今年は石黒謙吾さんとの議論もあって、高校野球に改めて目を見開かされた年になった。
「高校野球は改善されるべきだ」と主張するあまり、高校野球そのものを否定していたのはいけなかった。そもそも私は「野球好き」であったはず。野球に罪はない、野球以外の要素に問題があったのだ。
初心に戻って甲子園で1日4試合を観戦してしみじみ感じたのは、まず、「甲子園は日本一の球場だ」ということ。
私は昔の大阪球場が大好きだった。今でいえば神戸のホットモットフィールド、横浜スタジアム、千葉のQVCフィールド、愛媛の坊っちゃんスタジアムも好きだ。
いずれもグランドが美しく、球場やその周辺の環境に独特の雰囲気がある。
ドーム球場はどこにも「空がない」し、プラスチックの容器に入れられた昆虫のような心持になるので嫌いだ。喧しい応援が渦を巻いて、球音が聞こえなくなるのも嫌だ。
そんな中で甲子園は確かに別格だ。特に2007年から3年を費やした改装で、素晴らしい球場に生まれ変わった。

2007年10月からオフシーズンを3期使っての改装は、
2007年=内野スタンド下改装、内野観客席改修
2008年=アルプス、外野スタンド下改修 同観客席改修 銀傘撤去、新設 スイート席新設
2009年=外野外壁改修、売店基地棟新設、外野広場整備
施工した大林組は、恐らくフェンウェイパークやカムデンヤーズなど海外の球場も参考にしたのだろうが、伝統と快適性が見事にマッチしている。
感心したのは、シートのすわり心地の良さだ。昨年のアジアシリーズでは連日台湾の桃園や台中インターコンチで長時間観戦したが、腰や尻が痛くて何度も立ち上がった。
独立リーグでもダブルヘッダーを見たが、地方球場の固い板を差し渡しただけの座席での長時間観戦は苦痛以外の何ものでもなかった。
甲子園のシートも固い樹脂製ではあるが、長時間座っても快適だった。シートの大きさや形状をしっかり考えているのだろう。
土と緑の美しさは言うまでもないところだ。5回終了時のグランド整備は、丁寧でしかも速い。これを見ているとグランドキーパーが「ワーイエムシエー」とか踊るのは邪道だと思えてしまう。

甲子園は単に大きいと言うだけでなく、最上の舞台であることを改めて実感した。

甲子園は、プロ野球ではなく、高校野球のためにこの「品質」を維持してきたのだ。プロ野球ができるはるか前から、高校野球のメッカ(古!)として磨かれてきたのだ。
阪神タイガースを含め、プロ野球はその恩恵を被っていると言っても良い(そういう意味では神宮球場も大学野球のためにある。神宮も古いがそういうプレミアム感はない)。
高校野球にとって甲子園は文字通り「聖地」なのだと思う。
ただ、この聖地に行くことが究極の目的になってしまうことが、高校野球を過度に熱くしているのだと思う。
これまでも触れたが、高校野球は野球と言う競技の「15歳から18歳までのジュニア大会」に過ぎない。
人生、そして野球人生は長々と続くはずなのに、この競技会にピークを持ってきて、そのために大人も子供も恐ろしいエネルギーを使っている。
甲子園に行くために小学校から野球の英才教育をする。中学、高校も選別する。甲子園への競争率が低い地域に留学する。そして学校側も優秀な子どもは学費免除や小遣い支給で獲得しようとする。
これは有名大学進学を掲げて中高一貫教育で子供を鍛え上げる「新受験戦争」と相似を成している。事実、大阪桐蔭をはじめ「野球と進学」を2枚看板にする私立高校は多い。同じ考えによるのだと思う。
そういう意味では、野球だけではなく、高校教育そのものが変質していると言えるかもしれない。
経済格差が開く中、親も子供も「アッパークラス」を目指して血道を上げているのだ。
しかし受験戦争は、高校野球程「狭き門」ではない。東大がだめでも、それに次ぐ大学が富士山の裾野のようになだらかに連なっている。もちろん、トップを目指す親子には不満足だろうが、選択肢はたくさんある。何せ「大学全入」時代なのだから。
それに高校野球では投手が肩や肘を酷使して以後投げられなくなることがあるが、受験生が勉強しすぎて馬鹿になってその後使い物にならなくなることはまずない。
高校野球は、「かけがえのない才能、肉体を、次のステージに安全に送り届ける」という発想がないと思う。
「君よ8月に熱くなれ」というが、熱くなった後のケア、フォローをちゃんとしていないように思う。
特に投手は、もう少し考えてやらねばならない。
昨日優勝した大阪桐蔭の福島孝輔は、4日間で399球を投げた。準優勝の三重の今井重太朗は甲子園で814球を投げた。


NHKや朝日新聞は「一人で投げ抜いた」ことを美談にしているが、こうした過酷な登板が彼らのその後の野球人生に影響を与えるのは可能性は高い。
現場の指導者は甲子園に来れば「勝負師」と化す。彼らに自制を求めるのは難しい、学校、郷土の期待を背負って、勝つためにはどんな無茶でもしかねない。

運営者側が「球数制限」「登板間隔制限」を設けなければ、歯止めはかからないだろう。
私は高校野球はもっと抜本的な改革が必要だと思うが、「球数制限」だけは、すぐにでも導入が可能なはずだ。
本当に「高校野球」が「教育の一環」だと言うのなら、選手の健康のため、即座に導入してほしいと思う。
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私は昔の大阪球場が大好きだった。今でいえば神戸のホットモットフィールド、横浜スタジアム、千葉のQVCフィールド、愛媛の坊っちゃんスタジアムも好きだ。
いずれもグランドが美しく、球場やその周辺の環境に独特の雰囲気がある。
ドーム球場はどこにも「空がない」し、プラスチックの容器に入れられた昆虫のような心持になるので嫌いだ。喧しい応援が渦を巻いて、球音が聞こえなくなるのも嫌だ。
そんな中で甲子園は確かに別格だ。特に2007年から3年を費やした改装で、素晴らしい球場に生まれ変わった。

2007年10月からオフシーズンを3期使っての改装は、
2007年=内野スタンド下改装、内野観客席改修
2008年=アルプス、外野スタンド下改修 同観客席改修 銀傘撤去、新設 スイート席新設
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そういう意味では、野球だけではなく、高校教育そのものが変質していると言えるかもしれない。
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しかし受験戦争は、高校野球程「狭き門」ではない。東大がだめでも、それに次ぐ大学が富士山の裾野のようになだらかに連なっている。もちろん、トップを目指す親子には不満足だろうが、選択肢はたくさんある。何せ「大学全入」時代なのだから。
それに高校野球では投手が肩や肘を酷使して以後投げられなくなることがあるが、受験生が勉強しすぎて馬鹿になってその後使い物にならなくなることはまずない。
高校野球は、「かけがえのない才能、肉体を、次のステージに安全に送り届ける」という発想がないと思う。
「君よ8月に熱くなれ」というが、熱くなった後のケア、フォローをちゃんとしていないように思う。
特に投手は、もう少し考えてやらねばならない。
昨日優勝した大阪桐蔭の福島孝輔は、4日間で399球を投げた。準優勝の三重の今井重太朗は甲子園で814球を投げた。


NHKや朝日新聞は「一人で投げ抜いた」ことを美談にしているが、こうした過酷な登板が彼らのその後の野球人生に影響を与えるのは可能性は高い。
現場の指導者は甲子園に来れば「勝負師」と化す。彼らに自制を求めるのは難しい、学校、郷土の期待を背負って、勝つためにはどんな無茶でもしかねない。

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コメント
コメント一覧
とにかく収益のために建ててAKBのコンサートなんかにも場所貸しする某ドーム球場とは球場の品位では雲泥の差がありますね。
ビールは東京ドームより神宮、横浜がおいしいですね、ってビールの話じゃない。
甲子園が日本一の球場というのがテーマですね。異論ありません。しかし、一点だけ改善して欲しいことがあります。内野の芝化。昔の後楽園球場みたいにできないものか。ペナントレースや一日4試合高校野球では維持できないのでしょうか。サンマリンを使用している宮崎を見習ってみてはどうでしょう。
また、ウィンブルドンのように日程が進むにつれ剥げてしまう芝生にも風情を感じるのですが。
かの有名なベーブ・ルースがここだけは場外本塁打が打てないと言った球場。いつかここで場外が打てるような打者も見てみたいですね。
是非とも甲子園の内野芝生化を希望します。
おっしゃる通り、1日最大4試合の高校野球時には芝生が荒れることが予想されますが、一番傷むのはマウンド本塁間の芝生だと思いますので、デトロイトのコメリカパークのようにその部分だけ土にするのもありかなと考えます。
Gファンですがさんがテニスで有名なウィンブルドンに触れていらっしゃったので私も。
テニスの四大大会における、ボールパーソンやグラウンドキーパーたち(特に降雨中断時)の動きも、なかなかに迅速且つ丁寧であり見る側も気持ちのよい感じを受けるのを思い出しました。
このような裏方さんたちの下支えがあってこそ、選手は安全且つ気持ちよくプレイが出来ますし、球場(会場)が正常に運営・維持されているのだと思います。あまりスポットライトは当たりませんが、本当に感謝です。
もちろん投手が一人で投げ抜いたという事実は凄いことですから、本当にお疲れ様でしたとおおいに労ってあげたいです。
がしかし、それが良いという風潮を印象付けるような報道はしてほしくないです。
球数制限は厳格な仕組みでなくても、取り合えず叩き台的な制度を導入して早急に投手酷使を緩和して欲しいですね。
個人的には地方大会の参加校数の格差を是正出来ないかと思います。各都道府県の参加校数は把握しておりませんが、かなり差があったと思います。
神奈川とかは何故に東京のように東西(北南)に分けないのだろう。何か出来ない理由があるのでしょうか?(素人発想で申し訳ありません)
日本で一番美しいのはほっともっとフィールドだと思ってます。
高校野球は金属バットの廃止にむかった方がいいと思う。
大逆転があったりサヨナラHRがあったり、と興行側は派手な試合が
欲しいんでしょうけど。
金属バットを押し込める、またはかわす・・・という投球術が
投手寿命を縮めてるのではないかとすら思う。
土まみれになるのは可哀そうです
芝の上で伸び伸びと野球をさせてあげたいです
芝生の刈り方や土壌の硬軟など球場によって打球速度は異なり、イレギュラーバウンドの頻度が高まりそう。こうなると守備だけではなく、バントやエンドランなど攻撃面でも対応策が必要となるでしょう。内外野とも天然芝の球場で培った技量で、初めて世界標準と同じ土俵に上がれるというものではありませんか?
やはり松坂大輔は投げまくった経験から球児の怪我を心配してますね
私もこれに同感です。
「たとえこの先投げられなくなっても自分が最後まで投げ抜きたい」
というよくある高校球児の発言に感動し、メディアも美談として捉えがちですが。その誤った価値観を真正面から否定していかない限り高校球児の悲劇はなくせられません。
(もっともその悲劇すら高校野球のドラマの一部として肯定したがる高校野球ファンも否定しなければなりませんが)
日本では珍しい左右非対称なのはもちろん、内外野共に天然芝。そんなメジャーに最も近い球場を本拠地としているカープが、なんと羨ましい事か。
でも、野球場自体が紡いできた歴史も含めると、やはり甲子園が一番。だから、「○○甲子園」等と付くようになったのでしょうね。
話変わりますが、高校野球について。個人的には、もっとプロ経験者を受け入れてもいいと思います。より門戸を広げるとでもいいましょうか。
ある日の新聞を読んで知ったのですが、元プロ野球選手の木下達生さんが、今年から母校(東邦/愛知)のコーチに就いたそうです。
教員免許などの問題もあって難しいでしょうが、プロを経験したからこそ伝えられるという点も多いのではないでしょうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO57905650Q3A730C1000000/
「肩は消耗品だ、という米国の考え方も決して否定できないと思う。しかし、日本には日本の野球文化がある。投げ込みも連投も、長く続けられてきた。それが一つの日本野球の美しさになっているのではないか。賛否あって当然だ。少なくとも、我々の価値観を日本に押しつけることはできない」
「彼が将来、メジャーに行くとき、100億円の値がつくかもしれない。それを考えて彼を守れ、という考えも分かる。しかし彼は、彼のためではなく、家族のため、チームメートのため、学校のため、地域のため、県のために投げている。彼は、お金では計れないもののために、体を張っている。それはある意味、我々が失った美しさだ。今、米国の高校野球界はドラフトで指名されること、大学で奨学金をもらうことがプレーする目的になっているから」
(引用、ここまで)
広尾さんは「教育」「健康」という言葉を使われていますが、一方で、「最高峰の舞台であるメジャーでは肩肘を消費してよい」という趣旨の発言をされていますから、つまるところ、「お金にならないステージで肩肘を消費すべきでない」ということだと思います。
それについては、自分も賛同する部分があるのですが、そうではない考え方もあるということではないでしょうか。
先の日経の記事の中で、ジョーンズ記者は最後に「この問題を一つの結論に導くことはできない。そもそも結論はあるのか」と述べるのですが、そこに話が集約されているように思います。
優れた野球選手は「資産」です。そう考えるといろんなことが整理されると思います。
そういうのは「特攻隊礼賛」と一緒です。
その「資産」をどう償却するのかは本人の価値観に任されるべき、ということです。
そうは思いません。未成年の間は指導者なり親なりが、指導すべきです。
若いということは愚かと同義語ですから。
このことから学ぶべきなのは自己管理や自制心など甲子園という大舞台では押し潰されてしまうので大会運営側で選手運用に制限をかけるしかないということです
現在の大会前の検査だけなんて大会中の投げすぎになんの意味もありません
身体もフォームもある程度完成されているプロですらやらないような投げ方を、身体的にも技術的にも未熟な高校生がやるというのは、やはり問題ではないかと。
あと、そうすることで必然的に若いころからリリーフ専門で投げる投手も増えてきて、リリーフ投手の質も上がるように思います。
想像ですが、現状では良いボールを投げてもスタミナのないピッチャーは、高校野球では(特に主力の)ピッチャーを任されにくいのではないかと。
先発とリリーフでは、当然求められる資質も調整法も全く違うので、早くから自分の適性に気付いてその分野に特化するのは重要なことのように思います。中には元広島・佐々岡のように両方に適正のある投手もいるかも知れませんが、一般に先発タイプのピッチャーだけじゃ野球って成り立ちませんから。
あと、甲子園がきれいな球場っていうのは分かるのですが、あの暑さの中、デイゲームをやらせるのは、ちょっと過酷かなぁという気もします。
デイゲームを大阪ドームに振り分けて、甲子園はナイターの試合のみ、決勝とか重要な試合は甲子園でナイター開催とかにはできないんでしょうか?
現状だと、いつか熱中症を起こす選手が出るんじゃないかと、ちょっとヒヤヒヤしています。熱中症で交代せざるを得なかったら、選手も悔いが残るでしょうし。
横浜高校の監督さんだったかはいわゆる精神論の典型的な話をしてましたね。
大阪桐蔭の監督さんだったかは100球制限とかを設けるととにかく100球を投げさせるという戦法を取るところが出てくるだろうと。極端に言えば三振してでも球数を投げさせるという。これは学生野球憲章の理念にもとるし野球としても面白くなくなるというような危惧を述べていたようです。
これはそういう側面もあるのかもと思いました。
桑田はとにかく球数制限をするべきだと言ってました。いけるかと聞かれていきますと言わないピッチャーは少ないしなかなか言えないものだから制度として確立すべしと。
高校野球界はこの先の投手生命を奪われてでも甲子園で燃えつきることが正しく美しいという価値観で蔓延されていますからね。
よっぽど意識の高い高校生でない限り、これまでの美化された甲子園ストーリーに感動しその誤った価値観に染まってしまいます。
>>18 Johnnyさん
球数制限を設けることによってこれからの高校野球は複数投手の使い分けができたとこが勝てる大会へと変わり、もう高校野球は1人のエースの力だけで勝ち抜くというやり方とははっきり決別する。この転換はしなければならないことで、今後はこのスタンダードからJohnnyさんの挙げたような高校野球の進化も生まれることでしょう。
>>19 Saiさん
100球を投げさせる戦法の話を出していたのは帝京の前田監督ですね。
監督に強要されたのならともかく、自分の意思で投げたい若者に、将来稼げるだろうからみたいな理由での制限って、それも拝金主義アメリカみたいで気持ち悪いですね。
体を壊すリスクを看過する指導者はだめだと思いますよ。子どもは、「将来稼げること」に気が付きませんから。「稼げる」がお嫌なのなら「将来も健康にプレーする」と言い換えてもいいですが、同じことです。受験以外のすべてのことは、高校生で終わっても良いとは思いません。
子どもの意志を尊重するのと、放任するのは違うと思います。
身体を壊すリスク、を考慮するならば、この世に存在する競技スポーツはほぼ全部悪になります。
健康増進を目的にするなららウォーキングくらいしかない。
話がそれそうなので。
もし野球にプロフェッショナルがなくて、大学野球と社会人野球までであれば、投げ過ぎ論争にはならないわけです。選手でダメでも、学業や通常業務で再スタート出来るわけで。
結局は、金のためという理屈になる。
もっとも、桐蔭学園高校や慶應義塾大学で活躍し、巨人など数球団の誘いを自分の意思で断り三井不動産に入社した志村さんみたいな、野球がなくなっても沢山の能力が残る優秀な人間は少ないのが問題ですね。
と、野球推薦の問題にもつながってきます。
月に何万スイングも素振りし休日なしで毎日練習する選手達、自らの家庭は放っておいても選手達の練習に付き合う監督やコーチ、それを熱狂的に支援する父兄やOB、学校、地域住民・・・
こういった野球狂たちに支えられてるのが現在の高校野球です。
その中で現場である監督や選手自ら球数制限するのは非常に困難でしょう。やはり、高野連によるルール化しか選手を守れないと思います。
これに加え、強豪校の投手の獲得に何らかの規制が必要だと思います。
現状でも強豪校が根こそぎ優秀な投手を獲得して、他校ならエース級になる人材をベンチ外で腐らせてます。投手は基本お山の大将ですから、それでも自分ならエースになれると思って強豪校へ行ってしまうわけです。
この部分を何らかのルール化すれば、よく言われる球数制限による投手力格差も回避出来るのではないでしょうか?
おっしゃっておられることは理解不能です。考えが四方八方に飛び散っています。就職だのへちまだのは関係ありません。
もう一度私の意見を整理しておきます。
高校生は未成年であり、大人と同様に自らの行動の責任を十全にとることはできません。
だから、指導者はクラブ活動であれ、なんであれ、子どもの行動を見守り、必要とあらば助言し、間違っていると判断したら改めさせる権限と責任を有します。
高校野球と言う過酷な舞台で、高校生が「この先野球ができなくなっても良い」という判断を下そうとするとき、指導者は、それを止めるべきだと言っています。
スポーツには故障、怪我のリスクが付きまといます。成人が行うスポーツのリスクは自己が100%負うべきですが、高校生の場合、指導者がリスクを未然に防ぐべく指導しなければなりません。
指導者の最重要の役目は高校生が健全、健康にスポーツができる環境を維持することです。
高校野球、甲子園と言う舞台は巨大ですが、だからといって「その舞台で野球生命を断たれてもよい」とする風潮は、おかしい。高校のクラブ活動の本分から外れているだろうと言っているわけです。
「資産」「資産価値」というのは、子供の将来性のことであり、彼らが身体を毀損することなく今後も活躍していたなら、自身だけでなく社会や周囲に対してもたらしたであろうベネフィットのことを言います。
おわかりいただけましたか。この件はこれ以上お答えしません。
答えていただかずとも結構です。
大人が、自分の方が解っているみたいなスタンスで、あなたのためを思ってと制限するのも問題なんです。
未成年が大人の世界や気持ちがわからないのと同様、大人も未成年の気持ちがわかるわけではない。
現実、高校野球はプロ野球の為に存在するのではないわけです。
これからピラミッドの頂点に立つだろう選手の都合を、高校野球で引退する選手にまで巻き込むのはいかがなものか。
ある有力選手の未来のために、現在進行している勝負を捨てるのは、この先の選手生活がない若者には気の毒でもあります。
それこそ、最近は流行らないスポーツエリートシステムです。
お説には全く同意できません。奇説珍説だと思います。
それでは教育も指導もできない。
「延長30回で決着つかず!高校軟式野球準決勝 3日目に突入へ」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/08/29/kiji/K20140829008833460.html
同じくらい肩の負担は大きいと思いますが。
サスペンデッドは延長再試合より負担が少なくなる筈ですが、こういう事態も起こりうるのですね。
「中京VS崇徳、3日がかりでも決着つかず!延長45回終え0―0で4日目へ」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/08/30/kiji/K20140830008838410.html