いろいろとご意見をいただいた。一度整理をしておく。
交流戦は、NPBが企画し、実施した試合だ。興行であり、ビジネス的には「事業」だ。
事業の成功、失敗は、収益性で判断する。
もちろん、内容が充実していたか、コンシューマー(ファン)は喜んだか、も重要な指標だが、そうしたものも含め、最終的には「売り上げは上がったのか」「儲かったのか」が、判断材料になる。
今回のNPBの事業の見直しは、ビジネス的に妥当かどうか、まず評価すべきだ。
交流戦総括①では、そのことについて触れた。
ご意見の中には「好きなチームが有利になるから」とか「自分が好きなリーグにメリットがないから」的なものもいくつかいただいた。
それはそれで結構だが、今回の考察、議論をする上では、有効な意見ではない。
「交流戦」はNPBが打ちだした事業であり、特定のチームやリーグのメリットを求めたものではない。
NPB自体の発展、向上のための施策として行われた。
だから、NPB全体にとってプラスだったのか、マイナスだったのかで判断すべきだ。
当サイトは「ひいきの引き倒し」には与しないと標榜している。
ファンは、小なりと言えどもNPBのステークホルダーである。ひいきのチームを応援するのは当然だが、同時にNPB全体の発展を考えるべきだと。
厳しい言い方だが、自分に関係のないチーム、嫌いなリーグはつぶれても、ダメになっても構わないと考える人はこの議論に参加する資格はない。申し訳ないが、そういうご意見は等閑視させていただく。
鶴岡一人は、チームを応援するときは特定の選手を応援するだけでなく「総監督になったつもりで」見るべきと言ったが、プロ野球全体について考えるときは「コミッショナーになったつもりで」意見を述べるべきだと思う。
さて、交流戦はインターリーグを下敷きとして生まれた。ほぼ相似形の事業だ。この二つの事業は、NPB、MLBにとって「歴史的な意義」がある。
MLBのアナ両リーグは、20世紀最初の年にできて114年になる。我々は何となく二つのリーグは単なる「地区割り」のように思ってしまうが、両リーグは互いに相手を蹴落とそうとするライバルだった。
ナショナル・リーグは1876年に創設された老舗だった。これに対しアメリカン・リーグは1900年にできた新興リーグ。
この時点まで、いくつかの「メジャー・リーグ」が生まれては消えて行った。
ナショナル・リーグだけが命脈を保ったが、アメリカン・リーグは1900年に「自分たちはメジャー・リーグである」と宣言。
ナ・リーグはこれに猛反発し、交流を断った。これが3年間も続くのだ。
1903年にワールドシリーズができ、MLBの形が成立してからも、両リーグはライバルであり、反発しあった。
1933年にオールスターゲームができたが、両リーグの選手が対戦する試合はワールドシリーズとオールスターゲーム、あわせて最大8試合(オールスターゲームが2試合だった期間は9試合)に過ぎなかった。
この時代が64年間続いたのだ。
カール・ハッベルの球をベーブ・ルースは公式戦で打つことは無かった。
テッド・ウィリアムスとジャッキー・ロビンソンは、公式戦で見えることはなかった。
それが当たり前だったのだ。
1997年度重なるストライキによって社会的信用を失ったMLBは、人気挽回策としてインターリーグを導入した。
両リーグは危機に見舞われると団結する。1919年のブラックソックススキャンダルのときにコミッショナーを頂いたのは、その前例だ。
今回も窮余の策という一面があった。
これが歴史的な出来事であるのは、これまでの経緯を見れば明らかだ。
ア・リーグの選手がナ・リーグの選手とシーズン中に真剣勝負をする、1世紀以上もなかったことが実現したのだ。MLBの歴史を振り返っても革命的な出来事だと言っても良い。
インターリーグは、両リーグの「雪解け」をももたらした。
1998年に、エクスパンションによる球界再編に伴って、ミルゥォーキー・ブリュワーズがアメリカン・リーグ中地区からナショナル・リーグ中地区に移動した。これなども両リーグの障壁が低くなったからできたことだろう。これなど、以前なら考えられなかった事だろう。
その前例があったから、一昨年、ナショナル・リーグ中地区のヒューストン・アストロズはアメリカン・リーグ西地区に移籍することも容易だった。
今もアナ両リーグはDH制の導入などの差異があるが、事業の上ではコンペティターではなくなり、パートナーとなった感がある。
両リーグは、コミッショナーの強い権限の下、共存共栄を目指している。
インターリーグができたから両リーグの距離が縮まったのか、両リーグの距離が縮まったことでインターリーグができたのか、これは専門家にお聞きしたいところだが、インターリーグの歴史的意義は極めて大きいことがお分かりいただけるのではないか。
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今回のNPBの事業の見直しは、ビジネス的に妥当かどうか、まず評価すべきだ。
交流戦総括①では、そのことについて触れた。
ご意見の中には「好きなチームが有利になるから」とか「自分が好きなリーグにメリットがないから」的なものもいくつかいただいた。
それはそれで結構だが、今回の考察、議論をする上では、有効な意見ではない。
「交流戦」はNPBが打ちだした事業であり、特定のチームやリーグのメリットを求めたものではない。
NPB自体の発展、向上のための施策として行われた。
だから、NPB全体にとってプラスだったのか、マイナスだったのかで判断すべきだ。
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ファンは、小なりと言えどもNPBのステークホルダーである。ひいきのチームを応援するのは当然だが、同時にNPB全体の発展を考えるべきだと。
厳しい言い方だが、自分に関係のないチーム、嫌いなリーグはつぶれても、ダメになっても構わないと考える人はこの議論に参加する資格はない。申し訳ないが、そういうご意見は等閑視させていただく。
鶴岡一人は、チームを応援するときは特定の選手を応援するだけでなく「総監督になったつもりで」見るべきと言ったが、プロ野球全体について考えるときは「コミッショナーになったつもりで」意見を述べるべきだと思う。
さて、交流戦はインターリーグを下敷きとして生まれた。ほぼ相似形の事業だ。この二つの事業は、NPB、MLBにとって「歴史的な意義」がある。
MLBのアナ両リーグは、20世紀最初の年にできて114年になる。我々は何となく二つのリーグは単なる「地区割り」のように思ってしまうが、両リーグは互いに相手を蹴落とそうとするライバルだった。
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この時点まで、いくつかの「メジャー・リーグ」が生まれては消えて行った。
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ナ・リーグはこれに猛反発し、交流を断った。これが3年間も続くのだ。
1903年にワールドシリーズができ、MLBの形が成立してからも、両リーグはライバルであり、反発しあった。
1933年にオールスターゲームができたが、両リーグの選手が対戦する試合はワールドシリーズとオールスターゲーム、あわせて最大8試合(オールスターゲームが2試合だった期間は9試合)に過ぎなかった。
この時代が64年間続いたのだ。
カール・ハッベルの球をベーブ・ルースは公式戦で打つことは無かった。
テッド・ウィリアムスとジャッキー・ロビンソンは、公式戦で見えることはなかった。
それが当たり前だったのだ。
1997年度重なるストライキによって社会的信用を失ったMLBは、人気挽回策としてインターリーグを導入した。
両リーグは危機に見舞われると団結する。1919年のブラックソックススキャンダルのときにコミッショナーを頂いたのは、その前例だ。
今回も窮余の策という一面があった。
これが歴史的な出来事であるのは、これまでの経緯を見れば明らかだ。
ア・リーグの選手がナ・リーグの選手とシーズン中に真剣勝負をする、1世紀以上もなかったことが実現したのだ。MLBの歴史を振り返っても革命的な出来事だと言っても良い。
インターリーグは、両リーグの「雪解け」をももたらした。
1998年に、エクスパンションによる球界再編に伴って、ミルゥォーキー・ブリュワーズがアメリカン・リーグ中地区からナショナル・リーグ中地区に移動した。これなども両リーグの障壁が低くなったからできたことだろう。これなど、以前なら考えられなかった事だろう。
その前例があったから、一昨年、ナショナル・リーグ中地区のヒューストン・アストロズはアメリカン・リーグ西地区に移籍することも容易だった。
今もアナ両リーグはDH制の導入などの差異があるが、事業の上ではコンペティターではなくなり、パートナーとなった感がある。
両リーグは、コミッショナーの強い権限の下、共存共栄を目指している。
インターリーグができたから両リーグの距離が縮まったのか、両リーグの距離が縮まったことでインターリーグができたのか、これは専門家にお聞きしたいところだが、インターリーグの歴史的意義は極めて大きいことがお分かりいただけるのではないか。
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コメント
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ただ日本の場合は対立関係という意味ではもとが一つのリーグだったので雪解けがはかれるものではないでしょう。それでも距離が縮まるのは事実。NPBの最大の弱点は歪な権力体制にあると思います。セパの距離が縮まればパには権力が十分に及んでない分、ちょっとずつ権力がそがれるのかもしれません。なんか露出が減りましたし。
12球団しかない中で、6球団が本気になって反対すれば、それを押し切ることは極めて困難だと思うのですが。
この点について異論はありませんが、
>特定のチームやリーグのメリットを求めたものではない。
この点については違うでしょう。
有体に言えば『パ・リーグ救済』の為に導入されたのがNPBの交流戦ですから。
当時のパ・リーグは観客動員が芳しくなく、
為に巨人戦の放映権料欲しさに従前から交流戦の導入を要望していた。
セ・リーグからすれば巨人戦が減る事になるので拒否し続けていたが、
2004年の近鉄球団消滅を契機にもう1球団減らしてまでセ・リーグに合流しようと画策し、
当然にファンは反発、後に楽天球団の発足で12球団2リーグは何とか維持。
(渡邉会長の発言ばかり取り沙汰されますが、1リーグ化を主導したのはパ・リーグ側です)
こうした流れを受け、
1リーグ化で巨人戦がガッツリ減るよりマシとセ・リーグも承諾したのが導入に至った経緯です。
しかるに現在、巨人戦の放映権料は大した意味を持たなくなり、
一方で観客動員はカードによってはセ・リーグをも凌ぐ程になっている。
よって『パ・リーグ救済』という所期の目的は達成され役割を終えた、というのが
縮小あるいは廃止を訴える側の1つの理屈ですね。
ファンの間ですっかり定着した交流戦をいまさら廃止するのは現実的とは言えませんし
当方もそれには反対です。
一方で1ヶ月以上もリーグ戦が中断する現行方式は如何なものかとも思っていましたので、
2年掛かりでのホーム&ビジターの効果を先ずは見届けたいと思っています。
(尤もここまで試合数が減ると、日本生命はスポンサーを降りる可能性が高いでしょうけどね)
パリーグを救済するためにNPBが交流戦を導入したとすれば、それは背信行為ですね。
NPB全体のメリット、「公益」が不在だということですから。
確かにパリーグは、交流戦を熱望していました。
だからといって、全体のパイを広げる以外の目的で新規事業が行われたとすれば、非常に問題だと思います。
球界再編においても、パリーグ解体、1リーグを望んだのはパリーグの一部球団だとも言われています。
これに対し、セリーグ球団の多くは既得権益を守りたいために反対しました。
セリーグが既得権益に固執することも、パリーグがその権益を欲することも、良い事とは思えません。
そういういびつな構造が、NPB全体の発展を阻害しています。
セパがあってNPBがない、私があって公がない、これが問題です。
確かに、セリーグによるパリーグの救済と言う意味合いはあるでしょうが、まともな野球ファンならそれを肯定してはいけないと思います。
すでにナ・リーグのチームがあるボストン、ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィア、セントルイスにも順次チームを送り込んだのを知ったときは
ここまでナ・リーグに対抗するのか!と驚きました
北海道から福岡までカバーしてるパ・リーグと
名古屋・広島にチームがあるセ・リーグが試合をするのは基本的にはいいことだと思っているので削減は残念です
アメリカは徹底的に利益・損得で動きますから、何かしらその方がいいという理由があったのでしょうけど。
NPBも昭和25年に2リーグに分裂しなきゃこんな無駄なことをしなくてもよかったのに、といつも思います。
MLBがビジネス的に覚醒したのはピーター・ユべロスがコミッショナーになってからです。それまではNPBの方が進んでいると言われていました。
2リーグに分裂しなければ、今頃NPBはなかったでしょう。