オフにはよくあることだが、プロ野球選手のプライベートが世間をにぎわしている。
バレンティンのDV事件、そして澤村拓一の離婚。
当サイトでは、原則としてこういう話は取り上げないようにしている。プライベートの話は、込み入っているから当事者でなければわからない。また、プライベートに問題があるからと言って、野球の成績が落ちるわけではない。
野球とプライベートは「無関係」というのが基本的な立場だ。


巷間、西岡剛が妻だった女性タレントをひどい扱いをした挙句に離婚した話が広まっている。先日西岡について取り上げたときもコメント欄でそういう話が出た。しかし、それは「野球選手 西岡剛」とは無関係だと思ったので触れなかった。品下がるように思ったからでもある。
西岡は、この女性と付き合っていたときに、シーズン中にもかかわらず派手なデートをしていたと報じられた。まだ若かったとはいえ、この男は何を考えているのか、と思った記憶がある。
プロ野球選手は、ヒトという群れで生きる動物の社会にあっては「強いオス」と言うことになろう。
「強いオス」とは、多くのメスをひきつけることができるオスである。メスは「強いオス」の遺伝子を受け取ることで、より強い子孫を残そうとする。
野生動物の場合、その基準は「体が大きい」「ケンカに強い」だが、ヒトの場合「金を持っている」ことに集約される。そして同じ「金持ち」なら、「若い」方がより「強いオス」になる。より多くの遺伝子を残すことができるからだ。
プロ野球選手が、女性関係でトラブルをよく起すのは彼らが「強いオス」だからだ。


佐野正幸さんに『プロ野球の世界に生きるということ』と言う本がある。
この本ではプロ野球選手を「体育会系」と「常識人系」に分けている。
「体育会系」とは、自分たちが育ってきた「野球部」と言う特殊な環境での流儀が、一般社会でも通用すると思っている選手たち。
「常識人系」とは、「野球部」で育ちながらもどこかのタイミングで社会に生きるための一般常識を身に着けた選手たちだ。
いずれも生物としては「強いオス」ではあるが、社会との付き合い方は違う。世間にスキャンダルを振りまいているのは主に「体育会系」の「強いオス」だと言うことになろう。
佐野さんはこれまでのプロ野球の大選手たちは主に「体育会系」が多かったが、最近は「常識人系」の選手が増えていると言っている。
とはいっても「常識人系」はチームでは浮いた存在であることが多いようだ。
MLBに移籍して成功している選手たちは、恐らく「常識人系」だと言えよう。何もしなくても周囲がおぜん立てをしてくれる。それを当たり前のように思う感覚では、異国での成功はおぼつかないだろう。
普通の人間のように自分で考え、自分で判断でき、自らを律して生きることができる選手だけが成功を収めることができるはずだ。
反対に言えば、西岡も含めてMLBで失敗した選手たちは「体育会系」のままだったと断じても良いかと思う。
ダルビッシュなど入団当初は喫煙で謹慎処分になるなど「体育会系」丸出しだったが、NPBにいる間に「常識人系」に体質改善したのだろう。「聡明」とはこういうことだ。
佐野氏によれば一番たちが悪いのは「体育会系」のまま中途半端な成績を残し、引退した選手たちだ。
実績が十分ではないから収入は大きく下がる。「強いオス」ではなくなるのだが、「体育会系」の気質はそのままだ。世間に合わせて生きることができないから、トラブルを起したり、落剝したりする。そして結果的に「プロ野球」の評判を貶める。
NPBはキャリアサポートにようやく重い腰を上げたようだが、「体育会系」の選手を「常識人系」に変えるために、何らかのカリキュラムを組んではどうかと思う。
これからもこの手のスキャンダルは頻出するだろうが「あ、また『体育会系』が馬鹿なことをやっている」と思うことにしよう。
プレーの上では「体育会系」であれ「常識人系」であれ、同様に評価するが、人柄を見るときには「どちらなのか」を見るようにしたい。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。 1964年のパリーグ投手陣

『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。


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広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。


野球とプライベートは「無関係」というのが基本的な立場だ。
巷間、西岡剛が妻だった女性タレントをひどい扱いをした挙句に離婚した話が広まっている。先日西岡について取り上げたときもコメント欄でそういう話が出た。しかし、それは「野球選手 西岡剛」とは無関係だと思ったので触れなかった。品下がるように思ったからでもある。
西岡は、この女性と付き合っていたときに、シーズン中にもかかわらず派手なデートをしていたと報じられた。まだ若かったとはいえ、この男は何を考えているのか、と思った記憶がある。
プロ野球選手は、ヒトという群れで生きる動物の社会にあっては「強いオス」と言うことになろう。
「強いオス」とは、多くのメスをひきつけることができるオスである。メスは「強いオス」の遺伝子を受け取ることで、より強い子孫を残そうとする。
野生動物の場合、その基準は「体が大きい」「ケンカに強い」だが、ヒトの場合「金を持っている」ことに集約される。そして同じ「金持ち」なら、「若い」方がより「強いオス」になる。より多くの遺伝子を残すことができるからだ。
プロ野球選手が、女性関係でトラブルをよく起すのは彼らが「強いオス」だからだ。
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この本ではプロ野球選手を「体育会系」と「常識人系」に分けている。
「体育会系」とは、自分たちが育ってきた「野球部」と言う特殊な環境での流儀が、一般社会でも通用すると思っている選手たち。
「常識人系」とは、「野球部」で育ちながらもどこかのタイミングで社会に生きるための一般常識を身に着けた選手たちだ。
いずれも生物としては「強いオス」ではあるが、社会との付き合い方は違う。世間にスキャンダルを振りまいているのは主に「体育会系」の「強いオス」だと言うことになろう。
佐野さんはこれまでのプロ野球の大選手たちは主に「体育会系」が多かったが、最近は「常識人系」の選手が増えていると言っている。
とはいっても「常識人系」はチームでは浮いた存在であることが多いようだ。
MLBに移籍して成功している選手たちは、恐らく「常識人系」だと言えよう。何もしなくても周囲がおぜん立てをしてくれる。それを当たり前のように思う感覚では、異国での成功はおぼつかないだろう。
普通の人間のように自分で考え、自分で判断でき、自らを律して生きることができる選手だけが成功を収めることができるはずだ。
反対に言えば、西岡も含めてMLBで失敗した選手たちは「体育会系」のままだったと断じても良いかと思う。
ダルビッシュなど入団当初は喫煙で謹慎処分になるなど「体育会系」丸出しだったが、NPBにいる間に「常識人系」に体質改善したのだろう。「聡明」とはこういうことだ。
佐野氏によれば一番たちが悪いのは「体育会系」のまま中途半端な成績を残し、引退した選手たちだ。
実績が十分ではないから収入は大きく下がる。「強いオス」ではなくなるのだが、「体育会系」の気質はそのままだ。世間に合わせて生きることができないから、トラブルを起したり、落剝したりする。そして結果的に「プロ野球」の評判を貶める。
NPBはキャリアサポートにようやく重い腰を上げたようだが、「体育会系」の選手を「常識人系」に変えるために、何らかのカリキュラムを組んではどうかと思う。
これからもこの手のスキャンダルは頻出するだろうが「あ、また『体育会系』が馬鹿なことをやっている」と思うことにしよう。
プレーの上では「体育会系」であれ「常識人系」であれ、同様に評価するが、人柄を見るときには「どちらなのか」を見るようにしたい。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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コメント
コメント一覧
人間のキャラクターはそんなに簡単に二分できないかな、というのが私の見方です。
皮相な見方ではないでしょうか。「離婚」と言う事実関係にとらわれていると、トータルな判断を誤るのではないでしょうか。「離婚」は必ずしも汚点ではないはずです。同じ読むなら、もっとしっかり読んでいただきたいと思います。
意図的か同かは別として、本件は球団ごとにアプローチが違っていそうです。うまく分類できると面白そうなのですが。
・「体育会系」のまま放任・・・自由のびのび(ヤクルト)?
・「体育会系」を独自の規律で上書き・・・紳士たれ(巨人)、猛練習(広島)、管理野球(森西武)?
・「体育会系」をむしろ突き詰めて突き抜ける・・・猛牛軍団(近鉄)?
・「体育会系」人の「常識人」化・・・BOS(日本ハム)?
などなど
書いていて思いましたが、NPB球団はこの件に球団として取り組むというより監督に丸投げしているような気がしますね。
仮に(仮説として)両者に因果関係があり得るとすれば、矢印の向きはパーソナリティ→実績でしょう。
その逆は、(特殊な例外はあるにしても)基本的に考えづらいですね。
その前提で、以下のような疑問が浮かびました。
広尾さんは、基本的には実績とパーソナリティは別物とされています。
しかしながら一方で、「MLBでの成否」という実績にパーソナリティを結びつけられています。
この点が、本記事を読んでいて矛盾しているように読み取れるのも事実です。
私の読解力の問題かもしれませんが、この辺、もう少し詳しく見解を伺いたいと感じました。
「プロ野球」という「体育会系」の身内の論理が通用する世界では、パーソナリティの有無と実績は関係がないはずです。
しかしMLBという身内の論理とは別個の世界へ移るときには、実力に加えてパーソナリティの問題が重要になってくると言うことです。
矛盾はしていないと思います。
そうすると一点だけ気になる点として、体育会系が一定の発言力を持つプロ野球の世界では、“常識人系”が相対的に苦労するという可能性はあるでしょうか。
つまりMLBなどの世界とちょうど反対の関係が成り立つのか否か、です。
体育会系の論理が「通用する程度」なのか、「支配的」なのかですね。
典型的な重箱の隅なのですが、ここまで野球の世界を取り巻く構造を掘り下げたなら、もう一押しピースを嵌めたいと感じてしまったもので。
プロ野球の世界で「常識人系」は、「変人」だとされてきました。苦労してきたと思います。だからそういう人がMLBに行ったという見方もできるでしょう。
自分の心も他人の心もささくれ立つでしょ?
残念なご意見ですね。私は十分に意義のある文章だと確信しています。
おせっかいを言いますが、たぶん、そういうお考えでは、あなたは人の会話について行けないだろうと思います。
そうでなければ一流企業がそういう連中採用するわけがないでしょう。採用担当は一様にいます。まず、礼儀正しい、長幼の序をわきまえてる、何よりすなおだと。つまり叩き上げれば使い物になるのはこちらだという評価です。
世の体育会系と言っても、それで食えるのはわずかでしょう。世の圧倒的多数の体育会系は常識人の系列です。ただあまりに勉強してないという意味では非常識の系列でしょうが…でもすなおだから叩き込めば物になるというわけです。
一部の非常識体育会系を全面的に敷延するような物言いはやめたほうが良かろうと思います。
要は社会人としての常識を身につけることができない連中が困るといえばよいわけです。
一般社会では体育会系の人は世の中で矯正されますから問題は起こらないでしょう。
これは「プロ野球」と言う特殊な社会での話です。一般論の体育会系とは別次元の話です。
だから敢えて「」をつけて「体育会系」としています。
ただし今は一般的な意味の体育会系の人の評価も「上の言うことを聞くだけで自分で判断できない」と、地に落ちているようですが。
メジャーで成功する選手には常識人系が多い
だからメジャーで成功したダルビッシュは常識人にシフトチェンジしたし
そうでない選手は体育会系のままだったのである
それは違うでしょう。
言わんとすることはわかりますがやはりレッテル貼りと日本人が陥りがちな
スポーツ優秀者=人格者という落とし穴から逃れられていないように思いますが
別に外国人に人格者ばかりというわけではないですしね
確かに自分で考える力は必要かもしれませんが、それが人格につながるというわけではないことはメジャーや欧州サッカーに人格破綻者がおおくいることからもあきらかでは?
もう少し大きなニュアンスを読んでいただきたいですね。
バレンティンの例を先に出していることでもわかるように、ここでいう「体育会系」とは、日本的な意味だけをさしているわけではありません。
「体育会系」とは「スポーツができる」ことだけで若くして特権的な地位に立ってしまい、それを享受することに違和感を抱かない選手のことです。彼らが一般人としての常識をわきまえるかどうかで、その後の人生が変わってきます。
ダルビッシュが「体育会系」から「一般常識系」に進化していることは彼の言動を見れば明らかだと思いますが。
みなさんの反響は私にはかなり意外です。
血液型や星座で区分するのと似たようなものじゃない、と思っていました。ただものさしが「社会適合性」というだけ。
自分の会社でも中途退社する人がいます。広尾さんのものさしで言えば、圧倒的に体育会系が多い。
「すごく普通の人だと思う」と言っていましたね。
続けて「普通過ぎるのでそれが野球界の常識とは相容れず変人扱いされてる」と。
高校や大学のいわゆる体育会系のノリが大嫌いだったと言われる落合が
実際は常識人というのはわかる気がします。
反論は趣旨と大きくずれている場合は、当然コメントします。どうでもいいことが気にかかるようですね。中身についてはご理解いただいていますか?
読んでいて思ったんですが、体育会系というより、お山の大将とか世間知らずと言った方がしっくり来ます。
ダルビッシュは新人時代の世間知らずが、球団の指導や元来の聡明さから常識人になった感じですね。
他で見ても川崎宗則や松井稼、岩村辺りは常識人だが西岡や中島はお山の大将って感じがします(苦笑)
そんな夢を売る選手がシーズン中に職業訓練を受けているとか逆にファンをバカにしているようにも見えるw
問題を起こす選手は昔からいます。この辺は球団がフォローすればいいこと。
っていうか今の選手は昔と違いますよ。今の選手はちゃんと事務所に入っている。
だからダルやイチローや西岡も事務所を通じてコメントをだしたり問題が起きれば事務所が守ります。
選手は商品で広告塔だから。昔みたいにマスコミが直接選手の突撃するとか殆どないと思いますね。
つまり選手の性格やら質は選手を売り出す事務所が考える。
2.自分で考え、自分で判断でき、自らを律して生きることができない
3.プライベートに問題がある
「体育会系」を上記の様に定義されていますね。
「ダメ人間」ですね。
3以外はMLB失敗により張られるレッテルではないですか?
失敗したから1,2の様に思われるのでしょう。
3.は違うと思います。何度も書いていますが、レッテルだと思われるのは残念です。
広尾さんの紹介された本は面白そうですね。
例えば、メジャーではいまだに日本人最大の失敗例扱いされてしまっている井川慶。今の球界で体育会系という言葉から最も遠い選手の座を争うであろう、しかし常識人系という括りに入れるには『常識を定義する人達』が納得すると思えない。じゃあ彼は何者なのか?
図書館にあるか探しに行ってみます。
そういう読み方をされるのは残念ですね。
国語の授業ではないですが、そういう形で別々の文章の塊から個別の事実関係をピックアップして指摘するのはおかしいと思います。
高校生程度の読解力のある方なら、流れの中で十分にご理解いただけると考えて書いています。
イチローや松井は、自分をコントロールすることの重要性を説いていますし、黒田やダルビッシュも、どこか求道者的なストイックさを感じさせます。
西岡はハングリーさは感じさせますが、ストイックという印象はあまりないですね。
ただ、成功するしないの原因を内面に求めすぎるのはあまり好きではなくて、西岡が成功しなかったのはやはり能力の問題だと思います。
西岡は日本で首位打者を1度獲ったバッターですが、首位打者を3度獲った青木がメジャーであれくらいの打率ですから、メジャーでレギュラーを取るためには相当の打力が必要なんでしょう。西岡の打力はそこまでではなかった。
また、メジャーで内野手を務めるには、日本人の身体能力では難しいということもあったと思います。
あと、余談ですが、女性問題については、野球で自分をコントロールするのとは、また違う要素があるのかなと思います。
他の人も指摘していますが、ダルビッシュも西岡と同じような女性問題があったと報道されていますし、イチローだって、メジャー移籍後に女性問題が噂されました。英雄色をなんとやら、という言葉もありますしね。
>プレーの上では「体育会系」であれ「常識人系」であれ、同様に評価>するが、人柄を見るときには「どちらなのか」を見るようにしたい。
何が秀でていようが、ここに尽きると思います。
それが本質だと思います。何の職業であれ、人間関係であれね。
佐野さんは自信の取材体験から、ONを除く大部分の大選手は「体育会系」だと断じています。
思うに、体育会系は、ヒエラルキー化した相互依存で成り立っているだけに、自立心が求められる個人主義社会の中では、存在意義を失うことになるのではないでしょうか。
特にヒエラルキーの上位にいる人間ほど相違が深まっていきそうです。
とはいっても、当該エントリーのコメント欄を拝見する限り、まだまだ日本は全体主義の国なんだなぁと、妙な実感もあるので、なんとも言えませんが...(笑)
ちなみに、常識人云々については、閉ざされたヒエラルキーが非常識を生んでいるのではないでしょうか。
張本さんは障害事件か何かでオールスターを辞退した事があると聞いたことがありますが…
もし事実だとしたら、常識人とは言いがたいでしょう。
このエントリーについて食ってかかる人もいらっしゃるようですが、私はこのエントリーが意図することが正しいと思っています。かっこ書きで体育会系と書いてらっしゃいますが、悪い意味の体育会系が起こす問題を身近で見てきただけに、実は問題は根深いと思います。
そうした悪い体育会系が起こす問題は次の通りかと思います。
・先輩絶対による抑圧
・陰湿なイジメ(主に先輩集団による)
・理不尽と厳しさの履き違え
・自分たちの世界以外を知らない
ノムさんが度々著書で「野球選手はコーチになったら自分の経験を基に教えればいいくらいにしか思ってないがこれでは良い指導者になれるわけがない」。「野球だけやっているだけではダメで、人として成長しなければダメ」」と書かれているのも、野球界の「常識」がいかにおかしいかご存知だからだと思います。
なお、「お膳立て」というのはほぼ似た価値観で社会が成立し、察する、気配りをすることが要求される日本社会ゆえに成り立つことだと思います。海外では、野球に限らず、お膳立てを求めるなら、自分でそれに見合うだけの成果を残し、その上で自分で主張し周囲に理解してもらうしかありません。
パーソナリティがダメでは成功しないというのは、海外で暮らす上での言わば大原則かと思います。例えば、日本の野球選手の発言と海外で活躍するサッカーの日本代表の選手の発言と比べてみて、何を感じるか、です。
今後も素晴らしい記事を期待しております。