システムを変えるだけで済むなら、高校野球改革はもう答えが出ている。
酷暑の時期に選手、とりわけ投手に過大な負担を与える現在の「甲子園」を抜本的に改革する、それによって「甲子園」のひな形である地方大会をも変えてしまう。
それに尽きるのだ。
投手は「100球に達したら次の打者に投げることはできない」「100球以上投げた投手は、中3日以上開けなければならない、60球以上投げた投手は連投できない」と決める。
大会については、開催時期を盛夏から9~10月に変えて、週末ごとの開催とする。1チームが連戦するような日程は組まない。
より抜本的には、トーナメントをやめて、地方予選も含めてリーグ戦にする。リーグ分けは大変だろうが、几帳面な日本人には不可能ではない。
甲子園はファーストラウンド、セカンドラウンドをへて決勝ラウンド、みたいな感じか。
当サイトにもいろいろご意見が寄せられているが、具体的な方策は、すでに提示されていると言って良い。
「甲子園」を変えることで、地方の高校野球もガラッと変わるはずだ。
しかし、こうした案を真剣に受け入れようとする関係者はいないはずだ。
彼らはこういうだろう。
「そう言う改革をしたら、もはや高校野球ではなくなってしまう」。
結局、「甲子園」を頂点とする高校野球は「過酷さ」も含めて一つの「完成された野球文化」になっているのだろう。
先日、広島で「野球太郎」副編集長の菊地選手さんとご一緒したが、数ある「野球太郎」のムックの中で一番売れるのは高校野球特集だと言う。
また野球の総合サイトである「ベースボールドットコム」の担当者に聞いても、プロから独立リーグ、女子野球まである幅広い同サイトの中で圧倒的に大きなPVがあるのは「高校野球ドットコム」である。
オールスターゲームの項で述べたが、プロ野球中継はすでに地上波では「オワコン」になっているが、高校野球はそうではない。
朝日放送、毎日放送など民放系は近年、甲子園の中継を減らしている。視聴率が漸減しているのだろうが、同時にNHKとの競合の不利を考えたのだろう。またローカルでは放送しても全国ネットでは配信しなくなった試合も多い。
しかし決勝戦など主要な試合はノーカットで放送するし、深夜などに特別番組も放送する。
プロ野球の「華」であるオールスターゲームの中継が、試合途中で打ち切られるのに対し、高校生のアマチュア野球の全国大会はノーカットで放送される。しかも2局が同時に中継するのである。
恐らく、甲子園がトーナメントになり、投手が100球を目安に降板し、連投もなくなったら、「甲子園のドラマ」はあら方なくなるだろう。
これまでの高校野球熱は一挙に消え失せることだろう。
しかし本当に「教育の一環」として高校野球を行っているのなら、そして、それが球児の健康のためになるのなら、そうすると思うのだが。
誰でも知っていることだが、全国高校野球選手権大会の前身の全国中等学校優勝野球大会は、朝日新聞の主催で始まった。当時の村山竜平朝日新聞社主による始球式の写真はよく知られている。
全国的な人気を博するようになったのは1924年に甲子園が会場になってからだ。
また選抜高等学校野球大会は、1924年毎日新聞社の主催で始まった。
どちらも新聞社の「拡販策」としてスタートしたのだ。両大会の大成功によって両新聞社は躍進した。
後発の讀賣新聞社は朝日、毎日に対抗すべく「職業野球」を始めたのだ。
高校野球は今に至るも新聞社の「イメージアップ」「販促商材」という側面が強い。
公益財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)も初代会長が朝日新聞社主上野精一であり、現会長奥島孝康が朝日新聞非常勤監査役であったことを見てもわかる通り、実質的に朝日新聞の影響下にある(このあたり讀賣新聞とNPBの関係と相似だ)。
高校野球の改革を行うとすれば、朝日新聞を置いて他にないのだ。
選手の健康面に配慮して、他のアマチュア野球に準じた穏当なシステムに移行しようと思えば、朝日新聞がそういう意見を発表すればよいのだ。
しかし、そうした動きはない。「甲子園と選手の健康」について、ときどき記事を書いてはいるが、改革すべきだとの論調ではない。
「高野連」は海外や国内の一部から今のトーナメントの仕組みや、延長戦が批判を受けているのに対応して「タイブレーク制」の導入を関係者に諮っているが、これなど、抜本的な改革をしたくないがための糊塗策に過ぎない。その導入さえも難しいだろうが。
朝日新聞はNPBや巨人の不正を舌鋒鋭く突くが、話が高校野球に及ぶと途端にだんまりを決め込む。
ある事件をめぐってプロ野球改革の委員会に出席した有識者は、プロ野球の裏金問題について雄弁を振るっていた朝日新聞の編集委員が、高校野球とプロ側の癒着について指摘されたとたんに一切発言しなくなったのを目撃したと言う。
PL学園など高校野球を商売としている高校の不祥事に対しても、朝日、毎日両新聞が徹底的に追及することはあり得ない。
PL学園は暴力事件を起したため2013年秋から監督の成り手がおらず、素人の校長がユニフォームを着てベンチに座っているが、こうした異常事態についてしっかりと伝えるメディアはない。
話はそれるが、私は「特定秘密保護法」の施行や「集団的自衛権」のなし崩し的な容認には反対する立場にある。日本の右傾化に危惧を抱いている。
しかし、私は朝日新聞が展開する「戦争への道回避」「軍国主義回帰阻止」のキャンペーンには全く心が動かない。
甲子園の例で見てもわかるように、彼らは正義不正義で論陣を張っているのではなく、単なるマーケティングで紙面を埋めていると思うからだ。
戦争反対の論陣は、讀賣新聞が嫌いな左がかったお客さんに受けるから展開しているだけだと思う。
私は野球の発展を考えれば、90年に及ぶ「高校野球」は、一度解体されるべきだと思っている。理不尽な試合のシステム、一部にみられる人権を軽視する体質、プロアマの癒着。「甲子園」をリセットすることで、これらを終わらせるべきだと思う。
それによってアマチュア野球の人気は半減するかもしれない、また日本の野球のレベルは一度下落するかもしれないが、長い目で見ればその方がメリットがあると思う。
野球が「教育的目的」で行われると言うのなら、そういう改革が必要だ。しかし朝日新聞が高校野球を牛耳っている限り、改革は進まないだろう。
「甲子園」の改革が進むとすれば、それは全国大会の場で「人命」が失われた時だろう。
部活でのいじめ、自殺は隠ぺいされる。甲子園の酷使で肩を痛めて投げられなくなった選手も美談に仕立て上げられるだけだ。
酷暑とハードスケジュールによって、テレビカメラや観衆の目の前で、球児が熱中症で命を失いでもしない限り、世論は動かないだろうし、新聞社も書かないだろう。
NPB改革も「日暮れて道遠し」の感があるが、高校野球の改革への道のりはさらに遠いと思う。
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コメント
コメント一覧
ピラミッド式の組織に野球界がなるといいんですけどね。
高校野球の視点からいえば、まずはプロチームがいくつかユースチームを持てば、高校野球の過酷さを嫌う親や選手はそちらで育成してもらおうという気になると思います。巨人ユースとか人気出るでしょうし。
斜陽イメージがすっかり世に根づいてしまった今、
野球全体の衰退を食い止める最後の防波堤であろう高校野球に関しては
改革案もなるべくなら、慎重であるべきでは。
どうやら、ある時代まで磐石だと思っていたこの国のいわゆる野球文化が
不滅でも何でもなく、あまりにあっけなく崩れ落ちつつある今、
近代的変革も、実現可能なことから始めていかないと、と思います。
もしここに書かれてるような急進的な変革が仮に実行されたら
最後の首の皮を切り落とすことになりかねず
本当に競技人口の激減→枯渇、ジャンルの滅亡につながるのでは。
おっしゃることの意味には共感するところが大なのですが…。
朝日新聞社を筆頭にしてのマスメディアグループにとって、こんなオイシいコンテンツはない。真夏の一大イベント。絶対手放したくはないだろう。阪神電車や地元自治体、商店街にとっても広報も含めて大きな経済効果もあるだろう。しかし投手の酷使問題を中心としてスポーツとしての健全化を求める改革を断行すれば、高校野球の人気は低落するだろう。現在の高校野球の異常さ、クレイジーさを放置してでも、この人気イベントをこのままの形で維持続行することが正義であるか否か・・・・・僕はもちろん後者です(元熱狂的高校野球ファンの少年だった人より)
例えば「滅私奉公」であり、例えば「上意下達」であり、先述した高度経済成長時代にはよくマッチしたであろう言葉です。
勘違いしてはいけないのは、原因と結果を勘違いしてはならないということです。確かに「高校野球」の問題点はそれが現在の「高校野球」である限り変わりません。しかしその問題点は先に挙げたキーワードを目的とする過程で生じるもにであって、その逆ではありえません。
ということは、目的を変えさえすれば、「高校野球」の問題点は改善される可能性があります。それは野球だけにとどまらず、日本人の価値観の変更であって、更に道は険しいかもしれませんが。少なくとも、自分に直接関係ない個人であればその資産価値を、これもまた全く個人的な好みのある全体の資産価値に転換してトータルで減少しなければよいなどという、スターリンや毛沢東もビックリの、小賢しくも全く愚かな思想を持つ人間がいる限りは難しいのかもしれません。
なるほど、傾聴に値します。
大半の選手は学生で野球を辞めるわけだから、現場でも壊れてもいいから投げたい、という意見が支配的だろう
残念ながら球数制限の導入は現場の猛反発で見送られるだろうね
1点は、高校球児は自らの意思で高校野球に身を投じたということです。シベリア抑留ではあるまいし、決して野球部に強制徴用されたわけではありません。
もちろん、一部に強制性があることは否定しませんが、個人の主体性がベースにある以上、「壊れてもいい」と思って投げるというのも、ひとつの選択の自由と言うべきです。
甲子園の過酷さは、太平洋戦争における特攻になぞらえるよりは、忠臣蔵における赤穂浪士の討ち入りになぞらえる方が自分にはしっくりきます。
2点目は、既に他の方も言及されていますが、甲子園の魅力があるからこそ、多くの高校球児が集まるわけで、高校球児の健康に配慮するあまり、甲子園自体がつまらなくなっては本末転倒ということです。
これは無責任な高校野球ファンの考え方かも知れませんが、高校球児だって、元をただせば、多くはそうした高校野球ファンだったんでしょうからね。甲子園の面白さこそが全ての根本であり、そこが損なわれてはいけないと思います。
競技で稼ぐプロではないけれど、今しかない一瞬に青春の全てを懸ける、そして稀代の天才選手から試合に出られない選手までが皆で目指す目標に向かう学生スポーツということです。
ややこしいのは、
①将来はプロとして巨万の富を稼ぐ。
②トップレベルでなくとも進学や就職後も出来る限り競技を続ける。
③この年代で競技を引退し、一般社会で生きる。
この①~③の選手たちが同じ舞台で試合するから、燃え尽きて良い選手と、怪我しないように余力残させないといけない選手を区別しずらくなるのです。
現状、甲子園大会でも箱根駅伝でも、ほとんどの選手は競技者としては最後になるわけなので、どうしても無理してでも頑張れの風潮が全ての選手に適用されてしまうんです。
こうなると、甲子園大会はプロ志望選手だけのものにして、他の選手向けには別の大会を設置するみたいな、能力別大会としなければならないのか、と思えますね。
また、酷暑の季節に日中時間帯で開催しなければならないのなら、甲子園球場から大阪ドームに開催地を変更を考えないといけないかとも思いました。
熱中症対策も含めて。
>高校球児は自らの意思で高校野球に身を投じたということです。
>「壊れてもいい」と思って投げるというのも、ひとつの選択の自由と言うべきです。
それはこんにちまでの甲子園ブランドが球児に誤った価値観を与え続けてしまったものとして省みるべきものとして見るべきではないでしょうか?
己の栄誉のため学校の売名のため、野球をするだけの学生生活は広尾さんの指摘通り本来あるべきスポーツの対極をいっていますし、学校教育的にもまったくもって褒められたものじゃありません。
甲子園自体がつまらなくなるという指摘は多分その通りでしょう。
ただ高校野球はあくまでアマチュアスポーツでありプロスポーツではないんです。
多分ほとんどの人が観戦時にアマとプロの違いなど意識せずに見ているものと思われますが、甲子園ブランドによって生み出された数多くの高校野球ファンには球児のための高校野球であって、高校野球ファンのための甲子園なのではないことを改めて見つめ直してほしいです。
話変わってユースの話題が出ていますが
特定球団が個々のユースを持つのはこれは絶対にやってはいけません。
これが可能なのはサッカーのように自由競争が前提のリーグで
野球のようにドラフト制度を設けているプロスポーツではドラフト前に
有望な中学生を青田買いを許しドラフト破壊を招くだけです。
ただしNPBとしてユースを作るというのであればありえない話でもないです。
というのもMLBではアーバンユースアカデミーという施設を運営しており
ユースはユースでも特定球団に利さない制度作りが始められているのです。
アーバンユースアカデミーについては多分僕より広尾さんのほうが詳しいと思うので
広尾さんの意見も含めたアーバンユースアカデミーの記事をよろしくお願いします。
NPBにも12球団ジュニア選手権がありますが、これは常設のチームではありません。
アメリカはリトルリーグが広く普及しており、MLBのOBが数多く指導者になっています。ロスのアーバンユースアカデミーの役割はそれほど大きくないと思いますが、ユースについても考えてみます。
「球児のための高校野球」って何でしょうね。これって、実は定義が難しいと思います。
これは自分の人生観でもあるんですが、自分は「結局、すべては自分のため」だと思っています。だから、高校球児も、酷使を受け入れている球児を含めて、基本的には「球児のための高校野球」をやっているのだと思っています。
どういうことかと言うと、「(例え燃え尽きてでも)自分の憧れである甲子園に行きたい」というのは、「球児自身のため」だと思いますが、「学校の名誉のために甲子園に行きたい」というのも、一見、「滅私奉公の高校野球」のようですが、実は、「球児のための高校野球」だと思います。何故なら、そこには「学校に栄誉を与えたい」と考える球児自身の思いがあるからです。
同じように、例えば「好きな女の子のために甲子園に行きたい」というのも「球児のための高校野球」です。好きな女の子を喜ばせたい「自分のため」だからです。「南を甲子園に連れて行きたい」と思った和也と達也(古い!)は、別に自分を滅したわけでも何でもなく、正に自分のために甲子園を目指したわけです。
結局、(それが存在するとして)ごく一部の本当に奴隷労働的な事例を除けば、ほとんど全ての高校野球は「球児自身のための高校野球」なんですよ。と言うか、そう考えて生きないと、人生甘えちゃいますよね。それこそ教育的でないと思います。
だから、自分は、「酷使を受け入れること=滅私奉公」とでも言うような考え方には賛成できません。酷使を受け入れることも含めて、基本的には、「球児のための高校野球」だと思いますから。
あと、自分は、球児の視点ではなく、高校野球ファンである自分の視点で甲子園を楽しんでいます。それも「自分のため」ということです。それが悪いことであるならば、その悪を自覚して甲子園を見ることが、正しい高校野球ファンのあり方とも言えるのではないでしょうか。