昨日少し予告したが、1965年以来のドラフトを通じて、NPB各球団が生え抜き選手をどのように活用していったかを見ていきたい。大きなデータなので2週間くらい連載します。
通算安打=Hと通算勝利数=W そしてH=1ポイント、W=10ポイント、セーブ5ポイントでチームごと、リーグごとのポイントをつけた。グレー地は入団拒否。えんじ色は移籍。移籍後の記録は嵩んしていない。ただし元のチームに復帰した時はその数字も加算。
要するにドラフトで獲得した選手が、直接的にどれだけ貢献したかを数値化。
1965年

1965


第1回のドラフト会議の結果。
グレー地の多さでわかるように辞退者が続出している。まだドラフトそのものが浸透していなかったのだ。

巨人は堀内恒夫を指名。これは大きい。堀内は6セーブも上げている。
中日は木俣の控えの新宅、代打男で巨人でも活躍した広野。阪神は1位の石床が来た外れだったが2位の藤田平が阪神歴代1位の安打。
広島は左腕の白石、そして強打者の水谷実雄。ともに阪急に移籍して活躍した。
国鉄はこのドラフトを最後に経営から手を引いている。そういうこともあってか、全くふるわなかった。大洋も期待外れ。

南海は、4人しか指名していない。ドラフト外での入団も認められていたので、ドラフトの重要性をあまり認識していなかったようだ。
東映は4年後の黒い霧事件で追放される森安がいる。西鉄はぱっとせず。阪急は徳島、撫養高校時代南海の鶴岡一人監督に見いだされていた法政大学の長池を指名。ドラフトがなければ当然、南海に入ったことだろう。強打の二塁手住友も動機だが、4位以下の10人に断られている。谷沢健一や小田義人、南海でポスト野村の正捕手となった黒田正宏の名前もある。
東京は2位に木樽。9位の川藤竜之輔は阪神の川藤の兄である。
そしてこのドラフトで最も成功したのは近鉄と言うことになる。2位の鈴木啓示が317勝。ドラフト以降の最多勝を記録した。飯田幸夫も中日、大洋と渡り歩き、控え内野手、代打として15年間活躍した。


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1969年山下律夫、全登板成績



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