「イチロー世代」と言う言葉はあまり聞かないが、傑出した打者を何人も生んでいるという点で、特筆すべき世代である。イチローより3日遅れて生まれた小笠原もその一人だ。
キャリアSTATS

① 裂帛の気迫
イチローのバットがウィザード(魔法の杖)だとすれば、小笠原のバットは銘刀だ。
打席に立つや投手を凝視し、顎を肩にうずめ、思い切り長く持ったバットを斜め前にぴたっと構える。刀を正眼に構えるサムライに見えてくる。「チャッ」と刀のつばが鳴る音が聞こえてきそうだ。
そして、小笠原は裂帛の気迫でバットを振る。旋回域いっぱいに風塵が巻き起っているように思える。
バットの真芯でとらえられたボールは、すさまじいライナーとなって野手の間を抜けたり、スタンドへ突き刺さったりするのだ。
「一打席、一打席、決して後悔すまい」と決意しているかのような、その潔さ。野手のいない所へ打とうとか、つなごうとか、小さな思惑はみじんも感じられない。
常に全力でボールの芯を打ち抜こうという強い決意がみなぎっている。
小笠原の体躯は、ONとほぼ同じサイズ。昭和の時代であったなら「大型選手」と言われただろうが、平成のプロ野球界では小柄の部類に属する。
小さな打者が大振りするのは、日本野球では「邪道」になるはずだが、小笠原はそういう既成概念をも裂帛の気迫で打ち破っている。
先日、榎本喜八の動画を見る機会があったが、バットの旋回域の広さ、気迫のフルスイングなど、その打撃は、小笠原とよく似ていた。
榎本喜八も、172cm71kgの小さな体で、自分の打撃を追い求めた。小笠原は榎本の衣鉢を継ぐ打者だったのではないか。
② 滅びの美学
今週発行の「週刊ポスト」でもふれているが、左打者、とりわけ右投げ左打ちの打者には長距離打者が少ない。
多くは右打ちからの転向であり、パワーを伝えるために利き腕を使うことができないからだとされる。
しかし、小笠原は、松井秀喜、掛布雅之と並んで例外的な長距離打者になった(本来は中距離打者だろうが)。
これは「長打を打つ」という強い意志を貫いたからだ。そしておそらく技術的には一つの打撃フォームを磨き上げ、完成形へと高めたからだと思う。
強打者小笠原道大は天性のものではなく、努力で作られたのだと思う。
しかしそうした「作られた打撃フォーム」は、環境が変わるともろくも崩れ去ることが多い。
私は左打者の多くが突然打撃不振に陥るのは、そういうことだと理解している。
小笠原道大も、統一球の導入と言う環境変化によって一気に成績を下落させた。
2011年は2000本安打を記録した記念すべき年にはなったが、この年、小笠原はかつてないスランプに陥り、以後、浮上することがなかった。
FAで移籍した球団では、選手は好成績を上げている限りはスターでいることができるが、期待を裏切れば、その瞬間から不良債権に化する。NPBトップクラスの年俸を得ていた小笠原の場合、毀誉褒貶の落差は大きかった。
以後3年、小笠原は苦難の道を歩んだ。
しかし、小笠原は低迷しながらも、フルスイングと言う自分のスタイルを変えなかった。変えることができなかったのかもしれないが、その打席は打てなくとも満々たる闘志を湛えていた。
その姿は、孤愁を帯びてはいたが、見方によっては美しい、ともいえた。


③ 復活
今年、小笠原は巨人をFAとなり中日に移籍した。多分に温情的な措置ではあったが、落合博満GMは、まだ利用価値があると判断したのだ。
果たして小笠原は、中日の代打の切り札となった。
たびたび殊勲打を放ち、相手投手から恐れられる打者になった。
一打席一打席に魂を込めてきた小笠原にとって、代打は格好の役どころだったのかもしれない。
統一球の改変も追い風になったと思われる。
今、小笠原の名前がコールされると、スタンドからは大きな拍手が起こる。
ファンは小笠原の復活を喜んでいるのだ。
40歳を越えた小笠原に全盛期の活躍を期待するのは酷だろうが、長い低迷期を経て小笠原は、今、自らの野球人生の最終章を綴ろうとしている。フィニッシュは印象深いものになりそうだ。
私たちは「裂帛のフルスイング」を目に焼き付けておくべきである。
榎本喜八がそうなったように、「俺は小笠原のスイングをこの目で見た」ということが、歴史の証言になるときが必ず来ると思われる。

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。「小笠原道大」について「他の選手」についてぜひ、コメントをお寄せください!
↓
↓
あいつは言うこときかんかった 村山実
好評発売中。アマゾンでも!


クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。仰木彬、本塁打大全

『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。


広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。



① 裂帛の気迫
イチローのバットがウィザード(魔法の杖)だとすれば、小笠原のバットは銘刀だ。
打席に立つや投手を凝視し、顎を肩にうずめ、思い切り長く持ったバットを斜め前にぴたっと構える。刀を正眼に構えるサムライに見えてくる。「チャッ」と刀のつばが鳴る音が聞こえてきそうだ。
そして、小笠原は裂帛の気迫でバットを振る。旋回域いっぱいに風塵が巻き起っているように思える。
バットの真芯でとらえられたボールは、すさまじいライナーとなって野手の間を抜けたり、スタンドへ突き刺さったりするのだ。
「一打席、一打席、決して後悔すまい」と決意しているかのような、その潔さ。野手のいない所へ打とうとか、つなごうとか、小さな思惑はみじんも感じられない。
常に全力でボールの芯を打ち抜こうという強い決意がみなぎっている。
小笠原の体躯は、ONとほぼ同じサイズ。昭和の時代であったなら「大型選手」と言われただろうが、平成のプロ野球界では小柄の部類に属する。
小さな打者が大振りするのは、日本野球では「邪道」になるはずだが、小笠原はそういう既成概念をも裂帛の気迫で打ち破っている。
先日、榎本喜八の動画を見る機会があったが、バットの旋回域の広さ、気迫のフルスイングなど、その打撃は、小笠原とよく似ていた。
榎本喜八も、172cm71kgの小さな体で、自分の打撃を追い求めた。小笠原は榎本の衣鉢を継ぐ打者だったのではないか。
② 滅びの美学
今週発行の「週刊ポスト」でもふれているが、左打者、とりわけ右投げ左打ちの打者には長距離打者が少ない。
多くは右打ちからの転向であり、パワーを伝えるために利き腕を使うことができないからだとされる。
しかし、小笠原は、松井秀喜、掛布雅之と並んで例外的な長距離打者になった(本来は中距離打者だろうが)。
これは「長打を打つ」という強い意志を貫いたからだ。そしておそらく技術的には一つの打撃フォームを磨き上げ、完成形へと高めたからだと思う。
強打者小笠原道大は天性のものではなく、努力で作られたのだと思う。
しかしそうした「作られた打撃フォーム」は、環境が変わるともろくも崩れ去ることが多い。
私は左打者の多くが突然打撃不振に陥るのは、そういうことだと理解している。
小笠原道大も、統一球の導入と言う環境変化によって一気に成績を下落させた。
2011年は2000本安打を記録した記念すべき年にはなったが、この年、小笠原はかつてないスランプに陥り、以後、浮上することがなかった。
FAで移籍した球団では、選手は好成績を上げている限りはスターでいることができるが、期待を裏切れば、その瞬間から不良債権に化する。NPBトップクラスの年俸を得ていた小笠原の場合、毀誉褒貶の落差は大きかった。
以後3年、小笠原は苦難の道を歩んだ。
しかし、小笠原は低迷しながらも、フルスイングと言う自分のスタイルを変えなかった。変えることができなかったのかもしれないが、その打席は打てなくとも満々たる闘志を湛えていた。
その姿は、孤愁を帯びてはいたが、見方によっては美しい、ともいえた。
③ 復活
今年、小笠原は巨人をFAとなり中日に移籍した。多分に温情的な措置ではあったが、落合博満GMは、まだ利用価値があると判断したのだ。
果たして小笠原は、中日の代打の切り札となった。
たびたび殊勲打を放ち、相手投手から恐れられる打者になった。
一打席一打席に魂を込めてきた小笠原にとって、代打は格好の役どころだったのかもしれない。
統一球の改変も追い風になったと思われる。
今、小笠原の名前がコールされると、スタンドからは大きな拍手が起こる。
ファンは小笠原の復活を喜んでいるのだ。
40歳を越えた小笠原に全盛期の活躍を期待するのは酷だろうが、長い低迷期を経て小笠原は、今、自らの野球人生の最終章を綴ろうとしている。フィニッシュは印象深いものになりそうだ。
私たちは「裂帛のフルスイング」を目に焼き付けておくべきである。
榎本喜八がそうなったように、「俺は小笠原のスイングをこの目で見た」ということが、歴史の証言になるときが必ず来ると思われる。

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。「小笠原道大」について「他の選手」についてぜひ、コメントをお寄せください!
↓
↓
あいつは言うこときかんかった 村山実
好評発売中。アマゾンでも!
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。仰木彬、本塁打大全

『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。
広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。
コメント
コメント一覧
台頭してきた選手なので後から知った事が多いのですが・・・
小笠原は先日記事に上がった門田と共通点が非常に多いんですね。
2人とも高校ではHRがゼロ。
卒業後実業団に進む。
(高校の先生にかなり「盛った」紹介状を書いてもらったとか・・・?)
パリーグ入団。常にフルスイング。
家族を優先し移籍(小笠原は最初は北海道でプレーし優勝を置き土産に、ですが)。
現役最晩年に小笠原と共にプレーした落合が
「体も全然プロの体じゃないし他も足りないのばっかだったんだけど
あいつは当時から全ての球をフルスイングしてた。
これができる選手がプロ全体でどれだけいるか?」
と語っていたのが非常に印象的です。
あと、日ハムファンの先輩がFA時に
「ガッツはやや勝負弱い面があったので心配だ」
と言っていたのですが、それも世間の注目に晒される巨人に
あえて身を置くことでクリアし、スケールアップしたように見えました。
村田は見習ってほしいですね。
全盛期は3割30本を毎年達成するのが当たり前のような、ものすごい打者だったように記憶しています。統一球のせいか、その時代がたまたま落ち目と被ってしまったのかは分かりかねますが、頑張って欲しい選手の一人です。
凄まじいピッチングを披露した松坂に対しただ一人タイミングを合わせ初ヒットを、さらに次の打席で初失点となるホームランを放った小笠原という打者が憎たらしくて堪らなかったのをよく覚えています。
そんなこんなで複雑な感情を持っていたのですが、日本ハムが北海道にやって来て突然自分の地元球団となってからはこれ以上ないほど頼もしい存在になりましたが・・・
巨人に行ってからは横浜戦以外で彼を見ることはなくなりましたが、
故木村拓也さんの亡くなった日の試合で甲子園で生涯初のホームランを放ったことはよく覚えています。
木村氏関連では谷の追悼試合満塁弾がよく語られますが、小笠原のホームランも多分に劇的で見事なものだったと思います
侍のようにバットを構え常にフルスイングをする姿を見て、こんな選手がいるのかと驚いたのを今でも覚えている。
数年前のインタビューで「今までやってないことは出来ない、今までやってきたことを出来ることをやる。それをどれだけ出来るかだと思う。」と言っていたのが練習を大事にする小笠原選手らしいと思った。
全盛期のように3割30本を期待するのはもう難しいかもしれない。しかし潔く現役を退く道もある中で中日に移籍し、代打が中心だが、今でも打席に立てば鋭い眼光でピッチャーを見て、泥臭く球に食らいついてフルスイングしている。
小笠原選手がいなければ野球を好きになることはなかったかもしれない。たとえボロボロになっても最後の最後まで応援したいと思う。