ON以前の巨人のスター選手だった。享年76歳。
報知新聞蛭間豊章記者
坂崎一彦さん死去。74本塁打中小山正明から9本(第760回)
今から思えば地味なキャリアSTATSだ。

浪華商業では山本八郎、広島尚保と同期。ヤクルトの名スカウト片岡宏雄は1年先輩。張本勲は3年後輩。
強くて粗くたい時代の浪商の選手だった。3年生の春の甲子園で優勝。
巨人入団1年目から打撃を買われて1軍で活躍。川上哲治、与那嶺要はまだ健在で、代打起用や守備固めが多かったが、シーズン後半には1,2番で先発起用された。
2学年年上の長嶋茂雄が入団してからは5番右翼での起用が多かった。
あまり知られていないが、1959年6月25日の天覧試合にも出場し、5回には長嶋茂雄に続いて連続本塁打を打っている。
この日のボックススコア

昨日、向井万起男さんとお話させていただく機会があったのだが「高卒1年目の王を天覧試合で先発させた水原監督は、慧眼だった」と言っておられた。その王の前の5番が坂崎だったのだ。
この日の巨人の顔ぶれでは、与那嶺、藤田元司に続く3人目の物故者となった。
長嶋、王がすごい成績を上げていく中、かすんでいった感がある。65年に東映にトレードで移籍。つまりV9は知らない選手なのだ。移籍後は代打が多かったが、勝負強さで鳴らした。
私はいつも坂崎と聞くと、阪神の藤本勝巳を思い出す。同学年。ともにON出現前の「貧打のプロ野球」時代にデビューした「渋い五番打者」だった。
直接見た覚えはないが「昭和のプロ野球」を築いた選手がまた一人減った。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。


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巨人入団1年目から打撃を買われて1軍で活躍。川上哲治、与那嶺要はまだ健在で、代打起用や守備固めが多かったが、シーズン後半には1,2番で先発起用された。
2学年年上の長嶋茂雄が入団してからは5番右翼での起用が多かった。
あまり知られていないが、1959年6月25日の天覧試合にも出場し、5回には長嶋茂雄に続いて連続本塁打を打っている。
この日のボックススコア

昨日、向井万起男さんとお話させていただく機会があったのだが「高卒1年目の王を天覧試合で先発させた水原監督は、慧眼だった」と言っておられた。その王の前の5番が坂崎だったのだ。
この日の巨人の顔ぶれでは、与那嶺、藤田元司に続く3人目の物故者となった。
長嶋、王がすごい成績を上げていく中、かすんでいった感がある。65年に東映にトレードで移籍。つまりV9は知らない選手なのだ。移籍後は代打が多かったが、勝負強さで鳴らした。
私はいつも坂崎と聞くと、阪神の藤本勝巳を思い出す。同学年。ともにON出現前の「貧打のプロ野球」時代にデビューした「渋い五番打者」だった。
直接見た覚えはないが「昭和のプロ野球」を築いた選手がまた一人減った。
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コメント
コメント一覧
ニュース記事によれば、これは坂崎選手が異常なまでに小山正明と
相性が良かったためであるとのことですね。
小山にひねられ続けていた東映・水原監督の強い要望で移籍すると
1959年には小山から5ホームラン、生涯74HRなのにうち9HRが小山からという
驚異的な数字を残したそうです。
それは面白い。小山はON、野村に、「投手別シーズン最多本塁打」を提供しているなど被本塁打記録をいろいろもっていますが、坂崎もですか。
サヨナラホームランの長嶋茂雄でもなく、二本足で打っていた時代の王貞治でもなく、一番印象にあるのは坂崎ですね。
展覧試合の件に、東映に移籍した年に驚異の代打率を残したというのは、生まれながらの勝負強さでしょう。
あの浪商時代は、1955年春の選抜大会で4番として優勝していますが、その時も「坂崎大明神」とか呼ばれる勝負強さで、決勝の群馬県立桐生高校との試合では、稲川監督が今泉投手に全打席敬遠を指示したという話に加え、今泉投手が唯一勝負に出た第三打席で同点ホームラン、なんていう凄すぎな逸話があります。
あの、松井秀喜の全打席敬遠の事件から37年前の話です。
小山キラーの数字は
報知の記事からの引用でしょうか。
昨日、BISから検索して分かった数字。
http://weblog.hochi.co.jp/hiruma/2014/01/post-b18a.html
ちょっと詳しく書いてみました。
朝の電車でスマホで拝見した時はどの社か気に留めて
ませんでした(笑)がまさにそうでした。
こういうエピソードは当時を知らなくてもワクワクします。
いいですねえ。
戦後の高校野球を代表する強打者だった中西・坂崎・王のうち、坂崎だけがリーグ平均を多少上回る打撃成績に留まっていますね。それでも8年間レギュラーの座を確保しているし好調年は強打者の片鱗を見せています。
それにしても、この当時の浪商野球部はプロ予備軍の集まりといった感じですね。