東海大四高、西嶋亮太のスローカーブをめぐる議論はようやく下火になったようだ。もう少し実のある議論になればと思ったので、残念。
※スローカーブではなく、スローボールとのご指摘あり。岩佐さんもそのように言っておられるし、タイトルはそのまま流布しているので変更しないが、注釈を入れます。
岩佐徹さんは、私たちの世代には懐かしい人だ。1978年MLBの放送が始まったときのフジテレビのアナウンサーの一人。八木一郎、パンチョ伊東などの解説者と組んでオフチューブで放送をした。
私たちは、ほぼ同じタイミングで慶應大学池井優先生の「大リーグへの招待」と言う本に出会った。この本は、今見ても素晴らしい。文化論、文明論としても優れている。
その下敷きの上に、フジテレビのMLB放送を見たわけだ。

大リーグへの招待 (1977年) (平凡社カラー新書)
今たくさんいるアナウンサーのように「私が主役」とは全然思っていない岩佐氏は、控えめに、穏やかに実況をした。
そのトーンがベースになったので、MLB中継は、NPBの試合よりも知的で、文化の香りがするものになった。
岩佐氏自身がMLBへの造詣が深く、愛好していたので、こういう放送になったのだ。
思えば当時のフジテレビは「プロ野球ニュース」といい「大リーグアワー」といい、これまでやったことのないことをやろうと言う気概に満ちていた。そしてスタッフが野球が心の底から好きだった。今とは大違い、とは言うも野暮だが。
MLBに精通した岩佐氏は東海大四高、西嶋亮太のスローカーブを「イーファス・ピッチ」だと思ったのだろう。
「イーファス Eephus」は無意味な綴り。相手をおちょくるような無意味な投球のことを言う。
「人をおちょくった投球」と言えば私は中日の小川健太郎を思い出す。


彼はサイドスローの投手だったが、ときどきオーバースローやアンダースローで投げた。スローカーブも投げた。
極めつけが王貞治に投じた背面投げだろう。
当時小学生だった私は、学校で背面投げの真似をした。大人たちは「そんな真似をしてはいけない」と言ったが、草野球ではすぐに広がった。ストライクどころか、ノーバウンドで届かせるのも難しかったが、子どもはそういうのが大好きなのだ。
岩佐氏は、「甲子園の舞台で相手をおちょくるような投球をしてはいけない」というつもりで「東海大四のピッチャーのスローカーブ・・・ダメとは言わないが、少なくとも、投球術とは呼びたくない。意地でも。こういうことやってると、世の中をなめた少年になって行きそうな気がするが。ハハハ。」と言ったのだろう。
岩佐氏と同様の見方をした識者は結構いた。意見が分かれる問題ではあったのだ。
実際には東海大四高、西嶋亮太に超スローカーブは、相手の打ち気を逸らす有効な球であるだけでなく、あれだけの曲線を描きながらストライクゾーンに収まる驚異の球だった。
打者にとっては「イーファス」ではなく攻略が難しい「魔球」だったのだ。
岩佐氏のツイッターの「少なくとも、投球術とは呼びたくない。意地でも」の部分まではご本人の好悪を表しただけであり、問題はなかったと思う。
しかし、そういう投球をすることで「世の中をなめた少年になる」は余計な言葉だった。西嶋は相手をなめてかかってスローカーブを投げたのではなく、小さな体で強打者を攻略する手段としてこの球を編み出したのだから。
岩佐氏の発言に多くの人が違和感を抱いたのは無理からぬことだ。筆が滑ったというところだろう(筆でツイッターはできないが)。
岩佐氏が発言をしたのはツイッター上だったために、無制限に拡散してしまった。岩佐氏がマスコミ人であり知名度もあったために、大炎上をしたのだ。
私も炎上の経験があるが、怒涛のように押し寄せるコメントの中には、発言に本当に怒っているものもいくつかはある。
しかし大部分は、腐肉の匂いに群がるハイエナやハゲタカみたいなやつだ。「叩ける」と思ったら、徹底的に叩きに来る。自分たちの匿名性をいいことに、攻撃する。
私のときは「(当事者に)謝罪しろ」「ライターを辞めろ」「筆を折れ」と言ってきた。
彼らは狡猾だから「死ね」「殺す」は言わない。訴訟を起こされると困るからだ。しかし、それ以外のあらゆることを言う。一人が何人にも成りすまして攻撃をエスカレートしたりする。
この国で最も品性が下劣で卑怯な連中が集まってくるのだ。
岩佐氏の発言が不適切だったとしても、そこまで叩かれる謂れはない。お気の毒としか言いようがない。

火に油を注ぐように、ダルビッシュが発言した。
「スローボールかスローカーブかが投球術ではないという話があると聞きました。自分としては一番難しい球だと思ってます。言ってる人はピッチャーやったことないんだろうなと思います」
「大体賛否あることがおかしい。ボールを切って投げてるわけじゃあるまいし。どんなボールを投げたっていいでしょう」
ダルビッシュは、張本勲など解説者がMLB選手にひどい言葉を浴びせかけると、必ず反論する。
日米問わず、選手との連帯意識が強く、選手への粗野な批判や無理解には、鋭く対応している。日本の野球選手の頂点として、リーダーの自覚からくる対応だとは思う。
しかし、岩佐氏は、権威ではない。一ファンとして好悪を述べたに過ぎない。
ましてや、岩佐氏はダルビッシュ有が生まれる何十年も前に、MLBを初めて本格的に日本へ紹介した人でもある。手加減をしてほしかったと思う。
もう一つ、選手や元選手が
「プレーをしたことがない奴が、野球を語るな」
というのは、言ってはいけない言葉だと思う。
江本孟紀は、山際淳司の「江夏の21球」について
「野球をやったことがない人が書いていることがすぐにわかる」
と言ったが、恐らくこの名作は野球をやったことがないから書けたのだ。
「野球をやったことがないから」「甲子園に出たこともないくせに」
というのは、プレイヤーの傲慢だ。
その言葉を口にした選手が偉大であればあるほど、周囲は口をつぐまざるを得ないが、それは間違っている。
野球は、選手以外の多くの人が言葉にし、映像や絵画、漫画にすることで文化としての広がりを持つに至ったのだ。
技術論も含め、「野球をしたことのない人」が議論をすることで野球は豊かになって行ったのだ。
野球人は、そのことを忘れてはいけないと思うし、そのことに感謝すべきだ。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
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私たちは、ほぼ同じタイミングで慶應大学池井優先生の「大リーグへの招待」と言う本に出会った。この本は、今見ても素晴らしい。文化論、文明論としても優れている。
その下敷きの上に、フジテレビのMLB放送を見たわけだ。

大リーグへの招待 (1977年) (平凡社カラー新書)
今たくさんいるアナウンサーのように「私が主役」とは全然思っていない岩佐氏は、控えめに、穏やかに実況をした。
そのトーンがベースになったので、MLB中継は、NPBの試合よりも知的で、文化の香りがするものになった。
岩佐氏自身がMLBへの造詣が深く、愛好していたので、こういう放送になったのだ。
思えば当時のフジテレビは「プロ野球ニュース」といい「大リーグアワー」といい、これまでやったことのないことをやろうと言う気概に満ちていた。そしてスタッフが野球が心の底から好きだった。今とは大違い、とは言うも野暮だが。
MLBに精通した岩佐氏は東海大四高、西嶋亮太のスローカーブを「イーファス・ピッチ」だと思ったのだろう。
「イーファス Eephus」は無意味な綴り。相手をおちょくるような無意味な投球のことを言う。
「人をおちょくった投球」と言えば私は中日の小川健太郎を思い出す。
彼はサイドスローの投手だったが、ときどきオーバースローやアンダースローで投げた。スローカーブも投げた。
極めつけが王貞治に投じた背面投げだろう。
当時小学生だった私は、学校で背面投げの真似をした。大人たちは「そんな真似をしてはいけない」と言ったが、草野球ではすぐに広がった。ストライクどころか、ノーバウンドで届かせるのも難しかったが、子どもはそういうのが大好きなのだ。
岩佐氏は、「甲子園の舞台で相手をおちょくるような投球をしてはいけない」というつもりで「東海大四のピッチャーのスローカーブ・・・ダメとは言わないが、少なくとも、投球術とは呼びたくない。意地でも。こういうことやってると、世の中をなめた少年になって行きそうな気がするが。ハハハ。」と言ったのだろう。
岩佐氏と同様の見方をした識者は結構いた。意見が分かれる問題ではあったのだ。
実際には東海大四高、西嶋亮太に超スローカーブは、相手の打ち気を逸らす有効な球であるだけでなく、あれだけの曲線を描きながらストライクゾーンに収まる驚異の球だった。
打者にとっては「イーファス」ではなく攻略が難しい「魔球」だったのだ。
岩佐氏のツイッターの「少なくとも、投球術とは呼びたくない。意地でも」の部分まではご本人の好悪を表しただけであり、問題はなかったと思う。
しかし、そういう投球をすることで「世の中をなめた少年になる」は余計な言葉だった。西嶋は相手をなめてかかってスローカーブを投げたのではなく、小さな体で強打者を攻略する手段としてこの球を編み出したのだから。
岩佐氏の発言に多くの人が違和感を抱いたのは無理からぬことだ。筆が滑ったというところだろう(筆でツイッターはできないが)。
岩佐氏が発言をしたのはツイッター上だったために、無制限に拡散してしまった。岩佐氏がマスコミ人であり知名度もあったために、大炎上をしたのだ。
私も炎上の経験があるが、怒涛のように押し寄せるコメントの中には、発言に本当に怒っているものもいくつかはある。
しかし大部分は、腐肉の匂いに群がるハイエナやハゲタカみたいなやつだ。「叩ける」と思ったら、徹底的に叩きに来る。自分たちの匿名性をいいことに、攻撃する。
私のときは「(当事者に)謝罪しろ」「ライターを辞めろ」「筆を折れ」と言ってきた。
彼らは狡猾だから「死ね」「殺す」は言わない。訴訟を起こされると困るからだ。しかし、それ以外のあらゆることを言う。一人が何人にも成りすまして攻撃をエスカレートしたりする。
この国で最も品性が下劣で卑怯な連中が集まってくるのだ。
岩佐氏の発言が不適切だったとしても、そこまで叩かれる謂れはない。お気の毒としか言いようがない。

火に油を注ぐように、ダルビッシュが発言した。
「スローボールかスローカーブかが投球術ではないという話があると聞きました。自分としては一番難しい球だと思ってます。言ってる人はピッチャーやったことないんだろうなと思います」
「大体賛否あることがおかしい。ボールを切って投げてるわけじゃあるまいし。どんなボールを投げたっていいでしょう」
ダルビッシュは、張本勲など解説者がMLB選手にひどい言葉を浴びせかけると、必ず反論する。
日米問わず、選手との連帯意識が強く、選手への粗野な批判や無理解には、鋭く対応している。日本の野球選手の頂点として、リーダーの自覚からくる対応だとは思う。
しかし、岩佐氏は、権威ではない。一ファンとして好悪を述べたに過ぎない。
ましてや、岩佐氏はダルビッシュ有が生まれる何十年も前に、MLBを初めて本格的に日本へ紹介した人でもある。手加減をしてほしかったと思う。
もう一つ、選手や元選手が
「プレーをしたことがない奴が、野球を語るな」
というのは、言ってはいけない言葉だと思う。
江本孟紀は、山際淳司の「江夏の21球」について
「野球をやったことがない人が書いていることがすぐにわかる」
と言ったが、恐らくこの名作は野球をやったことがないから書けたのだ。
「野球をやったことがないから」「甲子園に出たこともないくせに」
というのは、プレイヤーの傲慢だ。
その言葉を口にした選手が偉大であればあるほど、周囲は口をつぐまざるを得ないが、それは間違っている。
野球は、選手以外の多くの人が言葉にし、映像や絵画、漫画にすることで文化としての広がりを持つに至ったのだ。
技術論も含め、「野球をしたことのない人」が議論をすることで野球は豊かになって行ったのだ。
野球人は、そのことを忘れてはいけないと思うし、そのことに感謝すべきだ。
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コメント
コメント一覧
誰のことですか?ちゃんと読みました?
結果的に岩佐氏を吊るし上げるような形になったのは残念です。
どこまでも広まる可能性を秘めてるツイッターでつぶやく時は、誰に広まってもよいと覚悟してつぶやくべきです。私はそんな覚悟がないので、ツイッターはやっていませんが。
どちらも一朝一夕では出来ないものですし、自分が生き残る為に、チームの勝利の為に、修練を積んで磨きに磨いた高い技術だと思います。
私は豪速球を投げる投手や長打を連発する打者よりも、身体能力のハンデを補う技術を持った選手を自然と応援したくなります。
片方は多くの人に批判され、自分でも省みることがあり謝罪した。
これだけの話だと思います。素晴らしいやり取りとは思いませんが
仮に自分とは異なる考えだったとしても、ごめんなさいをした時点で
それ以上に叩くような事は野暮でしょう。
ただ岩佐氏はその後のツイートで「西嶋投手とその関係者の目には触れていないと思いますが」
とも書かれていますが、まず間違いなく触れていますしTwitterとはそもそもそういうものです。
この辺りのことを理解されていないようだと、また遠からず別件で炎上するんじゃないかなとは思いますね。
あの言い方では、見るスポーツとして野球に接してきた人間の立つ瀬がなくなってしまう。
手元にある「魔球伝説」(文春文庫ビジュアル版)を読むと、
・天保義夫のナックル
・渡辺省三の時速50キロのスーパースローナックル
・藤沢公也のパームボール
・金田正一のスローカーブ
・安田猛のチェンジアップ
今ならさしずめF多田野のスローボールだってある。
実績を挙げている投手は投げない、なんて嘘ですよ。
漫画「大甲子園」だって、不知火守が蠅が止まる超スローボール、犬飼知三郎のマウンテンボールと遅いボールを投げる表現をしています。
困ったもんですねぇ。
イーファスピッチに関しては賛否両論あると思いますし、プロの場でもあって当然だとも思います。
ただ「投球術とは呼びたくない」とはさすがに言いすぎでしょう。150km/hの豪速球を投げられれば誰だって苦労はしないでしょうが、残念ながら西嶋亮太投手は130km後半までしか出ません。その彼が創意工夫の末にたどり着いた球種に「投球術とは呼びたくない」ではダルビッシュじゃなくても文句を言いたくもなります。岩佐氏ほど野球に見識のある方だったら「なぜそこに辿り着いたのか」を少し考えてみてもよかったのではないでしょうか。
またダルビッシュ自身が言いすぎなところもあると思いますが、彼のスローカーブはMLBではそれこそ「イーファス」と呼ばれているがゆえに黙っていられなかったんでしょうね。
周りの大人がやいのやいの言うのを気にせずに西嶋投手は今後も頑張って欲しいですね。
しかし、あのスローカーブが有効だったという感じも受けませんでした。
ピッチングフォームがずいぶん変わるし、バッターはリリースの前にわかっていたのではないかと思うので、フォームが崩れるとか言う影響は無かった気がします。
また、私が見ていた限りはストライクにもならなかったのでカウントは悪くなってしまいます。
残りは次の速球が速く見えるかということですが、これはどうなんでしょう?
このサイトの性格上、そういう記録がわかるといいのですが。
では、
舐めちゃいないし立派な技術だし、ルールのもとに行うことは何も問題ではないと考えています
ただダルビッシュはダルビッシュで最後に余計なことを...まあそういう性格なんでしょうね...
有名人からのリプライ欲しさに余計なご注進をする人が多いようですね。
私は広尾さんとは反対で、後段は気になりませんでした。むしろ、いい子や小さくまとまりがちな最近の若者にしては、珍しく度胸の据わった「悪童」じゃないかと。誉めた「ハハ」かと思いました。
ただ、これも逆に、前段に違和感を覚えました。やはり彼のスローボールは武器であり、立派な投球術だと見ていたので。
物議を醸してしまいましたが、すぐにダルに謝ったのは大人の対応でした。お歳からしても意固地になりそうなものですが、そのあたりはさすがです。
コメントしたいのですが、文字数の制限がありますか?
ようこそいらっしゃいました。800字ですが、コメントを分ければいくらでもお書きいただけます。もしよろしければ、記事面でご紹介させていただきます。
少し時間がかかりますが、いずれ…
ダルの発言を見て真っ先に思ったのは感謝が足りないということ、
本人に言っても理解できないでしょうが。
Twitterなんかにエネルギー使わないではよ戻りなさいよと。
お待ちしています。
このブログの醍醐味ですね^^
どきどきしますなあ。清武さんも来たしね。(サッカーじゃない方の)
ここは記事に出ている御本人様からのコメントもあるのですね!?
楽しみがまた増えました♪
意外な展開。
この間の高校野球のあり方についてもそうですが、
広尾様のブログの影響力の高さですね。
それだけの文章を書き続ける能力に敬意を表します。
高校野球のあり方に関する総括はすばらしいものでした(そこにコメントしろよ!>自分)
誰がどんな発言をされるのも自由だとは思いますが、
ファンとして、ベースボールとそのプレイヤーに対するリスペクトがあるか、ないか、
それが、私たちがその発言を判断するたった一つの基準だと思います。
せっかくご本人がいらっしゃるとのことなので、そのリスペクトを是非効かせていただければ、と思います。、
では岩佐氏が再コメントする前に私の思いを一つ。
私は西嶋投手の投げたスローボールは腕の振りが鈍くなるのを省みない点が日ハム多々野に似ていると思いました。プロでも似た投法をしているものがいるのにそれが投球術ではないのか?というのが私の思いつくところです。
これまでのコメントから勘案すれば、ダルが言いたいところは「素人が口を出すな」ということです。
私は、スローカーブ使いの高校生といえば、その昔群馬県を代表する進学校で有名な高崎高等学校で甲子園に出た川端俊介投手という人を知っています。東京学芸大学で日本ハム栗山監督の2学年下になったはず。
山際淳司氏の著書で主人公として知ってる方も多いでしょうが。
川端投手の件を知る世代として、今こんな「不毛な議論」が発生するとは信じがたかったです。
今回の岩佐氏に関しては、西嶋君の投球術が好きではなかった・私の美学に反する、それでとどめておけば、メジャーリーグファンの考え方のひとつとして問題はなかったと思っています。
しかし「なめた大人になる」という皮肉っぽい表現が問題だった。
蒸し返すのは悪いと思いますが、広尾さんの2012年にあった件も、サッカー評論家の大住良之氏が同じ件で批判をしていましたが、騒ぎにならなかったのは「サッカーを志す子供たちが観ている試合でそういう駆け引きをやって欲しくなかった」としたからだと思います。
「調子のってる、いい気になっている」の表現が反発を招いてしまったのでしょう。
炎上騒ぎで非難してくる人間の大多数は、中途半端にその分野に対して知識があり、それが選手達を擁護することになるんだと一種の正義感、使命感を一方的にふりかざして責めてくるわけなので悩ましいものですね。
自分の正義や美学が明確でも、それを上から振りかざす人間になってはならないという教訓だと思いました。
個人的には、余計なお世話と思います。
最後にTwitterで波紋呼んだ人は本当に反省してほしいですね。自分で育てたわけでもない高校生つかまえてなめた子になるなんてどの口が言うのか。本人にも親御さんにも失礼だろーが。
ご意見をまとめると、野球のことも含めて「他人の事には口出しするな」と言うことになりそうですが。
それを言うと評論も批判も成り立ちませんね。
覆水盆に返らずの故事はありますが、過ちを悟れば、すぐに謝れば良いのでは? というかそれしか方法がありません。
岩佐さんは自分の言を失言と判断されてすぐに謝罪されました。謝罪の文章にも誠意を十分に感じられ、ある意味素晴らしいと思いました。また、想定されうる今後の展開の中ではダメージを最小にされたのではないでしょうか
東京都議会のヤジ問題の時に、犯人の議員はシラを切ったばかりか、テレビカメラの前で「他から声が聞こえた」と言って自分の傷を深くしました。
残念ながら失言はどうやっても起きます。発言者は気づいたら少しでも早く、誠心誠意謝る。そして、完全に降参の意を表している相手を必要以上に叩くべきでは無いと個人的には思います(もちろん発言の内容にもよりますが)。
ユニフォーム問題でも書いたのですが、今の人は敗者への思いやりが余りに無さ過ぎると思います。日露戦争の時に敗軍の敵将に帯剣を許した精神を思い出すべきではないでしょうか?
言葉は伝えるべき意味が正確に伝わらない事があります。仕事柄NGワードをいかに出さないかに気を使ってこられたプロの方でもこういう事が起きる、というこの事例で、改めて言葉の恐ろしさを感じました。
観る側の批評は言論勝負。
映画評論界のように壊滅状態にならないように。
現場も言論も含めた大きなスポーツ界の発展のために。
まさにその通り。
逆に評論家が選手を尊敬しているようには全く見えないのですがこれは加齢により傲慢になったということでしょうか
失礼ですが、どういう経歴をお持ちなのか存じ上げません。
たまたま、このブログに出会い、記事について少しコメントを
しようと思っただけですからそれでいいと思っています。
初めは“盛大に”書こうと思っていました。
しかし、コメント欄を見ると、それは危険だと思い今回は
限定的なものにしようと決めました。自分のブログなら
ともかく、第三者のブログに書き込むことで一部の人たちに
新しい“騒動”の材料を提供するのはやめておきます。
で、今回は記事の中の間違いや疑問点などを指摘するだけに
とどめます。どうでもいいこともありますが、ついでですから。
ハハハ。
では、順を追って。
フジテレビのMLB中継が始まったのは1978年です。
初めはオフチューブでしたが、79年は私がほぼ1シーズン、
アメリカに滞在して各都市を“転戦”して現地実況しました。
褒めすぎの記述、恐縮です。いろいろな情報を伝えたくて
自分がしゃべりすぎたと今になって反省しています。
続きます。
西嶋のあのボールをイーファス・ピッチだと思った…は違います。
私は、その言葉を今回初めて聞きました。
あのツイートは「甲子園の舞台で相手をおちょくるような投球を
してはいけない」というつもりで書いたものではありません。
彼は、あれを投げなくても緩急をつけて相手を抑える投球術を
すでに持っていると思いながら見ていました。「そんな球を
投げなくてもいけてるのになぜ?」という気持ちだったのです。
相手の打ち気を逸らす有効な球であるだけでなく、あれだけの
曲線を描きながらストライクゾーンに収まる驚異の球だった。
打者にとっては「イーファス」ではなく攻略が難しい「魔球」…
とありますが、ストライクゾーンに納まっているでしょうか?
ミットに収まる直前でもボールは打者の頭より高い位置にあります。
プレート上のゾーンを通過させるためには多分ワンバウンドする
ぐらいでなければだめだろうと思います。どちらにしても審判が
ジャッジできるかどうか疑問ですが。
筆が滑った…
まさにその通りです。お粗末でした。
ただし、今の私はマスコミ人でもないし、現役時代も今も知名度は
知れたものです。
「死ね」「殺す」は言わない。訴訟を起こされると困るから…
私は、しつこく言われました。
火に油を注ぐように、ダルビッシュが発言した…
私はそのような印象を持っていません。彼の発言はまともです。
“ピッチャーやったことない”人間が何か言ってはいけないと
とれる部分はまずかったかもしれませんが。
長くなりましたが、以上です。
ほかにも言いたいことはありますが、
今は言うべき時ではないと思っています。
ご活躍を祈ります。
コメントありがとうございます。年代等修正いたします。
当方は、特にお見知りいただくほどのものでもありません。
岩佐さん、このサイトに来ているコメンターは、ツイッターの輩とはかなり違います。私の権限で失礼なコメントは削除し、環境維持につとめていますので、礼節をわきまえた人ばかりです。
お陰様で、野球ブログとしてはlivedoorでは一番PVが多くなりましたが、荒れたりおかしなことにならないように最大限の努力を払っています(私が荒したりしますが 笑)。
忌憚のない意見交換をしていただければと思ったのですが、残念です。
ただ、どんなご意見であれ、必ず感想なり反論なりは来るものです。それに応じるのもネットコミュニケーションの大事な要素だとは思います。
ご本人にお聞きしなければわからないことも多いので、ようやく解明できてよかったと思います。
ここにお書きいただいたことで、少しでも誤解を解くことができれば幸いです。
ツイッターで「死ね」「殺す」と言われたのなら、当局に通報されるべきです。関わり合いになりたくないとお思いでしょうが、そうすることでネット環境は良くなっていくと思います。
今後もよろしくお付き合いください。
、しばらく観察してみましょう。
私が書きこんだことをコピペして
どこかに晒す輩が必ずいます。
ハハハ。
いよいよとなれば通報するつもりで
いろいろデータをそろえいぇいます。
その際はいろいろ穂教示ください。
蛇足ながら、そういう輩には警告されるべきです。「その言葉はすでに犯罪である」と。「法律関係に相談する」も有効です。びっくりするほど簡単に謝りますし、それを見ていた連中も引いていきます。
そういう小心な奴がいっぱい来ているわけです。
2年前、私も立ち往生しましたが、一度はっきり突っぱねるとうそみたいにごみが減っていきました。
その後、私は本当に悪質なネットストーカーにまとわりつかれて、訴訟準備をしていますが、そういう連中に比べれば可愛いもんです。
それから他のサイトにさらす奴は無視してもOKです。岩佐さんのサイトが炎上し続けない限り、飛び火が広がることはまずありません。
彼ら一人ひとりには拡散する力はありません。寄生虫みたいなやつですから。
感謝です。大いに参考にさせていただきます。
甲子園ではプロ野球などと比べて特に「スポーツマンシップ」が重んじられる風潮があるように思います。嘗ての松井秀喜の連続敬遠が批判されたり、去年のカット打法については審判団から注意、禁止令が出たとも聞きました。今年も、健大高崎が大量リードから盗塁したとして批判が出て、某メディアに文章が載せられております。野球のルールには一切抵触していないのに、です。
今回の投球に関して言えば、少なくとも私の見た試合では、あの球を投げた瞬間から投手自身の調子や投球テンポがより上向きになっていったように感じましたし、その点で非常に効果のあるボールだと思いました。もちろん投手自身もその球を投げた事による満足感や、湧き上がる歓声を聞いて調子を上げたという点はあるでしょうから、その投球を見た人によっては相手を挑発して見下したとか、観客へのパフォーマンスだと言うようにとらえた人もいたのかもしれません。そのような中であのツイートがあったからこそ過剰に炎上したのではないかと思います。
本塁上でのブロックとタックルやハーフスイングの判定など野球のルールにあやふやな点が多くてルール自体に問題がある、という点はこの際置いておくとして、やはり「ルール内でできることをして勝ちに行く」ことと「スポーツマンシップを重んじる」ことは一部相反する部分が有るように思います。この点は、甲子園は一生のうちの一回勝負という点も含め、もう一度審判、監督、マスコミ、視聴者それぞれが考えるべきだと思います。一個人の意見としては、甲子園は負けられない戦いの連続ですので、最低限のルールに抵触しないのであれば各校それぞれルール内で全力で戦って欲しいと思っております。
その中でかなり大きなテーマになっているのが「甲子園で観客を味方につける」ということです。
作品中で主人公はあの手この手で観客を味方にする手段を講じます。
常に全力疾走、独自の応援歌、左投げ(ケガのせいですが)etc
翻って今回の件ですが、西嶋くんも同じような趣旨の発言をしていますね。
彼がこの作品を読んでいるのかどうかは知りませんが、真っ先にこのことを思い出しました。
彼の行為を「頭脳的」と取るか「あざとい」と取るかは正直意見の分かれるところだと思いました。
その上で私は彼の投球は「アリ」だと思ったのですけどね。
なので私は、岩佐さんの考え・発言には同意は出来ないですし、「世の中をなめた少年になる」は批判も致し方ないとは思うのですが、それよりもご本人が謝罪して取り消した以上、その件については不問であるべきだと思うのですけどね。犯罪じゃないのだから。
溺れた犬をとことん叩くような今の風潮は正直嫌いです。
まさにおっしゃる通りです。
スローカーブが是か否かではなく、スローカーブを投げた時の心がどこにあるかが問題ですね♪
西嶋投手が相手をバカにして投げているならそれは否ですし、相手を打ち取るための投球術として投げているのならダルビッシュ投手の言うようになんら問題ないですよね♪
面白いのは見る側の心、魂も反映されると言うことです♪
もし自分が、このボールを投げるなら相手をバカにして投げるなーっと、実は西嶋投手は関係なく、そのコメントにはその方の魂の在り方が表れているんですよね♪
人は自分の持つネガティブな心の部分に触れた時に怒りを覚えます♪
誰かの言動に怒りを覚えた時には必ず自分自身がそれを持っていつからです♪
そういう部分を持ち合わせていない人は気付かずに素通りしてしまうんです♪
ですから、人それぞれ魂の在り方が違うのでこの問題は見る側の魂の在り方で見え方もそれぞれ違うんですよね♪
大多数の普通のファンは、選手の一挙一動に惹き付けられ、酔わされたり憤ったり、その言動の本意を推測し議論する事に楽しみを見出しているでしょうし、それによってスポーツ興行も成り立っているでしょう
それを選手が下らないと否定するような事はそれこそ世の中を舐めているでしょう
西島君は知りませんが、ダルビッシュは積極的に議論を盛り上げる側に廻ってると思いますよ(笑)
今回の話からそれるのですが、去年のカット打法については
>野球のルールには一切抵触していないのに、です。
のではなくて高校野球のルールに抵触しているとして注意を受けています。
>高校野球特別規則
>17.バントの定義
>
>バントとは、バットをスイングしないで、内野をゆるく転がるように
>意識的にミートした打球である。
>自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルにするような、
>いわゆる“カット打法”は、そのときの打者の動作
>(バットをスイングしたか否か)により、審判員がバントと判断する
>場合もある。
このカット打法禁止の高校野球特別規則は、1972年夏の甲子園で、東洋大姫路高校の前原選手が兵庫県予選から初戦の習志野高校戦で多用し、習志野高校の阿部東司捕手から抗議受けて制定されました。
阿部氏は、あの巨人・阿部慎之助の父上になります。
なお、1992年春の甲子園決勝、帝京対東海大相模の試合で、東海大相模の吉田(元近鉄)がこのカット打法によりスリーバント失敗と判定されました。
僕がピッチャーだったら、あんな事はしないだけです。
世の中をなめた人間になろうがなるまいが関係ないし。
そんなことは道徳だの倫理だの哲学でしょ。
スポーツ、ましてやプロを目指す子が集まって勝利を目指す大会に人間形成とか求めるのがおかしい。
スポーツが社会性や人間性を養うのかそもそも疑問だけど、真剣勝負してるのにそんな余裕ないでしょ。スポーツを楽しむクラブとは違うんだから。甲子園なんてセミプロじゃん。
大人(主に中年以上の男性が多い)が求める高校生らしさって、向こう見ずでひたむきで身体のことを考えず、坊主で、チームのため監督のため!って言って怪我することなの?疑問すぎる。
しかもノックアウト方式。これも大人が面白いからでしょ。一戦に全てをかける純粋な球児ってのを見たいんでしょ、、。お金の事情と放送の事情もあるんだろうけど。
単に個人的意見を開陳されても、そうですか、としか言いようがない。
ダルビッシュが擁護するのは仕方ないと思います
それで西部くんも気が晴れるでしょう
岩佐さんがどんな人であれ、マスコミに近い人、つまり発信力をある程度持った人が批判的発言をするときはもう少し気を遣うべきです
岩佐さんがどれくらい吊るし上げられたかは存じあげませんが、ダルビッシュの擁護は非難されるべきではないと思います
私もそう思います。