中村順司『甲子園最高勝率』

PL学園を日本一の野球学校にした監督、教育者の自叙伝である。
著者は自分の実績をできるだけ控えめに、謙虚に書こうと努力しているのだが、何せ残した実績があまりにも偉大すぎて、それでも自慢話になってしまう。
1980年秋から98年までの19年間、PL学園で監督として采配を取って甲子園出場16回(春10回、夏6回)、優勝各3回、準優勝各1回、通算58勝10敗。勝率.853。
通算勝ち星では智弁、智弁和歌山の高島仁監督に後れを取っているが(63勝29敗)、勝率では圧倒的に上位。和歌山県、奈良県とは比較にならない激戦区の大阪府で、これだけ甲子園に出場したというだけでも驚異的だ。
前任者の鶴岡(現姓 山本)泰氏は、南海のドン、鶴岡一人の長男だ。父鶴岡一人はプロ野球を退いてから大阪を中心にボーイズリーグという少年野球を組織した。その流れを受けて、息子の泰氏は受け皿としてPL学園野球部を強化したと考えることもできよう。
鶴岡泰氏の指導は、厳しかったようだ。中村氏は遠まわしに書いているが、スパルタそのもので、技術よりも根性、精神論がまかり通っていたという。
中村氏はこうしたやり方を緩和し、選手の自主性を重んじる指導方法で実績を上げていったという。たびたび技術屋という言葉が出てくるが、下半身を中心とした理にかなった体の使い方と、合理的な練習法で選手の肉体、精神を改造していった。確かにその指導は、若者たちの人生の基盤となったようだ。桑田真澄の透明感のある生き方も、基礎はここで作られたのだろう。
ただ、この圧倒的な実績はそれだけでは説明できない。中村氏は「私は選手のスカウトにはタッチしていません」と言っているが、吉村禎章から桑田、清原、立浪、宮本慎也に至る錚々たる顔ぶれがそろってこそ、こうしたレベルの高い指導も可能だったのだ。いったいどうして、これだけの人材が集まったのか。監督の人徳とか、甲子園の実績とかいうだけでは説明がつかない。やはり中学や少年野球としっかりしたパイプがあったのではないか。
中村氏は選手たちに「高野球で燃え尽きないように」指導したという。まさにプロ野球選手を生み出すための学校ならではだ。
桑田清原の時代に、PL学園は陰惨な死亡事故を起こしている。この本がこのことに触れるはずもない。きれいごとに終始しているのはやむを得ないが、野球人としての一つの頂点に立ったということの記念碑的な著作だろう。
中村氏が退任後も前田健太など人材を輩出しているPLだが、一時期の圧倒的な充実ぶりからは、かなり色あせている。
この本を読んで、PL学園出身プロ野球選手の総まくりをやりたくなった。それが収穫。明日やります。
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著者は自分の実績をできるだけ控えめに、謙虚に書こうと努力しているのだが、何せ残した実績があまりにも偉大すぎて、それでも自慢話になってしまう。
1980年秋から98年までの19年間、PL学園で監督として采配を取って甲子園出場16回(春10回、夏6回)、優勝各3回、準優勝各1回、通算58勝10敗。勝率.853。
通算勝ち星では智弁、智弁和歌山の高島仁監督に後れを取っているが(63勝29敗)、勝率では圧倒的に上位。和歌山県、奈良県とは比較にならない激戦区の大阪府で、これだけ甲子園に出場したというだけでも驚異的だ。
前任者の鶴岡(現姓 山本)泰氏は、南海のドン、鶴岡一人の長男だ。父鶴岡一人はプロ野球を退いてから大阪を中心にボーイズリーグという少年野球を組織した。その流れを受けて、息子の泰氏は受け皿としてPL学園野球部を強化したと考えることもできよう。
鶴岡泰氏の指導は、厳しかったようだ。中村氏は遠まわしに書いているが、スパルタそのもので、技術よりも根性、精神論がまかり通っていたという。
中村氏はこうしたやり方を緩和し、選手の自主性を重んじる指導方法で実績を上げていったという。たびたび技術屋という言葉が出てくるが、下半身を中心とした理にかなった体の使い方と、合理的な練習法で選手の肉体、精神を改造していった。確かにその指導は、若者たちの人生の基盤となったようだ。桑田真澄の透明感のある生き方も、基礎はここで作られたのだろう。
ただ、この圧倒的な実績はそれだけでは説明できない。中村氏は「私は選手のスカウトにはタッチしていません」と言っているが、吉村禎章から桑田、清原、立浪、宮本慎也に至る錚々たる顔ぶれがそろってこそ、こうしたレベルの高い指導も可能だったのだ。いったいどうして、これだけの人材が集まったのか。監督の人徳とか、甲子園の実績とかいうだけでは説明がつかない。やはり中学や少年野球としっかりしたパイプがあったのではないか。
中村氏は選手たちに「高野球で燃え尽きないように」指導したという。まさにプロ野球選手を生み出すための学校ならではだ。
桑田清原の時代に、PL学園は陰惨な死亡事故を起こしている。この本がこのことに触れるはずもない。きれいごとに終始しているのはやむを得ないが、野球人としての一つの頂点に立ったということの記念碑的な著作だろう。
中村氏が退任後も前田健太など人材を輩出しているPLだが、一時期の圧倒的な充実ぶりからは、かなり色あせている。
この本を読んで、PL学園出身プロ野球選手の総まくりをやりたくなった。それが収穫。明日やります。
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コメント
コメント一覧
>中村氏は選手たちに「高野球で燃え尽きないように」指導したという。まさにプロ野球選手を生み出すための学校ならではだ
まさにここでしょうね。智弁和歌山も高校野球の強豪ではありますが、プロに入って大成しないというイメージがあります。
高嶋監督の少数精鋭主義というのは、むしろ不必要な控え部員を生み出さないシステムとして好感が持てるのですが、厳しい競争原理を体験できないことが、卒業後の飛躍の度合いに差が出る要因になっているのかもしれません。
小学生でK・Kと出会い、同世代にもPL出身のスター選手を多数輩出しているわれわれ30代にとっては、PLといえば大きなブランドでした。PL特集を楽しみに待ちたいと思います。
もしかして、その後母校の法政大学で監督して一度も優勝出来なかったのは、スパルタだったからでしょうか。
確か、田淵幸一氏や山本浩二氏の一年先輩で、プロ野球希望だったのを、父の一人氏がドラフト最下位指名して、遠回しにプロを断念させた、という話、聞いたことあります。
しかし、先日の山中正竹氏と同じで、ノンプロ、アマチュア指導者になったから、プロ野球に関われる今があると思います。
という感じのことを言っていたのは清原だったでしょうか。
大阪も南北2代表にすべきなのですが、野球留学の遠因ですし。
神奈川、愛知、兵庫も2代表にすべきですが、これらは有力校が偏在していますので。
「強豪校に行って甲子園に行きたい」
これが、常勝軍団を作り上げたのではないでしょうか。
桑田のプロ入りで一悶着ありましたが、そのあとでも坪井智哉、今岡誠、大村三郎、松井和夫(稼頭央)、福留孝介と活躍した選手を出しています。数日前に出てきた上重聡までがそうですね。
でも、チーム環境を変えたのは桑田ではないでしょうか。
え、桜井広大?それには触れないでください。中村時代ではないですし。
それと、智弁和歌山には、和歌山県もしくは泉州ぐらいの通学可能な選手しか入部させないので、決して力のある選手だけが入学しているわけではありませんので、それはそれとして優秀な指導者だとは思います。
ま、巧みな勉強法で進学校に入ってしまったという感じと同じ雰囲気がしますが。
何を書いておられるのか、よくわかりません。