今日、もともとアップする予定だったブログを遅ればせながら。今日しか意味がないので。
20年前のNPBである。
朝まで愛媛県今治市にいたのだが、四国でも関西でも振り袖姿の新成人を見た。愚息も新成人だが、彼はどっかへ遊びに行っているようだ。
彼らが生まれた頃のNPBを俯瞰しよう。セリーグ
ペナントレースと各種表彰

巨人が走ったが、月以降急停車し、中日が追い上げた。同率で10.8決戦を迎え巨人が優勝。巨人の監督は長嶋茂雄、中日は高木守道。
14勝の桑田がMVP、19勝した山本昌広が沢村賞。
中日の外国人選手が活躍している。
打者、投手の10傑とベスト9



パウエルが首位打者、郭がERA1位。
昨年引退した前田智徳と江藤智、野村謙二郎の活躍も目立つ。金本智憲はまだ90試合しか出ていない。
山本昌、谷繁元信、三浦大輔、中村紀洋、斎藤隆、今も現役の選手が結構いる。選手寿命が延びたことを実感する。
原辰徳も現役。
日本シリーズは長嶋巨人が4勝2敗で勝っている。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。 土橋正幸は杉浦忠よりも優秀だった?

『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。


「読む野球-9回勝負- NO.2」私も書いております。


広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。


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14勝の桑田がMVP、19勝した山本昌広が沢村賞。
中日の外国人選手が活躍している。
打者、投手の10傑とベスト9

パウエルが首位打者、郭がERA1位。
昨年引退した前田智徳と江藤智、野村謙二郎の活躍も目立つ。金本智憲はまだ90試合しか出ていない。
山本昌、谷繁元信、三浦大輔、中村紀洋、斎藤隆、今も現役の選手が結構いる。選手寿命が延びたことを実感する。
原辰徳も現役。
日本シリーズは長嶋巨人が4勝2敗で勝っている。
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コメント
コメント一覧
今調べましたら、NPBで2番目の1~6位までのゲーム差が小さかったシーズンだそうで。
(1位は甲子園大暴動が起きた1973年セでした)
個人的には、国民的娯楽としてのプロ野球人気がピークだったのが
この前後ではないかと思います。
この年、巨人が横浜に大きく負け越したんですよね。
そらそうなるやろ。(どん)
「10.8決戦」などで知られる1994年。個人的には名古屋に住み始めた年で、ようやくドラゴンズに染まり始めた頃で、思い出深いです。
しかし、この年は引き分けがなかったんですね。順位表がすっきりしています。1996年、1999年にも引き分け0の年があるのですが、延長15回制で時間制限なしというルールが今となってはむしろ新鮮に感じてしまいますね。
この時の巨人は、監督が長嶋監督で、投手は三本柱の斎藤、槙原、桑田、野手は松井と落合と原がいたんですよね。自分の中では、正に伝説の時代です。
あれから20年がたち、斎藤はコーチ、槙原は解説者兼タレント、桑田は解説者兼文化人、松井はメジャーを経て現役引退、落合は中日のGM、原は巨人の監督、長嶋は大病を経て、松井とW国民栄誉賞、、あの頃には想像もつかないことが沢山起こりました。面白いですねえ。しみじみ。
歳とったなぁ、俺、と、正直に感じてしまいました。
引き分けがいかにつまらないものかをわからせてくれました。
この翌年、桑田も前田も大怪我をしてしまい、タイガースは翌年から第二期暗黒時代へ突入してゆくわけです。
それにしても、パ・リーグのほうが魅力的だなあ。
1980年代を支えた原、篠塚、岡崎らが衰え、松井、元木、吉岡らはまだ若く、仁志、清水はまだ入団していない。FA選手や外国人でなんとか穴を埋めていた、まさに過渡期のオーダーでした。
沢村賞の山本昌が防御率でベスト10入りしていない事からも分かるとおり、極めて投高打低の時代です。
もちろん、巨人3本柱の存在が大きく影響していたことは言うまでもないでしょう。ボールの反発係数の調整などもあったのかも知れません。
阪神は暗黒時代まっただ中であり、新人の藪が9勝で勝ち頭(新人王)。図抜けたエース投手が不在でした。
2億8000万円もかけたディアーが大はずれ、1億650万円の石嶺もやや外れでした。1億8000万円のオマリーだけが、高コストに見合う働きをしていました。毎年、補強の失敗が新聞の格好のネタになっていました。
ちなみのこの時の監督が中村勝広ですね。
私の記憶だと、この年あたりからマジメに野球を見るようになった記憶があります。
それ以前は、1982年生まれの私にとって、野球中継なんて、たまに"ドラえもん"の放送を邪魔する邪魔者以外、何者でもなかったですからw
それにしても、この年のGiantsの印象は強いですね。今考えても、かなりバランスの取れた最強の戦力だったように思います。3本柱を中心とした先発陣に加え、元祖"勝利の方程式"の橋本・石毛、他にリリーフでは水野・宮本、先発の4番手〜谷間にはジョーンズが投げていた印象があります。
この頃の先発陣って、桑田を筆頭に打撃もそれなりには良かった印象があります。
この翌年、原さんが引退し、桑田がトミー・ジョン手術につながるダイビングキャッチをして離脱するわけですが。
いやぁ、懐かしいです。
大手町の会社から丸ノ内線にのり東京ドームに通っていました。
試合を見るたび巨人の負け試合ばかり。勝ち越し10のペナントレースでは自分のめぐり合わせも悪かったのでしょう。
勝ち試合で記憶に残っているのが松井が初の1試合2本塁打でマジックが点灯した試合とデーブ大久保のサヨナラ本塁打のみ。
心残りは日本シリーズ観戦ができなかったことです。
資金力の差が、もろにチーム成績に影響する時代に入りました。
要するにカープが沈んでいく過程なのですが。
ここから数年はまだ頑張るんですけどもね。
打撃十傑にいる3人に加えて金本、緒方の台頭など
すわ黄金時代の再来かと思えるようなメンツが揃った年でもあります。
関東の様子はちょっと分かりませんが、10月8日とその前日は
愛知のメディアはお祭り騒ぎでした。先発は当然のごとく今中慎二。
周りのドラ党は、大人も子供もみんな勝利を確信していました。
10.8もこの年ですか!個人的な話ですが、結納の日でした(笑)。当時親父が船員で、どうしてもこの日しかなかった。ハマスタそばのレストランに向かうタクシーの車中で、ずっとラジオ聞いていました。落合がケガしましたっけ。店も道路もガラガラでした。