石黒様、半日に渡る懇切丁寧なご対応、ありがとうございます。
今年、私は例年になく高校野球のことを書いている。livedoorや週刊ポストにデータを提供したり寄稿したりしているし、当サイトでもたくさん記事を書いている。試合も結構見ている。
7月に奈良県大会の予選で、智弁に敗退した大和広陵ナインが、クールダウンのキャッチボールをしながら堪えきれなくなって泣き崩れたのを見て、私は涙が出そうになった。高校野球が持つドラマ性に心が揺さぶられた。

しかし日ごろから高校野球に批判的な記事を書いている私には、この光景を素直に書くには抵抗感があった。葛藤があった。そして「ずいぶん窮屈なことになったなあ」とひそかに思った。
高校野球の体質、体制を批判すると自らが決めたスタンスに縛られて、野球を素直に見ることができなくなっていたのだ。
何度か述べている通り、私が高校野球についてネガティブなイメージを持つようになったのは、高校時代の個人的な体験がきっかけだ。
甲子園優勝経験もある母校野球部は、私が在学当時、野球さえしていれば、他は大目に見られる風潮があった(今の野球強豪校に比べればかわいいものかもしれないが)。
そんな中で、私が卒業した年に野球部は破廉恥な事件を起こして全国に知られるようになったのだ。「ウィークエンダ―」に大々的に取り上げられたことを今でもありありと思いだす。
野球部長は私に「あいつらがそんなことをしているのを知っていたら、教えてくれたらよかったのに」と言ったが「野球部員を甘やかしたのはあんたじゃないか」と思ったものだ。
母校は事件を機にOB会、父母会を解散。今は強豪校の面影は全くない。
私としては野球ブログを書くにあたって、できるだけ公正に見ようと思ってはいるが、根底に抜き難い「高校野球への不信感」があることは否めない。
しかしそれが「私怨」のようになって、記事に影を落としているとすれば、良くないことである。
率直に言って私の高校野球批判は、高校野球やアマチュア野球を愛好し、宝物のように思っている方の大事なものを毀損した。ことさらにきつい表現をすることで、立てずともよい波風を立てていた。
客観的に見れば、野球のブログを書いているにもかかわらず、私は野球をリスペクトしていなかったかもしれないと思う。
この点、深謝します。
ブログと言うメディアは、耳目を惹きつけるために、過激な言葉を使いがちだ。長くやる中でテクニックとしてエッジの立った言葉を使うようになっているが、言葉を注意深く選別すべきだと思う。そうしないと真意が伝わらないこともある。
しかしながら、今の高校野球に問題がないとは思わない。
多くの私立高校が100人以上の野球部員を抱え込んでいるという事実は少なくとも2つの点で問題だと思う。
1つは、レギュラーになれず、試合にも出ないまま3年間を過ごす生徒の問題。
コメンター各位が的確な分析をしているのでくだくだしく述べないが、補欠の生徒やその保護者が事態を前向きにとらえ、不満を持っていないからと言って、このやり方は正しい、といえるのだろうか。
学校は、そういう生徒たちの善意を前提に、ビジネスモデルを作っているのではないか、と思う。
もう1つは、このやり方が人材発掘、育成にとってベストなのかと言う問題。
多くの選手を抱え込み、これを早々に選別をするのは、チャンスロス生むのではないか。若者は突如才能を開花させるものだ。彼らに機会が与えられなかったら、花が咲くことは無い。あまりにも早すぎる選別は、あたら豊かな才能の芽を摘むことになりはしないかと思う。
そうした問題とは違う次元で石黒さんと私の最大の見解の相違は、
野球界は徐々に良い方向に向かっているのか、
大元の部分で改革する必要があるのか、
と言うことだと思う。
私は、高校野球と言うものが、あまりにも巨大なイベントになり、多くの学校や選手がこれを最終目標としているために、日本の野球界はいびつなものになっていると思う。
各学校、指導者が高校野球にピークを合わせてくるために、様々な無理が生じ、問題を引き起こしているように思う。
指導者や、学校自体も旧弊な体質から変わろうとしているのは事実だろうが、物事の本質は変わっていないのではないか。
少なくとも過剰な野球部員数や特待生の問題などは、高校野球界が本質的には変化していないことを意味しているように思う。
選手個々の長いスパンでの野球人生を考えれば、高校野球のピークはもう少しなだらかなものにすべきだと思う。
現場に密着して取材をすれば、そういう印象は払しょくされると言われかもしれないが、取材対象に近づけば近づくほど、全体が見えなくなることもあると思う。
ブロガーと言うスタンスは、ジャーナリストではなく、基本的にネット上でやり取りされる情報をベースとして発言することだと思っている。
もちろん、独断、偏見のそしりを受ける可能性はある。ご批判は甘受するが、この姿勢から発言する意味はあると思っている。
この部分、今後も議論していきたい。様々な観点で問題点を指摘したい。文章には重々気を配りながら。
読者各位、そして石黒様、今後ともよろしくお願いします。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
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しかし日ごろから高校野球に批判的な記事を書いている私には、この光景を素直に書くには抵抗感があった。葛藤があった。そして「ずいぶん窮屈なことになったなあ」とひそかに思った。
高校野球の体質、体制を批判すると自らが決めたスタンスに縛られて、野球を素直に見ることができなくなっていたのだ。
何度か述べている通り、私が高校野球についてネガティブなイメージを持つようになったのは、高校時代の個人的な体験がきっかけだ。
甲子園優勝経験もある母校野球部は、私が在学当時、野球さえしていれば、他は大目に見られる風潮があった(今の野球強豪校に比べればかわいいものかもしれないが)。
そんな中で、私が卒業した年に野球部は破廉恥な事件を起こして全国に知られるようになったのだ。「ウィークエンダ―」に大々的に取り上げられたことを今でもありありと思いだす。
野球部長は私に「あいつらがそんなことをしているのを知っていたら、教えてくれたらよかったのに」と言ったが「野球部員を甘やかしたのはあんたじゃないか」と思ったものだ。
母校は事件を機にOB会、父母会を解散。今は強豪校の面影は全くない。
私としては野球ブログを書くにあたって、できるだけ公正に見ようと思ってはいるが、根底に抜き難い「高校野球への不信感」があることは否めない。
しかしそれが「私怨」のようになって、記事に影を落としているとすれば、良くないことである。
率直に言って私の高校野球批判は、高校野球やアマチュア野球を愛好し、宝物のように思っている方の大事なものを毀損した。ことさらにきつい表現をすることで、立てずともよい波風を立てていた。
客観的に見れば、野球のブログを書いているにもかかわらず、私は野球をリスペクトしていなかったかもしれないと思う。
この点、深謝します。
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しかしながら、今の高校野球に問題がないとは思わない。
多くの私立高校が100人以上の野球部員を抱え込んでいるという事実は少なくとも2つの点で問題だと思う。
1つは、レギュラーになれず、試合にも出ないまま3年間を過ごす生徒の問題。
コメンター各位が的確な分析をしているのでくだくだしく述べないが、補欠の生徒やその保護者が事態を前向きにとらえ、不満を持っていないからと言って、このやり方は正しい、といえるのだろうか。
学校は、そういう生徒たちの善意を前提に、ビジネスモデルを作っているのではないか、と思う。
もう1つは、このやり方が人材発掘、育成にとってベストなのかと言う問題。
多くの選手を抱え込み、これを早々に選別をするのは、チャンスロス生むのではないか。若者は突如才能を開花させるものだ。彼らに機会が与えられなかったら、花が咲くことは無い。あまりにも早すぎる選別は、あたら豊かな才能の芽を摘むことになりはしないかと思う。
そうした問題とは違う次元で石黒さんと私の最大の見解の相違は、
野球界は徐々に良い方向に向かっているのか、
大元の部分で改革する必要があるのか、
と言うことだと思う。
私は、高校野球と言うものが、あまりにも巨大なイベントになり、多くの学校や選手がこれを最終目標としているために、日本の野球界はいびつなものになっていると思う。
各学校、指導者が高校野球にピークを合わせてくるために、様々な無理が生じ、問題を引き起こしているように思う。
指導者や、学校自体も旧弊な体質から変わろうとしているのは事実だろうが、物事の本質は変わっていないのではないか。
少なくとも過剰な野球部員数や特待生の問題などは、高校野球界が本質的には変化していないことを意味しているように思う。
選手個々の長いスパンでの野球人生を考えれば、高校野球のピークはもう少しなだらかなものにすべきだと思う。
現場に密着して取材をすれば、そういう印象は払しょくされると言われかもしれないが、取材対象に近づけば近づくほど、全体が見えなくなることもあると思う。
ブロガーと言うスタンスは、ジャーナリストではなく、基本的にネット上でやり取りされる情報をベースとして発言することだと思っている。
もちろん、独断、偏見のそしりを受ける可能性はある。ご批判は甘受するが、この姿勢から発言する意味はあると思っている。
この部分、今後も議論していきたい。様々な観点で問題点を指摘したい。文章には重々気を配りながら。
読者各位、そして石黒様、今後ともよろしくお願いします。
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コメント
コメント一覧
反省すべきところは反省する必要ありですが、広尾さんのブログに涙や汗の苦労話、ウェット感は不要と考えます。
目に見た試合や無味乾燥のSTATSについていろいろ考えさせ、提言していくスタンスは崩して欲しくありません。野球に対するリスペクトは大前提ですが、24時間テレビのような無理やり感動押しつけは勘弁願いたいものです。
話は変わりますが、部員数問題を解決するためいくつかの府県では東京並みに複数代表制を導入できないものでしょうか。甲子園を目指し越境入学の部員集めとなっている現状の一助にならないものでしょうか。
いろいろとお気遣いも頂き恐縮です。
僕は自分のブログに書いたように
<迷惑がかからなければ>
主張はいかなることでも自由だと当然考えてます。
ので取り急ぎ、やりとりはここまでとさせて頂ければ幸いです。
もともと他人の書くことに意見を述べることがほとんどないもので。
ひとつだけ最後に。
<大元の部分で改革する必要があるのか、>
これは僕も必要ないとは書いておりません。
コメント欄にも何度か書きましたが
<広く構えたうえでの【実現の可能性高い代案】の提言>
に向かわないと、自己満足になる。
そのため、総論(理想論)より各論を、
詰めていけばいいと思っています。
さすがに仕事が詰まりすぎてきまして(笑)
今回はきりがなくなるのでここまでとさせて頂ければ幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
どんな人でも初めてすることは知識も自信もありません、知識が無いから簡単な事も出来ない。簡単な事すら出来ないから知識も自信も増えない。まさに悪循環です。しかし、ここを我慢していると、ある時、突然グラフは急上昇するのです。
問題は最初の低成長カーブがどの程度続くのか、上がりだした時のグラフの仰角の程度の予想が極めて困難だということです。
人間の9割はノの字型の成長をします。そして若い人の成長は時に想像を絶するものがあります。
横浜高校の渡辺監督は松坂大輔を「最初見た時、あまり期待してなかった」という話をしていたと思いますが、あれだけの大投手になりました。助走に長い期間を要する超大物もいるのです。我慢して数をこなすことこそ上達の王道なのです。
大人と社会の使命は子供にとって可能な限り最大の成長曲線を描けるチャンスを増やす事です。その為の見識を持つ事と、システムを作ってあげることが求められます。
部員百人の高校があっても、成長するチャンスを与える方法はある筈です。そのフォーマット作りに我々は知恵を使わねばなりません。
広尾さんの今回の記事は素晴らしい問題提起です。皆さんのコメントも本当に素晴らしいと思います。
いや、コメント一つするのも難しいものです。私も悪い言い方を承知で、と断った上で酷いことを書きましたが、あれはやはりやってはいけないことだったと反省しています。申し訳ないことをしました。
その上で、やはり単純に野球界の損失だと思うのは、広尾さんが挙げておられる2番目の視点です。
サッカー界ではこの年代を「育成年代」と呼びます。将来、プロに進むかどうかは一切関係ありません。10代は、あくまで選手を育てる年代だという共通理解が指導者、関係者、そしてファンにも存在します。
残念ながら、補欠の問題だけでなく、旧態依然の酷い指導者はここにもいるようですが、それでも公式戦をリーグ戦形式にしたりして試合数を増やしたり、複数チームを参加させたりして、一人でも多くの選手に出場機会を与えようという動きはほんの少しづつですが出てきています。
たぶん、野球界に「育成年代」という考え方が存在しない最大の理由は、おそらく野球界がプロ・アマで断絶してしまっていることだと思います。お互いがやりたいようにやってきた結果、アマチュアは選手を使いつぶそうとし(大学や社会人も含めてですが)、プロは一方的にアマチュアから人材を吸い上げるだけで、アマチュアへの利益還元をロクにやって来なかったわけです(だから、裏金問題も生まれる)。
こうやって考えると、全てがつながってしまっているのだと今更ながら気付かされます。私は、侍ジャパンの活動がプロ・アマ統一の動きにつながることを少しだけ期待しています。
みなさん、コメントありがとうございました。
良い一日でありました。
もちろん、自分も、高校野球には過去にもこうした事例があったことを承知の上で前述のような持論を主張してきたわけですが、やはり、現実にこうした球児の姿を見ると、登板回避すべき(させるべき)と思ってしまいますね。
結局、素直に野球を見れるようになるためには、酷使による故障や、体罰やいじめといった負の側面が解消される必要がありますね。負の側面が脳裏にチラつくと、素直に野球を見られませんからね。
ただ、そうした負の側面を解消することに血道を上げることで、高校野球の醍醐味が損なわれるようでは本末転倒であると思いますし、何とも悩ましい話です。
今回の議論を通じて感じたことは、個別の、小さな事情、小さな問題も、大きな問題も、ともに重要だと言うことです。
私は取材に基づいてブログを書いているわけではないので、どうしても見える部分、外側だけで評価をしてしまいます。
ナンシー関と言う人を知ってから、私はそういうやり方もありだと確信したのですが、同時に、現場に密着して情報を取ること、個別の事情を丹念に調べることも不可欠です。
両方の視点が重要でしょう。
予定調和的でよろしいんじゃないでしょうか。
そこで改めて感じたのは、まるで宗教のように、甲子園を崇めてしまう異常性です。
昨今のアイドルブームにも相通じるものを感じるのですが、未熟な少年少女の一挙手一投足に、いい大人たちが熱狂する様は、客観的にみれば、社会が歪んでいると言わざるを得ません。
本来、社会から守られるべき未成年達が、見世物のようにして社会の犠牲となっていることを、もっと深刻に受け止めるべきなのではないでしょうか。
少くなくとも、今の甲子園大会から、教育やスポーツの意義を感じ取ることは出来ません。
一般論かのように書かれていますが、ブログというメディアが過激な言葉を使わせるのではないと思います。広尾さん自身が、自分の意思で使っているだけでしょう。
世の中には、過激な言葉を使わなくても、しっかりとした内容で評価されているブログもいくらでもあります。
「ブロガーと言うスタンスは、ジャーナリストではなく、基本的にネット上でやり取りされる情報をベースとして発言することだと思っている。
もちろん、独断、偏見のそしりを受ける可能性はある。ご批判は甘受するが、この姿勢から発言する意味はあると思っている。」
ここが少しわからないのですが
・ネット上の情報をベースに(裏を取らず)
・外から見えることだけを用いて
・何かを批評すること
の意味とは、どのようなものだとお考えなのでしょうか。
私は、よほどの内容でなければ「ネット上の批評は、思い込みに満ちたものばかりである」という印象を強め、長期的にはブログ等での表現活動に対する悪影響のほうが大きくなると思うのですが。
もし「一般メディアが報道できないことが、個人なら伝えられる」というメリットに価値を置いているのであれば、それは取材をおこなって、しっかりと裏をとってから発言する形でも可能だと思います。
「取材対象と関係性を築いたら、厳しいことが言えない、全体が見えなくなる」かどうかは書き手の資質でしかなく、それが「取材をせずに書く」ことを肯定する理由にはならないと思います。
辛辣な批評ありがとうございます。
私はキャリア30年のプロのライターですが、ブログを本格的に初めて5年くらいです。プロとしてメディアによって文章を変えるのは当然のことです。
ブログを始めるにあたって、IT系のブログ講座を受講し(当時IT企業にいたので)、さらにlivedoorさんのブログ奨学金に当選したので、ネタフルのコグレマサトさんなどのお話も聞き、勉強しました。
私がブログを書くのは単なる日記ではなく、PVを集め、何らかの意味で世に出るためでしたから、そういう投資は当然の事でした。
ブログと言うメディアは、鋭角的な言葉で書かないと、ポータルサイトやITメディアには注目されません。だから言葉のエッジを立たせるように留意しています。
注目度を上げる努力をしているわけです。
ただし、言葉を尖らせることだけやって、内容が伴わなかったり、不適切な内容になっては元も子もありません。
私にも何度か苦い経験がありました。今回の石黒さんのご指摘も、いつの間にかまたそういう悪い部分が出たことが一因とは思っています。
「目立つ」「取り上げられる」ことと「真っ当であること」「有意義であること」の両立を目指しているわけです。
> 世の中には、過激な言葉を使わなくても、しっかりとした内容で評価されているブログもいくらでもあります。
そうかもしれませんが、知名度のない人間が、ブログで世に出ようとすれば、ある程度の「先鋭化」は仕方のないところです。
もちろん、おかしなことを書かないように、今後とも努力はします。
続きます
もう一つ、ブロガーとジャーナリストの違いについて
私の知っているプロのブロガーで、記者クラブのパスを持っている人は一人もいません。
みんな一般的な情報をもとに記事を書いています。裏を取る方法は実質的にありません。
私自身、ライターとして取材を生業にしていますが、ジャーナリストのように情報を取ることは、一般で考えるほど簡単ではありません。
今のジャーナリズムは「記者クラブべったり」と評され、取材源を批評したり、取材源が秘匿する事実を暴露したりすることはできなくなっています。
そして、プロ野球のヒーローインタビューのような、どうでもいい記事を量産しています。
なぜそうなるかと言えば、批判的な記事を書いた記者はすぐさま「出禁」を喰らうからです。
政財界などは別ですが、商業メディアが取材対象を批判することは、実質的に出来なくなっています。健全な批評ができる環境にはないのです。
私の畏友、MLB評論家の豊浦彰太郎さんは、テキサスのクラブハウスでダルビッシュに彼がむっとするような質問をしました。以後、一緒にいた日本のジャーナリストたちは、豊浦さんと口をきいてくれないようになったそうです。
ジャーナリストたちは、自分たちで規制を敷いて、頼まれもしないのに取材対象をガードしているのです。
スポーツを批評している作家の中には、グランドへ降りることも、球団を通して選手や指導者と接することを禁じられている人もたくさんいます。
おっしゃる通り、
>「取材対象と関係性を築いたら、厳しいことが言えない、全体が見えなくなる」かどうかは書き手の資質でしかなく、それが「取材をせずに書く」ことを肯定する理由にはならない。
とは思いますが、私のようにプロ野球界の現状に危機感を抱き、改革すべきだと言う意見を持っているものには、他の手段がありません。
これで最後
私はNPB関係者や球団関係者などの知人もいます。野球が強い私立高校の経営者も知っています。こういう人と話をすると、ぎょっとするような話がたくさん出てきます。プロアマの野球界の体質がひどいことは、はっきりしています。実はブログの中には、そういう根拠に基づいて書いているものもありますが、取材源が分かるような表現はできません。そういうこともあるのです。
ただし私は2ちゃんねるや、他の人のブログなどの二次的な情報は、使わないようにしています。基本的にメディアの情報をベースに書いていますし、記事の出元も公表しています。
至らない部分も多いですが、「ネット上の批評は、思い込みに満ちたものばかりである」と言われないような努力はしています。
私はナンシー関という人を尊敬しています。あの人はテレビの前に座って、そこから流れてくる情報だけで、コラムを書きました。エンタメ性も高かったですが、同時に業界人がたじろぐような鋭い批評もしました。
見る人が見れば、表面的な一般情報からでも、鋭い批評はできる、ということを彼女は示したと思います。
足元にも及びませんが、私は、彼女の姿勢に励まされてブログを書いています。
実のところ「一般の人間がブログで野球批評なんかしていいのか」自問自答することも多いのですが、誠実に書いていこうと思っています。
よろしければお付き合いください。
裏を取るということは大事な事ではあるけれど、良質の記事を書く上で絶対必須では無いと考えます。誰もが見える範囲の情報を元にしても価値ある判断はできます。
例えば、ソ連がまだ秘密主義の超大国で、自由陣営の人間が自由に情報を入手出来ない時代に、誰もが入手出来る国連統計の数値だけから、その崩壊を言い当てたエマニュエル・トッドのような人がいます。セイバーメトリクスも同様の視点から出た考えです。
それともう一点は、無料記事に、取材のための時間的、経済的負担を個人ブロガーに求めるのは酷ではないかと思います。もちろん、それでいい加減な記事を書いて良いという訳ではありませんが。
視点や論考を良く考えた良質な記事であれば、手段はさしたる問題ではないと私個人は思います。
私はここで良質の記事をタダで読ませていただいている事に感謝しています。(著作の購入で少しでもお返しできれば)
具体的には、球界再編騒動の時の話ですが、当時は楽天とホリエモンのライブドアが新規参入の枠を争っていて、当事者に取材をしているはずの朝日新聞(西村記者)などはライブドアに肩入れしていましたが、自分は素人感覚として、ライブドア=ホリエモンを「何だか危なっかしいな」「こんな人=会社に球団を預けたくないか」と思っていました。
そして、結果は案の定でした。楽天を選んだNPBは正解で、ライブドアを推したメディアは大間違いでした。あれでライブドアを選ばれたいたら大変なことになっていましたね。
あとは野球ではありませんが、PC遠隔操作事件の片山被告とかね。彼には弁護士もジャーナリストも完全に騙されたわけですが、あれだって、率直に言って、片山被告は見た目からして怪しさ満載だったわけです。
結局、その道のプロであっても、対象に近づけば近づくほどに、対象に取り込まれて判断を誤り、外から見ている人間の方が客観的な判断を出来ることもあるわけです。「岡目八目」という言葉の通りです。ことわざや格言というものはバカに出来ないですね。
ちょっと脱線しましたけど、自分はライターでもジャーナリストでもありませんが、「現場原理主義」や「経験原理主義」的な発想は、時に事実を見誤ることがあると思っていますし、外から見た方が客観的な判断を出来ることも往々にしてあると思っています。
知人のフリーカメラマンは渡米した際、MLBでは撮影パスをもらって自由に取材する事ができましたが、NPBでは、記者クラブ関係の人間しかパスは発給されず、フリーのカメラマンがグランド内に立ち入ることはできないと嘆いておりました。
政界もしかり、記者クラブとの互助関係によって既得権益が守られている限り、既存のマスコミに真のジャーナリズムなぞ生まれようはずもありません。
即ち、今こうしている間にも、我々の知る権利が損なわれている訳で、「マスゴミ」と罵るは簡単ですが、本来なら、こういった記者クラブ制度にこそ批判の目が向けられてしかるべきなんですけどね。
つまりは、そういった、旧態依然のメディアの存在に疑念が生じるようになっているからこそ、広尾さまのようなブロガーの存在意義が高まっているのだと思います。
例え、二次的な情報に基づいていたとしても、その情報をどのように捉え、評するのかが重要なのであって、それこそがジャーナリズム精神なのではないでしょうか。
評価いただき恐縮です。期待に沿うよう今後も頑張ります。
Kさん、感想をいただければありがたいです。
「知名度のない人間が、ブログで世に出ようとすれば、ある程度の「先鋭化」は仕方のないところです。」
このご説明だと、極めて利己的な理由で、他者を傷つける可能性を高めるきつい言葉を使っているということになります。「私は高速道路を150キロで走る。事故を起こす可能性は高くなるが、早く着きたいので、そうしている」というトラックのドライバーがいたら世間から批判されますよね。
先鋭化して目立つ、という策は表現者なら誰でも簡単に思いつくことです。でも多くの人は、他人に迷惑をかけることを避けるため我慢している。その我慢は、既存メディアの構造に取り込まれているから、とかそんなものではなく、ただ人としてモラルに従っているだけ。そこのリミッターを外すことと、球界の大問題に斬り込む果敢さは別物だと思います。
記者クラブを否定し、日本のジャーナリズムに物申し支持を集めた上杉隆氏が、経歴や原発問題に関するディテールをないがしろにしていった結果、信頼を失っていったのはご存知ですよね。(彼も細かい裏取り取材の有無を追及されていく中で「ならばジャーナリスト辞める」と言いました)
「大きな問題に言及することが大事で、そのためには小さな誤りや、結果的な中傷は時にはやむを得ない」というアプローチは、本当に何かを成し遂げたいのであれば、僕はマイナスだと思います。
あと、ナンシー関さんについて(私もファンだったので)。
彼女が批評したのは、テレビ局(番組)やタレントが、テレビを通じて視聴者に投げかけてきたものについてです。それをテレビの前に座って批評するのは当たり前で、その点で彼女は当事者でした。彼女が自分の手が届かないテレビ業界の裏側を推測で書いたりすることはなかった。また「業界のため」というような公共性を盾にした原稿もなく、全て個人の見識で勝負していました。そのあたりが今の広尾さんのやり方とは少し違うと思いました。
私は、ライターとして紙媒体にも書いています。紙媒体に比べて、ネットは多少先鋭的な言葉にならざるを得ないと言うだけで、信頼を極端に失うようなことは書いていません。
150キロで高速道路を走るようなことは書いていません。他人に迷惑をかけるようなこともしていないと思います。
ブログと言う媒体の特性を知り、それを活かすために違う表現作法をしているまでです。
はばかりながら、だから多くの方に読んでいただき、Kさん含め良質なコメントをいただいているのだと思います。
時には「女子サッカーを八百長と書いた」件など、失敗もしますが、おおむね妥当性があると自認しています。石黒さんの件は見識が浅かったって言われましたっけ?
取材や裏どりをせずに書いているのは、その必要がないと思うからです。野球界は取材をすることで書けなくなることがあまりに多いですし、徒労に終わることも多い。
取材をしなければ書けないことは書かないようにしています。
ブログは毎日が勝負です。コメントのリターンでもそうですが、即返答ができなければ書く意味はなくなります。そういうブログの特性が私は好きでもあります。
ナンシー関は、確かにテレビ番組のことを書きましたが、テレビを通して見える社会批評が鋭かったからこそ支持を得たのだと思います。
例えば彼女は、大物スターがクルージングするような番組を「接待」と看破しましたが、裏は採っていないと思います。
テレビの前に座って、目に飛び込んでくることをそのまま感じ、書いている。それでも鋭い批評ができる、ということに力づけられたのです。
もちろん、彼女に遠く及ばないことは自覚していますが。
私はブログを書き始めて多くの読者を得、出版やメディアへの出演などさまざまな機会を得ました。リアルな仕事も変化しました。
ブログは「貧者のメディア」ではありますが、そういうことができるのです。感謝をしていますし、ブログを大切にしていきたいと思います。
ご指摘の内容を今後も心して情報発信していきます。