野球選手にとって20歳とは駆け出しの頃である。すでに才能を表している選手もいれば、うずもれたままの選手もいる。
NPB、MLBの主だった選手の20歳の成績を見てみたい。
NPBの大打者たちの20歳の成績

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藤村富美男はNPB草創の年に20歳。投手と二塁手の兼任だったが、すでに大打者の片りんを見せ始めている。36年秋には初代の本塁打王(古谷倉之助、山下実と分けあう)になっている。2年後には応召している。

川上哲治はプロ入り3年目、投手から一塁手に転向し、前年首位打者。安打製造機として本格稼働しつつある。

野村克也はプロ2年目だが一軍出場はなし。二軍で打率2位の成績を上げる。しかし解雇が決まりかけ、必死で懇願して首がつながったところだ。



長嶋は野村と同学年だが、早生まれ。立教大学の3年生。.458で首位打者を取り、六大学の花形になっていた。

張本勲と王貞治は同い年。ともにプロ2年目。張本は初めて3割を打って頭角を現したが、王貞治は「王、王、三振王!」と呼ばれていた。一本足打法を編み出すにはなお2回の春秋を必要とした。

落合博満は東洋大に入るが先輩のしごきに堪えかねて中退、プロボウラーを目指していた。プロ野球はまだ現実的な目標ではなかっただろう。

掛布雅之は2年目、同期の佐野仙好とのポジション争いに勝って三塁の正位置を確保したシーズンだ。

清原も2年目。1年目より打率は落ちたが、リーグ屈指の強打者と見なされるようになった。最多の80四球がそれを物語っている。

イチローも2年目、二軍では驚異的な打率をマークしたが、一軍では十分に力を発揮できず。翌年210安打を打ってブレークする。

松中信彦はイチローと同い年。高校から新日鉄君津に入社して2年目だ。

中田翔は早生まれなので1年目。「Fighters」が読めない、とか、日本ハムがどこにあるかわからない、とか、伝説を生んだ頃だ。


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