいとは思ったが、たくさんいただいたコメントへのリターンの意味も込めて、もう一度だけ申し上げた。
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コメント
コメント一覧
さらにグラティなんかバカバカしい限りで、やめてもらいたいです。相手選手への侮辱じゃないかという声もあります。
じゃあ、なぜ率先してあんなことやってるのか、球団が「やれ!」と言ったのです。得点しても盛り上がらないのと、関連グッズを売るために。
何しろ、チームリーダーがオールスターやWBCなど、球団の外では喜怒哀楽を表に出すのに、公式戦では無表情な鳥谷ですし、和田監督も現役時代そのまま選手を牽引する雰囲気に欠けていますから。
さて、惻隠の情に欠けるとおっしゃられますが、相手が若手選手や、並び立つものがない大物なら言っても構わないというふうに取れますが。
西岡選手についてですが、表現に問題があるとは思いますが、意図的なものではないように思います。
大人としてどうかという議論で言えば問題ある言動だと思います。
ただ、森本選手を侮辱する意思を持って発言しているようには思えません。
単に素朴なのでしょう。
グラディも、同様のように思えます。
メジャー挑戦の失敗や私生活で彼は世間から叩かれました。
なにかと、過去の失敗の色眼鏡で評価されてしまっているように感じます。
(広尾さんの記事は決して色眼鏡ではなく、適切だと思いますが。)
せっかく過去は過去として、日本で頑張っているのだから、誤解を招く言動は人一倍、気を使って欲しいものです。
彼は日本のプロ野球を背負って立つ選手の一人である事は間違いないのですから。
西岡のバラエティーでの発言ですが、確かに「失礼」「相手の状況に対して、思いやりがない」的に見受けられても仕方ないかと思います。
私も見ていて「悪いやつだな」と思いました。森本に対して「頑張ってください」と言うのが無難で、もっと言えば「何も発言しない」というのが、日本では優先される事です。
しかし西岡は発言した。当然に「何を考えているんだ?」と怒りを感じた人も多いかと思います。その結果「森本打てよ!」「帝京勝てよ!」という対決色が強く色濃く感じられた面もあるかと思うわけです。
朝青龍という横綱がいましたが、彼も色々行動や発言に対して注意されたタイプです。それとは一方、品行方正で品格まっしぐらの白鵬という横綱。「あの生意気な朝青龍をやっつけてくれ!」という対決色が色濃く出たわけで、その対決の視聴率は高く注目度も高かった。しかし、朝青龍がいなくなる。で、品行方正な相撲界となったわけです。朝青龍がいた時代よりも、人気や注目度が下がってしまいました。
「対決色」というものが一つの見る側にとって興奮を覚えるモノとすれば、ある程度のラインまでは「許容する」という感覚も、私は必要かと思います。「そんなモノは必要ない」とするのであれば、品行方正で対決色のあまり無い世界で、どうやって見ている側に対して「興奮を与えていくのか?」というのを、提示しなければいけない。朝青龍をさんざん口撃していたやくみつる氏などは、いなくなり品行方正で対決色が薄い今の低迷している相撲界に対して「人気をあげる方策」を提示していないので「これは卑怯」だと、私は思います。
楽天のバーンもこれも一つの「グラティー」です。というわけで、私としては何故に「阪神だけ言われるのか?」という疑問を覚えるわけですね。許せるパフォーマンスと許せないの境目はどこにあるの?が解せないと。
あのパフォーマンスは負けている時にもしている事がありました。流れ作業みたいに見えて「する必要無いだろう」とは思いましたが、檜山が巨人戦で延長を制す決勝打を放った時に、全員であのパフォーマンスで出迎える。その時は、見ていて「美しい」という感じに見えました。相手側は悔しい行為に見えるでしょうが、勝利側は嬉しさを体現するパフォーマンス。サッカーのゴールを全員で喜ぶのと同じでしょうか。
相手側に向けるパフォーマンスでなく、自分達の嬉しさを表現するパフォーマンス。ファンもそれを見て、一緒に喜ぶ。楽しさを感じる。やられた方は、悔しいなら「阪神にだけは」と対決色を強くだして、やり返せばいい。
侮辱行為のラインを広くして、どのパフォーマンスに対しても厳しい目を向ける。そうして、品行方正が目立ち「お手を繋いで、みんなでゴールしましょうね」的な世界になってしまったとすれば、私はそんな世界に何一つ興味を抱きません。品行方正が目立ち、若いファンから「地味だよね」と言われた時に、反論しているスポーツジャーナリストさんの存在も知りませんし((苦笑))。
「勝ちたい」「負けたく無い」という強い姿勢の元で、強く対決色を出していく。その結果の行動がパフォーマンスに繋がり、それが熱気を生む。「そういう世界があっても良い」と思うのが、私の感覚でした。
長文失礼しました。
ヤンキーみたいな選手はいなくなってもらいたいが学生野球にはそういう選手を生み出す風土があるので難しいでしょうな
ついでに付け足しておくと巨人も元木や清原が試合中に相手を恫喝して泣かせたりしてましたよ
巨人が紳士なんてのは私的な面を除いても嘘っぱちです
選手がパフォーマンスをすることに対しての批判、と読みました。
確かに掛布氏も批判してます。
ではファンのパフォーマンスはどうでしょう。
相手チームの投手がイニング途中でKOされた時にTファンが「蛍の光」を大合唱しますが、OBの江夏豊氏は著書の中で「相手チームの投手に対して失礼だ」と批判しています。惻隠の情に欠ける、と思ったのでしょう。(広島マツダでは都はるみの「好きになった人」を球場で流す。楽天もブラウン監督の年に球場BGMで「蛍の光」を流したがすぐ辞めた。他球団では歌っているのか?)
掛布氏はグラティよりは「蛍の光」は許せるのでしょうか。
江夏氏はその逆の価値観、ということでしょう。
私個人はTファンの「蛍の光」は、、江夏氏と同じ意見だ。
せめて大阪をテーマにした歌を歌ってほしいものだ。
「やっぱ好きやねん」やしきたかじん
「悲しい色やね」上田正樹
「大阪ラプソディー」海原千里・万里
「スウィートホーム大阪」桑名正博
大阪をテーマにした歌は多いだけに、何故応援団が選ばなかったのか残念である。
広尾さんが既に「蛍の光」について見解を述べられたのであれば失礼しました。
クロマティーのパンチガッツポーズ
昔の近鉄や西武のベンチ前パフォーマンス
ブラゼルやラミちゃんのベンチ前パフォーマンス
サヨナラ打やサヨナラHRホームインに群がって
水やスポーツドリンクかけ
三振奪取時のピッチャーのガッツポーズや雄叫び
気づくと、外野手がスーパーキャッチ(3死目)をして
ガッツポーズやハイタッチを繰り返しても
リスペクトしていないという論調にはなっていません。
守備側は、あくまで‘守り’なので特権でしょうか?
(投手は唯一攻撃的ディフェンスということで)
投げも投げたり、打ちも打ったり、捕りも捕ったり。
私(虎党)もグラディはやめてもらいたいと思っています。
別の意味でWBCの日本応援団と同じぐらい格好悪い。
世界大会におけるリトルリーグや同じく高校野球でも
とてつもなくアメリカチームのマナーは悪いです。
(相手チームへのリスペクト感なんか皆無)
相手を侮辱する行為を抑制するため、「報復」しかないなら
かなり品格レベルは低いと思わざるを得ないですね。
(マイナー時代に、この教育?が成されているとか。)
自然発生的な喜びのアクションはともかく
事前に示し合わせた集団パフォーマンスは好きではありません。
見てる側もやる側も「やるぞ、やるぞ、やったー」という
妙な空気が好きでは無いものですから。みんながみんな乗り気でも
無いだろうに、毎回おんなじことをやっていて飽きないのかと。
甲子園などで優勝したチームがマウンドに集まって
全員で人差し指を空に向けて指すというのも、最初見たときは
いいなと思っていましたが、いつのまにか定番になって
最近では少し冷めた目で見てしまいます。
ついでに言えば胴上げも別にやらないときがあっても
いいんじゃないかと思っています。まあこれは流石に少数派でしょうが
相手を最低限尊重するというのは前提として
個人で色々パターンを変えつつのパフォーマンスは有りだと思うんですけどね。
スポーツ王の西岡に関しては、それほど気になりませんでした。
司会のとんねるずを始めとして、野球に限らずアスリートに対する
尊敬の念を最低ライン抑えている番組として私は見ているので。
この辺りは事前に持っている先入観(信頼度)の違いでしょうね。
>私は野球選手には、「対戦相手も含めた選手相互」と「野球という競技」に対するリスペクトの気持ちを持ってほしいと思う。
この問題は、そこまで関心がなかったので前回は静観していましたが、ここまで大きなことをおっしゃるからには、もはや西岡個人だとか例の「グラティ」の是非とかをいちいちあげつらう性質の問題ではないでしょう。
野球の日常に組み込まれた、ベンチから放たれる野次、もうこの時点でほとんどすべての野球選手がリスペクトの念が欠けているのではないですか?
プロ野球だけではありません。学生野球も、少年野球にも根強く存在しています。ファンの野次がどうこうと仰る方もいますが、それとは全く性質が異なります。
西岡の話に戻れば、彼のやったことは、ある意味幼いころから受けた「教育」の成果を発揮しただけとも言えます。そう考えれば、彼も一種の被害者のようなものでしょう。
野球選手には、「対戦相手も含めた選手相互」と「野球という競技」に対するリスペクトの気持ちを持ってほしいと思うのは私も同感ですが、これを根絶するのはもはや国民性を変えるにも等しい難事業になるでしょう。
ただそのおかげでMLBは派手なパフォーマンスができる他競技に比べて人気が無くなってるようですが。
フットボールやバスケットボールではあれだけ喜べるのに、それができないどころかやったらぶつけられるわけですし。
韓国人の所業について
>彼らは「勝負に勝てば何だって許される」「相手を侮辱しても良い」と思っているのだ。そして敗者は「何をされても文句は言えない」と思っている。
とお書きですが前段は正解ですが、後段は一部間違いです。
「他人が敗者なら何をされても文句は言えないからいくらでもものを言うが、自分が敗者の時には相手方にスポーツマンシップを要求する」とせねばなりません。こういう事例は小生散々見ましたので言わせていただきます。
相手方には事故に対する敬意を要求するのに、自分からは敬意を示さない、そういう態度が嫌われてる最たるものなのです。
失礼しました。
大昔から野球には野次が付き物でしたし、心無い野次、リスペクトのない野次もたくさんありました。そういう部分まで目くじらを立てる気はありません。
ただ、野球選手自らが、選手や野球の価値を貶めるような言動をするのは看過できないと思っています。
MLBでも野次を飛ばすようなファンはいますし、鳴り物の応援もあります。でも、そういう応援はマイナーなままです。球場を巻き込むような応援はウェーブくらいでしょう(あれはやめてほしいけど)。それに対してNPBでは、少し派手な応援は、あっという間に流行します。付和雷同的に同調する人が非常に多い印象です。
それはファンだけでなく、選手もそうです。
そういう日本独特の風潮を考えても、どこかで歯止めをすべきだと思います。
白黒ではなくて、どこまで許すのか、と言う判断ですね。
打った本人が、ベンチ前でパフォーマンスをするくらいならあまり気にもならないのですが。
>大昔から野球には野次が付き物でしたし、心無い野次、リスペクトのない野次もたくさんありました。そういう部分まで目くじらを立てる気はありません。
ここは広尾さんと違う部分で、私はこれも許せません。
私の場合、スタジアムに観戦に行くのは主にサッカーなのですが、近くにこのような野次を飛ばす輩がいると、不快でしょうがありません。席を移動します。
また、スタジアムは子供も来る場所です。こんな言葉が飛び交っている場所が、子供の教育に良いはずがありません。
モラルが求められるのは、選手だけでなく、ファンもそうであるべきだと思います。
>彼が率先してあのお遊戯をやっていたのは間違いがないところだ。
これは間違いです。グラティは西岡の指示でやっていたものではないからです。
グラティの事が話題になると必ず西岡メインの写真や映像が
使われますしインタビューも西岡にしかしないですし
会見までやらされて阪神の広告塔みたいな選手ですので仕方ないけど。
金本にベンチ裏で新井がHR打ったらスルーするように
言われた話は有名ですけど西岡だって誰かの指示で
動いているんですよ。
新しいチームに入った選手が先輩や球団にやれやれ言われたら
従うしかないかと?
西岡の日頃の行いとか個人的に嫌いだからとは
切り離してグラティは語るべきかと思います。
ちなみに・・・
西岡がグラティをやってなかったり、西岡がいないのに他の選手が全面に出て楽しそうにやってる試合もあるんですが
その選手を率先とは言わないんですかね・・・?
西岡が二軍落ちで不在の時、マートンが退場くらった後の試合で
皆で結構派手なグラティしてたんですけど・・・。
それでもまだ西岡が率先してると考えますか?
西岡加入がきっかけにはなったかもしれないですね。
でもきっかけと言っても関本良太西岡で小さくやってたポーズが
勝手に周りに派生してああなっただけで
西岡が呼びかけたわけでもないのでそこは責められない
と思いますけど・・・。
あなたがグラティにお怒りな記事を書くのは結構です。
しかし向ける矛先は球団であり、グラティをやっているチームでは?
西岡が率先してるなどと難癖をつけて
西岡個人攻撃を絡めるのはおかしいと思いますよ。
稀哲の事も相当こだわってますけど
あの程度のやり取りで何か不満を持つようなら
スポーツ王のような番組には出るなとしか思いませんけど。
自分の場合は、皆をまとめるという責任を負っているのだから、これくらいの振る舞いは許されるだろうと考えていましたね。
結果的に場を盛り上げたんだからいいじゃないか、と。
困ったことに、笑ってくれる人につい目がいっちゃうんですよ。
あぁ喜んでくれてるんだからいいんだ、正しいことしてるんだって。
まぁ当然甘えですね。
不快に感じさせずにすることだってできるわけですし、
まとめる立場であれば尚更回りに目を届かせなければならないでしょうし。
西岡の世代になれば、集団の調整役に付くことも当たり前になるでしょう。
自戒をこめて、彼(の言動)を反面教師にできればなと思います。
個人的には、成人の日に合わせてこういう文章をアップするあたり、時機を得ているなと感じましたが思い込みでしょうか。
だから公的イメージが重要なアイドルなどは、事務所から「テレビで言っていいこと・悪いこと」を厳しく指導されるのが普通です。
MLBではメディア対応について、マイナー時代から球団にレクチャーを受けるそうですね。日本でもそういったものが必要な時期が来ているのかも知れません。
MLBの映像で見るような、入れ墨だらけでガムを噛んでいる、あまり教養のなさそうなむくつけき大男共が、頭の中でチーム内のライバルや、苦手な対戦相手についてどう思っているかなんて、容易に想像がつくことです。とても放送できるような内容ではないでしょう。
でも彼らは口を開くと、チームメイトや対戦相手に敬意を表し、もっぱら無難なことしか言いません。本音を出してしまえば、メディアからの総攻撃にさらされることを知っているからです。
だから上っ面だけでも綺麗にすればいいのです。醜い本音などに興味はありません。闘志はプレーの中で見せればある程度は許容されます。
今現在では西岡選手は日本球界では結果を残している選手のひとりですし、もしも彼を一喝できる人がいるならば彼以上に成績をきちんとあげた選手しかいないのかもしれません。
外野の外の僕には、その選手が人格者であることを、望むべくしかほかにありません。
「健全な肉体に健全な心が宿るとは必ずしも限らない、それでも人々はその肉体に歓喜する」
それは思考停止ではないかなと思います。
いろいろなことを細かく見極めていく方が良いと思います。
成績だけがすべてなら、野球は本当に殺伐としたものになるでしょう。
一般人はあれを面白いと思って見てるんですから
大きなお世話です。一般人て何?
1.2008年の交流戦だったと思います。ロッテー広島戦で渡辺俊と大竹の投げ合いで、西岡が決勝打を放ち、渡辺俊の完封で1-0でロッテが勝ちましたが、二人のヒーローインタビューで西岡が「俊介さんは味方が点を取った直後に取られることが多いですけど、今日はよかったです」と発言し、おそらく本気でムッとした渡辺俊が西岡を殴るマネをした。
2.とんねるずの今年の例の番組です。森本への失言もさることながら、私が一番唖然としたのは、タカさんに対し「アンタ、帝京野球部でレギュラーじゃなかったでしょう?!」という発言。ノリさんに比べて全般に不器用なタカさんに対し、これは大人として言ってはいけない発言。
良い悪いの評価は別にして、大人げない、惻隠の情が欠ける、という意見には全面的に賛成です。