一昨日の東京ドーム。小さな女性がマウンドへ上がった。泉ピン子かと思ったら澤村榮治の娘さんだそうだ。水原茂の長男、そして南温平、国松彰、伊藤芳明、城之内邦雄、末次利光、吉村禎章、元木大介、70数年になんなんとする巨人の歴史を彩ったユニフォームを着たOB、縁者が揃った。
ユニフォームの復刻には、綱島理友さんが活躍したことだろう。
私は巨人ファンだったことは生涯一瞬もないが、こういう形で歴史をリスペクトするイベントは、巨人が一番手厚い。それは認めなければいけない。
身売りをしたり、合併したチームは、こうしたイベントは難しいだろう(できないことはないが)。


マウンドに並び、バックスクリーンの方を向いたOBたちが揃って後ろを向く瞬間があった。レジェンドたちが来し方を振り返ったように見えてはっ、とした。美しいと思った。
南温平は、私の亡父と同い年。もう父の世代はレジェンドなのだ。参考 南温平氏はまだご存命か?
金田正一と長嶋茂雄の一打席対決。
金田は長嶋よりも背が高かったはずだが今は長嶋よりも小さい。背が曲がり縮んでしまった。
長嶋は人に支えられて階段を上る。ただ口は思ったよりも軽そうだ。
80歳の金田はいたずらっ子のような表情でマウンドに上がる。のっしのっしと手を振るしぐさは昔のままだ。
長嶋茂雄は右手をポケットに入れて、上着だけユニフォームを着て右打席に。
金田はマウンドの前から山なりのボール。ワンバウンド、2球目もワンバウンドだが空振り、3球目は長嶋がハエでも追うようにバットを振って金田の右に打ち返す。坂本が拾う。
他愛無いセレモニーではあった。
しかし、二人の現役時代を知っている私には「歳月」を感じる感慨深いイベントだった。


こうした催しは、多くの若いファンにとっては「早く終わってほしい」退屈なイベントだったかもしれない。
しかし、プロ野球というスポーツの魅力は、「歴史が積み重なっていく」ことにある。
今、目の前で行われているゲームと、10年、20年、半世紀、70年以上前のゲームが、プレイヤーが、切れ目のない一枚の年表の中に織り込まれている。
今、スター選手たちにあこがれのまなざしを向け、声援を送っているのと同じ熱情が、当時の選手たちにも注がれていたのだ。
そういう意味では、選手や球団だけでなく、ファンも「ファンの歴史」を紡いできた。
オールドタイマーズデーは、そうした歴史を確認するための機会でもあるのだ。
残念ながら、日本では「元プロ野球選手」は、あまり尊敬されていない。私の親族の一人も元プロ野球選手の縁戚に連なっているが、その人自身が元プロ選手だったことを口にすることは殆どない。むしろ隠そうとしている節がある。
先日の「昭和かるた原画展」の記念トークショーで向井万起男先生は、「アメリカには大選手の名前を冠した通りや学校がたくさんあるが、日本では考えられない」という話をされた。


日本はアメリカよりもはるかに長い歴史を有しているから、顕彰すべき文物も多い。
20世紀に入って生まれたプロ野球など、それらに比べれば何ほどのものでもないという意識も日本人の根底にあるかもしれない。
また、昔、職業野球の地位が低かったことも影響しているかもしれない。

しかし、野球というスポーツの大きな魅力の一つが「歴史」であることを考えれば、もっと元野球選手たちは尊敬されてよいはずだ。元プロ野球選手であることが、ステイタスになるべきだと思う。
この日は多くの球場でOB対決などの催しがもたれた。
今の若いファンが、昔の野球選手の小さなユニフォーム姿を「格好いい」と思い、現役選手同様に尊敬するようになるとき、「野球文化」は好事家のものだけでなく、野球ファンすべてのものになると思う。
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金田正一と長嶋茂雄の一打席対決。
金田は長嶋よりも背が高かったはずだが今は長嶋よりも小さい。背が曲がり縮んでしまった。
長嶋は人に支えられて階段を上る。ただ口は思ったよりも軽そうだ。
80歳の金田はいたずらっ子のような表情でマウンドに上がる。のっしのっしと手を振るしぐさは昔のままだ。
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金田はマウンドの前から山なりのボール。ワンバウンド、2球目もワンバウンドだが空振り、3球目は長嶋がハエでも追うようにバットを振って金田の右に打ち返す。坂本が拾う。
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しかし、二人の現役時代を知っている私には「歳月」を感じる感慨深いイベントだった。
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今、スター選手たちにあこがれのまなざしを向け、声援を送っているのと同じ熱情が、当時の選手たちにも注がれていたのだ。
そういう意味では、選手や球団だけでなく、ファンも「ファンの歴史」を紡いできた。
オールドタイマーズデーは、そうした歴史を確認するための機会でもあるのだ。
残念ながら、日本では「元プロ野球選手」は、あまり尊敬されていない。私の親族の一人も元プロ野球選手の縁戚に連なっているが、その人自身が元プロ選手だったことを口にすることは殆どない。むしろ隠そうとしている節がある。
先日の「昭和かるた原画展」の記念トークショーで向井万起男先生は、「アメリカには大選手の名前を冠した通りや学校がたくさんあるが、日本では考えられない」という話をされた。
日本はアメリカよりもはるかに長い歴史を有しているから、顕彰すべき文物も多い。
20世紀に入って生まれたプロ野球など、それらに比べれば何ほどのものでもないという意識も日本人の根底にあるかもしれない。
また、昔、職業野球の地位が低かったことも影響しているかもしれない。

しかし、野球というスポーツの大きな魅力の一つが「歴史」であることを考えれば、もっと元野球選手たちは尊敬されてよいはずだ。元プロ野球選手であることが、ステイタスになるべきだと思う。
この日は多くの球場でOB対決などの催しがもたれた。
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コメント
コメント一覧
過去の歴史を軽視、ではなく無関心な球団でしょうね。
(ファンも興味無いのかもしれませんが)
この手のイベントは巨人以外は横浜、オリ、西武など比較的
新しい球団が熱心で、巨人に次ぐ歴史のある球団が
ほぼ無関心というのが残念です。
確かに阪神も中日もレジェンド級の選手が球団とケンカ別れすることが
しばしばあったりしたのは事実ですが、もうその頃のフロントの人も
死んでるでしょうしもういいのではないかと。
中日は知りませんが、阪神には甲子園記念館ができましたし、それは言い過ぎ。
以下は私の印象です。
引退した選手とは逆の立場、いわば「これからプロを目指す有望株」の人たち(中学野球のセンス溢れる少年、強豪高校野球部のレギュラーetc)には、その父母も含めて「すげえな!」という羨望のまなざしが注がれます。
ですが引退も含めてその線路から脱線してしまった人たちの立場は異様に低いです。周りは落ちこぼれと言う目で見ますし、本人も往時の自信と活力を大きく失っているように見えました。六大学等に進学して野球部の名で一流企業に入ったり、引退後も解説業や家業を継げる一部の人以外の扱いは悪いと思います。
「議員は落選すればただの人」と言いますが、そういう「勢いがある時だけチヤホヤして後は知らんぷり」という考え方を、プロにまで進んだ野球選手に適用してほしくはありませんね。
勢いがある選手を一斉に持ち上げるが落ち目になってくると手のひらを返したように突き放す、場合によっては叩く側に回るというのは、何だか当然の行為のようになっていますね。それと野球に限った話ではないけど、日本人は外国人から評価されないとその人物の価値を理解しようとしないといった傾向もあるのかも。
何にしろ、そういった扱いのままだと優秀な人材が入ってこなくなるというのが最大の問題なんでしょうね。
移民をルーツとする地名や通称を“自国の歴史”で埋めていく過程なのかもしれません。
むしろ、現役時代にそれほどの成功を収めなかった人の方が、スパッと第二の人生に切り替えができ、生き生きしているように感じられる事もある(もちろん、現役時代への忸怩たる思いは一生消えないようですが)。
実態とは不釣り合いなほど大きな名前を背負った時、人はどうするか。
ひとつは、敢えて自らその名前を汚し、矮小化することです。引退後に破滅型の人生を送ったり、犯罪行為に走ったり、自殺したりするパターン。
もうひとつは、その名前に見合うように、実態の方を膨らませることです。例えば、議員を目指すパターンですね。江本孟紀、石井浩郎、堀内恒夫は実際に議員になりましたし、中畑清など、落選したも立候補者も沢山います。
先日のヤンキースタジアムでのオールドタイマーズデーで驚いたのが、松井秀喜がかなりの声援を受けていたことです。実績的には居並ぶレジェンド達の中でそれほど目立つものではないのに、あれだけ声援があったのは、まだ引退してから日が浅く、スタジアムの観客の中に松井のプレイを覚えている人が多かったからでしょう。
それからESPNなどあちらのスポーツメディアの解説者の顔ぶれを見ると、引退後間もない、フレッシュな元選手が非常に多い。張本や金田のような老境の人物が、現役のコメンテーターとして用いられることはまず見ません。
監督・コーチへの登用についても、恐らく日本よりも平均年齢はだいぶ若いでしょう。
つまりアメリカは日本以上に「若者社会」であり、老人が現役でバリバリ働くことは少ない。セレモニーになると呼び出されますが、彼らに定常的な雇用が与えられることはまずない。
MLBの手厚い年金を考えると、働く必要もないのかも知れません。でも僕は、レジェンド達が頻繁に地上に降りてきて、我々の「イジり」の対象になってくれる(金田のように)日本にも、いい部分があると思っています。
たとえば川上哲治が亡くなった時、彼の現役時代を知らない世代でも、その死を身近なものとして感じ、悼むことは十分に可能でした。
でも手厚い年金があるから、老残の姿は見せなくて済むのではないでしょうか。
色々なご意見があるようなので、この点だけ一言、言わせてください。
>向井万起男先生は、「アメリカには大選手の名前を冠した通りや学校がたくさんあるが、日本では考えられない」という話をされた。
この点については、数年前に書いていたブログで記事にしたことがありました。そこで頂いたコメントの中に、興味深いものがありました。
欧米は、相手の名前を呼ぶ社会であるのに対して、日本は、特に目上の人に対しては名前を呼んではいけない社会であることが関係しているのではないか、というものでした。
日本では、組織人であれば目上に対しては「主任」「課長」「部長」などと肩書でよぶことが多いのですが、このような習慣は儒教社会に広く見られる文化で、日本だけではなく、元は中国から来た習慣なのだと言えます。
米国と違い、歴史的にははるかに長い欧州でも、スタジアムやそのスタンド、あるいは通りの名前などにサッカー選手や監督、あるいはクラブの創設者などの名前が冠される例がたくさんあるのですが、日本ではスタジアムはもちろん、通りの名や町の名に個人名を冠することが少ないのはそういう文化的な背景もあるのではないか、と思った次第です。
ナゴヤドームには一応、ドラゴンズミュージアムがあります。
http://dragons.jp/nagoyadome/facilities/dragonsmuseum.html
トークショーの後、「長嶋茂雄記念高校」は、賢そうに思えないね、という笑いばなしも出ました。文化の差は確かにあるでしょう。
でも「人見絹枝杯」などはあるようですが。
欧米では現場で稼ぐだけ稼いだら、後は悠々自適という考えがあるようですよね。その考えは日本人でも渡米した選手には現れていて野茂や城島がそんな感じです。サッカーで言ったら中田とか。イチローも引退したらそんな感じになりそうです。そういう自由な状態からたまにどんな分野かに関わらずイベントに呼ばれ敬意を示される。それがリスペクトのあり方だと思います。
あちらでは、宝くじに当選するとみんな即刻仕事を辞めるんですよね。日本との労働観の違いというのも、引退後のあり方の違いに反映されているのかも知れません。
中田英寿も彼なりに色んな活動をしているのですが、いまだに「なんか楽をしてる」「サボってる」「現場に出て指導者として働くべき」と考えている人も相当数いるかと思います。
bunchousannさんが仰るように、日本の文化習慣と「個人名のついた通り・学校」はあまり馴染まない気がします。それに日本の地先表記は、ストリートベースではなく街区ベースなので、ストリート名にはあまり重要性がない。「国道〇号」で十分に事足りるわけです。
学校についても、引退後に問題を起こした場合に困りそうです。日本のメディアは公人の倫理観にうるさいですし、野球ファンも「罪は罪、功績は功績」と割り切れるタイプの人はむしろ少数派でしょう。
ただ、球場や球場施設への命名は大いに賛同できます。スタルヒン球場は画期的な例でしたし、野球選手にとって球場に名前が付くというのは、最大級の名誉でしょう。
大洋でも活躍したポンセは長距離トラックの運転手をしながらやはり少年野球の指導をしているそうですが、大半がマイナー暮らしだった場合はなかなか悠々自適とはいかないようですね。