意外に思われるかもしれない。張本勲は比類なき打者であり、“役者”だった。私はそれを高く評価している。
キャリアSTATS

① 芯を打ち抜く
名前がコールされると、張本は左打席に立ち、右手を投手のほうに突き出して「ちょっと待て」という合図を送り、足元を踏み固めるような動作を何度かする。
足の位置が決まると、軽く膝を曲げ(後年、本人はこれを「汚い話だけども、立小便をするような感覚」と言っている)、バットを構える。
バットは肩よりもはるかに高く掲げるが、顎を肩に埋めたりはしない。やや斜め後ろに傾いたバットは、ゆっくりと揺れている。
投手が好球を投げてくると、張本はテイクバックを一切取らずに、構えた位置からまっすぐバットを振り下ろす。
バットは最短距離でボールに当たる。ボールは一瞬バットに貼りついたかのように見えたのちに、すさまじいスピードで野手のいない空間に飛んでいくのだ。
張本の打球は基本的にライナー。本塁打も滞空時間の短い直線的な当たりが多かった。
いろいろな打者を見ているが、張本のような打撃をした打者は他に一人もいなかった。
テイクバックを取らないというのは、構えてから狙いをつける必要がないということだ。すでに張本の眼には、投手の投じる球の道筋が視覚的に映っていて、そこにバットを振り下ろすだけで安打は自然に生まれてくるかのようだった。
打席の張本は自信満々。「まかんさんかい」という精気にあふれていた。
コントロールが悪い投手と対するときは、2ボール、3ボールになると、構えているバットを下して、ステッキのように衝いてボールを見送ることがあった。
「どうせ、お前さんの球はストライクにはならないだろ」とせせら笑っているようだった。役者だった。
同じような球を同じように振りぬいても、張本の打球はスライスしなかったのでファウルが少ないように思えた。それだけ高い精度でスイングしていたのだろう。
イチローと同じように外角でも内角でも、速球でも変化球でも見事にタイミングが合った。
あんなにゆったりした構えから、どうして機敏に対応できるのか、と思った。抜群に動体視力がよかったのだろう。この点、小笠原道大が少し近いのかもしれない。
安打製造機という印象が強い打者だが、張本は野村克也の最大のライバルであり、屈指の長距離打者だった。
野村と張本がパリーグに在籍した時期の打撃3タイトル争いを見れば明らかである。

さらに言えば、張本は塁に出ると油断も隙もない走者だった。足が速いとは思えなかったが、投手の癖を盗むのがうまく、意外なタイミングで走った。
これだけのスラッガーなのに、319盗塁。そのスピード感は長嶋茂雄に匹敵する。
投手は張本が塁に出ると、プレッシャーを感じたと思う。しつこい牽制球をすることがよくあった。張本は、にたにたしながら、帰塁していた。


② あの守備
張本はDH制度が導入された翌年にセリーグに移籍している。まるでDHに押し込められるのが嫌だったようだが、実際のところ、守備は実にお粗末だった。
左翼のボールが飛ぶと、張本は左腕を少しまわしながら「おーらいおーらい」という感じで落下点に近づく。しかし、その動きは自信なさげだった。
「おい、だれか代わりにとってくれよ」と言わんばかりにあたりを見渡しつつ近づいて、やっとこさでグラブに収めるのだ。
最近、テキサス・レンジャーズの秋信守の守備がお粗末になったといわれるが、その自信なさげなボールの追い方はどことなく張本に似ている気もする。
ゴロが飛んでくると、いっそう取り乱す。
「浮足立つ」とはこういうことだろう。ばくち打ちが警察に踏み込まれて、あわてて札を隠すように、ボールを何とか止めようとするのだが、私の印象では2回に1回はジャッグルした。
張本の周囲にはセンターやショートが駆けつけて、フォローしようとする。
指に障害があったために、スローイングはさらにお粗末。身近な野手に送球するのが精いっぱいだった(とはいっても、最晩年の金本のように“四十肩”で、まともに投げられなかったわけではない)。
自信満々の打撃と、まったく自信がない守備。そのコントラストの激しさも、張本勲の魅力だと言ってはほめすぎか。
③ 喝!
TBSの「サンデー・モーニング」に大沢啓二とともに「ご意見番」として出演して「喝!」「あっぱれ!」とやり出したのは、2000年ころからだという。
二人のコンビの時は、張本が舌鋒鋭く攻撃をし、大沢が「そういうけど、やつもよくやってるんだよ」的なフォローをするというパターンだった。
当時から張本は打撃だけでなく、まずい守備にも手厳しかった。張本、大沢ともにパリーグの外野手だったが、鉄砲肩で知られた守備の名手大沢が言うのならともかく、張本が守備について言及するのは笑止千万、という感じがした。
大沢が2010年に急逝すると、このコーナーは張本とゲスト解説者の二人でやるようになった。
ゲスト解説者は遠慮がちになるから、フォローも少なく、今は張本の言いたい放題になっている感がある。
大リーグや選手会に批判的で、巨人、読売サイド寄りの意見をよく言う。ということは守旧派なのだろう。
王貞治、長嶋茂雄の「代理人」みたいなことを言うこともある。張本は実績では長嶋を上回り、王に比肩する存在だが、妙にへりくだっている。
「育ててやった恩を忘れて大リーグに行くとは」と良く口にする。この点、野村克也と似ている。
あの世代の野球人の共通の認識かもしれない。
そういう言葉を聞くと、憎たらしいおやじだと思うが、旗幟鮮明で、だれにも遠慮せず直言している点は悪くないと思う。
最近は「サッカーの話はもういい!」と言った。日韓ともにダメだったからなあ。
短期的なコーチはしたことがあるが、指導者の道を選ばず、引退後は開設者一筋。同時にKBOの設立には大きな役割を果たしたという。
張本勲は「独立不羈」の人なのだろう。野球界の今後の発展に寄与するとは思えないが、その稀代のバッティングは称えられるべきだ。
当時の張本を目の当たりにした人は、「俺は張本の打撃を生で見た」と自慢してもよいと思う。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。これは注目!金田正一は誰に本塁打を打たれたか?
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。「野村克也」「他の選手」について、ぜひコメントもお寄せください!
↓
↓
ウィウィ、ええで、ええで 吉田義男
好評発売中。アマゾンでも!


『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。


広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。



① 芯を打ち抜く
名前がコールされると、張本は左打席に立ち、右手を投手のほうに突き出して「ちょっと待て」という合図を送り、足元を踏み固めるような動作を何度かする。
足の位置が決まると、軽く膝を曲げ(後年、本人はこれを「汚い話だけども、立小便をするような感覚」と言っている)、バットを構える。
バットは肩よりもはるかに高く掲げるが、顎を肩に埋めたりはしない。やや斜め後ろに傾いたバットは、ゆっくりと揺れている。
投手が好球を投げてくると、張本はテイクバックを一切取らずに、構えた位置からまっすぐバットを振り下ろす。
バットは最短距離でボールに当たる。ボールは一瞬バットに貼りついたかのように見えたのちに、すさまじいスピードで野手のいない空間に飛んでいくのだ。
張本の打球は基本的にライナー。本塁打も滞空時間の短い直線的な当たりが多かった。
いろいろな打者を見ているが、張本のような打撃をした打者は他に一人もいなかった。
テイクバックを取らないというのは、構えてから狙いをつける必要がないということだ。すでに張本の眼には、投手の投じる球の道筋が視覚的に映っていて、そこにバットを振り下ろすだけで安打は自然に生まれてくるかのようだった。
打席の張本は自信満々。「まかんさんかい」という精気にあふれていた。
コントロールが悪い投手と対するときは、2ボール、3ボールになると、構えているバットを下して、ステッキのように衝いてボールを見送ることがあった。
「どうせ、お前さんの球はストライクにはならないだろ」とせせら笑っているようだった。役者だった。
同じような球を同じように振りぬいても、張本の打球はスライスしなかったのでファウルが少ないように思えた。それだけ高い精度でスイングしていたのだろう。
イチローと同じように外角でも内角でも、速球でも変化球でも見事にタイミングが合った。
あんなにゆったりした構えから、どうして機敏に対応できるのか、と思った。抜群に動体視力がよかったのだろう。この点、小笠原道大が少し近いのかもしれない。
安打製造機という印象が強い打者だが、張本は野村克也の最大のライバルであり、屈指の長距離打者だった。
野村と張本がパリーグに在籍した時期の打撃3タイトル争いを見れば明らかである。

さらに言えば、張本は塁に出ると油断も隙もない走者だった。足が速いとは思えなかったが、投手の癖を盗むのがうまく、意外なタイミングで走った。
これだけのスラッガーなのに、319盗塁。そのスピード感は長嶋茂雄に匹敵する。
投手は張本が塁に出ると、プレッシャーを感じたと思う。しつこい牽制球をすることがよくあった。張本は、にたにたしながら、帰塁していた。
② あの守備
張本はDH制度が導入された翌年にセリーグに移籍している。まるでDHに押し込められるのが嫌だったようだが、実際のところ、守備は実にお粗末だった。
左翼のボールが飛ぶと、張本は左腕を少しまわしながら「おーらいおーらい」という感じで落下点に近づく。しかし、その動きは自信なさげだった。
「おい、だれか代わりにとってくれよ」と言わんばかりにあたりを見渡しつつ近づいて、やっとこさでグラブに収めるのだ。
最近、テキサス・レンジャーズの秋信守の守備がお粗末になったといわれるが、その自信なさげなボールの追い方はどことなく張本に似ている気もする。
ゴロが飛んでくると、いっそう取り乱す。
「浮足立つ」とはこういうことだろう。ばくち打ちが警察に踏み込まれて、あわてて札を隠すように、ボールを何とか止めようとするのだが、私の印象では2回に1回はジャッグルした。
張本の周囲にはセンターやショートが駆けつけて、フォローしようとする。
指に障害があったために、スローイングはさらにお粗末。身近な野手に送球するのが精いっぱいだった(とはいっても、最晩年の金本のように“四十肩”で、まともに投げられなかったわけではない)。
自信満々の打撃と、まったく自信がない守備。そのコントラストの激しさも、張本勲の魅力だと言ってはほめすぎか。
③ 喝!
TBSの「サンデー・モーニング」に大沢啓二とともに「ご意見番」として出演して「喝!」「あっぱれ!」とやり出したのは、2000年ころからだという。
二人のコンビの時は、張本が舌鋒鋭く攻撃をし、大沢が「そういうけど、やつもよくやってるんだよ」的なフォローをするというパターンだった。
当時から張本は打撃だけでなく、まずい守備にも手厳しかった。張本、大沢ともにパリーグの外野手だったが、鉄砲肩で知られた守備の名手大沢が言うのならともかく、張本が守備について言及するのは笑止千万、という感じがした。
大沢が2010年に急逝すると、このコーナーは張本とゲスト解説者の二人でやるようになった。
ゲスト解説者は遠慮がちになるから、フォローも少なく、今は張本の言いたい放題になっている感がある。
大リーグや選手会に批判的で、巨人、読売サイド寄りの意見をよく言う。ということは守旧派なのだろう。
王貞治、長嶋茂雄の「代理人」みたいなことを言うこともある。張本は実績では長嶋を上回り、王に比肩する存在だが、妙にへりくだっている。
「育ててやった恩を忘れて大リーグに行くとは」と良く口にする。この点、野村克也と似ている。
あの世代の野球人の共通の認識かもしれない。
そういう言葉を聞くと、憎たらしいおやじだと思うが、旗幟鮮明で、だれにも遠慮せず直言している点は悪くないと思う。
最近は「サッカーの話はもういい!」と言った。日韓ともにダメだったからなあ。
短期的なコーチはしたことがあるが、指導者の道を選ばず、引退後は開設者一筋。同時にKBOの設立には大きな役割を果たしたという。
張本勲は「独立不羈」の人なのだろう。野球界の今後の発展に寄与するとは思えないが、その稀代のバッティングは称えられるべきだ。
当時の張本を目の当たりにした人は、「俺は張本の打撃を生で見た」と自慢してもよいと思う。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。これは注目!金田正一は誰に本塁打を打たれたか?

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。「野村克也」「他の選手」について、ぜひコメントもお寄せください!
↓
↓
ウィウィ、ええで、ええで 吉田義男
好評発売中。アマゾンでも!
『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。
広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。
コメント
コメント一覧
素人眼に見ても他の選手とは明らかに異なる打ち方で、
ボールを打つというより、腕と一体化したバットでボールを払うようなバッティングが眼に焼き付きました。
当時はすでに暴れん坊のイメージは薄れていましたが、乱闘シーンではいつもヘルメットをかぶって輪の中心に陣取り、なぜかとても楽しそうでした。
最近は批判を受けることが多い張本さんですが、サービス精神の旺盛な彼のこと、キャラクターに徹している面もあるのではないかなあなどと、贔屓目で観ております。
確か張本さんは、もともとは右利き(右投げ)だったはずです。
例の指の負傷のため、左で投げるようになった……と、何かで読んだ憶えがあります。
なので、「指に障害があったために、スローイングはさらにお粗末」というより、「指に障害のせいで本来の利き腕で投げられなかったため、スローイングはお粗末」といった表現の方が適切ではないかと。
近年のOB戦(巨人阪神戦か何か)では、グラブを左にはめて(つまり、右利き用のグラブ)で出場されていました。
わたしもジャイアンツに移籍してから張本さんを見るようになったクチですが、テイクバックを取らない(というか、始動と同時にバットが水平に倒れる)あのフォームは本当に独特で、強烈に印象に残っています。
あんなスイングをするバッターは他に見たことがありません……が、強いて挙げれば、始動の雰囲気は、カープの丸選手が若干似ている気もします。
王選手の一本足打法同様あの独特の広いスタンスから予備動作なしで繰り出される打法をよく真似していました。
イチローと最高のバッター(最強はやはり王貞治)を競う唯一無二の存在だと思います。
そして木樽、成田から二本のホームラン。右翼ポールを直撃した打球は特に見事でした。確か5打数4安打とかではなかったか。試合は日拓が勝って、南海の優勝決定。
おそらく閑古鳥の鳴く球場で変なユニフォームを着せられていた張本にとって、最高の舞台だったのでしょう。
あの試合では後に人気者になる露崎主審のパフォーマンスの誕生シーンもあり、記憶に残るゲームです。
やはり、野球は観客が創るという部分も間違いなくありますね。
上記の表で年齢を確認すれば40歳だったとは。
キャンプでは当時レオン、レロンのリーブラザーズがいましたが、彼らと飛距離は変わらず柵越えを連発していました。今思えばアッパレ!
氏の著書には、左投げに転じたのは浪商時代に上級生の打撃投手をしたところ、何百球も投げたため右肩を痛め右で投げられず左投げに転向した、と読んだのを記憶している。
しかしさぶろうさんのコメントだと野球を始めたころには既に左投げだった、ということでしょうか。(小学校までは草野球で、本格的にやり始めたのは中学生だったと思う)段原中学時代の集合写真では左投げのグローブをはめており、浪商時代の話は??と思ってしまう。
確かに2008年NHK-BS「私が子どもだったころ 張本勲 熱い手」が放送された時、色紙には右手でサインしていました。
元々左利きで字を書く時と箸は右手、となったのでしょうか。
このNHKの放送の2年前あたりから、自身の被爆体験などをメディアに話すようになりました。8.15に「徹子の部屋」に出演したことも。
来年で広島長崎の原爆投下・敗戦から70年になる。
戦前生まれのプロ野球選手で戦争体験を語る人が少なくなってきた。
NPBや名球界、OBクラブなどは来年彼ら自身の体験談を載せた本を出してはどうだろうか。
戦時下での野球体験や暮し、空襲経験、疎開生活、原爆、玉音放送、敗戦直後の野球…。地域が違う20人がいたら20通りの体験がある。
昭和一ケタでも関根潤三と金田正一・広岡達朗では違う。
昭和二ケタでも野村克也・古葉竹識と王貞治・米田哲也では違う。
当然、張本勲も違う。