昨日、PL学園中村順司元監督の著書を紹介したが、本の中に出てくるPL出身の選手の多さに驚いた。今日はPL学園出身のプロ野球選手を総まくりしてみたい。
卒業年順に一気に出す。

PLOB-20120311






綱島新八は2リーグ分裂前後に大映、松竹で活躍した外野手。高崎商業出身。1958年にPL学園の初代監督だった布谷武三の後を受けて二代目監督となった。三代目井元俊秀監督の時代に甲子園に出場するが、その後綱島新八は復帰して四代目監督になっている。この綱島監督の時代にはじめてプロ野球選手を輩出した。

PL最初のプロ選手は阪神の堅実な内野手だった野田征稔。長く阪神球団に勤務した。

中塚政幸は小柄だが、がっちりした体格のリードオフマン。左打席で鋭い打球を飛ばしていた。この中塚と阪急のスターター戸田が同期とは思わなかった。この投手は75年に南海ホークス相手にノーヒッターをしたのでよく覚えている。

上原正信監督の時代には、福島久晃、得津高宏、野口善男と印象に残る野手が次々と出ているが、何といっても加藤英司だろう。勝負強く、理想的な3番打者だった。

以後もPLは、ほぼ切れ目なくプロ野球に人材を送り続けている。単にNPBに進んだだけでなく、その多くがひとかどの選手になっているのがすごい。素材的にも精神的にも優れた選手が集まっていたのだ。

鶴岡監督時代、広島で中核を担った選手が多かったのは、鶴岡泰監督の父、鶴岡一人の故郷だったからだろうか?

そして中村順司監督の時代。長期政権だけに、すごい顔ぶれがそろっている。1988年大阪球場の西武戦で、清原和博がなぜか一塁ベンチに向かい、南海の新人若井基安にわざわざ挨拶をしに行ったのを見た。若井は清原よりもプロ入りは2年後ながら、高校では3年上の大先輩だったのだ。PLは左の好打者を多数輩出したが、若井も小柄だがきびきびしたいい打者だった。守備に難があり、あまり活躍できなかったのが惜しまれる。
KKは、PLが生んだ最高傑作であることがこの表からもわかる。この年は実に5人がプロ入り。その2年後には立浪、片岡、野村、橋本がプロへ。この頃がPL野球学校のピークだろう。

以後も大物選手を次々と送り込んできたが、中村監督の退任後はやや小粒となっている。前田健太は久々に登場した大物だ。

まさに多士済々。これだけの顔ぶれが学んでいた学校が存在したというのは、まさに驚異的だ。

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