野球についての文章を365日ずっと書いていて思うのは、野球は「人の命」や「天下国家」にはほとんど関係がないということだ。当たり前のことのようだが、まさにパスタイム(ひまつぶし)である。
どのようなことを書こうが、誰かの命や国の将来が危うくなったりすることはまずない。
しかしながら、そんな「野球」であっても、世のメディアは「言ってはいけないこと」「触れてはいけないこと」をたくさん作って、「何かを」守っているように見える。
たとえば高校野球。
この間の軟式高校野球の決勝戦で、中京の投手が1000球以上投げた件。ブログなどアマチュアのメディアでは批判の声もあった。また著名人であっても一個人で「どうかと思う」と言う人はいた。
しかし、新聞やテレビなどメジャーなメディアで「あれはやりすぎだ」とか「大人が何とかしなければ」と言う声はほとんど出なかった。
「よくやった」「あっぱれ」のオンパレード、揚句にその投手のグラブ、ボールは野球殿堂博物館に展示されることとなった。「快挙」以外の何物でもないのだ。
「快挙」であるならば、メディアや高野連などは、高校球児は彼を目標にし、どんどん彼のように投げまくってほしい、と思っているのか?もっとたくさん投げることを奨励しているのか?
愛媛、済美の1年間の出場停止についても、新聞は、高野連、学生野球連盟の発表をそのまま掲載するのみ。批判の声はメディアとしては上がらない。
何か、そういうルールがあるのか。批判してはいけない「何か」があるのか。

プロ野球もそうである。私はたまにパスを頂いて球場内部を歩くことがあるが、事前に「選手に話しかけてはいけない」とか、「このエリアから先へは、●●テレビと○○新聞しか行けない」などとくぎを刺される。
「どうしてですか?」と聞くと
「どうしてなのかわからないけど、そういう風に決まっているのです」
と言われる。
そこにもルールのようなものがあるのだ。
そしてスポーツ紙は、球団や指導者の発表を、ほぼそのまま伝えている。
指導者が選手を非難すると「愛のむち」「期待していればこそ」と書き、チームが選手や指導者の処遇を決定すると、「チーム事情でやむを得なかった」と書く。
野球チームも企業である限り、様々な事情は当然あるが、中にはおかしなデシージョンや、ファンを大事にしていないような措置もあると思う。しかし、それは批判的に書かれることはほとんど無い。
一般紙はときどき球団、球界に苦言を呈することはあるが、それにも一定のルールがあるようだ。自社がかかわる野球ジャンルについては、批評はほとんどしない。
昔はそうではなかった。スポーツ紙は選手や球団を厳しく批判していた時期があった。1970年の「黒い霧」事件は、報知新聞がスクープしたものだ。
今、スポーツ紙が球界の不正や、犯罪行為を暴くようなことが考えられるだろうか。
今、野球界の不祥事として聞こえてくるのは、この間のドラ1新人選手の「当て逃げ」など、明かな犯罪行為だけ。しかも、警察沙汰になってから初めてわかるものだけだ。
ここ30年ほどの間に、野球界は「言論統制」に成功している。
ジャーナリストが球界や球団、指導者に批判的な記事を書くことを阻止することに成功している。運動記者クラブも支配下に入れて、「批判を許さず」という体制を敷いている。
それに反するものは「プレスパスを発行しない」という、記者にとっては死活問題になる処罰を与える。
だから、本格的な野球批評は、球場の取材エリアではなく、球場外や周辺での取材によって書かれることが多い。フリーのライターや作家が非公式の手段で選手に迫り、いろいろな記事を書いている。
そういう批評に対して
「彼らを球場で見ることはない。球場に来ないやつが何をいっているんだ」というメディア関係者がいるが、球場内でプレスパスをもらって批評をすることは事実上不可能なのだ。
もちろん、新聞社やテレビ局の力関係などはあるのだろうが、基本的には野球界はメディアとともに、一種のギルドを形成して、安定感のある、しかし発展性があまりない「業界」を作っているのだと思う。
「それでも野球はこんなにお客さんがいるのだから、結構じゃないか」と言うかもしれないが、野球の未来は明るいとはとても言えない。
ITの発達とともに、ジャーナリストが知らない、あるいは知っていても書かないことがいろいろと巷に出てくるようになった。そして「おかしなことが行われているのではないか」という認識を持つ一般の人々が増えてきている。
私のブログなども、そういう時代だからこそ、こうして存在することができる。
そういう情報に接する人たちが「野球界」を旧弊で、既得権益に汲々とする業界だとみなすようになった。サッカーや他のスポーツと比べても、あまり魅力的だと思わなくなっている。
良いことにせよ、悪いことにせよ、野球ファンは、野球界と、既存のジャーナリストのことをじっと見ている。どんなことをしているのか、どんなことを伝え、どんなことを伝えていないのかを見ている。そして遠慮なく批評している。
そのことを特にメディアは深く認識すべきではないか。プレスパスを持つ意味を、もっと考えるべきではないかと思う。
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しかし、新聞やテレビなどメジャーなメディアで「あれはやりすぎだ」とか「大人が何とかしなければ」と言う声はほとんど出なかった。
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「快挙」であるならば、メディアや高野連などは、高校球児は彼を目標にし、どんどん彼のように投げまくってほしい、と思っているのか?もっとたくさん投げることを奨励しているのか?
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何か、そういうルールがあるのか。批判してはいけない「何か」があるのか。

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そこにもルールのようなものがあるのだ。
そしてスポーツ紙は、球団や指導者の発表を、ほぼそのまま伝えている。
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昔はそうではなかった。スポーツ紙は選手や球団を厳しく批判していた時期があった。1970年の「黒い霧」事件は、報知新聞がスクープしたものだ。
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ここ30年ほどの間に、野球界は「言論統制」に成功している。
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それに反するものは「プレスパスを発行しない」という、記者にとっては死活問題になる処罰を与える。
だから、本格的な野球批評は、球場の取材エリアではなく、球場外や周辺での取材によって書かれることが多い。フリーのライターや作家が非公式の手段で選手に迫り、いろいろな記事を書いている。
そういう批評に対して
「彼らを球場で見ることはない。球場に来ないやつが何をいっているんだ」というメディア関係者がいるが、球場内でプレスパスをもらって批評をすることは事実上不可能なのだ。
もちろん、新聞社やテレビ局の力関係などはあるのだろうが、基本的には野球界はメディアとともに、一種のギルドを形成して、安定感のある、しかし発展性があまりない「業界」を作っているのだと思う。
「それでも野球はこんなにお客さんがいるのだから、結構じゃないか」と言うかもしれないが、野球の未来は明るいとはとても言えない。
ITの発達とともに、ジャーナリストが知らない、あるいは知っていても書かないことがいろいろと巷に出てくるようになった。そして「おかしなことが行われているのではないか」という認識を持つ一般の人々が増えてきている。
私のブログなども、そういう時代だからこそ、こうして存在することができる。
そういう情報に接する人たちが「野球界」を旧弊で、既得権益に汲々とする業界だとみなすようになった。サッカーや他のスポーツと比べても、あまり魅力的だと思わなくなっている。
良いことにせよ、悪いことにせよ、野球ファンは、野球界と、既存のジャーナリストのことをじっと見ている。どんなことをしているのか、どんなことを伝え、どんなことを伝えていないのかを見ている。そして遠慮なく批評している。
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コメント
コメント一覧
「そんなもの俺でもできる」と見る風潮がありますね。
小さい頃からネットがあり、自身もツイッターやらを常用してるとそう思える世代なのでしょう。
>「彼らを球場で見ることはない。球場に来ないやつが何をいっているんだ」というメディア関係者
同じ事を若いファンは思ってるんですね。これが。
それでいて、彼らは公式なマスコミの記事はさらに見下します。
これも、選手が自ら情報を発信できるようになったからですね。
おかげで(?)ダルや上原をやたら信奉するのが増えています。
これもどうかと思うんですがね・・・
言論統制なんてあってはならない。
長々と理由を語ると天下国家を語ることになっちゃうんで考え方だけ。
インタビューの予定調和ぶりを聞けば一目瞭然。
昔の黒い霧事件では報知と読売がスクープ、その数年後に巨人の湯口投手が不可解な急死の際は意趣返しとばかりに読売以外のマスコミが総バッシング、昔からこんなつまらない利害争いをしているマスコミは、推して知るべしです。
Twitterの普及は、フリージャーナリストの取材もあまり必要とされなくなっている理由でもあります。
結局、ネットでは即時的情報が得られて。
なぜ彼らは批判を自粛してしまうのか。
「野球が好き」もしくは「野球メディアが好き」なのだと思います。
ゆえに、まず第一に願うのは野球界の存続です。もちろん発展も願ってはいますが、たとえば外部の黒船的な存在による改革は望んでいない。ライブドア参入時の激しいバッシングは記憶に新しいですが、彼らは改革によって「彼らが好きな野球界」が変質することは嫌なのです。
こういった心理は、音楽やアニメなど、ファンジン・同人誌から発展してきたメディアでもよく見られるものです。関係者はみんな音楽が好き、アニメが好き。だから駄作であっても応援してしまうのです。関係者みんながファンなので、賄賂を送るまでもなく提灯記事ばかりになる。そこに批評は成り立ちません。
エンジョイベースボールさんが書いておられるように、かつては野球メディアも利権争いがあり、読売新聞を中心に政治力に長けた巨魁たちがうごめいていたものですが、いまや野球にそこまでの影響力や金銭的な旨味はないでしょう。
なのでいま球界に残ってメディアの一翼を担っている人たちは、たぶん野球が好きなのです。それゆえにおいそれと球界を批判できないという、自縄自縛に陥っています。
既存メディアや、NPB関係者からも「いいね」をいただき、ちょっと驚いています。
芸能界なんてまさにそうですよ。特定のプロダクションや、そこに属している人間を批判する事自体が禁句と化している。
例えば、今のAKB48Gに対して、公然と批判している人はどれだけいるのか。私も、それに携わっている大人達(運営等)に怒りたい事は山ほどありますし、実際に手紙に認めた事もあるのですが、そういった事はほぼ公には出ません。
他には、会社自身が行った不正行為や、“プロ市民”等といった特定の言葉も該当しますね。
話を野球界に戻すと、アナログの時代から存在している事が関係しているのではないでしょうか。言わば、情報伝達する方法が、それ程 発展していない時からあった。大相撲等もそうかな。
一方でサッカーはデジタル、言うなれば、メディアが成熟してから注目される様になったという側面が強い。実際、日本がサッカーというスポーツに目がいくようになったのは、Jリーグが発足してからでしたからね。
>基本的には野球界はメディアとともに、一種のギルドを形成して、安定感のある、しかし発展性があまりない「業界」を作っているのだと思う。
たぶん、「野球界」を他のいかなる団体に置き換えても、この文章は成り立つのでしょう。なぜなら、この国には諸外国から批判されてやまない「記者クラブ制度」があるからです。
プロ野球という、日本人の目に留まりやすい娯楽が象徴しているものは、おそらく日本の縮図そのものでしょう。そして高校野球の記事でも書かせてもらったように、この国は大手テレビ局と大手新聞社がそれぞれ資本を持ちあう関係にあるため、相互のチェックもできない状態です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140912-00010004-noborder-base
日々是口実の「僕ちゃん~」の項と、本項を読んだ後
たまたま上記の玉木正之氏の記事を見かけました。
最後の文章には暗澹たる気持ちにさせられますが、我が意を得たりとも感じます。
差し出がましいようですが、もし未読でしたらご一読をと思いコメントさせていただきました。
拝見します。
まさにど真ん中の話題ですね。朝日新聞の取材は受けることがありますが、確かに高校野球の話題は振られたことがありません。
広尾さん、お返事ありがとうございます。
没になったという玉木氏の原稿も見つけたので以下に付記させていただきます。
http://no-border.co.jp/archives/17875/
確かに、日本のスポーツを取り巻く状況は依然きびしいと言わざるを得ません。
一方、既存のメディアが持つ文脈外から、優秀なアスリートが多々現れているのも、また事実だと思います。
彼らに引っ張られるように、既存のジャーナリズムが少しでも発展する事を期待したいです。