東海大四高、西嶋亮太のスローカーブをめぐる議論はようやく下火になったようだ。もう少し実のある議論になればと思ったので、残念。

※スローカーブではなく、スローボールとのご指摘あり。岩佐さんもそのように言っておられるし、タイトルはそのまま流布しているので変更しないが、注釈を入れます。
岩佐徹さんは、私たちの世代には懐かしい人だ。1978年MLBの放送が始まったときのフジテレビのアナウンサーの一人。八木一郎、パンチョ伊東などの解説者と組んでオフチューブで放送をした。
私たちは、ほぼ同じタイミングで慶應大学池井優先生の「大リーグへの招待」と言う本に出会った。この本は、今見ても素晴らしい。文化論、文明論としても優れている。
その下敷きの上に、フジテレビのMLB放送を見たわけだ。

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大リーグへの招待 (1977年) (平凡社カラー新書)



今たくさんいるアナウンサーのように「私が主役」とは全然思っていない岩佐氏は、控えめに、穏やかに実況をした。
そのトーンがベースになったので、MLB中継は、NPBの試合よりも知的で、文化の香りがするものになった。
岩佐氏自身がMLBへの造詣が深く、愛好していたので、こういう放送になったのだ。

思えば当時のフジテレビは「プロ野球ニュース」といい「大リーグアワー」といい、これまでやったことのないことをやろうと言う気概に満ちていた。そしてスタッフが野球が心の底から好きだった。今とは大違い、とは言うも野暮だが。

MLBに精通した岩佐氏は東海大四高、西嶋亮太のスローカーブを「イーファス・ピッチ」だと思ったのだろう。
「イーファス Eephus」は無意味な綴り。相手をおちょくるような無意味な投球のことを言う。

「人をおちょくった投球」と言えば私は中日の小川健太郎を思い出す。



彼はサイドスローの投手だったが、ときどきオーバースローやアンダースローで投げた。スローカーブも投げた。
極めつけが王貞治に投じた背面投げだろう。
当時小学生だった私は、学校で背面投げの真似をした。大人たちは「そんな真似をしてはいけない」と言ったが、草野球ではすぐに広がった。ストライクどころか、ノーバウンドで届かせるのも難しかったが、子どもはそういうのが大好きなのだ。

岩佐氏は、「甲子園の舞台で相手をおちょくるような投球をしてはいけない」というつもりで「東海大四のピッチャーのスローカーブ・・・ダメとは言わないが、少なくとも、投球術とは呼びたくない。意地でも。こういうことやってると、世の中をなめた少年になって行きそうな気がするが。ハハハ。」と言ったのだろう。

岩佐氏と同様の見方をした識者は結構いた。意見が分かれる問題ではあったのだ。

実際には東海大四高、西嶋亮太に超スローカーブは、相手の打ち気を逸らす有効な球であるだけでなく、あれだけの曲線を描きながらストライクゾーンに収まる驚異の球だった。
打者にとっては「イーファス」ではなく攻略が難しい「魔球」だったのだ。

岩佐氏のツイッターの「少なくとも、投球術とは呼びたくない。意地でも」の部分まではご本人の好悪を表しただけであり、問題はなかったと思う。
しかし、そういう投球をすることで「世の中をなめた少年になる」は余計な言葉だった。西嶋は相手をなめてかかってスローカーブを投げたのではなく、小さな体で強打者を攻略する手段としてこの球を編み出したのだから。

岩佐氏の発言に多くの人が違和感を抱いたのは無理からぬことだ。筆が滑ったというところだろう(筆でツイッターはできないが)。
岩佐氏が発言をしたのはツイッター上だったために、無制限に拡散してしまった。岩佐氏がマスコミ人であり知名度もあったために、大炎上をしたのだ。

私も炎上の経験があるが、怒涛のように押し寄せるコメントの中には、発言に本当に怒っているものもいくつかはある。
しかし大部分は、腐肉の匂いに群がるハイエナやハゲタカみたいなやつだ。「叩ける」と思ったら、徹底的に叩きに来る。自分たちの匿名性をいいことに、攻撃する。
私のときは「(当事者に)謝罪しろ」「ライターを辞めろ」「筆を折れ」と言ってきた。
彼らは狡猾だから「死ね」「殺す」は言わない。訴訟を起こされると困るからだ。しかし、それ以外のあらゆることを言う。一人が何人にも成りすまして攻撃をエスカレートしたりする。
この国で最も品性が下劣で卑怯な連中が集まってくるのだ。

岩佐氏の発言が不適切だったとしても、そこまで叩かれる謂れはない。お気の毒としか言いようがない。

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火に油を注ぐように、ダルビッシュが発言した。
「スローボールかスローカーブかが投球術ではないという話があると聞きました。自分としては一番難しい球だと思ってます。言ってる人はピッチャーやったことないんだろうなと思います」
「大体賛否あることがおかしい。ボールを切って投げてるわけじゃあるまいし。どんなボールを投げたっていいでしょう」

ダルビッシュは、張本勲など解説者がMLB選手にひどい言葉を浴びせかけると、必ず反論する。
日米問わず、選手との連帯意識が強く、選手への粗野な批判や無理解には、鋭く対応している。日本の野球選手の頂点として、リーダーの自覚からくる対応だとは思う。

しかし、岩佐氏は、権威ではない。一ファンとして好悪を述べたに過ぎない。
ましてや、岩佐氏はダルビッシュ有が生まれる何十年も前に、MLBを初めて本格的に日本へ紹介した人でもある。手加減をしてほしかったと思う。

もう一つ、選手や元選手が
「プレーをしたことがない奴が、野球を語るな」
というのは、言ってはいけない言葉だと思う。

江本孟紀は、山際淳司の「江夏の21球」について
「野球をやったことがない人が書いていることがすぐにわかる」
と言ったが、恐らくこの名作は野球をやったことがないから書けたのだ。

「野球をやったことがないから」「甲子園に出たこともないくせに」
というのは、プレイヤーの傲慢だ。
その言葉を口にした選手が偉大であればあるほど、周囲は口をつぐまざるを得ないが、それは間違っている。

野球は、選手以外の多くの人が言葉にし、映像や絵画、漫画にすることで文化としての広がりを持つに至ったのだ。

技術論も含め、「野球をしたことのない人」が議論をすることで野球は豊かになって行ったのだ。
野球人は、そのことを忘れてはいけないと思うし、そのことに感謝すべきだ。


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