史上最強の甲子園学校、中京大中京がある。旧中京商業。そして東邦、有数の野球王国ではある。
高校別に、春、夏、総合の成績を出す。
グレー地は私立。

大昔は愛知一中(現旭丘)が圧倒的に強かったが、1930年代になると中京商業が台頭。
初優勝は1931年夏、以後中京高、中京大中京と校名は変わったが、21世紀に入っても春1回、夏1回優勝するなど、80年以上も強豪校の名を保っている。早稲田実業などとともに、屈指の存在と言えよう。勝率も七割を優に超す。
日比野武、杉浦清、野口明、鬼頭数雄、木俣達彦、紀藤真琴、稲葉篤紀、嶋基宏、堂林翔太。まさに多士済々。
東邦と言えば個人的にはバンビ坂本を思い出すが、春に強い。4度も優勝。
日比野武は中京商業から東邦に転校。安居玉一、山倉和博、現役では朝倉健太 がいる。通算66勝は他県なら優にトップだ。
愛工大名電は2004年春に全国制覇。鴻野淳基、工藤公康、山﨑武司、そして何よりイチロー、堂上剛裕、直倫兄弟、十亀剣。
享栄は全国制覇はしていないが、金田正一が出た(中退だが)。古豪であり、江口行男、林清一、中山武など戦前からプロ選手を輩出。以後も大宮龍男、近藤真市、高木浩之。現役には武山真吾、八木亮祐、大島洋平
さすがに凄い顔ぶれだ。
前述のとおり大正期の強豪、旭丘(愛知一中)は1917年夏、愛知商も1936年春に優勝している。
今夏は東邦が甲子園未経験の栄徳を4-2で下して優勝。夏は16回目。
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東邦と言えば個人的にはバンビ坂本を思い出すが、春に強い。4度も優勝。
日比野武は中京商業から東邦に転校。安居玉一、山倉和博、現役では朝倉健太 がいる。通算66勝は他県なら優にトップだ。
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享栄は全国制覇はしていないが、金田正一が出た(中退だが)。古豪であり、江口行男、林清一、中山武など戦前からプロ選手を輩出。以後も大宮龍男、近藤真市、高木浩之。現役には武山真吾、八木亮祐、大島洋平
さすがに凄い顔ぶれだ。
前述のとおり大正期の強豪、旭丘(愛知一中)は1917年夏、愛知商も1936年春に優勝している。
今夏は東邦が甲子園未経験の栄徳を4-2で下して優勝。夏は16回目。
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コメント
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表の上位4校、一般的に愛知県では「私学4強」と言われ、愛知県で野球をする少年たちのあこがれでもあります。私の3つ上の従兄も小学校、中学校と野球をやっており、これらの学校を目指していたようですが、その実力の高さにあきらめてしまったようです。
公立校で比較的健闘しているのは大府だと思います。槙原寛己や赤星憲広を輩出しています。
何らかの理由で割愛したのだとは思いますが、気にはなりまして…
意外だったのは、一宮や明和・岡崎も甲子園出場経験がある事。
上記の高校は、旭丘同様 進学校というイメージの方が強いので、この表を見て驚きました。
それを考えただけでインパクトがある
私学4強、或いは古豪の愛知高校も入れれば5強に公立の星大府が食い込むという
構図が長年続いています。近年は新興の私立校の台頭もあってやや変化も見えますが
優勝校の殆どが尾張の高校と圧倒的な西高東低は変わりません。
その中にあって三河地区の高校である豊田大谷は
平田洋や古木克明といったドラ1選手を輩出するなど、気を吐いていますね。
もっとも直近では校内暴力で話題になってしまいましたが。
いずれにせよ、全国屈指の野球王国ではありますが
いわゆる留学生の輸出・輸入とも控えめな印象があります。
これは地元から出たがらない・親も出したがらない保守的な県民性が
野球の部活動に関しても影響しているのかもしれません。
今年も豊川高校が春夏通じ初出場ながらベスト4と健闘しました。
夏弱いのは日程のせいでしょう。
今年も代表が決まったのは全国で最も遅く、しかも最大で4回戦から5連戦というめちゃくちゃな日程です。
これでは甲子園でまともに投手が機能しないでしょう。
甲子園の日程も問題ですが、愛知県予選の日程はもっと問題です(苦笑)
今ではあたり前のように使われる「私学4強」も、そのころやっと確立の兆しが見えてきました。名電工が52年春に春夏通算3度目の甲子園出場。プロでは様々なポジションを転々とし、最後は村田兆治のパーソナル捕手という稀有なポジションを得た鈴木伸良がエースで4番でした。
名電工は三河地方から有望選手を引き抜いて、磨き上げました。当時のユニホームは、オレンジ色がアクセントの読売モデル。胸のマークもブロック体。だったような…。
これに対し、中京は一宮、尾張地方や岐阜県から選手を召集。東邦はというと知多地方、三重方面に出城を構えていた。享栄も尾張に網。皆、大供給地・名古屋以外に第2フランチャイズを持っていた。
昭和52年夏の東邦の甲子園準優勝は、愛知県勢にとって、久々の上位進出。野球王国の面目躍如。当時は昭和41年の中京商春夏連覇で勝ち疲れたのか、県勢は出ると負け。中京、東邦にしてもベスト8が精一杯。
それにしても、殻を破った坂本の功績は大きかった。その後、工藤-槇原-野中-藤王-近藤と、ドラフトで耳目を集める逸材が続いたのですから。もちろん、だれも耳を傾けなかったけれど、イチローの存在はあまりにも大きい。そのイチローがクチにするように、愛工大名電は甲子園での勝利より、プロで活躍できる逸材の育成に長けていました。ひとえに中村元監督の手腕によるものでしょう。
また、広島商と並ぶ「こすっからい野球」が看板の中京が、まさか、あの襟付きユニを捨て、学校名まで替えてしまうとは夢にも思わなかった。